ケース3 女子高ルームメイトの耳かき

「凪せんぱーい! これ調理実習で作ったんですけど、もらってくれませんか?」

「食べていいの? ありがと」


 廊下を歩いていると、そんな場面に出くわした。

 凪が下級生に囲まれている。

 次から次へとクッキーの入った小袋を渡され、手の中でいっぱいになっていた。

 凪はにこりと微笑む。

 その瞬間、周りの下級生がきゃーっと黄色い悲鳴を上げた。

 彼女たちは嬉しそうにパタパタと走り去っていく。


「いっぱいもらっちゃった」

「相変わらずモテるねぇ、凪さんは」


 凪が隣の女子と話す。

 たくさんのクッキーを抱え、ぼやぼやと「食べ放題だ」なんてのんきなことを言っていた。

 小食のくせに。

 残り物はだれが食べると思ってるんだ。


「いいなぁ、下級生。わたしも凪さんにクッキー渡したいよぅ」


 彼女たちのやりとりを見て、そんなことを言う我がクラスメイト。

 わたしの隣で、ぽうっとした目を凪に向けている。


「はあ。凪さん、今日も格好いいなぁ。ねぇ、環?」

「……まぁ、そうね」


 しぶしぶと同意する。

 凪が格好いいのは本当だからだ。

 中性的でやけに整った顔立ち、さらさらで綺麗なショートボブ。

 すらっとした細身の身体に、びっくりするほど白い肌。

 スカートから覗く脚は長すぎて、同性でもドキドキしてしまう。


「わたしもクッキー作ったら、食べてくれるかな? 環、代わりに渡してくれる?」

「なんで。自分で渡しなよ。こういうのは、自分で渡さないと気持ち伝わらないんじゃない?」

「そうだけどさぁ。上手く話せる自信ないもん」


 頬に両手を当て、照れくさそうにしている。

 凪の口数はそれほど多くなく、抑揚のない話し方をする。

 物思いに耽る姿を見て、彼女にミステリアスな印象を持つ人も多い。

 容姿の良さと捉えどころのない性格のせいで、彼女はうちの女子高一モテている。

 わたしからすればミステリアスも何もないし、普段もぼうっとしているだけなんだけど。


「よーし。わたしも今度お菓子作ってこよう。それで凪さんに食べてもらお!」

「………………」


 意気込むクラスメイトに、何とも言えない表情を浮かべてしまう。

 頼むから量は少なめにしてほしい。

 あいつが食べ残したお菓子を処理して、どれだけわたしの体重が増えたと思っている。


「ん」


 クラスメイトが騒いだせいか、凪がこちらに気付いた。

 微笑んで、手を挙げてくる。

 その微笑みだけで、近くにいた女子生徒がぽうっと見惚れていた。


「…………」


 複雑な思いを抱きつつ、こちらも軽く手を挙げる。

 すると、彼女は満足そうに自分の教室に帰っていった。


「やーん、格好いい~。いいなぁ、環。凪さんとルームメイトだなんて。うらやましいよ~」

「……………」


 この学校に入ってから何百回と言われた言葉に、ため息を吐きそうになる。

 本当に気軽に言ってくれる。


「じゃあ代わってあげようか?」


 半ば本気でそう提案すると、クラスメイトははっとした表情になる。

 けれどすぐに、いやいやするように首を振った。


「無理~。凪さんと毎日寝泊りなんて~。心臓破裂しちゃうよぉ~」


 そんな勝手なことを言う。

 ただ実際、彼女の選択は大正解。

