ケース5 彼氏とハンドマッサージ
「も、もうちょっと……、もうちょっとで終わる……!」
部屋の中でひとり、必死でペンタブを振るう。
左手は忙しなくキーを叩き、右手はペンをひたすらに動かした。
昨晩から、時計とディスプレイを交互に見続けるだけだったが、それももう少しで終わりだ。脱稿直前特有の、昂揚感が身を包む。
かといって、ここで気を抜けば終わりだ。
歯を喰いしばって、ラストスパートをかける。
最後まで走り抜ける――!
「お、終わった……!」
がしゃん、と液タブに突っ伏す。
ペンがからから……、と音を立てて床に落ちたが、拾う気力もなかった。
入稿完了のメールを確認し、完全に力が抜ける。
昨晩からの〆切まで原稿一本勝負、なんとか今回も勝利を収めました……。どうにか、次のイベントでも本が出せそうです……。
「あ、そ、そうだ! たー!」
脱力している場合ではない。
わたしは暗い部屋から飛び出し、リビングに出る。
ソファの前でゆったりと座り、テレビを観ている男性がいる。短髪の爽やかな印象を与える青年で、黒縁の眼鏡をかけている。
シャツの上からでも、広い肩幅や引き締まった腕がわかる。背も高くてがっちりとした男性だ。
彼はこちらを振り返り、にっと少年のような笑みを浮かべた。
「なー。〆切、間に合った?」
「う、うん。終わった。ごめん、たー。約束してたのに……」
「いいっていいって。ドウジンシってやつは、なーの大事な趣味なんだろ? こうして会ってはくれるわけだし、ぜんぜんいいよ」
「た~、ありがと~」
彼の優しさがあまりにも大きすぎて、涙ぐんでしまう。そのままソファに飛び込んだ。
たーの胸に飛び込むと、彼はそのまま背中に手を回してくれる。
彼の大きな胸板に顔をうずめると、硬くてどっしりしていた。その分厚さにどこかほっとする。
彼が背中に手を回すと、すっぱりと身体を包み込まれた。わたしも手を彼の背中に回す。
彼の身体は大きくて、温かくて、こうして包まれるととても安心する。どれだけ力を入れても、彼はびくともしない。
ぎゅ~っと力いっぱい抱き着き、ぐりぐりと胸に顔を押し付けた。
「なー、くすぐったいよ」
「ごめん」
「いいってば」
彼は笑いながら、背中をぽんぽんと叩いてくれた。
それが心地よくて、わたしはより顔をうずめる。整髪料の匂いが鼻をつついた。
たーはきっちりオシャレをして、約束どおりに遊びに行くつもりだったのに……。
「むー……」
「くすぐったいって」
「もっとぎゅっとして……」
「はいはい」
わたしがねだると、彼は回した腕の力を強めてくれる。
身体がより圧迫されて、包まれている感が強くなる。太い腕や、がっしりした身体、高い体温。
どれもが心地よくて、安堵の息が漏れた。
心臓に耳を寄せると、とくんとくんと鼓動している。
愛しさに、わたしも手に力を込める。すると、彼もまた力を強めてくれた。
互いにぎゅーっと抱きしめ合い、無言で互いの体温を確かめ合う。
その静かな時間が、これ以上ないほど幸せだった。
男の人の身体って、なんでこうも硬くてゴツゴツしてるのに、包まれていると安心するんだろう。嬉しいんだろう。大きな手で背中を支えられると、とても心が湧き立つ。
あぁくそう。
こんなにも、好きなんだよなぁ……。
「たー、頭、撫でて」
「はいはい」
彼は笑いながら、わたしの頭に手を乗せた。
本当に彼の手は大きい。ぽん、と頭に手を乗せられると、その大きさにびっくりする。細くてやわらかいわたしの手と違い、彼の手は骨ばっていて、力強さがある。どんなものでも掴めそうだ。
「なーの頭はちっちゃいなあ」
「たーの手が大きいだけだから……」
彼はよく、わたしの顔が小さい、と褒めてくれる。それが何だか恥ずかしくて、いつも照れ隠しでごましていた。
彼は感触を確かめるように、頭をぽんぽんする。一定のリズムで、ぽん、ぽん、と。まるで赤子を寝かしつけるかのように。子供扱いされているようで恥ずかしいが、どこか嬉しかった。
そもそも、今のわたしはどう見ても子供のようだ。
それを意識すると、つい文句がこぼれる。
「と、年下のくせに……」
「そうだねぇ。なーの方がお姉さんだねえ。でもこんなに甘えん坊で、不思議だねえ」
「…………」
彼は落ち着いた声色でそう返してくる。
