第36話 プリンセス
僕が今いるのは国のなかでも歴史ある建物の一つだ。
普段は隣接する騎士学校の講堂として使われているここは、その昔は聖堂として市民から愛着され、信心深い人たちは講堂の最奥にある聖母像を前に讃美歌を胸の内で鳴らすらしい。
講堂は生徒たちの手によって夜会会場に変貌しようとしていた。
僕は聖母像のおひざ元、師匠やアルベルトと一緒にその光景を目にしている。
そこに、ユーリが顔を出した。
「ちゃおちゃお、お待たせオーウェン」
隣で片足組んでいた師匠が誰もお前なんか待ってないって、と茶化す。
僕はユーリの姿を見て不思議だった。
「どうしてドレスアップしてないの?」
「え? だって……ドレス着たことないし」
ユーリの格好は普段の冒険者としてのたたずまいだ。
彼女の口から聞かされた理由が実にユーリらしくて、失笑した。
「今日の私は夜会の警備担当だから、ごめんねオーウェン」
「いいよ、把握してなかった僕も僕だし」
けど、来年はユーリもドレスアップしよう。
この提案に彼女はとぼけた様子で応えた。
「検討します、それはさておきアルベルト兄さんに紹介したい人がいて」
「もしかして以前話題にあがった例の子か?」
「お察しのとおり、今夜は国の記念日らしいし、お祝い気分を分けて欲しいなーって」
アルベルトはため息をついて席を立つんだけど、僕が止めた。
「ユーリ、アルベルトは安くないんだ」
僕の台詞にアルベルトは腰を下ろす。
「だそうだ、ただその代わり、その子に伝えて欲しい」
「く、オーウェンめ、余計な真似を……それで何を伝えろって?」
「俺の隣に並びたければ、俺と同じS級になってみせろと」
それが最低条件だ。
ユーリには悪いけど、知人だからといって内のスターを安売りできないよ。
本人が言ったように、アルベルトの隣に立つのは同じくS級じゃないと。
たしかユーリのパーティーはB級で構成されているし。
それにまだ若い、S級冒険者になれる可能性は全然ある。
僕たちのやり取りに聞き耳を立てていた照明係の女子が震えていた。
「あ、アルアルはある! やっぱりアルアルこそ至高!」
アルアル、とは、アルハクの派生のカップリングで。
毅然としたアルベルトが内なるアルベルトに関係を強いるといった腐った妄想だ。
彼女たちの精魂のたくましさ、他のことで使って欲しいと常々思う。
次第に講堂は夜闇で包まれ、夜会が始まる。
夜会が開始する時は決まって講堂の鐘が鳴るんだ。
鐘を鳴らすのは学校のその年の首席の役目、つまりジミーだ。
「野郎共!! お祭りを始めるぞ!! 準備はいいな!?」
ジミーの大きな掛け声は、彼が打つ鐘の音にかき消され。
騎士学校に在籍している生徒たちは口笛や歓声ではやしたてはじめるのだ。
講堂は最奥にいる僕らに向かってディナーテーブルが用意され。
壇上の手前に社交ダンスの場が用意されている。
僕たちは学長のルーズベルトや、学校の古株と一緒に壇上で食事を出された。
「失礼いたします、本日皆様に召し上がって頂きますお食事の担当となりました、メリコと申します。普段はオーウェン坊ちゃまの家で料理を振る舞わせてもらっています、どうぞよろしくお願い致します」
メリコはこの夜会でも料理番を務めるらしい。
手前側の社交ダンス場では騎士学校の吹奏楽部による優雅な演奏が始まり。
食事をとり始めた師匠がさっそく弟子に命じた。
「弟子共よ! 俺の前で華麗に踊って見せよ!」
「ちょっと待ってくれませんか?」
「ならん! 行け、アルベルトにオーウェン!」
師匠の鶴の一声に壇の前に女子たちが詰めよる。
彼女たちは黒王子アルベルトのご指名を熱望していた。
えっと、僕のお相手は……?
兄弟子に男としての格の差を見せつけられて、ちょっと引いている自分がいる。
しかし案ずることなかれ。
この事態を想定していた僕は自分の相手をすでに仕込んでいた。
依頼したトビトの話だと、その人は頭に薔薇を模した髪飾りを付けている。
会場をキョロキョロと見回して、綺麗なドレスを着飾った姫の中から探すと。
「やぁ、ソネット」
僕が信用を置いているA級冒険者のソネットがその人だったらしい。
彼女は艶やかなエメラルドグリーンのドレスを身に纏い。
頭には青い薔薇をもしたカチューシャをつけていた。
「オーウェンさん、お相手、よろしくお願いします」
その光景に兄弟子も安堵したようだ。
彼も詰め寄った中の一人の女性に手を差し出して、それぞれパートナーを選ぶ。
師匠が一際高い声で「レッツゴー!」と言い。
僕はビィトの指導で上達させた社交ダンスを、観衆の中で発揮する。
踊っている最中、ソネットとこんな会話があった。
「今日はありがとう、君がいなかったら兄弟子にすべてを持っていかれる所だった」
「い、いえ」
「トビトから直接打診されたの?」
だとすると、トビトには人を見る目がある。
洞察力が高い、などとトビトへの評価をさらに上げていると。
「えっと、違います」
ソネットは目を伏せて僕にこう言った。
「オーウェンさんの名前で、クエストボードに出ていたので、た、たまたまです」
おいいいいいいいいいい!
今回の依頼は内々ですませるのが最優先だというのに!
あのげっ歯類、今度食事の中に虫食いを残したキャベツ混ぜるぞ?
ソネットを相手にした社交ダンスはとりあえずこなし、席に戻ると。
メリコが僕の隣にやって来て手で口をおおって笑う。
「見栄張ったのがここにいる全員にバレてますよ坊ちゃま、どうしますか」
「かまへん、この後はハクレンと踊るし、すべて仕込みだよ」
「くっくっく、いえ、この後に出す料理の名前です」
と言われ出てきた『くっくっく』は見たことのない代物だった。
メリコに尋ねると、嫌だったら食べなくてもいいと言っている。
じゃあ食べないぞ(断固たる決意)。
僕の初めての社交ダンスは単なる見世物にしかならなかった。
兄弟子はパートナーを変更して繰り返し踊るも希望者はまだ止まず。
ダンスに参加した他の生徒の一部は周囲から祝福される素晴らしい日にしていた。
改めて言うけど、僕の初めての社交ダンスは見世物だった。
けどさ、生徒たちの顔を見ていると嫌な気分はしない。
一人の男が、自分のプリンセスを選び、彼女の反応で一喜一憂するその様。
壇上からその青春群像劇を見ていたら、ちょっとした興奮に気分は上塗りされた。
ふいに講堂の入口が騒がしくなった。
「ハクレン様だ! S級冒険者の!」
「は、ハクレン様! 俺のお相手願えますか!」
ハクレンがやって来たようだ。
ハクレンは講堂の入口から僕たちの姿を見つけ悠然とした足取りで近づいた。
彼女は数多の男子生徒を一瞬にして虜にし、多くの手を差し伸べられていた。
「ごめんなさい、今夜の相手は決まってるから」
ハクレンの相手は決まっている、僕だ。
ハクレンは普段は絶対に見せない微笑みと共に、僕に手を差し伸べるのだった。
そして僕はふたたびダンス場へ靴底を下し、羨望していた青春群像にくわわる。
多くの男を魅了したプリセンスと共に。
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