【3話・前編】黒板の音、二人の距離

新学期が始まり、3日目の朝が訪れた


朝の柔らかな陽光が教室の窓から差し込み、床に明るい模様を描いている。クラスメイトたちは、それぞれグループで集まり、仲良さそうに話している。仲の良いグループが確定されつつあるのを横目に、私は一人で椅子に座り本を読んでいた。


私の背後から大きな気配が近づいてくる。朝霞あさかくんだ。

彼が近づいてくる足音が聞こえる。心臓が早鐘のように打ち始める。振り返って「おはよう」と言いたいけれど、声が出ない。周囲の視線を意識するたびに、恐怖と緊張が心を締め付ける。


教室にいると、いつもとは違う重圧感が私の心にのしかかる。朝霞あさかくんと仲良くなりたいけど、みんながいる教室の中ではどうしても萎縮してしまう。そして、自信を無くしてしまう。


そんなことを考えると、気が重くなり、再び本の文字に目を落とした。


(やっぱり……怖い……)


本の文字がぼやけて見える。心の中では、彼と話したい気持ちが溢れているのに、それを行動に移す勇気が持てない自分に腹立たしさと情けなさを感じる。


私はただ本の文字を見つめ続けるしかなかった。



学校のチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。朝のホームルームが始まると、先生が衝撃の言葉を発した。


「今日はクラス内の役割分担を決めるぞ。いいか、全員参加だからな。」


先生の声が教室に響く。役割分担?全員参加?突然の言葉に私の理解は追い付かず、頭が混乱する。


私はそもそも人前に立つのが苦手で、どうにかして目立たないように過ごしたいと思っていた。できれば、どの役割も避けたい。でも、全員参加。周りの生徒たちは、黒板に書かれていく役割を見ながら、喋りあっていた。


「保健委員、運動委員、風紀委員、放送……」


全ての役割が書き出され、先生の説明が終わり、クラスメイトたちの話し合いが本格的に始まった。どの役割もやりたくないし、人前に出るのも避けたい。一人でできるものはなく、基本ペアでの仕事になるようだった。


(どうしよう……誰かとペアなんて、絶対に無理)


「挙手制で順番に決めていくぞ。まずは保健委員から」


先生が指示を出すと、クラスメイトたちが次々と手を挙げ、役割が次々と決まっていく。私の心臓は早鐘のように打ち、手のひらが汗ばむのを感じる。どうしよう、どうしよう。このままでは、残り物の役割が回ってきてしまう。周りの声がどんどん遠のいていくような気がした。


(そうだ、朝霞あさかくんはどうするのかな)


周りの声を片耳に、後ろを少し振り返って、朝霞あさかくんを見つめた。彼の目が私の視線に気付き、ふと目が合う。その瞬間、彼の瞳が一瞬だけ揺れた。


私の心が彼の心と重なり合うような感覚が広がる。眉が少し寄り、口元がわずかに引き締まる。その困惑した表情から、彼もこの状況にどう対応すればいいのかわからないという気持ちが伝わってくる。


『書記なら、喋らなくてもいけるかな……』


彼の心の声が静かに響く。彼の心の中にある不安と期待が私の胸に伝わってくる。朝霞あさかくんは、書記になりたがっていた。書記は2人1組で6人選ぶらしい。


その時、私の中に冷静さが戻ってきた。書記なら私もできるかもしれない。少なくとも、人前で話すことは少ない。私も書記になろうかな、と心が少し浮き立つ。


そう考えていると、書記の番が来てしまった。私も立候補しようとしたが、書記に5人が勢いよく立候補してしまった。私も朝霞あさかくんとなら頑張れるかもしれないと、少し浮かれた気分でいたが、勢いに負けて、その風景を眺める事しかできなかった。朝霞あさかくんも同じ状態だった。


結局、手を上げられないまま次の役割へ移ってしまった。周りではクラスメイトたちが次々と役割を決めていくのが聞こえる。焦りと不安が募るばかりだ。


一通り最後まで役割を決め、残っているものを再度決めて行く事になった。書記はあと一人。書記を逃したら残っているのは放送委員と風紀委員。絶対に無理。


(でも、私が書記になると、朝霞あさかくんが……。どうしよう……)


頭がパニックになる。胸の奥がドキドキして、鼓動が耳まで響いてくる。書記の番が再び来た時に、思わず立ち上がってしまった。教室が一瞬静まり返り、全員の視線がこちらに向いた。


「どうした、書記がいいのか?」


先生にそう聞かれ、さらにみんなから向けられる視線に耐え切れず、気が動転する。胸の前で手をぎゅっと握りしめて、言葉が詰まる。


「えっと……。あ、朝霞あさかくんが、やります……」


自分か朝霞あさかくんかどっちかが犠牲になるならと、焦った思考の中で咄嗟に朝霞あさかくんの名前を出してしまった。みんなも理解が追い付かないのか、一瞬静寂が訪れる。


「あ、あの……ち、ちがくて……」


「自分のやりたいのを言いなさい」


遮るように先生がそう言うと、クラスメイトの笑い声が響く。恥ずかしさのあまり、立っていられなく、座って顔を手で覆う。


その時、後ろから声が聞こえる。


「じ、自分、やります」


朝霞あさかくんの声だ。周囲の笑い声をかき消すかのような、大きな声だった。朝霞あさかくんの声にみんなが驚いたのか、一気に教室内は静かになり、黒板には、「朝霞あさか」と名前が書かれた。


また、朝霞あさかくんに助けられてしまった。


だが、既に書記は決まり、残りは放送委員と風紀委員となっていた。どちらもできる気がしない。もう、学校生活終わりだ。諦めかけていた時、柑奈かんなさんが手を上げた。


「じゃあ、私が放送委員会をやるから、代わりに愛月あいづきさんが書記になればいいんじゃない?」


一筋の光が見えた気がした。でも、何が“じゃあ”なのかよくわからない。驚きで声が出ないまま、柑奈かんなさんの方向を見る。


「え……。一緒にやりたいんじゃないの?」


そういうと、他のクラスメイトからも「優しい」「良かったなー」などの声が聞こえた。さらに恥ずかしくなり、羞恥心があふれこぼれ泣きそうになる。


愛月あいづき、代わるのか?」


先生に聞かれたが、声は出なかったが、全力で頷いた。柑奈かんなさんの提案にクラスメイトたちも納得し、私と朝霞あさかくんは書記に決まった。


朝霞あさかくんとペアになれたのは嬉しいけど、恥ずかしさで顔が真っ赤になるのを感じた。


午前中の授業の間、ずっと顔がほてったまま冷めることはなかった。

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