第5話 小さな一歩、大きな飛躍

 実験と実地調査を終えて、具体的な事業計画の作成にクレイグと俺、そしてマリーの三人でリュシオール家の屋敷で取り組んでいる。通信ラインを地図上に引き、中継所の概念図を描き、仮ではあるが運用マニュアルを作る。お金さえあればすぐにでも事業が開始できるというその証明のためにも。


 この計画を作っていく上でクレイグはもとよりマリーにはとても助けられた。失礼かもしれないが冒険者といえばそこまで教養があるわけでもないと考えていたが、その考えは改められることになった。マリーは話しているとかなりの教養を感じさせてくれるし、何より俺では気が付かなかった計画の穴に気が付いてくれてその穴をふさぐ方法まで用意してくれるほどだった。


 前世では普通のサラリーマンしか経験が無く、こんなスタートアップをやるなんて転生する前は思いもしなかった。こうしていると大学時代、一般教養の講義で受けたイノベーション論を思い出す。


 確か、イノベーションというのは既に誰かやってるか、やったところで意味のない事か、そもそも実現不可能かのどれかが大抵であるらしい。今俺たちがやってることも前世の世界を入れれば当てはまるのだろう。


 しかし、現状で言えば俺は先駆者である。それは間違いない。誰かに先を越される前に事業を成立させる必要があるのは間違い無いが。となればスタートダッシュは重要だ。マネされる前にわがリュシオール家の領地、ひいては王国全土で事業を完成させ優位性を確保する必要がある。……ともすれば政治力も必要になってくる。そちらもどうにかしなければ。


「あの疑問なんですが、この手旗信号?というもので情報のやりとりができるのは良いんですが、誰でも見られる状態だと盗み読みされてしまう気がするけれど、大丈夫なんですか?」

「それは私も気になっておりました、坊ちゃん。何か策はおありでしょうか?」

「うん。確かにそうだね。すぐには読み取るのは難しくてもずっと観察していたり手旗の割り当て表が流出してしまうと内容がバレてしまって商売あがったりになっちゃうよね。」


 邪な目的を持った輩が居たとしたら多分やられる。少なくともそういったものを入手したところで何の役にも立たなくしてしまう方法、それを考えねばならないがアイデアが無いわけでは無い。


「符丁とシーザーローテーション……と言っても分からないよね。まあ、文字を日によっていくつかずらして使うのを組み合わせてというのが当面のところになるかな。といってもあまり長く盗み読みされると大体内容が推測されてしまうから間に合わせだけどね。本命は……暗号機の作成ってところかな。」

「暗号機!!となると、坊っちゃんは王国軍で使われていると聞く魔導暗号機を作るおつもりですか?けれどあれは高名な魔導師でなければ作ることも使う事もできないと聞き及んでおりますが……。」

「んー、別にそこまでのモノは作らないかな。そこまでの機密は扱わないから邪な連中が盗み読みしても役に立たないレベルでいいと思うし。」


 将来的に国家の通信を担うというのであれば相応の暗号強度が必要になるとは思うが、まだコンピュータも存在しないようなこの世界であれば人力であれば非現実的という程度に抑えておけば大丈夫だろう。……俺以外に転生者が居なければだが。


「とりあえず、試作なら七日くらいくれたら作れるとは思うからそれまで待ってて。」

「試作……私は手伝わなくてもよろしいですか?」

「うん。これはクレイグの手伝いなしでやってみたいからね。」


 それと、とてもじゃないがこの世界の住人では、たといクレイグであっても理解できないだろうからとは言えなかった。……言って良いことと悪いことがある。それが借り物のアイデアであるならなおさらだ。


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「クレイグ、マリー。僕のアイデアを形にしたから見て欲しい。」


 あれから三日。再び二人に集まってもらって、俺の威信を賭けて作り上げた試作品を二人の前に出した。


「随分と……簡素、に見えます。これが暗号機……ですか?」


 少しばかりクレイグが怪訝そうに聞いてきた。マリーの表情も同じような事を思っている風な様子だ。


「うん。見た目はね。けどこれ一台でかなりの便利さがあるとは思うんだ。早速使ってみるよ。」


 俺は早速持って来た暗号機手に取って操作を始めた。俺が作ったのはヴィジュネル暗号を基にしたモノだ。この世界の文字は前世のアルファベットと偶然にも一緒で26文字で構成されている。よって26マス四方のマス目に各行と各列に重複が無いよう文字を割り振り一つの表を作る。そして暗号化・復号のための文字列を上端と左端に配置させてある。更に、読み取りを容易にするため糸を縦と横に一本ずつ張っておき、糸の交点下にある文字を読みとる方式を取った。


「習うより慣れろとはよく言うからね。まずは実際に簡単な文章を暗号化してみよう。まずこれは鍵語と平文を用意するわけだけど、今回は試しだから鍵語は”CRAIG”平文は”ALFONS”でやってみよう。」


 今回用意したのはあくまでもデモンストレーションだからそのままのヴィジュネル方陣だ。行が一つ下に行くにつれてそれぞれの文字が一つ先の文字に変わっていくシンプルなタイプだ。


 まず横に張ってある糸を鍵の一文字目である縦に並んでいる文字表の”C”の部分に合わせる。次に縦に張っている糸を”A”の部分に合わせる。その交点にある文字を読みとって手元のメモに書き留めておく。今回は”C”だ。次に鍵の二文字目の”R”の部分に糸を合わせ、次に平文の二文字目の”L”の部分に合わせる。今回は”C”が暗号化された文字だ。


 同様に暗号化を続けて最終的に”CCFWTU”という暗号化された文字列が出来上がった。


「なるほど。実際に見てみたお陰でどういう仕組みか理解できました。暗号化をする時は上端と左端の文字列を使いそれぞれから伸びる糸の交点から暗号化された文字を取り出す。そしてこれを復号するときは逆に左端から伸びる鍵の列の上にある一致する文字を探し、上端の文字へ辿る。そういう仕組みですね。坊ちゃん?」

「まさにそう!!かなり単純な使い方とは思うけどこれでかなりの暗号強度は用意できるはずだよ。」


  本当のところ、かつてドイツで運用されていたエニグマ暗号機辺りを再現してみたかったが俺には無理だった。紙ペラ一枚でも再現はできることはできるが実運用上のことを考えるとオペレーターの負担がヴィジュネル暗号を運用するより段違いになってしまう気がする。ひとまずはこれでもいいだろう。あとはもう少し事業用に使いやすく、かつ暗号化と復号を高速でやれる仕組みを考えればよい。事業が軌道に乗ってからでも間に合うだろう。


「さて、これで準備は整った。クレイグ、マリー。次は大一番だ。僕の父上にこの事業は認めてもらわねばならない。……今度父上に現状完成した事業プランを評価してもらう訳だけれども、一緒にやってくれる?」

「勿論です。坊ちゃん。」

「ええ。私も力を尽くさせていただきます。」


 もしもダメでも俺は諦めない。既に仲間が居るのだから。諦める必要は無いし、諦めるわけにはいかない。建前でも私利私欲とは真逆の理由で始めているのだから。


 ……さあ、全力をつくそう!!

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