第22話 ◇ある日の学園の四男と聖女◇

 アイヒュン王国。王立学園。


 学園の敷地内に聖女のために用意された、一件の小さな教会。


 聖女の許可がなければ教会に入るどころか、教会の敷地に足を踏み入れることすら許されない。

 小さな教会を中心に恩恵「聖女」の権能けんのうにより聖域と化し、学園の長だろうが、国王だろうが、聖女の許しがなければ何人たりとも物理的に侵入できない。


 神に祈り、神に奉仕する。優しい光が守る敷地。


 小さな不可侵の聖域。


 教会の敷地内に用意された東屋あずまやで、書類とティーセットを並べて向かい合う男女。


 聖域に入ることを許された数少ない者の一人。


 カイン・フォン・ベルンハルト。

 アイヒュン王国宰相ヨルグ・フォン・ベルンハルト侯爵の四男。冒険者ロルフの弟。

 ロルフよりも明るい茶色の髪と緑色の瞳の少年。


「ヘレーネ様。来月のご予定でございます。ご希望に沿うように致しましたが、ご希望や不備などがございましたら遠慮なく申し付けください」


 ヘレーネ。

 腰まで伸ばした真っ直ぐな髪と瞳は、恩恵「聖女」を授かってから黄金の輝きを宿している。

 十才で恩恵「回復魔法」を授かり、十六才で恩恵「聖女」を授かった神が認めた聖女。

 紆余曲折を経てアイヒュン王国王立学園に在学中。

 教会孤児院の出でありながら、現在は一国の王を超える存在となってしまった。十七才の少女。


「カイン様。いつもありがとうございます。確認させていただきますね。……特に問題に思うようなことはないですね。カイン様、少し待って頂けますか? …………これでいいかな。カインちゃんお待たせー! カインちゃん大好き!」


 聖女はカインが大好き。


「っ!? ボクも大好きだよ。でもね。ヘレーネ? ここは聖域の敷地内って言っても外から見えるんだよ? ボクはびっくりだよ。ちょっと理解が追い付かないよ。どういうことなの」


 カインは聖女の場所を選ばない暴露に驚くものの、一息ひといきで冷静になり状況の確認を行う。本当に十六才か。


 そんなカインも聖女が大好き。


 二人は両想い。相思相愛。


 しかし、二人の関係は誰にも知られていない。


 なぜ知られていないのか?


