第10話 食卓の告白

 神よ。

 このようなことが許されるのですか。

 神よ。

 私の眼に映る光景は、現実だとでもおっしゃるのですか。 

 神よ。

 御力おちからを。無力な私に現実を受け止めるだけの御力を御貸しください。



「……ル。ロル。どうなさったの? 食前の御祈りが長すぎると、冷めてしまいますわ。どうぞ召し上がって」


 神よ。

 ユリアの手料理が、現実のものであると受け止める御力を!


「あ、ああ。申し訳ありません。御令嬢の手料理をいただく栄誉をたまわり、幸甚こうじんの極みと神とユリアに感謝を捧げておりました。ユリア。改めて貴女あなたに感謝を捧げることをお許しください」


 神よ。

 感謝申し上げます。

 ユリア。我が女神。

 貴女に人生で最大の感謝を。全霊の感謝を捧げます。 


「もう。大袈裟すぎますわ。料理人でもない素人の手料理ですもの。それに……味はあまり期待しな」「美味うまい!」


 なんたる失態!

 ユリアの手料理を前に夢かと呆然とし、おのれ躊躇ちゅうちょしたために彼女がわずかでも悲しげにするなど、なんたる失態か!

 オレは出奔したとはいえベルンハルト家の男だろうが! 土でも炭でも御令嬢の御厚意を美味いと言えずしてどうする!



 え。めっちゃ美味い。なにこれめっちゃ美味おいしい!



「ロ、ロル? 急にどうなさったの?」


「……んぐ、うっま。これめっちゃ美味しい!」


 屋台でも売っていそうな、お世辞にも見た目が良いとは言えない山と盛られた小さな茶色の塊。

 しかし屋台の大雑把なものと一線いっせんかくすのは、一口で頬張れるようにと食す者へのこまやか気遣い。

 フォークを刺してみれば、サクッと軽快な音をたてて簡単に突き刺さる。

 頬張ほおばってみれば、見た目の茶色はころものようだ。衣の味なのかほのかな塩味えんみと、口内に拡がる香ばしく芳醇ほうじゅんな香り。

 噛みしめてみれば、ザクッとした軽快で小気味こきみ良い音が耳を楽しませ、さらに簡単に噛み切れる歯切れの良さ。

 茶色の衣を割って出てくるのは、肉の旨味を凝縮した極上のスープのような肉汁が口内を蹂躙じゅうりんする。

 肉は昨日狩った野鳥の肉だろうか。下味なのか香辛料なのか、わずかに残る野鳥の肉の臭みすらも合一ごういつし、更なる美味びみの先へと繋がっているようだ。

 咀嚼そしゃくするたびに、芳醇な茶色の衣、極上のスープのごとき肉汁、滋味じみ深い野鳥の肉。全てが渾然一体こんぜんいったいとなって美味の先へと遂に到達する。

 飲み込んでからも豊かな香りが鼻を抜け、舌に残る肉の油が余韻をこれでもかと残し、「次の一口を早く放り込め!」と全身が叫んでいるようだ。

 こうなってしまっては、次へ次へと口へと運ぶ手が止まろうはずがない。


 ユリアが作ったというだけで至高しこうであるのに、なんという美味。


 神が食すものではないだろうか。ユリアは女神だった。


 刹那の間に頭の中では無限に立ち上る泡のように賛辞が沸き上がる。しかし、言葉にしようと口を開けば泡が弾けて語彙ごいが無くなり、幼児のように「美味しい」の一言しか発することのできない。我が身の無力。


 親父殿。麗句れいくの貴族教育をもっと真面目に受けていればと、これほど後悔する日が来るとは思いませんでした。不出来な息子で申し訳ない。


 せめて視線で、この眼で、オレの感動がユリアに伝わらないものだろうか。


「ふふ。ふふふ」


 ユリアが目の前でとてもとても楽しげに嬉しげに笑っている。かわいい。


 あ。


「あ、し、失礼しました。あまりに美味しいので手が止まらず、つい夢中になってしまいました」


 また失態!

