第9話 君を殺しちゃうよ?
前橋彩は、俺を開放してくれた。俺は裸のまま、前橋彩の話を聞いた。前橋彩は、幼少期、父親からの家庭内暴力の影響で、母親と共に家を飛び出して母親と二人暮らしをしていたそうだ。そこに彼女の母に好意を持った男が現れた。前橋彩とも仲良くなり、前橋彩の母親は、男と再婚するという話になった。だがそれは結婚詐欺で、男に騙されて彼女の母親は、借金を背負ってしまった。その為に金が必要になった。生活が苦しくなったのは、母親のせいだと母と喧嘩して、前橋彩は家を飛び出した。勢いで家を飛び出してきたものの、男に騙されて精神的に落ち込んでいる母を一人残してきた事を気にしていた。そして母は、病気になった。だから前橋彩は、金を稼いで借金を返済し、母と共にやり直そうと考えていた。それで仕事を探していた時に、大金を稼ぐことができると、石田則光に誘われて、架空請求詐欺グループに入った。前橋彩は、俺に涙ぐみながらそう語ってくれた。
「こんなこと話したの初めて。なんでかな。あんたといると安心する。あんたは私の話を黙って聞いてくれるし、凄く話しやすいんだ」
「それは良かったです。俺で良ければ、いつでも話を聞くので、何でも話してくださいね」
「ありがとう。ごめんね、あんたにもう酷い事しないから」
「はい」
苦しかったけど、少し寂しいような気もした。
「あー、なんか話したらスッキリしちゃった。お腹空いたな。大きな苺の乗ったショートケーキ食べたいな」
「じゃあ明日のおやつ、苺のショートケーキにしましょうよ。俺、買い物に行ってきますよ」
「ありがとう。則光の奴から信頼されたし、あんたも外に出れるもんね」
「はい。久しぶりの外ですよ」
その日の夜は、彩さんと沢山話した。この人がしたことは犯罪だ。しかし、根は悪い人じゃない。悪いのは犯罪そのものだ。俺は、必ず野呂瀬を逮捕して、トカゲの頭を潰してみせる。必ずだ。
それから一週間が経った。野呂瀬が事務所を訪ねてきた。
「野呂瀬さん、こんにちは。ど、どうしたんですか?」
石田則光が苦い顔をして言う。
「ここ最近、全く金が集まってないみたいだからね。上手くいってないようだから、様子を見に来たんだよ。これはどういうことかな?」
「えーと……そ、それはその……。カモのリストに片っ端から電話かけてはいるんですが、なぜか急に誰も騙されなくなってまして、俺も参ってるんです」
「ふむ。そうか。ならまた新しいリストを、またこちらで用意しよう。詐欺で騙される人間なんて腐るほどるからな」
「ああ、そ、そうだ。それよりも野呂瀬さん」
石田則光は、明るい表情を見せた。
「ん? どうしたんだい?」
「こいつ、辻林衛ですよ。聞いてください、こいつ凄いんですよ。架空請求の詐欺は今まで一件も成功したことないんですけど、ここに詐欺グループがいると匿名の通報が警察に入って警察が調べに来たんですけど、この辻林が咄嗟の機転を利かせて、上手く誤魔化したんです」
「警察が? そんなことは、私の耳には入ってきていないが?」
「あ、い、いや。結果的に何もなかったので、お忙しい野呂瀬さんに知らせる程の事えも
ないかなと思って……」
石田則光は、慌てながら言う。
「そういうことは、すぐ報告してくれないと困るよ。今後は気をつけてくれ」
「はい、すみません。あ、あのー、それでですね、野呂瀬さん。辻林を宗教詐欺グループにどうでしょうか?」
「彼を?」
「はい」
「いや、やめておこう」
「ああ、で、でもでも。こいつ本当にすごいんですよ。守護霊、い、いや悪霊も憑いてますし、超常現象が起きるんです。宗教詐欺に使えるんじゃないですか?」
「ほう? 超常現象? 詳しく聞かせてくれる?」
野呂瀬が食いついてきた。
「お、俺には悪霊が憑いてるんです。昔、友達と心霊スポットに足を踏み入れてからというものの、ずっと呪われているんです」
俺はうろたえる様子を見せながら言った。
「具体的にどうなるんだい?」
「あいつは俺の体を宿主にしているから、俺が危険な目に遭うと怒るんです」
「なるほど。なら今すぐ君を殺してみようか」
野呂瀬は、淡々とそんな言葉を言い放った。
