第4部 4202年04月04日

 本屋で本を読む。最近では、本屋と併設されたカフェなんかもあるから、本屋で本を読むばかりでなく、本屋でコーヒーを飲んだり、本屋でケーキを食べたりすることもできるらしい。そうなると、もはや本屋である必要がなくなり、色々な要素が混合された一つの店になる。それが進みに進んだ結果が、たぶん、インターネットだろう。


 僕の隣で彼女が本を立ち読みしている。それに対抗するように、では、自分はと、僕は彼女の隣で座り読みをしていた。床に御座を敷いて、茶を啜りながら売り物の短編集を読む。詩集ではなく短編集を選んだところに、僕なりの趣があるというものだ。詩は、鑑賞を強要されるようでいけない。それに対して、短編集というのは、つまりテレビのコマーシャルのようなもので、だらだら観ていても、ちゃんと内容を理解していなくても、誰にも怒られない。そうすると、詩というのは、コンサートホールで聴くクラシックのようなものだろうか。


「imi no wakaranai tatoe」


 と、本を読みながら彼女が呟いた。インプットとアウトプットが同時にできるようだ。


「じゃあ、君は短編集と詩集を何に喩える?」


「tanpenshuu wa, tenpura. shishuu wa, karaage」


「意味が分からない」


「tanpenshuu wa, yondemo futoranai. shishuu wa, yondara futoru」


「どうして?」


「tanpenshuu wa, oto ga juuyou de wa nai. shishuu wa, oto ga juuyou」


「天ぷらも、唐揚げも、どちらも作るときに音が鳴るよ」


「taberu toki no hanashi」


「いや、それでもどちらも音が鳴るよ」


「tenpura wa, “sakutt”da kedo, karaage wa, “juwatt” da kara」


「だから?」


「tanpenshuu wa, “sakutt” de, shishuu wa, “juwatt” da to iu koto」


 僕は読んでいた本から顔を上げて、天井を見る。彼女の言っている意味が、少しだけ分かったような気がした。


 それは、要するに、油の量と、衣の量の違い、ということになるだろう。天ぷらは「油:少 衣:多」の関係だが、唐揚げは「油:多 衣:少」の関係となる。両者は反対の性質を持ったものだ。短編集の場合、物語の核を包む衣の量が比較的多く、結果的に衣を主に味わうことになる。核が見えない場合だって少なくないだろう。また、油が少ないから、カロリーを気にせずいくつも食べることができる。一方、詩集の場合、核がほとんど丸出しになっているから、衣を食べるというよりは、中身を食べるという感じがする。そして、油が多いから、カロリーも気になるし、一度にいくつもは食べられない。


 また、両者では、衣に包まれる具、つまり核の種類という点でも異なる。短編集の核は種類が多いが、詩集の核は種類がほぼ一つに限られる。

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