 聖女が何も言わないから。聖女が態度に出さないから。


 侯爵家の子息でも四男だから。四男では相手にされないと貴族的価値観が邪魔するから。


 学園に通う優秀な平民の一部は怪しんでいる。しかし他言どころか噂にも出来ない。

 もし違えば王侯貴族の怒りで物理的に首が飛ぶから。聖女の怒りはさらに恐ろしいから。



 カイン・フォン・ベルンハルトが優秀だから。


 表の顔は、王宮と父である王国宰相のめいを受けて、聖女関連の社交や交遊の折衷せっちゅうに奔走する聖女につかえる者の一人。


 裏の顔は、聖女の学園での様子を報告する密命みつめいを、父である王国宰相と王宮から別々に受けた在学中の密偵みってい。暗躍する貴族子息の一人であり、筆頭。


 カインは嘘の報告はしていない。ただ、報告書にこともある。


 四男と聖女の秘密の関係。


「ユリアちゃんが王都を出る前に、聖域と幻影魔法の合わせ技を教えてくれたんだよ。ちょいっとやると外からは真剣に話してるように見えるんだぁ。すごいでしょ」


 聖女は簡単に言っているが、「聖女ヘレーネ」と「大魔導ユリア」の合作である。

 すごいどころの話ではない。魔術師団が白目になって痙攣けいれんしてしまう。


「はぇぇ。そんなことができるんだ。聖域と合わせたらほぼ無敵の幻影だね。まぁ信心深い人が知ったら聖域と魔法を組み合わせるなんて! って怒りそうだけど大丈夫なの?」


 純粋に驚き、心配の表情を浮かべるカイン。

 聖女とユリアーネの恩恵は知っているカインだが、何がどれくらいできるかは把握していない。知らない方がいいこともある。

 すごいことは知っているが、それよりも好意を寄せる相手の方が心配なようだ。兄ロルフに似たのかもしれない。


「心配してくれてありがとね好き。でも大丈夫だって。あたし聖女よ聖女。怖がって文句なんて言ってこないって」


 聖女は、何か問題でも? といった様子だが、心配してくれるのが嬉しいのか好意が語尾にはみ出している。

 聖女は元は貧民よりの平民だ。メンタルは強靭きょうじんだが、乙女おとめなのだ。


「そりゃそうかもしれないけどさ。ヘレーネが怖がられるなんてボクは不愉快だよ」


 カインは聖女を怖がる相手を不愉快に思う。

 力なき者が力ある者を恐れるのは当然だ。とカインは知っているが、好意を寄せる相手に向けられるのは許せない。

 なかなか理不尽な男であるが、十代の多感な少年ならしょうがないだろう。


「あ、好き。カインちゃん。本当に優しいね。……ごめんね。面倒な役回りさせちゃって」


 聖女は現在のカインが多忙を極める原因の中心人物である。その自覚のある聖女は負い目を感じているのだろう。

 好意を寄せる相手と会える口実ができた。と、喜んでいるわけではないだろう。たぶん。きっと。おそらく。


「なぁに言ってんのさ。ヘレーネ。君を守るためなら、ボクは全力以上を出せるよ。なんだってやってやるさ」


 幻影で聖女とカインの姿は誤魔化せているが、当の二人からは遠目で聖女の姿をうかがう人々が目に入っている。


 カインの視点では、観衆の眼前で好意の全力投球をしているようなものだ。

 もうこの状況に慣れたのか。吹っ切れたのか。

 恥ずかしがることもせずに直球の好意をぶつける彼は、冒険者の兄に教えをさずけるべきだろう。


「え。好き。カインちゃん大好き」


 聖女は聖女で少し好意を隠した方がいいのではないだろうか。毎回全力投球では肩を壊す。

 聖女にはユリアーネに教えを授かることをおすすめする。


「ありがとう。ボクもヘレーネが大好きだよ。それでね。調べていたユリアーネ様のことがわかったよ。……ボクはこれから卑怯なことを言う。知ってしまえばボクを嫌いになってしまうかもしれない。王国を呪ってしまうかもしれない。それでも知りたい?」


 表情が引き締まり本題だとばかりに、ユリアーネの身に起こったことを話すようだ。


 父である王国宰相ベルンハルト侯爵が極秘にしている情報をさぐり、お目当ての情報を探し当てたようだ。

 無謀なのか優秀なのか、カインの行動は人によって賛否さんぴは異なるだろう。


「あはは。カインちゃん深刻すぎ。大丈夫だよ。大好きなカインちゃんを嫌いにならないし、ユリアちゃんのことも信じているから。あのユリアちゃんが駆け落ちすると思う? 無い無い。絶対に嘘じゃん。内容によっては……王国は呪うかな? お願い。聞かせて」


 カインは国家的な極秘情報を手にしている。場合によっては王国が滅ぶ可能性のある禁忌の情報。深刻にもなる。

 聖女に頼まれたからと国家機密を探るな。聖女に暴露するな。王国民のことも考えろ。

 若気の至りの規模が王国滅亡の危機だ。やらかしがデカすぎる。


 対する聖女は楽観が過ぎるように見えるが、聞いたものがカイン以外なら白目でぶっ倒れるような物騒なことを言う。

 マジでやるやつの目をしている。下町育ちは伊達だてではないようだ。


「ヘレーネ。卑怯な選択を迫ってごめんね。君の親愛に感謝を。ユリアーネ様はね…………」


 とうとうカインは話してしまう。

 聖女と王国の両方を守ろうとした気高き公爵令嬢ユリアーネ。その身に起きたこと顛末てんまつを。


「カインちゃん。ありがとね。やっぱりカインちゃんはすごいなぁ。大好きだよ! ……はぁ。お花畑どもがぁ。やってくれたなぁ。どいつから……いっそユリアちゃんを……でもカインちゃんが……もしも……やっぱり…………」