 凪とお近づきになろうとする人に言ってあげたい。

 憧れは憧れのままの方が、よっぽどいいよ、と。




「あ、環。いっしょに帰ろう」

「……ん」


 教室を出るとき、偶然凪が通りかかった。

 特に断る理由もないので、わたしも彼女の隣に並ぶ。

 周りのクラスメイトからの「いいなぁ……」という視線を気まずく思うが、凪は全く気付いていない。

 わたしも気付かないふりをする。

 凪は機嫌がよさそうに鞄を揺らした。


「今日、一年生にクッキーもらっちゃった。おいしそうだった。環もいっしょに食べよう?」

「……いいけど、晩ご飯のあとにね。ご飯食べられなくなるから、今食べちゃダメだよ」

「おかんか」


 彼女はおかしそうに笑う。

 だれのせいだ。

 適当な会話をしているうちに、寮へと戻ってくる。

 わたしが部屋のカギを開けると、凪がするりと中に入った。

 そのまま鞄を放り出し、ベッドにダイブする。


「どーん」

「こら。着替えてからにしなよ。布団汚れるし、制服も皺になるよ」

「んー。でも疲れたし」


 ベッドにごろんと寝転んで、凪はこちらを見上げてくる。

 動く気配がない。

 はぁ、とため息が漏れる。

 こんなにもダラけた奴なのに、部屋の外ではきゃーきゃー言われている。

 みんなもう少し、容姿以外の部分にも目を向けた方がいいと思う。

 凪のことは放っておいて、わたしはさっさと着替え始めた。

 すると、後ろからサクッという音が聞こえる。

 慌てて振り返ると、凪がクッキーに口をつけているところだった。

 しかも、ベッドの上で。


「ちょっと! ベッドの上で物を食べるな! ていうか、ご飯の前に食べるなっつったでしょうが! あんたマジで小食なんだから! 食べられなくなるでしょ!」

「んー。でも、おいしそうだったし」


 こいつは……。

 わたしが呆れてものも言えなくなると、彼女はにへへ、と気の抜けた笑みを浮かべた。


「…………………………」


 ずるい。

 顔のいい奴はずるい。


「環も食べな?」

「…………」


 彼女がクッキーを差し出してくるので、それをパクっとくわえる。

 それを食べながら、きちんと釘を刺しておく。


「凪、それ一枚だけだからね。それと、その袋を全部食べるんじゃなくて、ほかの子のも一枚ずつ食べること」

「んー? なんで一枚ずつ?」

「あんた全部は食べられないでしょ。せっかく作ってくれたんだから、それぞれ一枚は食べること。あんたが考えなしに食べたら、絶対最初の方でお腹いっぱいになるんだから」

「はーい」


 間の抜けた返事をしてくる。

 本当にわかっているのだろうか……。

 しかし、凪は素直にクッキーを机の上に戻して、二枚目は口にしなかった。

 ……着替えもしなかったけど。




 そのあとは特にやることもなく、だらだらとテレビを観ていた。


「ん」

 

 その最中、なんだか耳の穴がムズムズしてきた。

 そろそろ耳かきしておこうかな。

 ちょうどそのとき、凪が携帯の充電をするために立ち上がった。

 その背中に声を掛ける。


「ごめん、凪。耳かき取ってくれない?」

「ん? うん」


 凪は収納ボックスを開ける。

 しかし、ごそごそと漁るばかりで、なかなか持ってきてくれない。

 そんなに物入ってたっけ?

