第16話 ◇ある日の応接室の宰相と公爵◇

 アイヒュン王国王都。

 スピラ公爵家王都邸の応接室で王国の重鎮が二人、書類や魔道具を並べ対面している。


 一人はロルフの父である王国宰相。

 ベルンハルト侯爵家現当主。ヨルグ・フォン・ベルンハルト侯爵。


「では、王宮の切り崩しはこのまま進めて参ります。……公爵殿。御息女の道程は順調でしょうか?」


 一人はユリアーネの父である王国貴族筆頭。

 スピラ公爵家現当主。タイロン・フォン・スピラ公爵。


「我が派閥の掌握はお任せを。他派閥も切り崩しておりますよ。ユリアーネの道程は順調そのもの。宰相殿の御子息は恐ろしいほど有能ですな。あの二人、すでに国外まで出ておりますぞ」


 王国宰相の侯爵家現当主と、王国貴族筆頭の公爵家現当主。

 手を組んだ二人の前に立てば、並みの貴族では素面しらふではいられない大貴族。


「国外? マジで?」


 二人は仲良し。


「マジだ。くはっ。ヨルグ殿。いきなり態度崩すなよ。びっくりするわ。わしが合図を出してからだと言うとろうが」


 格好を崩したベルンハルト宰相をとがめることなく、スピラ公爵も格好を崩す。


「いやこれは失礼。なんかもういいかなって。タイロン殿ずっとウズウズしとるし、酒も入っとるだろ? ずるいぞ。私にも一杯恵んでくれよ」


 スピラ公爵に向かって、いきなり酒を無心するベルンハルト宰相。

 この男。やりたい放題である。


「ヨルグ殿。お前ホンット面白いやつだな。ほれ。ありがたく飲めよ。で、ユリアーネとロルフだがな。なんか意味わからん速さで国境の関所抜けたぞ。報告書渡すから酒のツマミにでも見てみろ」


 どうやら二人は交渉という名の悪巧わるだくみが終わったのか、国外逃亡中の息子娘夫婦の近況を酒のツマミにするらしい。

 ロルフとユリアーネがこの光景を見たら、なんと思うだろうか。


「お、さすが公爵閣下いい酒飲んどりますな。どれどれ。……え。これマジで? 速すぎんかこれ。ロルフめ、何が『まだまだ冒険者では中堅です』だ。精鋭の斥候並せっこうなみではないか。もう隣のリンゴーク王国に深く入り込んどるし」


 テーブルに広げられた王国及び近隣の地図と報告書には、逃亡中の二人が通った道程が記載されている。

 ロルフが逃亡中、定期的に「ルーム」を開けていたのは公爵がユリアーネに持たせた、位置を知らせる魔道具を外に出すためでもあったのだろう。


「お前一杯って言うただろ。返せ。ユリアーネもロルフには負けとらんぞ。これを見てみろ」


 親父二人が酒を飲みつつ地図と報告書を見ていると、親父公爵が親父宰相に書類を渡す。娘自慢がしたいらしい。


「いや、張り合わんでいいって。どれ……ん? は? タイロン殿。これ、どうなっとんの?」


 あきれながら書類を手に取った宰相は瞠目どうもくする。驚くようなことが書かれているようだ。


「娘夫婦の親としてヨルグ殿に張り合わんでどうする。あぁそれな。ユリアーネが術式をちょちょいといじったらしいぞ?」


 やはり娘自慢をしたいらしい。

 しかし宰相に渡した報告書の内容は、父親の娘自慢の範疇はんちゅう逸脱いつだつしている。


 報告書では、王宮に紐付いた魔術師がユリアーネの旅装に仕込んだ「追跡」魔術が三百に分裂している。

 王国内のある宿場町までは一つだったが、宿場町を起点にが王国中に拡散しているようだ。

 ユリアーネと王都からの御者ぎょしゃを勤めた男性騎士が仕組んだ、撹乱かくらん戦術である。

 もちろんどれを追っても、ロルフとユリアーネには辿たどり着けない。


「えぇ張り合わんでいいよ。ちょちょいで追跡術式が三百に分裂されたら、魔術師団はたまらんだろうな。しかも本人につながる当たりが無いとかえげつないなぁ。魔術師団に顔出して『追放刑の令嬢はどうなった』とでもあおってやるか」


 宰相と公爵は政争相手が混乱していることが余程楽しいのか、互いに悪い笑みを浮かべてうまそうに酒を飲んでいる。


「わしも方々ほうぼうを煽りに行きたいのう。あ、騎士団は煽るなよ。あそこも切り崩せそうだからな。剣聖は嫡男ちゃくなんの暴走を知らんかったらしくてな? 今になって激怒しとるらしいぞ」


 どうやら王国騎士団長「剣聖」は、嫡男の暴走を知らなかったらしい。

 剣聖と剣聖直下の第一騎士団は政治に関わらずにいた。

 剣聖は息子を信じていた。

 やらかしの発覚が遅れた主な原因はこの二点だ。


 聖女を守るべき将来の騎士が、守るどころかちょっかいをかけているのである。

 王国騎士団の団長なら当然の怒りであるし、それがみずからの嫡男なのだ。怒りや失望は剣聖の人生において、過去にるいを見ない。

 果たして嫡男はどうなってしまうのか。


「タイロン殿は激怒しとるていたもたんと。剣聖殿は敬虔けいけんな信徒だからな。嫡男が聖女様にちょっかいかけたら激怒もするわ。今更いまさらではあるが。殿下もなぁ。頭がお花畑にならんかったら将来期待できたんだがなぁ」