その言い方に羞恥心が刺激されるが、やはりちょっと嬉しい。決して人には見せられない有様だが、自分を解放するのは気持ちよかった。
けれど、恥ずかしさに負けて攻撃的になる。
彼の胸にがうがう、と噛みついた。
「もー、なー。痛いって」
「うるさい。頭撫でてって言ってるじゃん」
「はいはい」
わたしが催促すると、彼の手がようやくわたしの頭を撫でた。
大きな手が頭頂部から後頭部にかけて、ゆっくりと降りていく。
髪を撫でられる感覚に、ぞわぞわとした気持ちよさを覚え、思わず目をつぶる。
さらさらと髪を揺らし、彼の手が体温を送ってくれる。彼の身体に包まれていることもあって、体温がぽっぽと上がってきた。
頭を撫でられると、妙にぞくぞくして、こそばゆい。けれど不快な感覚ではない。むしろ嬉しい。もっとしてほしい。
大事にされているのが伝わって、心がきゅうっとなる。
前の彼氏まで、わたしは頭を撫でられるのが嫌いだった。なんだか上から目線な気がして、なんだこいつってなったものだ。周りの子も、苦手な人が多かったと思う。
けれど、なぜだろう。
たーの場合は嬉しくてたまらない。
「なーはよく頑張ったねえ。仕事も忙しいのに、趣味も頑張って。偉いなぁ」
穏やかな声で言われ、身体をさらにぞくぞくしたものが駆けのぼる。
幸せな気持ちがふわーっと広がって、身体中に溶けていった。疲れさえも消えていく気がする。
でも。
「偉くない……。たーとの約束破って、〆切ギリギリになって。かっこわるい」
それが申し訳なかった。
本当は今日、買い物に行って、映画を観て、おいしいご飯を食べて……、と色々予定があったのだ。
しかし、最近は会社が忙しく、なかなか原稿が進まなかった。そのせいで、予定をキャンセルしてまで、原稿に張り付く羽目になってしまった。
たーはそれでも怒らず、「終わったら呼んでね~」なんて言って、リビングで待っていてくれた。
たーだって、色々と忙しいはずなのに。
「なーはかわいいなぁ、ほんと」
急にそんなことを言われ、あっちからぎゅーっと抱きしめられる。
わたしが不思議そうにしていると、彼は頭を撫でながら、こう続けた。
「俺さぁ、仕事ですげー嫌なことあってさ。実はめちゃくちゃイライラしてて。だから、少しでもなーに会いたかったんだ。で、こうしてたら、色々と忘れてきた」
「………………」
そんなことを言いながら、彼はわたしの髪に鼻を埋める。
彼も色々と、抱えるものがあるらしい。
その助けになれるのは嬉しいけれど、甘えているのはわたしの方だ。むず痒くて恥ずかしくて、わたしは聞いた知識をそのまま口にした。
「だ、男女でハグすると、ストレスが軽減されるらしいよ」
「そうなんだ。そっかぁ……、なーってこんなにやわかくてかわいいもんな……、そりゃストレスもなくなるか……」
独り言のように言う。やめてほしい。恥ずかしくなるからやめてほしい。
変わらず頭を撫でてもらい、すっぽりと彼の身体に収まっていると、彼はぼんやりとした声色で尋ねてきた。
「なー、今から寝るでしょ? 起きたら、軽くご飯食べに行く?」
「あ、ええと、うん……」
まごまごした返事しかできない。
わたしは昨夜から一睡もしていない。精神的にも体力的にもヘロヘロだ。これから遊びに行くなんて、とてもじゃないが無理だ。
彼の言う通り、一眠りはしたい。
けれど、せっかくたーが待ってくれていたのに、寝るっていうのも……。
わたしのそんな逡巡が読めたのか、彼は頭をまたぽんぽんとしてくれる。
「気にしなくていいってば。のんびり昼寝するのも、俺も好きだからさ」
「うん……」
あぁもう……、好きだなぁ、もう……。
その優しさに顔を埋める。
彼はわたしの背中に手を置き、今度はそちらをぽんぽんと叩く。
「ベッド行く? 眠れそう?」
「ん……、あんまり……。〆切直後だから、目が冴えてて……」
身体は疲れているし、元気もない。かといって、ベッドにダイブしたらすぐ眠れるか、と言えばそうでもない。
〆切終わった! という解放感が、身体を興奮させている。
「んー。そっか。じゃあ、眠くなれるように、マッサージしようか?」
「マッサージ?」
おかしなワードが出てきた。
確かにマッサージでリラックスすれば、そのまま眠れそうではあるけれど。
わたしは彼から身体を離し、腕を軽く回す。