 しばらくしてから戻ってきたが、彼女の手には耳かきとなぜかウェットティッシュがあった。


「ありがと」


 とにかく手を差し出すが、彼女は渡してくれない。

 わたしの隣にすとんと腰を下ろし、こちらの顔を覗き込んでくる。


「環。わたしが耳かきしてあげよっか」

「え? いや、いいよ」

「なんで?」

「なんか恥ずいし。自分でできるし」


 またおかしなことを言い出した、と彼女の提案をすげなく断る。

 しかし、彼女はわたしの顔をじっと見たまま、決して耳かきを手放さない。


「でもやりたいし」

「…………」


 やりたいからやらせて。

 何ともシンプルな理由だ。物凄く凪らしいと思う。

 こうなっては何を言ったところで、彼女は聞く耳を持たないだろう。


「……わかった。わたし、どうすればいい?」

「ん」


 凪はその場で正座すると、膝をぽんぽんと叩いた。

 えー……、膝枕って……。それこそ恥ずかしいんだけど……。


「ん?」


 彼女は首を傾げて、再び膝を叩く。

 わたしはため息を吐くと、寝転んで彼女の膝に頭を置いた。

 ……なんだこれはっず。

 凪の短いスカートに頭を乗せると、自然と視線が降りそうになる。

 綺麗な肌の白い太もも。

 驚くくらいやわらかく、頭に感じる弾力はすばらしいの一言。


「…………」

「ふふ。くすぐったいよ」


 無意識のうちに頭を動かしていたようで、凪が笑った。

 ……いい脚をお持ちで。

 できるだけ意識しないように視線を前に向ける。

 すると、凪の顔が降りてきた。


「――――――」

「環の顔がよく見える」


 凪がこちらの顔を覗き込んでいる。

 さらさらの髪が揺れる。毛先が当たりそうになる。

 びっくりするくらい綺麗な顔が、みじろぎすればぶつかる距離にある。

 頭の中が真っ白になるのを堪え、彼女の顔を引き剥がす。


「近い。やるならさっさとやる」

「はーい」


 それでようやく顔を離した。

 凪が耳かきに目を向けたので、好きにしてくれ、とわたしは目を瞑る。

 痛かったらやだな、と思っていたら、想像とは違った感触が耳に与えられた。


「……何してんの?」

「耳を綺麗にしてる」

「はあ」


 凪はウェットティッシュで耳を拭いていた。


「耳かきの専門店だとこうするんだって。テレビでやってた」

「ふうん……」


 それを観ていたから、耳かきを試したくなったのだろうか。

 凪は丁寧にゆっくりと耳を拭いていく。


「ん……」


 耳の形に添って指を這わせるので、少しばかりくすぐったい。

 指が狭いところまで入り込み、くりくりと撫でていく。

 くすぐったいが、案外気持ちよかった。

 メンソール入りのウェットティッシュなのか、スーッとする。


「これ、けっこう気持ちいい」

「そうなんだ。よかった」


 凪が笑う。

 そのままじっくりと耳を綺麗にしてくれた。

 指が触れる音、ティッシュが擦れる音、指が甘く掻く音。

 こしょこしょ。しゅるしゅる。かりかり。

 そのどれもが存外心地よく、身体から力が抜けていく。


「ん。ちょっと」

「あは」


 凪がわざとらしく耳の穴をカリカリ掻く。

 さすがにそれはくすぐったいし、なんか恥ずかしい。

 文句を言うと、彼女は指を離してくれた。


「じゃあ次はー……」


 ようやく耳掃除かな、とわたしが目を瞑ると、またもや違う感覚に襲われる。

 今度はわたしの耳を指で掴み、ぐーっと伸ばすのだ。

 ゆーっくりと、ぐーっと引っ張る。決して痛みは起きない程度に。

 ぐいー……、ぐいー……。

 のんびりした動作でほかの部分にも移り、そこも伸ばしていく。

 外周をぐるりとやったあとは、耳たぶをぐーっと引っ張る。


「これは何をしてるの?」

「耳のマッサージだって。気持ちよくない?」

「んー…………。気持ちいい、かも」


 最初は何をしているんだろう、と思ったけど、意識するとわかる。

 耳が引っ張られると、淡くて妙な気持ちよさがある。

 上や下に軽く動きを付けられると、それがより強くなった。

 なんだか耳のストレッチみたいだ。

 気持ちいい。


「耳のマッサージなんて考えたこともなかったけど、結構いいね」

「そっか。よかった」


 凪は耳たぶを掴んだまま、今度はくにくにと指で揉み始める。

 くにくにくにくに。

 まるで耳をやわらかくさせたいかのように。

 耳を引っ張ったときと同じように、ちょっとずつ耳を揉んでいく。

 くにくに。くにくに。くにくにくにくに。

 引っ張られる感覚とはまた別で、こっちはハッキリと気持ちよくなってくる。

 指が揺れるたびに、微弱な快感が耳を走った。

 身体が弛緩するのを感じながら、その快感に身を任せる。


「あー……、意外と気持ちいい……」

「おー、やった」


 わたしが気の抜けた声を出すと、凪は嬉しそうにしていた。

 マッサージを気に入ったとわかったのか、凪は耳を丁寧に揉んでくれる。

 すると、なんだか耳がかゆくなってきた。


「んん。耳、なんかかゆい」

「あー。マッサージすると、耳でも血行よくなるんだって。環の耳、今あったかいよ。だからかゆいのかも」

「んー……」


 そういうことらしい。

 確かに普段は耳なんて冷え切っている。

 今みたいにぽかぽかしていることはない。


