【2話】雨の中の希望
午後の時間は、学校の説明など簡単なもので、あっという間に帰りの時間になった。賑やかな廊下を一人歩いていると、大事な忘れ物を思い出し、教室に戻ることにした。
教室に入ると、誰もいなくなっており、その広大な空間が一層の孤独を際立たせる。まるで心の底に広がる虚無が形となって現れたように感じた。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った教室。その静寂が逆に私の心に重くのしかかり、涙が一つ、二つと雨のように雫となって教室の床に落ちていく。
心の中に積もった不安、恐怖、孤独、そして罪悪感が胸を締め付け、まるで重圧に押しつぶされるような感覚があった。
優しくしてくれたのに、それを信じられない自分が嫌でたまらない。どうしても心を開けない自分が、嫌で嫌で仕方がなかった。
(もう……疲れた……)
夕日が教室に差し込み、涙をキラキラと輝かせる。まるでその光が私の心の闇をさらに浮き彫りにしているかのように感じた。夕日の光は赤く燃え立ち、その鮮やかさが私の心の傷を照らし出しているかのようだった。
涙を拭いながら呟くも、虚しさと悲しさが波のように止めどなく押し寄せ、心の堤防を打ち砕く。限界を迎えたという感覚が全身を包み込み、立っているのも辛くなってきた。
気力が尽き、崩れ落ちるように床に座り込む。
その時、教室の扉が静かに開いた。
「え……?」
涙でぼやけた視界に、大きなシルエットが見えた。名前はたしか、後ろの席の
「あ、あの……」
彼の顔は汗ばんでいて、必死に何かを伝えようとしているが、言葉が出てこない様子だった。その無口な様子に少しいらだちを感じながらも、その表情を見ると必死さと苦悩が伝わってきて、不思議と気になる存在だった。
「何でもないよ……」
驚きながらも、小さな声でそう言った。しかし、彼は慌てた顔で何も言わず、教室内には再び沈黙が広がる。
どれくらいの時間がたったのだろうか。何も言わない彼に、私は不思議な気持ちを抱きながらも、その慌てた顔で何を思っているのか知りたくなった。
人の表情が怖かったはずなのに、彼だけは少し違った。彼の必死さが悪そうな気がしなくて、気になってしまう。
(この人の心を……読んでみよう……)
静かに顔を上げ、彼と目を合わせる。その瞬間、涙が夕日で乱反射し、私の世界に光が広がり、彼の心の中に引き込まれるように感じた。
彼の心の扉が開かれ、その感情が私の中に流れ込んでくる。心の中に広がる霞の中で、彼の心は春の陽光のように暖かく、優しさに満ちていた。
『何があったの?』
彼の心の奥底から湧き出る泉のように清らかに響く。その声には、心からの心配が込められているのがわかる。
『助けたい』
暖かな日差しのように私の心を包む。その言葉には、彼の無償の愛と強い意志が感じられた。まるで彼が私の痛みを自分のものとして感じているかのように。
『心配』
その感情が波のように押し寄せ、私の胸を締め付けた。彼の心は私のために震えている。その不安と切望が、私の心に重く響く。
『早く声を……声を……』
叫びが風に乗って私の耳元に囁く。焦燥感と切迫感が彼の心の中で嵐のように渦巻いている。彼の気持ちは、私に何かを伝えたくて仕方がない。
『でも、焦れば焦るほど吃音のせいで言葉が詰まって……喋れない……』
無力感が冷たい夜風のように彼の心を包んでいた。彼の絶望と苛立ちが、私の心に突き刺さる。
初めてだった。
彼がどれだけ私を心配しているか、その優しさが波のように押し寄せ、私を包み込む。彼の心の中には、私を救おうとする必死な想いがある。でも、焦るたびに吃音のせいで言葉が出なくてもどかしそうにしている彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。
(どうして、こんなにも優しいんだろう……)
彼の心の中に広がる温かな感情に触れるたびに、私の胸は温かくなる。彼の優しさと必死さが、私の心の壁を少しずつ溶かしていくようだった。彼の心に包まれていると、私もまた、誰かを信じてみたいと思えるようになる。
彼の優しさに触れた瞬間、私の心は安堵し、温かい涙が頬を伝う。