「でもわたし、肩も腰もそんなに凝ってないし」
そうなのだ。
わたしは長時間座りっぱなし、作業しっぱなしではあるのだが、定期的にストレッチを行い、身体に疲れを貯めないようにしている。
普段は運動もしているし、あまり凝りには縁のない身体だ。
だから、彼がそんなことを言うのが意外だった。
目をぱちくりさせていると、彼がわたしの手を掴む。
「ハンドマッサージなら、どう? 昨日からずっと手を動かしてたんでしょ? 疲れてるんじゃない?」
「あー……」
そう言われると、そうかも。
腰や肩は気を遣っているが、あまり手のケアは考えてないかもしれない。
でも、手のマッサージってどうなんだろう。
わたしが自分の手を見つめていると、彼は「決まりだ」と笑った。
わたしの両脇に手を差し入れると、そのままひょいっと持ち上げた。いとも簡単に持ち上げられたわたしは、その場にちょこんと座る。
彼はどこからかハンドクリームを取り出し、ことん、とテーブルに置いた。
「はい、手を出してください」
言われるがままに右手を差し出す。
彼はクリームを自身の手に乗せて、自分の手になじませる。
しゅるしゅるしゅる、と音が鳴る。
そのまま、わたしの手をやさしく握った。
彼の両手がわたしの右手を覆い、すりすりと擦り始める。手全体にいきわたるよう、まんべんなく、まんべんなく……。
「お……おお……」
人にハンドクリームを塗られているだけなのに、既にもう気持ちよくなっている。
すりすり、という音が耳心地よく、触れる手つきも本当にやさしいものだ。
彼の大きな手に挟まれると、わたしの手はすっぽりと隠れてしまう。それでもやさしく、やさしく、撫でてくれた。
その慮る気持ちが、うれしい。大げさに言えば、愛を感じる。
そのまますりすりすり……、と練り込むようにクリームを塗ってくれた。
肌同士が擦れ、徐々に温度が上がっていく。
そのぽかぽかしてくる感じもまた、心地よかった。
「痛かったら、ちゃんと言ってね」
言いつつ、彼は両手の親指を器用に使い、くりくりと手全体を刺激し始める。
クリームのおかげで指の滑りはよく、スムーズに指がわたしの手を擦っていく。
「はい、引っくり返します」
わたしの手の甲を上にして、彼はくりくりと指を動かした。
それが徐々に手のひらまで使うようになり、ぎゅうっと押される。刺激が大きく、広くなっていく。
刺激するのは手のひら。
そこを彼の手が、円を描くようにしながら、少しずつ刺激を与えてくれる。
「あー、やっぱりなーの手、すごく疲れてる。触っててわかるよ」
「え、うそ。そっか……、まぁ一晩中やってたもんね……」
確かに作業中も、手が疲れたな……、なんて思うことは多い。
もちろん、手を閉じたり開いたり、伸ばしたりはするけれど、それじゃ足りないみたいだ。
何せ、彼のマッサージがちょっと痛く感じる。
「たー、ごめん。痛いかも」
「あ、ごめんね。力弱める。やっぱり疲れてるんじゃないかな」
たーの指の圧力が、わずかに減る。
すると本当にちょうどいい刺激になり、ぽわわんとした気持ちになった。
あぁこれ、気持ち良いんだ。
手を擦られて、押されて、気持ちいいなんてなんだか変な感じ。
手につられて身体も反応してるのか、ぽかぽかと体温が上がる。
これは良い感じに眠くなるかもしれない……。
「なーの手、温かくなってきた」
「うん……」
「気持ちいい?」
「うん……、気持ちいい……、ありがと……」
わたしが眠気に呑まれかけた声を出すと、彼は嬉しそうに笑う。
しばらくの間、しゅるしゅると手を擦ってくれていたが、その手が止まる。
今度は、左手でわたしの手首を持って、彼の指先がわたしの指先に移動した。
「くるくるーってやつ、やってくね」
彼の宣言通り、指をくるくるーってされた。
小指から順に握られる。人差し指と親指が、わたしの小指を掴む。そのまま、彼の指が、くるくるくる……と丸を作るように動いた。
指を重点的にマッサージされる。
「あー……、指もすっごい疲れてる……」
そう言われてしまう。
わたしは気持ちよかった。刺激は小さくて、ほとんど指を揺らすだけだ。不思議なもので、指を小刻みに揺らされるだけで気持ちがいい。疲れがそのまま振り落ちるかのようだった。
「やっぱり指を使う作業だとねー……、疲れるよねー……」