 ここまで失態を重ねるなんて。


「いいえ。いいえ。ロル。違います。聞いて。ロル。

 わたくしの初めての素人料理をロルが少年のように目を輝かせて、美味しい美味しいと食べる姿がとてもとても嬉しくて」


 がっついていた自覚があるオレの行動をずっと見られていた。

 いや、対面しているのだから当たり前じゃないか。めっちゃ恥ずかしい。


「無邪気な笑顔のロルを見て気付いてしまいました。わたくしは選択を間違ってしまったのだと」

 

 え。


「ロル。わたくしのせいで貴方あなたに祖国を捨てさせてしまったことに、改めて謝罪を」


 ユリア。なにを。


「ロル。貴方がわたくしを守るために傷だらけになっていることに、感謝を」


 なぜ、苦しげな表情をしているのですか。


 なぜ、頭を下げるのですか。


「あ、頭を上げてください!」


 対面に座るユリアの元へ寄り、膝をついて手を取る。


 貴女はこの美しく小さな手で王国と聖女様の心、全てをこぼさぬようにと必死に守ろうとしただけじゃないか。


「ロル。婚姻を押し付けてしまい。申し訳ございません」


 嗚呼。ユリア。泣かないでくれ。違うよ。


「ユリアを捨てた王国をオレが捨てたんだ」


 貴女を捨てた王国に未練などあるものか。


 道中でった傷はオレが未熟だったから。でも勲章よりも誇れる貴女を守れたいとおしい証なんだ。


「国と友を守ろうとした勇敢な女性との婚姻は、オレが願ったんだ」


 貴女はみにくい悪意にさらされてはいけない人だ。

 悲しい涙を流してはいけない人だ。


 貴女は多くの愛を受け取るべき人だ。

 心安らかに微笑んでいるべき人だ。


「オレはユリアの夫だ。妻を守っているだけなんだ」


 ユリアを苦しませているのは、オレだ。


 聖女様の親友だと、身分違いの初恋の人だと、計画のための偽装結婚だ……と、知らず知らず距離を取っていた。

 ルームの中に閉じ込めたままにしてしまった。

 もっと貴女と言葉を交わすべきだった。


 超然ちょうぜんとした態度の表面ばかりを見て、期待と信頼を押し付けてしまった。

 不出来なオレはそれが貴女が自分を守るための仮面だと、今の今まで気付くことができなかった。気付こうとすらしなかった。


 貴女は心の傷付いた。まだ十八の少女なのに。


「オレはユリアに笑ってほしいだけなんだ」


 貴女は自分を隠しすぎるのでしょう。

 苦しみも、悲しみも、心の痛みも。心配をかけぬようにと父である公爵閣下にも隠していたのでしょう。

 家族にも隠していたのでしょう。聖女様にも隠していたのでしょう。


 未来に絶望した幼いオレと同じように。


「だから、泣かないで。ユリア」


 だから、世の全ての人に傲慢ごうまんだ。身勝手だ。とののしられようとオレは貴女に言うよ。

 泣くな。笑え。と。


 過去のオレがそうしてきたから。


「信じられないかもしれないけれど」


 世の全てが貴女の敵になったとしても、オレだけは貴女のそばに。


 貴女が受け取るべきだった多くの愛のひとつを捧げます。


「貴女を愛しています」


 貴女を愛しています。 


「ロル。もう一度言って」


 貴女が望まずとも。


「ユリア。愛しています」


 オレの愛を捧げます。


「もう一度言って」


 貴女の悲しい涙が止まるなら。


「貴女を愛しています」


 何度でも愛を捧げます。 


「もう一度」


 貴女が笑ってくれるなら。


「愛しています」


 何度でも。


「ロル。愛してもいい?」


 かわいい


「かわいい」


 あ。

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