第40話 ◇ある日の訓練場の剣聖と嫡男◇

 アイヒュン王国。王都郊外。野外訓練場。


 遥か昔から数多あまたつわものの汗と涙と血を吸い込み踏み固められ、草のひとつも生えていない剥き出しの地面が広がる野外訓練場。


 早朝の野外訓練場に八人の男女。


 一人は、高い身長と、着込んだ鎧の上からでもわかるほど鍛えられた筋肉が隆起する、年齢に合わない分厚い体躯たいくの若い男。

 燃え盛る炎のようなだいだい色の短髪。

 髪色と同じく、燃えるような橙色の瞳を爛々らんらんと輝かせている。


 アイヒュン王国騎士団。騎士見習い。剣聖の嫡男ちゃくなん

 スヴェン・フォン・シュラーダ



 嫡男と十歩ほど離れて対面する、もう一人。


 嫡男に負けないほどの高身長だが、鎧と鎧下で隠された体躯は、遠目からでは一般的な成人男性にしか見えない壮年そうねんの男。

 燃え尽きた灰を思わせる灰色の短髪。

 嫡男と同じ橙色の瞳は、嫡男とは真逆まぎゃくいでいる。


 アイヒュン王国。シュラーダ子爵ししゃく家現当主。王国騎士団。第一騎士団団長。

 剣聖。ハイラム・フォン・シュラーダ。



 十八才とは思えない火山のような闘気を吹き上げる嫡男と、まるでいだ水面のように静かにたたずむ剣聖。


 嫡男と剣聖から大きく距離を取り、二人を囲むように各々おのおの自由な姿勢で待機する六人の男女は、第一騎士団の団員。剣聖直属の部下達。


 剣聖を団長とした七人が第一騎士団の総員。


 わずか七人ではあるが、ひとりひとりがそこらの魔物や雑兵程度であれば、単身で千を相手に出来る文字通りの一騎当千。

 七人が揃えば万の軍勢を相手取れる、王国の切り札。超越した実力を備える者達。



 周囲六人の騎士団員を気にしつつも、嫡男の爛々と輝く瞳からは、彼の歓喜が伝わってくるかのようだ。


 なぜだろうか。少し嫡男の内面を覗いてみよう。



 聖女様の周りには自分の他に、次期国王の王太子殿下、他国の第二王子殿下、数人の上級貴族家の跡取りがいる。


 自分も貴族家の跡取りではあるが、家のかくは下級貴族の子爵家。

 学園在学中、十五才から騎士団に所属しているが、まだ騎士見習い。


 聖女様にれ、聖女様の周囲にはべり、聖女様のお心を得たい男達の中で、家の格も地位も一歩も二歩も劣っている。


 武では学園内で無敵ではあるが、学力は良くて

 いくら無敵の暴力が合っても、暴力だけの男など心優しい聖女様のお心を得られるはずがない。


 そんなときに父である剣聖に手合わせを望まれたのは、天恵てんけいだと思った。


 第一騎士団の団員も、父と自分の手合わせを見届けるというではないか。

 この手合わせで父の剣聖と、第一騎士団の団員に実力を認められれば、騎士見習いから準騎士に、準騎士以上の実力を示せば正騎士、騎士団員に手が届く。


 さらに自分の恩恵「闘気」は、戦闘力を飛躍的に引き上げる。

 戦闘を生業なりわいにする者にとって、これ以上無い恩恵だ。


 自分の十八という年齢で第一騎士団の正騎士に成れたならば、前代未聞ぜんだいみもんであり、得られる名声は計り知れない。


 上級貴族の跡取りという肩書きだけでは、絶対に及ばないほどの確固たる地位を得ることが出来る。

 あるいは現段階での名声だけならば、王太子殿下や第二王子殿下を越えられるかもしれない。



 嫡男はそう思い込んでいるようだ。


 そんな嫡男の内心を知ってか知らずか、剣聖は静かに嫡男に告げる。


「剣を抜け」


 剣聖の声に呼応するように、吹き上がっていた闘気は嫡男の全身に吸い込まれ、彼の戦闘力を飛躍的に引き上げた。


「わかりました」


 手に馴染なじみ愛用している業物わざものの長剣を一息で抜き、渾身こんしんの初撃を狙う大上段に構え、深く身を沈めて剣聖を見据みすえる嫡男。


「来い」


 加治かじ見習いが作ったような数打ちの半端な直剣を静かに抜き、左手のみで保持したまま両手をと下げ、ほぼ直立のような自然体で嫡男を見据える剣聖。


「行きます!」


 恩恵「闘気」により飛躍的に上昇した身体能力は、地面がぜるほどの脚力を実現し、砲弾のごとく突撃する嫡男。


 まばたきの間に剣聖を間合いに捕らえ、全力の踏み込み。


「ぜぁっ!」


 固い地面がぜる程の踏み込みの勢いを乗せ。

 早朝のんだ空気を引き裂き。

 大上段から放たれたのは、剣聖の斜め上方から振り落とされる渾身こんしんの一撃。