「んー……」
ほとんど独り言と、ぼやけた返事だ。
くるくるしてくれたあと、今度はゆっくりと引っ張るような動き。力が入ったのがわかり、刺激がわかりやすい。
すると、ぎゅうっとした快感が指を覆う。ぴりっとした痛みもあるけれど、我慢できる痛さだ。むしろ気持ちいい。痛気持ちいい。
しかし、その手が小指の先を掴んだ瞬間、身体が跳ねた。
「いった! いったい! なにそれ、痛いんだけど!」
今までは穏やかな刺激と痛みだったのに、急に鋭い痛みに刺されて、身体が思わず反応した。びっくりするくらい痛い。さっきまで眠かったのに、一気に眠気が飛んだくらいだ。
「え、そうなの? ここは……、何のツボだっけ。頭? 鼻? なー、鼻炎持ちだったよね。それでじゃない?」
「な、なんでもいいけど……っ! いたい、いたいんだって!」
痛いって言ってるのにやめてくれず、ニヤニヤしているたーを叩く。
すると、ようやく離してくれた。わたしは自分の小指を庇い、はぁはぁと荒い息を整える。キッと彼を睨んだ。
「ごめんて。反応が可愛くて、つい。今度はやさしくするから」
「…………」
警戒しつつも、わたしはおずおずと手を差し出す。
さっきのは確かに痛かったが、それまでは本当に気持ちがよかった。彼が裏切らないことを祈りながら、彼を見つめる。
すると、急に小指の先を掴むのだから、びくっとした。
「もうしないって」
彼は苦笑しながら、小指の先を本当にわずかな力で押さえた。
あれ。
変わらず痛い。しかし、さっきまでの鋭い痛みではなく、ぼんやりした鈍い痛みだ。我慢できる。
それどころか、そこを刺激されると気持ちよさの方が勝った。
「なー、鼻炎持ちだから、どうしても痛くなっちゃうのかもね。反射区っていうんだっけ? ここをぐりぐりしてたら、よくなったりするのかなぁ」
「わかん、ない、けど……。気持ちいいよ、たー」
「そっか。それはよかった」
彼はにこにこと笑う。
小指を十分にほぐしたあと、彼の手が違う指に移る。そこからの作業は小指と変わらず、くりくりと刺激をして、引っ張って、指の先をぐいーっと揉む。
そのどれもが気持ちよく、丁寧な彼の指捌きに心を奪われる。
そのあと、仕上げとばかりに再び指を一本ずつ掴む。
指を掴んで、ゆぅっくりと回される。ストレッチみたいな動きだった。なんだか力が抜けていく。力といっしょに、疲れも。気持ちいい。
指先を掴んだかと思うと、弾く。
「ポンッ」と不思議な音を立てた。
「え、なにそれ。なんかすごい」
わたしの何も考えてない感想に、たーは笑う。
ほかの指も同じように、ぐーるぐーると伸ばして、「ポンッ」と音を立てて弾く。
びぃーんとした快感が一緒に弾け、そのまま身体に流れ込んでくるようだ。
そのうえ、スッキリした気がする。
「なー。昨日今日だけじゃなくて、普段から指を使ってない? 疲れが溜まっているような気がする」
「えー? あー、でも。そうかも」
基本的に仕事はパソコンばかり使うし、プライベートも絵を描いているし。
身体の凝りには気を遣っているが、そこまでは気が回らなかった。
たーは嬉しそうに笑って、自分の手にハンドクリームを足した。しゅりしゅりと手に馴染ませながら、口を開く。
「じゃあ今日は、疲れを一気に取っちゃおう。週明けからも頑張らないとね」
「………………」
なんでこんなに優しいんだろう、この子は……。
わたしも何かお礼したいなぁ、と考えていると、彼の手にぐっと力がこもった。
ぎゅうっと押されたのは、指と指の間。
きゅーっとした痛みが、手に広がる。
「いたたた……、たー、ちょっと痛い……」
「あ、本当に? ごめん。ここも疲れてるねー」
押していた指の力が弱まる。
不思議なもので、その塩梅ですぐに痛みと快感が切り替わる。
「あー、痛い……、痛い……」が「痛い、けど、気持ち、いい……」になる。
わたしの顔がぽややんとなったのを見て、気持ちよくなったのが伝わったらしい。
彼は笑いながら、違う場所に指を当てた。
ぐぅーっと、揉む。じわーっと、快感が広がる。
ぐぅーっと、揉む。じわーっと、快感が広がる。
「たー……、気持ちいい……」
「よかった」
すべての指を刺激し終えると、またスリスリと手を擦る。
そのまま、今度は指ではなく、別の場所に。
