83.デュエット専用ソロ曲
「顔出しNGに喋りもNGィ?」
彼女の前で、アロハシャツに白髪の入った男は眉根を寄せた。
「やっぱり……ダメでしょうか?」
縮こまる彼女に、アロハの男はジュースを勧める。この喫茶店のジュースはアロハの男のお気に入りであった。
「俺ぁ芸能プロダクションの所長を名乗っちゃいるが、平たく言やぁ中小アイドル事務所のプロデューサーだ。いくら杏歌ちゃんの歌が規格外でも、顔を出せないアイドルは売りようがねぇ」
もっと大手事務所であったなら違ったかもしれないが、アロハの男には無理なことだった。
「ですよね……。すみません」
数年ぶりの連絡。以前にも増して切れ味を鋭くした歌の業前。それらを惜しく思う気持ちが、アロハの男にひとつ突っ込んだ質問をさせた。
「なんだって、杏歌ちゃんは今になって歌を世に出そうと思ったんだ? 顔出しNGってことは坊主には内緒だからなんだろ?」
「負けたくないから」
それまでと違うはっきりした言葉で、彼女は答える。
「わたしが、お兄ちゃんに負けたくないから」
「……なるほど」
自分のジュースを飲み干して、アロハの男はニヤリと笑った。
「杏歌ちゃんはVって知ってるか? 俺ぁダメでも、知り合いにならねじ込めるかもしれん」
かくして、《2.5D》所属の歌うVチューバー、
「でも、なんで喋りまでNGなんだ?」
「ええっ!? 人前で喋るなんて恥ずかしいじゃないですか!」
この子はこの子でどこかズレてるよなぁ、とアロハの男はグラスに残った氷を噛んだのだった。
◇◆◇
「行きます!」
上位チャット:エルフさんが覚えられない曲か……
上位チャット:キョーカちゃん、さっき、セイレーンの曲歌ってましたよね?
上位チャット:ひとつ思い当たるものがあるな
上位チャット:いや、確かに思いついたけど、それは人類が歌えない曲だからw
「人類が歌えない曲って何?」
上位チャット:エルフさんにわかるように言うと、セイレーンって呼ばれてるVがいるんだけど
上位チャット:その子が歌ってる曲の一部が、超低音域と超高音域の両方を使うものなんだ
上位チャット:だから、人類が歌えない曲
上位チャット:デュエット専用ソロ曲という謎の分類がされてるぞw
上位チャット:そう、こんな感じの曲で……
上位チャット:あれ?
上位チャット:このイントロって
上位チャット:いや、まさか
「キョーカならバスもソプラノも歌えるぞ?」
上位チャット:え
直後、音の暴力が場を支配した。
「――それは英雄譚! 悲しくも美しき! それは英雄譚! 苦難と不幸の果て! それは英雄譚! たどり着いた故郷は、すでに灰になっていた!」
上位チャット:『英雄散華』だぁああああああああああああ!?
上位チャット:ちょっと待ってちょっと待ってぇ!
上位チャット:高音地帯突破! 繰り返す、高音地帯突破!
上位チャット:……本物?
「――きらびやかな宮廷、艶やかな女、目も眩む財宝、英雄は望まなかった! 英雄はただ帰りたかった! だが、それは許されなかった!」
上位チャット:低音地帯突破しちゃった……
上位チャット:本物ですねぇ、これは
上位チャット:可愛いキョーカちゃんがセイレーン?
上位チャット:あかん、理解力バグってきた
上位チャット:契約書シュレッダーに掛けた時くらい頭がエラー吐いてる! 逃げなきゃ!
上位チャット:逃げんなw
「――血まみれの英雄は疲れ果てた! ただ眠りたい! 馴染んだ水車の音を聞きながら! それだけを願って、這いずって! たどり着いた故郷は、すでに灰になっていた!」
杏歌の目がカメラを捉えて、ほんの一瞬、憎しみを放った。歌詞の英雄そのままに、疲れ果てた目に戦場の悪鬼が宿った。
上位チャット:鳥肌立った
上位チャット:ぞわっとしたぁあああ
上位チャット:やばいこれ、やばいよ!
「――悪魔は囁いた、復讐を! 悪魔は囁いた、応報を! けれど、英雄は剣を取らなかった! 何もかも失って、それでも彼は英雄だったから!」
嘆き悲しみ、最後に残った誇りだけを胸に、散ることを選んだ英雄の詩。聴衆すべてにその情景がありありと浮かんだ。
数時間にも感じられた数分に、観客は力いっぱいの拍手を送った。
上位チャット:知ってる曲なのに涙出た……
上位チャット:俺も
上位チャット:もう曲終わってるのに泣いてる
上位チャット:感情を直接ぶつけられたみたいな気分
上位チャット:これが、セイレーンの全力か……
「お兄ちゃん! これがわたしの――セイレーンの歌だ! 勝てるもんなら勝ってみろぉ!」
優しい兄に守られてきた少女は、拳を突き上げて高らかに挑戦した。
上位チャット:うぉおおおお! 盛り上がってきたぁああああ!
上位チャット:セイレーン! セイレーン!
上位チャット:セイレーン! セイレーン!
上位チャット:セイレーン! セイレーン!
上位チャット:セイレーン! セイレーン!
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