 斜めに振り落とされる嫡男渾身の袈裟斬りは回避が難しく、例え受けたとしても数打ちの半端な剣では剣ごと叩き切られるだろう。


 常人ならば。


「……」


 無言の剣聖は気合いを入れることもなく、無造作に片手の半端な剣で払う。


 わずかに金属と金属がこすれる小さな高音が鳴るが、それだけ。


 嫡男にも剣聖にも、かすり傷のひとつもない。


 必殺の剛撃ごうげきは、まるで幼児が振り回す細い枝かのように数打ちの剣で剣聖に払われ、嫡男は体勢をわずかに崩す。


 実力を見るためなのか、剣聖は反撃しない。


 嫡男はここ数年で一番良い一振ひとふりの自信はあったが、剣聖が簡単に払うことがわかっていたのか動揺は少ない。


 初撃の勢いそのままに、身をひるがえし再度の踏み込みから逆袈裟斬り。


 半端な剣で払われる。


「おおおお!」


 気合いの雄叫おたけびをとどろかせ、剣聖の胴を上下につかのごとき横一閃いっせん


「……い」


 半端な剣で払われる。


 剣聖は小さく何かをつぶやいたが、嫡男の耳には届かない。


「ふんっ!」


 歯を食い縛り、鼻から息を吹き出し、天よ裂けろ! とばかりに振り上げた、嫡男の豪快な斬り上げ。


「……いない」


 半端な剣で払われる。


 剣聖は小さく呟いたが、嫡男の耳には届かない。


「っ!」


 払われた勢いを利用して長剣を引き寄せ、岩を穿うがつような一点を狙った、全力の突き。


「……していない」


 半端な剣で払われる。


 剣聖は小さく呟いたが、嫡男の耳には届かない。


「っっっ!」


 しかし嫡男は払われることを予想していたのか、大きく息を吸い込むと呼吸を止め、無呼吸のまま連続で剣聖に斬りかかる。


 嫡男の連続した斬撃ざんげきは、決して軽い手打ちの連続ではない。


 恵まれた素の身体能力と、恩恵「闘気」が合わさって繰り出される連続した斬撃は、一撃一撃が致命的な威力。

 巻き込まれてしまえば、そこらの魔物など秒でバラバラになってしまう。


 そんな致命の連撃が、嫡男の体力の続く限り延々と繰り出される。


 剣聖に全て払われる。


「何も成長していない」


 剣聖の呟きに嫡男は気が付くが、自棄やけになったのか連撃は止まらない。


 しかし、百ごうが見えてきた辺りで徐々に勢いが弱まってくる。

 息が苦しくなったのか、体力が尽き始めたのか、恩恵「闘気」の出力が弱まったのか。


 それとも、嫡男の心が折れてしまったのか。


 苛烈な連撃は見る影もなくなり、完全に失速してしまう。


 嫡男の攻撃に力が無くなっても、剣聖は全てを払う。


 最初と変わらない、わずかに金属と金属が擦れる小さな高音が鳴るだけ。


「もういい」


 全てを払いきった剣聖は、相変わらず凪いだまま。


 汗がにじむこともない。


「父っ、上っ? なっ……」


 顔は真っ赤で呼吸を激しく乱し、滝汗を流す嫡男は、手合わせ中に剣聖が言ったことの意味がわからずにいる。


 嫡男が剣聖に問いかけようとするも、剣聖の剣を持たない無手の右手が消えると同時に、嫡男は気を失ってしまった。



 凪いだまま何の表情も浮かべずに、気絶する嫡男を見下ろす剣聖。


 剣聖の内面を見てみよう。



 私は人生で初めて経験する極大の失望に、身も心も砕け散る錯覚を覚えていた。


「副長。前へ」


 私は自他共に認める敬虔けいけんな信徒であり、聖女様降臨の報を聞いたときには、祖国に降臨された神の使徒に歓喜で全身が震えた。


 しかし、第一騎士団は特殊な立ち位置に存在するためまつりごとには介入できず、学園に保護された聖女様に一目拝謁はいえつすることすら叶わなかった。


「はっ!」


 拝謁できないからと、腐ることはなにもない。


 聖女様の存在が大切なのであり、自分のわがままで聖女様を困らせるようなことがあってはならない。


 それからというもの、神の代行者である聖女様をお守りするために修練に打ち込む日々。


 衛兵、冒険者、軍では死傷者が出る恐れのある魔物が出たと聞けば、「聖女様のお心が欠片たりとも痛まぬように」と、第一騎士団をともない討伐に出ることもあった。


「今日から貴様が剣聖だ」


 聖女様が学園にかくまわれることは心配ではあったものの、信頼する嫡男のスヴェンが入寮していたので安心もしていた。


 嫡男スヴェンとは何度も話し合い、「聖女様のお心が痛まぬようにお守りするのだ」と心得を説く。

