【3話・後編】黒板の音、二人の距離

 昼休み、顔も少し冷めたところで、柑奈かんなさんが私に声をかけてきた。


愛月あいづきさん、ごめん、朝の余計なお世話だった?」


「ううん……ありがとう」


 私は小さな声で首を横に振りながら答えた。柑奈かんなさんとの会話に、心臓がまだドキドキしているのを感じる。


「あー良かった。私、空気読めないこと多くて」


 それは確かにと内心思いながらも、放送委員に代わってもらった罪悪感が胸に広がった。彼女の言葉に少しホッとする反面、どこか申し訳ない気持ちもあった。


「でも……」


「気にしないで!放送委員も面白そうだし、私がやりたかったのもあるから」


 柑奈かんなさんの明るい笑顔に救われる思いだった。彼女の言葉に少し安心し、私も自然と笑顔になった。


柑奈かんなさん、いい人なのかな……)


 その時、柑奈かんなさんが突然、小声で耳打ちしてきた。


朝霞あさかくんをあんなに見つめてるの、見ちゃったから、ね」


「ええ!?」


 びっくりしすぎて、大きな声が出てしまった。朝霞あさかくん含めた周囲のクラスメイトが驚いて、視線が集まってしまった。彼の方を見ると、朝霞あさかくんも少し驚いたような顔をしている。


「そ、そんなに、見てないよ?」


 小声で返す。顔が一気に赤くなったのがわかる。心臓がますます早くなった。


 柑奈かんなさんは、にやけた顔で、


愛月あいづきさん、かわい~」


 と言いながら友達のグループに戻っていった。


(き、きをつけねば……)


 周りのクラスメイトが再び笑い声や会話を再開する中、私は深呼吸をして気持ちを落ち着けようとした。




 ☂ ☂ ☂ ☂ ☂




 書記の当番は、1週間交代で毎日おこなう。授業後に黒板を消すのと、クラス会議などがある際の板書が主な仕事だ。他の仕事内容と比べて簡単だからか、回ってくる回数が多くなっている。私と朝霞あさかくんのペアが今週の担当になった。


 授業が終わり、クラスメイトの話し声を背に、2人で黒板を消し始めた。教室の窓から差し込む夕日が、黒板に反射して温かな光を放っていた。


 朝霞あさかくんは右側、私は左側から消し始めた。私の小さな身長では黒板の上まで届かなかった。朝霞あさかくんは、それを察してくれて、小さな声で、


「いいよ」


 と言い、私の隣に立ち、黒板の上の方を消し始める。


(おおきいな……)


 隣に並ぶと、朝霞あさかくんはとても大きく感じられた。彼の動きに合わせて黒板消しが滑る音が、心地よいリズムを刻んでいた。私の胸の鼓動も、そのリズムに合わせて早くなる。


 突然、私の頭にフラッシュバックが起こる。中学生のある日のこと。教室で一人、誰にも気づかれないように泣きながら黒板を消していた。そのときの孤独感と悲しみが胸に蘇る。


「……」


 私の手が震え、黒板消しが手から滑り落ちそうになる。その瞬間、隣にいる朝霞あさかくんが静かに声をかけてきた。


「だ、大丈夫……?」


「ごめんね、ただ手が滑っただけなの」


 朝霞あさかくんの優しい声が、まるで現実に引き戻してくれるようだった。彼の存在が、過去の痛みを和らげ、心に少しずつ安らぎを与えてくれる。まるでこの教室には私たち2人しかいないかのように感じた。


 黒板を消している間、私の視線は自然と朝霞あさかくんに引き寄せられる。彼の手が黒板を滑るたびに、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。彼の横顔が夕日に照らされ、まるで絵画のように美しい。その光景に、自然と目が釘付けになる。


「ありがとう、朝霞あさかくん」


「お、俺の方こそ、あ、ありがとう。書記のきっかけ、くれて……」


 彼の一言で、温かな気持ちが胸に広がった。


 全て消し終わった後、二人で黒板の前に立っていた。教室から聞こえるクラスメイトの笑い声が遠くに感じられ、まるで私たちだけの世界にいるような気がした。


 窓から差し込む夕日の光が、彼の背中を照らし、その影が私にかかる。心の中で、小さな温かさが広がっていく。


 こんな風に少しずつでも、彼と話せるようになりたいと思った。


 クラスメイトたちの笑顔や声が、少しずつ心に響くようになってきた。自分もその中に入っていけるかもしれないという希望が、私の心に芽生えた。そしてその希望は、これからの学校生活を乗り越えるための力となるだろう。


 朝霞あさかくんの隣で、私は心に誓った。もっと勇気を出して、もっと積極的に、自分から一歩踏み出してみよう。彼との時間が、私を強くしてくれると信じて。


 夕日が沈むまで、私たちは静かに、でも確かな絆を感じながら、その瞬間を共有していた。



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 次回、第4話:ノートに綴る星空と水槽


 放課後の静かな図書室で、偶然颯太と出会った心結。


 お互いの趣味を語り合い、二人の距離が縮まる中、筆談で交わされる秘密の会話が心をときめかせる。


 彼の意外な一面に触れた心結は、さらに興味を抱く。


 果たしてこの特別な時間が二人にどんな影響を与えるのか──。


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