人差し指と親指の間。
ちょうどくぼみがある部分に、彼の指が当てられる。
「ここさ、合谷って言って、何にでも効くツボなんだって」
「なにそのアバウトなツボ。万能ってこと?」
「そうそう。いや、言いたいことはわかるけどさ。自分でも押せる部分だから、手が疲れたら押してごらん」
そう言いつつ、彼は指に力を加える。
「!」
「あ、わかった?」
「う、うん……、これは、なんというか、効くね……!」
今までのツボとは、また違う感覚だ。
というか、ここだけ異質な気がする。刺激が強い? 効果が強い? とにかく、そんな感じだ。たーは特に力を込めた様子もないし、ここのツボがちょっと特殊なんだろう。
さすが何にでも効くツボ。万能のツボ。
それを信じたわけじゃないが、気持ちいいのだからそれでいい。
刺激が奥深くに入ってきて、そこからじわあっと快感が溢れでる。
「たー……、もっとやって……、気持ちいい……」
「はいはい。いいよ」
彼は気の抜けた笑みを浮かべ、同じツボを刺激してくれる。
十分に揉んでくれたあと、彼は両手でわたしの手を挟んだ。
「はい、引っくり返します」
くるりと回転させ、今度は手のひらが上になる。
しゅりしゅりと馴染ませるように指を這わせ、今度は手のひらに滑らせる。
彼の指が触れたのは、手のひらの手首に近い部分。
一番肉が厚い部分をぐーっと押し込む。
「お」
「……ゴリゴリ言ってるね」
自分でもわかるくらい、ゴリゴリ、ゴリゴリ、と音を立てる。手の中に何かが入っているかのようだ。
「これなに?」
「たぶん、老廃物じゃないかな。ゴミが溜まってるの。疲れてくると、こうしてゴミが溜まっていって、血流を悪くする。それで余計に凝っちゃう。ここが特に疲れてるんだよ」
「ほー……」
言いながらも、彼はゴリゴリとほぐしてくれる。
ゴミと言われるとしっくり来た。手の中にゴミがあって、それをたーがぐりぐりと刺激して、掃除してくれるみたいだ。
ゴリゴリという刺激がなんだか面白く、痛みももちろんあるんだけれど、心地良い。
「老廃物をしっかりと流してあげようね……、このゴリゴリが取れたら、きっと楽になるよ」
たーは一生懸命、そのゴリゴリを流してくれた。
そのおかげなのか、どんどん手のひらが熱くなってくる。わたしは冷え性なのだが、普段とは比べ物にならないほど、ぽかぽかと温かい。
それだけでも気持ちがいいのに、彼が頑張って手をほぐしてくれる。
彼は一生懸命になるあまり、わたしの手に釘付けになっていた。
わたしもぼんやりとそれを見つめる。
その心地よさは言い表せないほどで、わたしは幸せなまどろみに落ちていった。
――
「ん……」
目が開く。
わたしはいつの間にか、ベッドで横になっていた。部屋は暗い。カーテンの外もすっかり日が落ちている。
今、何時? 夜? それとも、朝方?
自分がなぜ寝ているのか、ぼんやりした頭で思い出す。
脱稿して、たーにハンドマッサージしてもらって……、あぁ、途中で寝ちゃったのか。
寝返りを打つと、たーも隣で横になっていた。
かわいい顔で口を開け、幸せそうに眠っている。
「あぁ……、運んでくれたんだ」
わたしがマッサージ中に寝こけたあと、起こすことなくベッドに運んでくれたんだろう。その優しさに心がきゅっとなる。
手を持ち上げると、びっくりするくらい軽かった。
両方ともだ。
きっと、わたしが眠ったあとも、せっせとマッサージを続けてくれたのだろう。キチンと最後まで、左手まで。
「どこまでやさしーんだよぅー……」
眠っている彼に囁いても、目を覚ます様子はない。
その愛しさに負けて、わたしは彼の背中に腕を回した。胸に顔を埋めて、きゅーっと抱きしめる。
好きだなぁ、ほんと……。
彼に触れたせいか、たーが身じろぎをする。彼の手が偶然、わたしの頭に置かれた。
「………………」
その手の大きさにほっとしながら、わたしは目を瞑る。
未だ身体は眠りを求めている。身体のだるさは取れていない。
こんなにも幸せにしてくれたのだから、起きたらいっぱいいっぱい返そう。
たーも幸せになってもらいたい。
わたしは自分が微笑むのを自覚しながら、すぅっと眠りの世界へ落ちていった。
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