 嫡男スヴェンもまた、熱心に私と意見を交わしてくれたことが、涙するほど嬉しかった。


「はっ! 慎んで拝命致します!」


 今では過去に戻っておのれを殴り、命を張ってでも強引に介入しろ! と叫びたい程の大きな後悔をしている。


 神の使徒たる聖女様を巡り、国王陛下が筆頭となってみにくい政争を繰り広げ、聖女様をしんにお守りしていた御令嬢に罪を着せ王国から追放したというではないか。


「剣聖はただ強くあれ」


 信頼を寄せていた嫡男スヴェンは、神の使徒たる聖女様をお守りするどころか、あろうことか色欲を向け言い寄り、御令嬢追放の一端をになっていた。


「剣聖はただ強くあれっ!」


 手合わせした嫡男スヴェンは、ひどいものだった。

 剣筋が定まっていない。力任せに剣を振り回す。恩恵に頼りすぎている。動きの全てに精細を欠いている。持久力が低下している。

 挙げれば切りがない。


 私と熱心に意見を交わしたことなど忘れ、学園内で敵無しなどと自惚うぬぼれ、満足に修練をしていなかったのだろう。


 最後に聖女様をお守りするためにと嫡男スヴェンに稽古を付けた時から、成長していないどころか弱くなっていた。


 都合の良い妄想でもしていたのか心は浮わつき、手合わせに集中しきれておらず相手をしんに見ていない。


「副長。いや、剣聖。後は任せる」


 大きな信頼を寄せていた国王陛下と嫡男スヴェンの両方に失望し、心の砕ける音が聞こえた気がした。


「っ。……団長。公爵閣下の元へ行くのですね」


 妻も同じく敬虔な信徒であるため、夫婦で話し合い、公爵閣下と宰相閣下へ協力することを決めた。

 もう騎士ではいられない。騎士でいられるはずがない。


「ああ。私はもう王のために剣を振れない」


 私が剣を捧げたのは神。

 神の使徒たる聖女様をあだなす者のためなど、剣は振れない。


 なぜ副長は、私が公爵閣下の元へ行くと思ったのだろうか。


「総員っ! 抜剣っ!」


 ああ。そうだな。

 王のために剣は振れぬなどと言えば、ここで元部下達に討たれてもおかしくはないな。


「構えっ!」


 いつもどおり私達七人全員が、武器も構えもバラバラなのは笑いが込み上げるようだ。

 まぁ、第一騎士団は強さが求められるから、型にハマってお行儀よくなんぞ出来んよな。


ささげっ!」


 なっ!?


「なっ!? 何をしている! なぜ私に剣を捧げる!?」


 こいつらなにしてんだ!?


「水くさいっすよ。一言くらいあってもよくないっすか?」

「ねぇねぇ。この人マジで剣聖降りましたよ」

「何をしている! ってこっちの台詞だわ! 勝手に何してんの!?」

「まぁたひとりでウジウジしてたんでしょ?」

「剣聖でも団長でもないなら、ハイラムちゃんでいい?」


 は? え? なんだこれは? ハイラムちゃんはやめろ!?


「団長。いや、ハイラム。おれらがなんも知らないとでも思ってんの?」


 思ってるよ!


「副長。お前。いやお前ら? 全て知って?」


「宰相閣下が全部教えてくれましたよ。聖女様の今に至るまでの経緯から追放された御令嬢のことも、そこで気絶してるバカのやらかしも。 

 あの宰相閣下、覚悟決まりすぎじゃないですか? 『理由も曖昧あいまいなまま剣聖と殺し合いたくないだろう?』って言ってましたよ」


 あのおっさん宰相閣下なにしてんだ!?


 こいつら第一騎士団にぶっちゃけたら、宰相だろうが侯爵だろうが、その場で首が飛んでもおかしくなかったんだぞ!?



 なんだかわちゃわちゃしてきたので、剣聖の内面を覗くのはここまでにしよう。


 どうやら、剣聖ハイラムはお友達第一騎士団を六人連れて、スピラ公爵とベルンハルト宰相の陣営に加わることになったようだ。


 嫡男のスヴェンは、人生の帰路に立たされた。


 実家のシュラーダ子爵家は現当主の剣聖とその妻が、家の存続など二の次で聖女のために公爵と宰相の陣営に加わる。

 父である剣聖、嫡男の母。両者は嫡男を生半可なことでは決して許しはしないだろう。


 好きになる。恋に落ちる。人を愛することは決して悪ではない。

 素晴らしいことであり、とうとばれるべきことだ。


 しかし、職務、使命、友情、信頼、生活、金銭、生命。

 大切な何かを放り投げないがしろにし、大きな爪痕を残してまで恋に愛に盲目になった人を、周囲はどのように見るだろうか。

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