冷たいお風呂

 怪談に有名なものに、湯船に浸かっている最中に心臓発作などで亡くなって、湯船の温め機能でそのまま身体が……というものがある。それに類するものを体験したというのがツムラさんだ。


「あの怪談ってあるじゃないですか、あれってはじめは健康に気をつかっていない人の話だと思っていたんですが、自分が体験すると笑って済ませられる話じゃないんですよね」


「ツムラさんも湯船で気を失ったんですか?」


 私はそういうものかと聞いたのだが、彼は首を振ってから言う。


「いえ、逆ですね」


 彼は夏の熱い日にお風呂に入ることにしていた。休日で、少し外を出てきただけで汗びっしょりだったので湯船に浸かりたかった。彼によるとシャワーだけというのは好きではないそうだ。そこで湯船に自動給湯ボタンを押して場を離れた。あまり安い物件ではなかったが、浴室の充実具合で選んだ部屋なので、ボタン一つでお風呂の準備が出来るそうだ。


「で、風呂に入ることになったんですけど……軽く体を流して湯船にドブンと身体をつけたんです。途端に胸に痛みが走って湯船から飛び出したんです。浴槽の情報が表示されるのですが、きちんとお湯が入っていると表示されているのに、実際に中にあるのは完全な冷水でした。故障という嫌な言葉が頭をよぎりました」


 しかし、きっと夏だったから何かの間違いで水風呂の機能を使ったのだと自分に言い聞かせ、昼はシャワーだけで済ませた。そして、夜になると今度こそはとしっかり設定を確かめ、給湯ボタンを押した。


 今度は失敗のないように湯船の底に溜まった少しの水に触れると、きちんと温かな温度が伝わってくる。今度は大丈夫だろうと安心してリビングでスマホを弄って時間を潰した。


 また給湯の完了した音が鳴ったので今度こそはと思い湯船の蓋を取って、今度は手を入れて温度を確かめた。


「水だったんですよねぇ……入れはじめはしっかりお湯が出ていて、浴槽の情報を見てもお湯が入っていることになっているんですが、手には冷たい感触があったんですよ。訳がわからなかったんですが、仕方なくその日はスーパー銭湯に行って疲れをとりました」


「それで、それは故障ではないのでしょうか?」


 故障だとしたら心霊とは関係無いただの不具合になってしまう。彼には何かあったのではないだろうか?


「故障ではないと思うんですよ。翌日からはきちんとお湯が張れましたから。それからはきちんと湯船に温かなお湯が溜まるようになったので、その一日だけがおかしかったんですよ。たった一日だけ故障して勝手に直る事なんてないでしょう?」


「それは確かにそうですね」


「それで考えたんですが、湯船でなくなる怪談って大抵お湯の中で亡くなるじゃないですか? 今回もしあの水風呂で死んじゃっていたらどうなったんでしょうね? 身体が溶けるような話は考えたくないですが、だからって水ならそれでいいって訳じゃないんですよ」


 彼はしみじみとそう言い、話を終えた。なお、その現象は一回きりで、以後はしっかりとしたお風呂として機能しているという。ただ、湯船に浸かる前に手で温度を確かめる癖は付いたということだ。

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