第7部 4202年07月07日

 七夕の夜だから、僕は彼女と一緒にいることができた。一ヶ月ほど前に、何か奇妙なことが起こった気がするが、もしかすると、そんな気がしただけかもしれない。それにしても、気とは一体何だろう。気持ちとか、気分とか、感覚的には理解できるが、その本質とは何かと問われると、それに答えるのは難しい「気」がする。本質など分からなくても、生きていけるということだろうか。


 僕の隣にいる彼女は、しかし、本当に彼女なのだろうかと、彼女の横顔を見つめながら彼女。彼女は今お酒を飲んでいる。日本酒だった。僕はお酒は飲まないから、銘柄はよく分からない。硝子製の円筒形の容器に入っていた。液体は綺麗な透明。濁ってなどいない。


「oishii」


 と、彼女は呟く。


 丘の上に立つ家の、さらにその傍にある丘の上に僕達はいた。すぐ傍に背の高い鉄塔が立っている。稜線に沿って同様のものがいくつも向こうまで連なっているのが、シルエットになって見えた。すぐ傍に電灯が立っているが、明かりはそれだけで、眼下に広がる山の麓は今の時間帯はよく見えない。


 僕は、浮気性で、ときどき、彼女の姿が違って見える。しかし、それは、彼女の中の色々な彼女が見えるというだけで、結局は愛している対象に変わりはないのかもしれない。髪が長く映ることもあれば、短く映ることもある。声も、ときどき変わる。


「nani, mite iru no?」


 横顔を眺めていると、彼女にそう問われた。


「別に」僕は端的に応える。「綺麗だな、と」


 そう言って、僕も缶コーヒーに口をつけかけたが、彼女に肘で小突かれて、目的は達成できなかった。缶の中で液体が跳ね上がり、揺られ揺られて音を立てる。


「仕事はどう?」僕は当たり障りのない質問をした。


「betsu ni」彼女は答える。


 仕事というのは、ある方向に加えた力の大きさと、その力の方向に動いた距離を、かけ合わせたものだ。たしか、中学生の頃にそう習った。しかし、中学校で習うことは、たぶん、極度に一般化された事柄だから、世の中の物理現象を充分に理解するためには、それだけでは不充分かもしれない。


「shigoto tte, yarasareru kara, shigoto na n da ne」彼女が言った。


 僕は黙って目だけで彼女の方を見る。


「yaru koto o, jibun de kimeraretara, sore wa, mohaya, shumi to kawaranai」


 彼女の言葉を聞いて、そのとおりだと僕は思った。


 ちなみに、僕は狭い意味での仕事はしていない。広い意味でのそれならしているつもりだ。一定の方向に力を加え、その方向に動いている。力を加えているのに動かないとか、力を加えているのとは別の方向に動くということは、少なくとも、僕が感じられる範囲では、幸いにもないように思えた。

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