「ぎゃはは。ここは俺の出番だな。ポルターガイストを起こせばいいんだな」
カズがニヤニヤとしながら、楽しそうに周りの物を落としまくる。
「ほ、ほら。あいつが怒ってる。今の言葉、取り消してください」
「ふふ、冗談だよ。悪霊さん。辻林君。彼を殺したりなんかしないよ」
野呂瀬がそう言うと、カズが暴れるのをやめる。
「素晴らしい。いいね。これはまるで、神の怒りのようじゃないか。こんな超常現象が実際に起こせるのなら、宗教詐欺に信憑性が増す。とても金になりそうじゃないか。辻林君、宗教詐欺に来てくれないか?」
「はい。もちろんです」
どうやらポルターガイスト現象が、野呂瀬にとって魅力的に映ったみた
いだ。
「それじゃ、早速車に乗って移動しようか」
「すみません。先にトイレに行かせてください。また腹の具合が悪くなってきました」
「ああ、大丈夫だよ」
俺は腹を抱えながらトイレへと向かった。苦悶の表情を浮かべる。だが、もちろん演技だ。トイレに駆け込んで扉の鍵を閉めた。
「ふう」
「やったな。俺のおかげで、宗教詐欺に出世コースじゃないか」
「いよいよ奴らの本陣に突入するわけだな。証拠を押さえたら、全員逮捕だ。ここまで長かった」
「頑張れよ、下痢野郎。ぎゃはははは」
俺はスマホを手に取り、大泉さんに電話をかけた。
「大泉さん。やりました。詐欺グループの代表である野呂瀬と接触。そしてこれから、架空請求詐欺から宗教詐欺グループのアジトへと移動します」
「そうか。辻林、よくやったな。これから辻林のスマホのGPSで位置情報を監視する。このまま、奴らのアジトへと向かってくれ」
「分かりました。よろしくお願いします」
俺は電話を切った。トイレから出てくると、石田則光が心配そうな顔をする。
「おい、辻林。尻は大丈夫なのか? これから移動なんだろう? 尻は持つのか?」
「ど、どうでしょう。あの、野呂瀬さん。やばかったら途中で、トイレに寄ってもらえますか?」
「うん。大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
「それじゃ、行こうか」
野呂瀬と一緒に事務所の外に出ると、黒いワゴン車が停まっていた。
「それじゃ、この車の後ろの席に乗ってくれるかい?」
「はい」
後ろの席に乗ると、中は座席シートが全て取り払われ、直接座る形となった。外側は黒いカーテンが付けられており、視界は全て遮られていた。だが室内は、上に付いたライトのおかげで明るく照らされている。これは外部から外が見えなくして、どこを移動しているのか分からなくさせる為か。徹底されている。とても用心深い。だが俺のスマホのGPSの位置情報で、大泉さん達が監視してくれているから問題はない。
「それから辻林君。スマホは持ってるよね?」
「はい」
「君を信用していない訳じゃないんだが、悪いけどこの箱の中に入れてくれるかい? これは電波を通さない特殊な箱なんだ。この中にスマホが入っている限り、GPSなどの位置情報の機能は機能しなくなるんだ」
最悪だ。位置情報が伝えられなければ、宗教詐欺グループのアジトがどこにあるのか、大泉さん達に伝える事ができない。考えろ、俺。何か良いプランを考えるんだ。
「どうしたの?」
「あ、いえ。そんな特殊な箱があるんだなと思っただけです。ここに入れとけばいいんですね?」
俺はスマホを箱の中に入れた。そして野呂瀬も後ろに乗り込んだ。
「坂井。それじゃ、出発してくれる?」
「分かりました」
坂井と呼ばれた運転手の顔は見えなかったが、声の感じからして、おそらく三十代前半から中盤といったくらいの男だろう。
そして車は走り出した。視界が遮られたが、体感で約六十キロくらいのスピードで走行している。今は百メートル程進んでから右に曲がり、そのまましばらく直進して、左折した。おそらくあの辺りだろうかという想像を働かせる。五感を研ぎ澄ませて集中しろ。俺は今、どこを走っているのかイメージしろ。
しばらく走っていると、違和感に気が付いた。右に曲がってから左に曲がり、左に曲がり、右に曲がった。まさか同じところをぐるぐると回っているのか?