 王太子は次期国王として、ベルンハルト宰相に将来を期待されていたようだ。

 現国王を「中の中」としたならば、王太子は将来的に「中の上」。努力次第では「上の中」の素晴らしい国王としての素質を持っている。

 期待を寄せるのも当然だろう。


 それが父である国王にそそのかされ、周囲におだてられ、聖女という存在に脳が焼かれた。

 頭がお花畑になってしまったのだ。

 自らの婚約者である公爵令嬢のユリアーネを正式な手続きや義理を通さずに、早々とうとましく思ってしまう程度には。


 まだ十代の多感な時期である王太子だけを責めるのはこくだろう。だが「王太子」という立場が許さない。

 未来の王国を率いる王国の顔。その第一継承権を持っているのだから。


「ま、わしは全て終わったらやらかした再従兄弟はとこでも煽るか。王太子も剣聖嫡男もまだマシだぞ? あそこの国の第二王子な。我が国と聖女様を引っ掻き回して、生きて帰れると本気で思っとるらしいぞ」


 アイヒュン王国の学園へと国交のために留学して来た、友好国の第二王子。友好国は国力がアイヒュン王国の半分以下の小国だ。

 第二王子。彼の立ち位置は非常に不味いものとなっている。ふとした拍子に友好国との国家間戦争になっても不思議ではない位置にいる。

 当たり前ではあるが、友好国はなのだ。


 聖女を他国の王族がナンパする。

 これはよりも重い意味を持っている。恩恵「聖女」とは国王すら「聖女」と呼称する、の存在なのだ。

 第二王子自身は周囲の静かな熱気や聖女に頭がやられて、軽い気持ちでナンパしている。

 現状はそんな生ぬるいものではなく、戦争一歩手前だ。

 戦争になった場合、友好国である小国は確実にアイヒュン王国に飲み込まれる。


 しかし、それでも第二王子の側付きが彼の行動を制止しないのは、母国から「第二王子を止めるな」と指示が出ているからだ。

 第二王子の母国も現状を察知しているが、「ワンチャンうちの国に聖女様を引っ張って来るかも。失敗しても王太子の予備だ。騒がせた謝罪のために第二王子の首と多少の賠償をしよう」と第二王子を切り捨てることは規定路線。

 彼に未来はあるのか。


「え。マジで? ちょっと理解できなさすぎて寒気するわ。……やめやめ。お花畑の話しはやめだ。こっちの頭がおかしくなるわ。息子夫婦の話しせんか?」


 あまりにも聖女の周辺が残念なことになっているからか、宰相は癒しを求めて息子夫婦の話題に切り替えたいようだ。


「ああ。わしも久しぶりにドン引きしたからな。ユリアーネとロルフはこのまま手出し無用でいいよな?」


 公爵も同じ気持ちだったのか、素直に応じるようだ。


「ですな。あの二人は幸せになるべきだ。そうそう。ロルフな。ユリアーネ様が初恋だったらしいぞ。タイロン殿が合格! って入ったとき。もうユリアーネ様しか視界に入っとらんかったもん」


 早速とばかりにロルフの初恋が暴露される。ロルフは泣いていい。


「うむ。あの子には苦労をかけたのに追放刑だ。ただな……今ではそれで良かったと思っとるよ。ロルフの側でのびのびする方が王妃になるより何倍も幸せかもしれん。ロルフの依頼を受ける宣言を見てな。珍しく頬を染めて目をキラキラさせておった」


 ユリアーネも暴露されたようだ。ユリアーネが知れば、しばらく公爵と会話をしないだろう。

 世の父親は娘の恋愛事情に下手に関わってはいけないのだ。


「ロルフはかなり惚れ込んどるよ。あいつは幼い頃から頑固で一途でな。全く心配はいらん。まぁそんな性根しょうねだからな。何年説得しても意見を変えずに我が家を出奔してもうたわけだ」


 親父の二人の会話は続く。

 酔ってきたのか、互いに内心の吐露とろを始める。


「その頑固者のおかげでユリアーネを任せられた。ヨルグ殿とこうして昔馴染みのような友にもなれた。わしはロルフに感謝しとるよ。娘親としては複雑だがなぁ」


「タイロン殿の照れずに友と呼ぶ、そういう所すごいよな。……私も友になれて嬉しいよ」


「おっさんが頬を赤くするな。照れるな。気持ち悪い。見ろ。鳥肌出たではないか。……ヨルグ殿友達少なそうだな」


「はぁ!? おっおまっ! タイロン殿!? それ言っちゃダメだろうが!」


 きゃっきゃっとたわむれる。親父二人。


 二人は仲良し。


 あえて親父二人は聖女の話題に触れないようだ。

 聖女がユリアーネの親友であることはわかっているし、何かあれば助けもする。

 しかし、聖女関連で下手を打てば宰相や公爵の権力でもどうしようもないと、親父二人は知っているから。

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