失った感情の欠片を拾い集めて 〜伏拝岳・行者岳・七高山・鳥海山(新山)〜

早里 懐

第1話

 

「憧れ」という言葉がある。



素敵な言葉だ。


この字は心と童という字で成り立っている。


これは、どちらかというと子供の頃に抱くことが多い感情だからだろうか?



思い返してみると確かに子供の頃のほうが憧れの対象が数多く存在していた。


幼少期は仮面ライダーやお菓子の家などなど。


少し成長するとプロスポーツ選手や宇宙旅行など。


それが大人になるにつれて憧れの対象が一つ、また一つと無くなり気付くとゼロになっていた。


憧れというのは自らが努力した結果として、なりたいものや求めるものと言えるのではないだろうか。


よって、憧れという感情が徐々に喪失して行く現象というのは、言うなれば自分の限界というものを感じた上で自ら選択肢を狭めていった末路ではないかと思う。


要するに成長するにつれて現実というものを理解していく過程なのだ。




しかし、その先にあるのは刺激のない人生だ。


現状に満足していないのかと問われればそういうわけではない。


しかしながら、憧れの対象がないというのはスパイスの入っていないカレーのようなもので刺激が足りないのだ。




そのことに気づかせてくれたのは山だ。


私は山を知った時に憧れという感情を遠い昔に落としてきていたことに気づいた。



よって、今日は登山を始めてから少しずつ取り戻してきた感情をザックいっぱいに詰め込んできた。




何故なら。


登山を始めて一番先に憧れを抱いた山に登るからだ。


その山の名は鳥海山だ。




前日の夜から湯ノ台口の駐車場で車中泊をした。


外に出ると満天の星空だ。


こんなにも広大な空に所狭しと星々が敷き詰められている。


今まで見た星空の中で一番素晴らしい星空だ。


そういえば昔は宇宙旅行に憧れを抱いていたなと思いつつも明日のことを考えて早めに就寝することにした。




目覚めはとても良かった。


車中泊にも慣れてきた証拠だ。


準備を整えて出発した。



登り始めるとすぐに人工的なエンジン音が聞こえてきた。


滝の小屋だ。

すでに電気がついている。


やはり山の朝は早い。


滝の小屋を過ぎると、渡渉を繰り返しその後は急登になる。


地図を見る限り、見えるピークは偽物だとわかってはいる。

しかし、なんとか本物のピークと入れ替わってくれないかと淡い期待を寄せながら登った。


もちろん入れ替わりはなかったが、振り返ると雄大に聳える月山が見えた。

また、広大な日本海と素晴らしい空のグラデーションも同時に目に飛び込んできた。



まだ登り始めて30分程度だがこんなにも素晴らしい景色を拝むことができた。


疲れなどどこかに飛んでいってしまった。



急登を登りきると河原宿がある。

いや、今となっては、"あった"と表現した方が良いのかもしれない。


在りし日の姿を以前に写真で見たがとても賑わいがあった。


朝日連峰の古寺鉱泉登山口にあった朝陽館もそうだが、人の手が入らなくなると建物というのは朽ち果てるのがとても早い。


建物も人と一緒に生きているのだなと感慨に耽った。


河原宿には公衆トイレがある。

とても管理された綺麗なトイレだ。


山中のトイレなのに臭いもしないし虫もいない。

誰でも安心して使えるトイレだ。


河原宿を過ぎると雪渓沿いをしばらく歩く。


ここからはニッコウキスゲの大群生がお出迎えしてくれるため、全く足が前に進まない。

まるで黄色の絨毯だ。


しかし、この辺りで雨がポツポツと降ってきた。


天気の悪化が思いのほか早そうだったので私は黄色の絨毯を横目に足早に進んだ。



しばらくすると雪渓を渡る。


雪渓はほぼ氷だった。

とにかく滑る。

また、一度滑ったら結構な距離を滑り落ちそうだ。

チェースパイクを持ってこなかったことを後悔しながらトレッキングポールでしっかりと体を支えながら慎重に雪渓を渡った。



雪渓を渡り切るとまたしても急登になる。


しかし、振り返ると先ほど渡った雪渓やお花畑が眼下に広がる。


疲れも吹き飛ぶ。




伏拝岳の少し手前で雨が強くなってきた。


遠くの山々も雲に包まれ見えなくなった。


伏拝岳からは鳥海山が見えるはずだ。

鳥海山にはまだ雲がかかっていないことを祈りながら足早に登った。



そして、急登を登り切った私は肩を落とした。


鳥海山には雲がかかり全容を拝むことができなかったからだ。

また、稜線上はものすごい風が吹いていた。

帽子も危なく飛ばされるところだった。


しかし、行者岳を目指して歩いている時に鳥海山にかかっていた雲が抜けた。


憧れの山頂を見ることができた。


山頂は岩が幾重にも折り重なり無機質なドームを形成していた。

その姿はまるで私が遠い昔に落としてきた憧れという感情の欠片が集約されているかのようだった。


今からその場所に行くことを考えると身震いがした。



風雨も明らかに厳しくなってきた。

私ははやる気持ちを抑えながら落石を防ぐため岩の急坂を慎重に下った。


ここからは鳥海山までの登りだ。


近くまで来ると鳥海山を形成する一つ一つの岩の大きさに驚いた。


全身を使って慎重に登った。


混雑時は順番待ちになるのが頷けるほど限られたスペースを登っていく。


途中胎内くぐりを抜けて鳥海山の頂に立った。


あたり一面は真っ白だ。


本来であれば月山や朝日連峰、日本海や庄内平野など素晴らしい眺望を拝めるはずだ。


しかし、あたり一面真っ白だ。




今日は憧れの山に登った。

登れただけで満足だとは言いたいがそれは強がりだ。


やはり憧れの山の頂上で絶景を拝みたい。

私はリベンジを誓った。


帰りは外輪山コースで千畳ヶ原を歩いた。


千畳ヶ原を見下ろした際、キツネが木道を挟み湿地帯を行ったり来たりしていた。

おそらくは遊んでいるのだろう。


霧も相重なって千畳ヶ原はキツネに騙されているのかと勘違いするほどの幻想的な光景だった。


例え山頂に行かなくてもここだけを歩くという選択肢があるではないだろうか。

千畳ヶ原にはそう思わせるのに十分な価値があった。





この2日間はとても有意義な時間を過ごすことができた。

妻に感謝だ。




登山を始めて約1年半。

今となっては、私の憧れは止まることを知らない。


日本の最高峰である霊峰富士


一般登山道では国内最難関と言われる剱岳


日本最後の秘境こと雲の平



とてもスパイスの効いた人生になってきた。

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