だがここで、野呂瀬に同じところをぐるぐる回っているだけなのかと聞くと怪しまれる。ついに俺は、完全に方向感覚を失ってしまった。もうどこを走っているのかは、分からない。特定することは不可能だ。ならば次の手だ。
「あー、痛い。腹が痛い」
「辻林君。大丈夫かい?」
「すみません。どこかトイレに寄ってもらえませんか?」
そうだ。トイレに寄ってもらい、一度降ろしてもらえばいい。まずは現在地を確認して、もう一度、頭の中の地図を更新するんだ。
「ごめんね。決まりがあってね。車を停める事は出来ないんだ」
「そんなっ。漏れそうです」
「大丈夫だよ。携帯トイレがあるから、ここで済ませたらいいよ」
野呂瀬は、ニコニコしながら言った。嘘だろう? ここでしろと言うのか? コイツの目の前で?
「ぎゃはははは。どうするんだよ。ここでするのか?」
カズが爆笑している。しかし漏れそうと言ってしまった手前、ここでトイレをしないわけにもいかない。
「……分かりました」
そう言って俺は、野呂瀬から携帯トイレを受け取った。野呂瀬は興味深そうに俺の方を見ている。コイツ、まさか俺がトイレするのを見たいのか? 怖すぎる。
「あ、あの……」
「うん? どうしたんだい? 私の事は気にせず、トイレしてくれていいんだよ?」
「は、恥ずかしいので、こっち見ないでもらえますか?」
「大丈夫だよ。気にしないから」
野呂瀬は、ニコニコしながら言った。
コイツ、確信犯か? 俺が本当はトイレしたいなんていうのは嘘であることを見抜いていて、わざとやっているのか? 上等だ。だったら俺も嘘を貫き通してやる。ここまで散々プライドは、ズタズタにされてきたんだ。もうここまでくれば、どうなろうと一緒だ。
俺は意を決して、自分のズボンのベルトに手をやった。ベルトを外し、ズボンのボタンを外す。ズボンを脱いでパンツ一枚になる。そしてそのパンツも脱いだ。携帯トイレを手に取った。
しかし、もちろん今、トイレをしたいわけではない。俺が下痢であるのは嘘なのだから、今すぐ下痢する事なんて不可能だった。
「ん? どうしたの? 遠慮なくしていいんだよ?」
野呂瀬は、ニコニコしながら言った。コイツ、俺を馬鹿にして楽しんでやがる。このままコイツに馬鹿にされたままでいてなるものか。
「……ああ、ううっ。で、出ない」
「うん? どうしたの?」
「俺、下痢と便秘の両方を持ってるんです。今回は便秘の方みたいです」
「へえ。それは大変だね」
しばらく気張る振りをして、便秘を演じ続けた。隣でカズは、爆笑している。
「……はぁはぁ。だ、だめですね。出ないです」
「そっか。じゃあ仕方ないね」
野呂瀬は、ニコニコしながら言った。ただ恥ずかしい姿を見られただけで終わってしまい、俺はズボンを履いた。そして車は、しばらく走り続けた。一体いつまで走り続けるのだろうか。一時間。いや、二時間くらい走っただろうか。ようやく車は停止した。
「さあ着いたみたいだよ。降りようか」
「はい」
野呂瀬がそういうと、俺は目隠しされたままで、どこかの建物の中に入り、階段を上らされた。
「この建物はね、電波を遮る特殊な構造で出てきているんだ。例えばうっかり誰かが通報しようとしたとしても大丈夫なようにね」
「どうしてそんなことをするんですか?」
「ふふ、その理由は後で分かるよ」
そう言って歩き続けていると、ドアの開いた音がした。そして俺の目隠しが外された。
ずっと視界を遮られていたせいで、明かりに思わず目が眩む。徐々に目が慣れてきて、ようやく見えた光景は、綺麗に整理整頓された普通の一般的な会社のオフィスのようにしか見えない。架空請求詐欺の時のような違法建築のようなボロい建物ではなく、しっかりとした造りの建物だ。更に周りを見渡した。時計がある。あの時計は、ロマネックの高級ブランドの時計だ。チェア、テーブル、パソコンから小物に至るまでの全てが高級感で溢れている。かなり金回りが良い証拠だ。