その優しさは、私の心の中の冷たい雨を少しずつ和らげていく。彼の心の声が私の心に届き、温かく包み込む。私の世界が一瞬で変わったように感じた。
「ありがとう……ちょっと、疲れちゃって」
微笑みながら答えると、彼は少し安心したような顔で、
「そ、そうなんだね……よかった」
彼の言葉が、今の私にとってどれだけ救いになったか。初めて触れる彼の優しさが、心の中に小さな勇気を芽生えさせた。
しばらくの間、お互いに座り込んで教室で過ごした。夕日の光が窓から差し込み、二人を暖かく包み込む。オレンジ色の光が教室の隅々まで照らし、まるで私たちだけの特別な空間を作り出しているかのように感じた。
そっと彼の肩に寄りかかる。彼は驚いたように一瞬身じろぎしたが、すぐにそのまま受け入れてくれた。彼の肩に触れているだけで、心の奥底に眠る不安や孤独が薄れていくのを感じた。彼と共有するこの静かな瞬間が、私の心に新たな希望と安らぎをもたらしてくれた。
二人で無言で過ごすその時間が、私にとって何よりも大切なものだった。教室の中で二人、床に座り込み、夕日を背にしていると、まるで時間が止まったかのような感覚に包まれた。その静寂は、私たちの心を優しく繋げてくれた。
☂ ☂ ☂ ☂ ☂
次の日の朝、昨日のことを思い出しながら登校すると、胸は緊張と期待でいっぱいだった。
昨日の出来事が心に温かさを残し、登校中の景色がまるで違って見えた。朝の光が新緑を優しく照らし、通学路の桜の花びらが風に舞い、柔らかなピンクの絨毯を作っている。
鳥のさえずりが耳に心地よく響き、空はどこまでも青く澄んでいた。世界がこんなに美しく、輝いて見えるのは初めてかもしれない。
登校中に
「お、おはよう
彼は少し驚いたような顔をしながらも、
「お、お、おはよう」
とゆっくり返事をした。そのぎこちなさに私は微笑み、安心感が広がった。彼の声を聞くと、昨日の温かさが再び胸に蘇り、心が温まるのを感じた。
昨日、彼の優しさに救われた。
私は彼の前に立ち、少し背伸びをして顔を見上げる。彼の優しさをもう一度確かめたいという気持ちが、私の中で膨らんでいた。
「
私の突然の接近に彼は驚きながらも、何かを言いかけたようだったが、言葉にならなかった。彼の瞳をじっと見つめ、その奥に広がる彼の心に意識を集中させた。
彼の心の扉が静かに開き、その感情が私の中に流れ込んできた。心の中に広がる霞の中で、彼の心は春の陽光のように暖かく――
『……可愛い』
思わず私は心臓がドキドキと高鳴った。彼の心の声が直接私の心に響き、その純粋な思いが伝わってくる。
私はその言葉の意味を深く感じた瞬間、顔が真っ赤になった。心臓が爆発しそうなほど恥ずかしくなり、慌てて目を逸らし、手で顔を隠すようにしてしまった。
「お、お、お、おはよう!」
ともう一度声をかけたが、今度は自分の声が震えていた。
「ふふ、話し方が俺みたい」
(もう、
心の中では嬉しさがじんわりと広がる。
彼と歩く道は、今まで感じたことのない喜びで満たされている。
彼の優しさと温かさが、私の心に希望の光を差し込んでくれた。
ずっと降り続けていた心の中の雨が、少しだけ止んだように感じた。
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次回、第3話:黒板の音、二人の距離
新学期3日目の朝、クラスメイトたちの賑やかな声をよそに、一人本を読んでいた私。
背後から近づいてくる大きな気配、振り返る勇気もなく過ごす中、教室に響く先生の衝撃の言葉。
「今日はクラス内の役割分担を決めるぞ」
思わず朝霞くんを見つめてしまう私。
そして迎えた放課後、二人の距離が少しずつ縮まっていく…。
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そのまえに
2.5話「雨の中の希望 Another視点」
朝霞颯太と柑奈柚月、それぞれの視点から描かれるもう一つの物語。
二人の視点から見える心結の姿と、それぞれの思いとは?
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