第8部 4202年08月08日

 最近、彼女の姿が見えないことが多い。夜、一緒にベッドで眠ったはずなのに、朝起きると彼女の姿がなくなっている。どこに行ったのだろうと思いながら、朝、コーヒーの支度をしていると、たちまち玄関のドアが開いて、彼女が帰ってくる。実際、彼女はよく散歩に出かけるから、夜にいなくなること自体は、不思議なことではない。しかし、最近の彼女は、どうも散歩に出かけているわけでもなさそうだった。


「散歩?」


 と僕が尋ねると、


「uun」


 と言って首を横に振るのだ。


 それ以上待っても、彼女がその先を話すことはない。淹れたてのコーヒーを渡すと、ありがとうと言って彼女はそれを受け取り、一口啜る。それから、澄ました顔でテーブルに着いて、雑誌をぱらぱらと捲り始める。


 僕はコーヒーを上手く淹れられるようになった。ポットには魔法がかけられていて、それは彼女でないと上手く使えないらしいが、長い間戯れている内に、ポットの性分というものが僕にも分かるようになった。そのポットというのは、要するに彼女の化身で、彼女を扱うのと同じように扱えば、どうということはない。


 そのポットは自由に姿を変えることができるらしく、この前は、彼女の姿になって僕の前に現れた。ポットは、ポットとしての姿が正真正銘の姿なのではなく、もとは粉のような不定形の姿をしているらしい。要するに、それの本質はポットではなく、自由に姿を変えられる粒子ということだ。それを彼女が今はポットとして使っているだけだった。


「tsukuru no, taihen na n da kara」


 雑誌のページを捲りながら、彼女が不意に呟いた。彼女は、テーブルの上で肩肘をつき、そちら側の手の上に自分の顎を載せて、もう片方の手でコーヒーの入ったカップをゆらゆらさせている。


「君が作ったの?」僕は質問した。


「sou da yo」彼女は答える。「sugoi desho」


「君は、何なの?」


「nan da to wa, nan da ?」


「君の本性というか」


 僕がそう言うと、彼女は掌から顎を離して、こちらを見た。きょとんとした目で僕を見ている。「きょとん」というのを、その擬態語を使わないで漢語で表わすとしたら、どんな表現になるだろうかと僕は少し考えた。


「tsukarete iru no ?」


「最近、どこに行ってるの?」僕は尋ねた。

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