「どうかな? 僕達の自慢の事務所は」
これが全て、人から騙し取った金で買われているのだと思うと、心底怒りの気持ちが湧いてきた。頭に血が上り、この場で大暴れして、今すぐ全員逮捕してやりたい気持ちになった。だが確固たる証拠を手に入れてからでないと、こいつらを逮捕する事ができない。それまで我慢だ。もう少しだ。もう少しの辛抱だ。必ず、こいつら全員俺の手で逮捕してやるんだ。だからここは、感情を抑えて、詐欺師の辻林衛を演じる。
「凄いですね。とても気に入りました。こんなオフィスで働けるなんて、夢のようですよ」
目をキラキラさせながら言った。
「気に入ってくれて嬉しいよ。歓迎するよ、辻林君」
野呂瀬は、ニコニコしながら言った。そして野呂瀬は、両手を叩いた。
「はい、皆。集まってくれるかな?」
そう言うと、三人の男が野呂瀬の元にやってきた。少数精鋭と聞いていたからか、人数は少ないようだ。そうか、この巨大詐欺グループは、一つのチームを少人数で構成しているのか。これは、全ての犯罪者を捕まえるには、かなりの人数の警察官を導入しなければならなくなるだろう。
「今日からここで働いてもらう辻林衛君だ。架空請求詐欺グループ第四十二から出世してきたんだ。まだグループに入って、一ヶ月の新人だけど抜擢された凄い子だよ」
野呂瀬がそう言うと、一人の男が手を挙げた。
「あの、野呂瀬さん。まだ入って一ヶ月の彼を信用してもいいのでしょうか?」
「うん、大丈夫だよ。それにね、彼は特別な力を持っているんだ。この力は、是非僕達が押さえておきたい」
「特別な力……ですか?」
「そう。彼にはね、悪霊がついてるんだ。超常現象。ポルターガイストを引き起こせるんだ」
「まさか」
男は冗談を言っているんじゃないかという感じで答えた。
「本当だよ。さあ皆、とりあえず自己紹介して。これから皆の仲間になるんだからね」
野呂瀬が答えた。すると先ほど手を挙げていた、まだ入って一ヶ月の奴を信用できないと言った男が、再び手を上げる。
「月島です。宗教詐欺の運営と方針のサポートを担当しています」
「そうなんだ。彼は私の右腕なんだよ」
野呂瀬がそう言って、にっこりと笑う。
「よろしくお願いします」
俺も挨拶をする。
「あ、俺かな? 町田です。担当は聖なる会の司会進行役です。よろしくね、辻林ちゃん」
町田はノリが良さそうな明るい男だった。
「どうも」
俺もぺこりとお辞儀する。
「あっ……。あの、僕は宮野です。聖なる商品を作ってます。よろしくお願いします」
宮野は、おどおどした様子で話す、気の弱そうな男だった。
「よろしくお願いします」
俺は再びお辞儀する。こいつら全員逮捕してやる。こんな犯罪者共に頭を下げるのも腹立たしいが、今は我慢だ。
「さて辻林君。挨拶も済んだ事だし、皆にそろそろ超常現象を見せてあげてくれるかな?」
「えっと……。悪霊さん、お願いします」
そう言ってカズの方に視線を送る。
「くくく。ぎゃはははは。そうだ、面白い事考えたぞ」
なんだ、カズ。一体どうする気だ? 早く暴れ回って物を落とせよ。
そう思いながらカズに何度も視線を送るが、カズは一切動こうとしない。ただニヤニヤと笑っているだけだ。
「……何も起きませんね」
「えっと……」
俺が困っていると、野呂瀬が口を開いた。
「辻林君。君、自由に悪霊を操れるって話だったよね?」
「ええーと、会話はできるんですけど。その……今は機嫌があまり良くないようですね」
「悪霊に機嫌が悪いとかあるの? いや、悪霊だから常に機嫌悪いか。ははは」
「あは。あははは」
俺が苦笑いしたら、野呂瀬の目つきが変わった。
「ねえ、辻林君。出し惜しみしないでさ、さっさと超常現象見せてくれない? じゃないと君を殺しちゃうよ?」
そう言うと、カズが笑った。
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