「じゃあ、そろそろ耳掃除に移ろうか。マッサージもいっぱいやったし」


 凪は耳から手を離す。

 それを名残惜しく感じていると、彼女は耳かき棒を手に取った。

 わたしの耳にそっと指が当てられる。


「今から耳掃除。痛かったら、ちゃんと痛いって言ってね」


 そう前置きしてから、凪は耳かき棒を近付けていく。

 左手で耳に触れ、穴を覗き込みながら。


「んー……。環、けっこう綺麗。そんなに汚れたまってない」

「あーそー?」


 汚いよりはよっぽどいいが、拍子抜けと言えば拍子抜けだ。


「あ、でもちょっとはある。綺麗にしていくね」


 凪はそう言うと、耳かき棒を穴に入れていく。

 そして、カリッと掻いた瞬間、わたしはぞくっとした感覚に捉われる。

 なんだろう、今のは。

 わたしが戸惑っているのをお構いなしに、凪はどんどん耳かきを進めていく。


 カリカリカリ。


「ん……」


 無意識の声がこぼれた。

 甘く、緩やかな快感が耳を通して頭に突っ込まれる。

 まるで弱い電流を流されているかのようだ。

 耳かき棒の先端が耳の壁に触れるたび、ぞくぞくとした感覚がのぼってくる。


「入口の方も掃除しとこう」


 一度、耳かき棒を抜いたあと、入り口付近に棒をあてがう。

 穴を中心にくるくると回し、そのたびに擦れた音が聞こえる。

 ほとんど力は入ってないようで、そのわずかな刺激に物凄くぞくぞくした。

 声が漏れて、身じろぎまでしてしまう。


「んん……、ん……」

「環、大丈夫? 痛い?」

「ちょっと……、くすぐったい」


 おかしな声が出て恥ずかしいので、咳をしてごまかした。

 凪は少しだけ「んー……」と考え込んだあと、さらに手を動かす。


「力が弱すぎるのかな。もう少しだけ、強くするね」


 そう言った瞬間、先ほどより強い力が加えられる。

 しかし、それはさらに快感が強くなるきっかけだった。

 カリカリ、と棒が動くたびに、ぞわぞわっとした快感が背中あたりからのぼってくる。

 ぞりぞり。

 その音さえも心地よく、微弱な快感と強烈な快感が交互に来る。


「んー……。よく見えない……、もうちょっと、奥……」


 凪がぶつぶつと呟きながら、耳を掴んだ手に力を入れた。

 穴が広がるのがわかる。

 そこに容赦なく耳かき棒が進んでいき、奥深くをカリカリ、と掻いた。


「んん……っ。凪、ちょっと……、くすぐったい……」


 再び声が漏れ、我慢できずにストップをかける。

 しかし、凪は無慈悲にも「ちょっと我慢して」と言い放ち、止まる様子がない。

 耳かきに夢中だ。


「奥の方に、そこそこのやつがあって……、これを、取りたい」


 ぐいぐいと顔を近付け、容赦のないことを言う。

 わたしは気付いてしまう。奥に行けば奥に進むほど、快感の幅が大きくなる。

 手前をカリカリ、くるくるされているだけでも、手に力が入るほどの気持ちよさなのだ。

 それが奥に進むのはちょっと怖い。

 けれど、凪はそんなものお構いなしだ。


「んー……」


 集中しながら、指を動かす。

 指が動くたびに背中がぞわぞわする。

 カリカリと音が鳴る。

 ぞくぞくと快感が昇ってくる。

 そして、どうやら大きな獲物がかかったらしい。


「ん!」


 とそんな声が聞こえる。

 そのまま、カリっと小気味よく棒が動いた。


「――――――っ」


 ぞわぞわぞわ! と頭の中が気持ちよさでいっぱいになる。

 全身がむず痒く、おかしな感覚が耳を満たしていた。


「よし。取れた」


 身体が強張ったあとに、一気に弛緩する。

 よかった……。

 とりあえず、これで凪も満足だろう、と安心していると……。


「ふー……っ」

「ひっ」


 耳の中に息を吹きかけられた。

 ぞくぞくぞく! とむず痒さが突き抜けていく。

 身体がびくっと跳ねてしまった。


「ちょ、ちょっとなに。びっくりしたんだけど」

「ゴミを飛ばしたくて。はい、ふー……っ」

「ひゃっ」


 容赦なく、凪は耳に息を飛ばしてくる。

 そのたびに言いようのない快感が全身を覆った。


「環、もしかして耳をふーってされるの好き? もっかいやってあげる」

「ちが……っ、あっ」


 わたしには刺激が強すぎるので、やめてほしい。

 しかし、それを言う前に彼女は「ふー……っ」と息を吹きかけてきた。

 息の音と刺激に耳が蹂躙されて、おかしな感覚が身体を満たす。

 ぎゅうっと手を握るものの、その余韻は耳に残ったままだった。

 うう……。


「環、気持ちよかった?」

「よかった、けど……」


 軽々に体験するものではない気がする。

 わたしは耳かきに弱い、と弱点に気付く羽目になった。

 けれど、これで凪も気が済んだだろう。

 さっさと身体を起こそうとしたが、その前に彼女がわたしの身体に触れていた。


「はい、ころん」

「わっ」


 身体をぐるりと半回転され、目の前に凪のお腹が見える。

 変わらず上から彼女の声が降ってきた。


「今度はこっちの耳。まずは綺麗にしてからー……」


 今のわたしは既に満身創痍だというのに。

 どうやら、まだ半分残っているらしい――。

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