 全てを知った聖女は花開くような笑みを浮かべ、好意にかげりがないとカインに示す。


 しかし、瞬時に頭を垂れるようにうつむき、瞳から光がなくなる。唇がわずかに動き、小さな小さな声で何かをつぶやいている。

 怒りなのか。呪詛じゅそなのか。計画なのか。暴挙ぼうきょなのか。

 カインに聞こえないギリギリの声量でつぶやき続ける。


「ありがとう。ボクも大好きだよ……? ヘレーネさーん。あれぇ。おーい。ヘレーネー。ヘーレーネーさーん。……うん。お茶して待ってよ。

 ふふ。今日もいい天気だ。お。あの雲ロル兄に似てる。兄上は外国でも元気かなぁ。ボクも冒険者になろうかなぁ」


 カインはこのような状態の聖女に慣れているようで、優雅に少し冷めた紅茶に口を付けて空を見上げる。

 雲はロルフにまったく似ていない。彼が少しブラコン気味なだけだ。


 ここ一年の激動による心身の疲労があるのか、全てを放り出してしまいたい欲が垣間かいま見える。

 仕事に疲れたやとわれ者のような哀愁あいしゅうが漂っているようだ。


「……あ! カインちゃんごめんね。またあたし考え込んじゃって。ねぇカインちゃん。もしもだよ。もしもあたしがここから逃げたい。連れ出して欲しいって言っ」

「連れ出すよ」


 聖女は関係者が聞いたら気絶しそうなことを言うが、聖女の心からの望みを強硬に邪魔することは非常に難しいので気絶もやむ無しだろう。その後に権謀術数をもちいて思考を誘導しそうではあるが。

 何か迷っているようにも見える聖女に対し、カインは覚悟の決まった顔付きで食いぎみに答えた。


「でも、それじゃカインちゃ」

「大丈夫だよ」


 人の話は最後まで聞くものだ。

 頭の良い人にありがちな会話の先を読んで話をすることは、話も早く済み効率も良いものだ。

 しかし、やり過ぎれば相手は不機嫌になってしまうぞ。気心きごころの知れた相手でも、話しはできるだけ最後まで聞くのだ。

 と、宰相は言うだろう。自分のことは棚にあげて。


「あは。あははは。カインちゃんは本当に小さい頃から変わらないんだから。あーおかしい。ねぇ。聞かせて。あたしはどうしたら一番いい? どうしたら幸せになれる? カインちゃん。教えて」


 聖女は話を断ち切るカインに不機嫌になるどころか、満面の笑みで笑い声を上げる。

 よほどカインの言葉と覚悟。そして彼の好意が嬉しかったのだろう。


 聖女はカインを幼い頃から知っている。

 教会の孤児院に寄付をおこなう貴族の子供として、カインとロルフと末の妹を知っている。

 周囲にはいない、知的な風貌ふうぼうと洗練された所作の一つ年下の男の子。


 身分違いの叶わぬ恋。涙をどれだけ流しても叶わぬ恋。


「ヘレーネ。本当にいいの? ボクの示す道で後悔はしない?」


 カインも聖女を幼い頃から知っている。

 家族で訪問した教会の孤児院で、一緒に遊んだ女の子を知っている。

 周囲にはいない、感情のままに太陽のような笑顔を自分に向けてお姉さんる一つ年上の女の子。


 身分違いの叶わぬ恋。平民に降りる覚悟が出来ぬおのれの情けなさで泣いた恋。


「大丈夫だよ。カインちゃんは今まであたしを導いてくれたんだよ。それにあたしは満足しているよ。聖女様を導いたんだぞー? もう神様みたいなものじゃない。それにね。全て無くなっても。カインちゃんがあたしの側にいてくれるなら、他は要らないよ」


 女の子は「聖女」として学園に放り込まれ、自分を影から支える存在が恋した男の子だと知った。


「重いよ。もっと軽い感じで聞けば良かったと、ボクが後悔しているよ。さすがヘレーネだね。それじゃこれからのことを二人で相談しよっか」


 男の子は「聖女」を監視する役割を押し付けられ、影から支える存在が恋した女の子だと知った。


「えええ! カインちゃんひどい! あたし一生懸命考えたのに!」



 上下が逆になった身分違いの恋だけど、ボクあたしはあなたが好き



「あははは。ごめんごめん。ボクが悪かったね。本当にごめんよ」


 互いに恋する四男と聖女は笑い合う。


「聖女様は菓子を捧げれば、許してあげないこともないような気がするよ」


 聖女四男四男聖女が好き。


「了解。聖女様」


 二人は両想い。相思相愛。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る