85.思い出の中にエルフさん

 キョーカの歌で魂まで揺さぶられたのか、ざわめき続ける観客席。ステージに立った俺にも、イントロが流れ始めた曲にも気付かず、心ここにあらずといった様子。

 ここはドラゴンスクリューの出番か――とも思ったのだが、


「それも無粋ぶすいか」


 驚かせるような真似はあの一度で十分。必要な言葉はこれから歌うのだから。


上位チャット:始まる

上位チャット:さあ、どうなる

上位チャット:音域はともかく、これも普通に難しい曲なんだよな


「――あなたがそばにいてくれた日は、なんだか、夜になるのが早かった。だから、わたしは朝一番にあなたに逢いに行った。『おはよう』って言いたくて」


 静かな歌い出し。未だ落ち着かない観客たちを落ち着けるように、ゆっくりと。


上位チャット:そっと入ってくるんだな

上位チャット:初めて聞くけど名曲の予感

上位チャット:セイレーン曲はどれもいい曲だから聞きに来るといいぞ

上位チャット:船乗りもいたのかw


「――夏の日のわたしはいつもより元気で。いたずら心から、飛び乗ってあなたを起こした。それでもあなたは怒らないで、眠そうなままわたしを抱き締めてくれた。『おはよう』って言いながら」


 俺はステージ上を歩む。

 ヒーローショーのために作られた舞台は広い。ゆったりと、観客に近付き、離れ、また近付く。円を描くように。


上位チャット:独特な動きをするエルフさん

上位チャット:アイドルっぽい踊りとは違うけど、これも踊り?

上位チャット:エルフに自信ニキ、何か知ってる?

上位チャット:もしかすると、これが北欧神話におけるセイズなのかもしれない。資料の多くが散逸してしまったセイズだが、それが呪歌と円を描くような踊りからなるとした言い伝えは残っている。


「――きっと答えは知っているのに、今日は何をしたいのか、あなたは聞いてくれた。わたしは喜んで答えた。昨日買った水着を持って、プールに行こう。朝ごはんもまだ食べていないのに」


 いつの間にか、観客は皆、俺が歌うのを聴いていた。

 やっぱり、キョーカは凄い。この歌を何歳の時に作ったのか聞けば、誰だって驚くに違いない。いや、何歳になったって、この歌を作れるものかと思う。


上位チャット:セイズかー

上位チャット:俺らもなんか掛かってんのかね

上位チャット:とりあえず、魅了されてはいるわ

上位チャット:それな

上位チャット:このままずっと聴いてたい


「――市民プールに一番乗り。わたしが飛び込もうとしたら、その時だけは叱ってくれた。怒ってるんじゃないって知ってるよ。だから、ホットドッグは要らないの」


 俺はそっとマイクを抱き締める。

 なぜだか、それが正しいような気がしたから。


上位チャット:やはり、これってちっちゃいころのキョーカちゃんとエルフさんの歌なのかな?

上位チャット:エルフさん(兄)

上位チャット:エルフは設定……設定のはずなんだけど……

上位チャット:なんかもう、常識が怪しくなってきた

上位チャット:そのまま受け止めなよ、俺はもう考えるのやめたエルフさんまたダボシャツ着て

上位チャット:なんか漏れてるw


「――日が暮れるのが早い! もう沈んでしまう! まだ帰りたくないと、ぐずるわたしの頭を撫でて、いつだって言ってくれた!」


 やがて、歌は山場を迎える。

 焦るように急ぐように泣き出しそうな詩。今日が終わることを惜しむ子供の詩。そして、その子供に同じく楽しい『明日』が来るのだと教える優しい詩。


「――可愛い君にまた起こしてほしい。飛び切りの笑顔で挨拶してくれ。『おはよう』って言われたい」


 俺が叶えてあげられなかった子供のキョーカを、俺は心を込めて歌った。


        ◇◆◇


「完璧」


上位チャット:あ、

上位チャット:ぱちぱちぱちぱち

上位チャット:やべ、聞き惚れてた

上位チャット:二番に差し掛かる辺りから、急速にチャットが静かになっていったのは覚えてる

上位チャット:観客が皆、歌の世界に飛ばされてて草

上位チャット:俺らも飛ばされてたんだよなぁ

上位チャット:はー……この余韻に浸っていたい……

上位チャット:お、点数出るぞ

上位チャット:浸らせろ

上位チャット:無茶言うなw


「九九.九」


上位チャット:おおおおお!

上位チャット:おおおおおおおお!

上位チャット:凄い!

上位チャット:ほぼ満点!

上位チャット:エルフさん、斜めチョップしようとしないでw

上位チャット:それで直るのは古いテレビだけですから!


「なんで?」


上位チャット:いや、なんでって言われても……

上位チャット:むしろ、こっちがなんでそんなに満点を確信できてるか聞きたい

上位チャット:エルフさんだし

上位チャット:なるほど

上位チャット:おい、納得するなw


「セイレーンとして公開するにあたって、最後の部分を歌いやすくしたの」

「キョーカ」

「息継ぎを一ヵ所増やして誰でも歌えるようにしたから、お兄ちゃんが知っている歌とはほんの少しだけ違ったんだよ」


上位チャット:歌いやす……く……?

上位チャット:あのー、『明日を歩こう』の終盤ってマジで息が切れる無理ゲー地帯では?

上位チャット:まさか、手加減されてこれだったとは……


「そうか。負けたか」


 全力で歌ったのだが、間違っていたのならしかたない。残念だ。


「あのね、お兄ちゃん」

「ん?」

「勝負を挑んでおいてなんだけど……歌って勝ち負けじゃなかったみたい」


 見れば、キョーカは憑き物が落ちたようなスッキリした顔をしていた。


「そうなのか?」

「うん。だって――聴いてくれた人たちは、こう思ってくれたから」


上位チャット:アンコール! アンコール!

上位チャット:エルフさん! セイレーン!

上位チャット:アンコール! アンコール!

上位チャット:エルフさん! セイレーン!


「アンコール! アンコール!」「アンコール! アンコール!」「アンコール! アンコール!」


 チャットも会場も、続きを求める声で満ちていた。


「ね?」

「なるほど、確かに」

「お兄ちゃん、歌おう?」

「おう! 俺の知ってる曲はまだあるか?」

「もちろん! 昔の曲も新しい曲もみーんな、歌っちゃおう!」


 最高の笑顔をしたキョーカに手を引かれて、俺たちは舞台に駆け戻った。

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