第3話 借金
12月上旬。
「ふんふふんふふ~ん♪」
高校3年生の山村由衣(やまむら ゆい)はそのボリュームのある黒髪を揺らし、鼻歌を歌いながら帰路を辿っていた。
先日受験した地元の国公立大学の推薦入試結果が担当教師から伝えられた。
その結果見事合格していたのだ。
これで長く苦しかった受験生活ともおさらばでき、由衣にとってこれほど嬉しいことはない。
(今までいっぱい頑張ったもんね。先生も家に連絡したって言ってたし…絶対喜んでくれるよ!)
ご機嫌で家まで着く。
しかしあることに気づく。
普段はこの時間にはめったに帰らない父の車が駐車場にあるのだ。
(お父さんもう帰ってるの?これはチャンス!何かおねだりしちゃおっかな?)
勢いよく玄関を開け、靴も揃えずに廊下を走る。
通学バックから合格通知の書面を取り出しながらリビングに入る。
「お父さんお母さんただいま!ねぇねぇこれ見て?私受かったんだよ推薦入試!すごいでしょ!褒めて褒めてぇ♪」
「あ…あぁ由衣か、おかえり」
「由衣ちゃん…おかえりなさい」
「ん?二人とも…どうしたの?」
由衣は両親の反応の薄さに違和感しか感じない。
普通ならば自分の娘が大学に合格したとなれば手放しで喜ぶはずだ。
しかし、両親ともにソファーに座り込み、テーブルに何かの資料を広げながら項垂れている。
普段は明るく返事をくれる母もまるで元気がない。
それに父は明らかにやつれているように見えた。
そんな父の顔を見て由衣は慌てて駆け寄る。
「お父さんどうしたのその顔!?どこか悪いの?病院とか行った?」
「うん…まぁ、病気ではないかな…はははっ」
父の心ここにない乾いた笑いがリビングに響く。
母もそんな父を見て目をそらしてしまう。
心配する由衣の視線に耐えきれず、父は由衣をソファに座るように促した。
そして大きく深呼吸をした後、唇を震わせながらゆっくりと口を開いた。
「由衣、大事な話がある。落ち着いて聞いてほしい」
「うん」
「お父さんの会社、失敗しちゃってな…借金を抱えてしまった」
「借金…」
由衣は借金という言葉にピクリと反応してしまう。
そして父の口から出てくる言葉にそれが夢ではなく現実であることを知らされる。
由衣の父の会社は小さな町工場で車部品の下請けを主に仕事にしていた。
先日、ある大衆車の大量リコールが発表された。
それは元をたどれば父の会社が作った部品が原因だったそうだ。
その結果、会社は倒産せざる負えなくなった。
社会的な保障による資金援助や、会社の設備と今住んでいる家などを売ってもまだ借金が残ってしまうそうだ。
先ほどまで有頂天だった由衣を谷底に突き落とす悲惨な現実。
由衣の脈がどんどん速くなっていく。
「今まで通りの生活はできないかもしれない。全部俺のせいなのに…ごめん…ごめん…二人とも本当にごめん…」
「あなた…」
父は泣きながら由衣と母に頭を下げている。
何回も何回も。
父に寄り添うように母も一緒になって泣いている。
「お父さん…お母さん…」
この時の由衣は未だにその事実を受け入れることができず、ただただ一緒に泣くことしかできなかった。
その後、由衣の家族は小さなアパートに引っ越した。
父は就職先がなんとか決まり、今まで以上に働いている。
母もスーパーのパートに行くようになり、夕方まで家に帰ってこない。
由衣は帰り道をとぼとぼ歩きながら玄関のドアを開ける。
「ただいま…」
電気の付いていない玄関。
いつもなら夕飯を作っている母もいない。
せまい部屋の中に由衣の元気ない声だけが響く。
リビングの電気をつけ、由衣はゴロン!とその場に仰向けになる。
(すぅぅぅ…ふぅぅぅ…なんか他人の家の匂いがする。はぁ…)
以前よりも狭い玄関、廊下、リビング。
あのいっぱい思い出が詰まった家はもうない。
(絶対負担になってるよね、私の進学のこと。いまから就職活動?いや推薦って受かったら蹴れないよね?最悪でもバイトはしないと)
両親とも由衣にかなり気を使っている。
実際、今まで通り高校に通えているし、「大学にも進学しなさい」とも言われている。
部屋数が少ないにも関わらず、由衣の一人部屋も確保してくれている。
(なにかないかな~、いいバイト。大学の入学費と学費…生活費くらいは稼がないとね。もう受験勉強終わったんだし…まぁ勉強はしないとだけど)
由衣は寝っ転がりながら携帯で求人サイトを開くのであった。
次の日。
学校でも由衣の父の会社が潰れたことは知れ渡っており、友達からも何かと声をかけられた。
お昼休み。
由衣は友達の明日香と智子と机を付き合させてご飯を食べていた。
そして由衣の家の話題が出てくる。
「由衣ちゃん、なにかあったら言ってね?」
「そうだよ由衣~。ちゃんと言うんだよ?」
「うん!じゃあ早速だけど…その卵焼きちょうだい!」
「あっ!私の大好物が!」
由衣は智子から奪った卵焼きを頬張りながら笑顔になっていた。
こんな時でも明るく図々しい?のは由衣のいいところだ。
そして思い出したかのようにバイトの話を切り出した。
明日香と智子は受験戦争真っただ中だということにもかかわらず…
「あのさ、なんかいいバイト知ってる?」
「ん~…わたしやったことないからなぁ。智子ちゃん知ってる?」
「バイトねぇ…あっ!そう言えばさ、前川さんいるでしょ?」
智子の口からある生徒の話が出てきた。
前川香澄(まえかわ かすみ)、由衣と同じクラスの生徒。
いつも一人でいて、友達と話しているところは見たことがない。
昼休みもどこかで一人でお弁当を食べているらしい。
かといってツンケンしているわけではなく人当たりもいいし、ちゃんと話はできる。
地毛が綺麗な茶髪なこととスタイルの良さや顔立ちがいい、いや整い過ぎていて大人びていることが原因なのか、少し話しかけにくいところはあるが。
なぜ智子の口からそんな香澄の話が出てきたのか。
それは香澄の家は大金持ちらしいからだった。
家に沢山メイドがいるとか、別荘があるとか、家にプールがあるとか…どこまで本当かわからないのだが。
「ふ~ん…そうなんだ」
「まぁ噂だけどね。ちょっとくらい話してみてもいいんじゃない?」
香澄の噂話はそこで終わった。
そしてあっという間に放課後になった。
クラスメイトがどんどんと下校していく。
そんな中、由衣はいつも一緒に帰っている明日香と智子とは下校せず、図書室に向かって走っていた。
昼休みに話題に出ていた香澄は放課後よく一人で図書室で勉強をしているらしい。
由衣は階段を駆け上がり、息を整えてから図書室のドアを静かに開ける。
季節はもう冬。
日が落ちるのが大分早くなった。
夕日が差し込む図書室内、部屋の隅の自習スペースで香澄は参考書とノートを開いており黙々と勉強している。
茶髪の頭が夕日でさらに鮮やかなオレンジ色に染められていた。
そんな香澄に由衣は歩み寄っていく。
(どうしよ、何から話そう。お金貸して!なんて直球すぎるし…でもお金が必要なのは本当だし…う~ん)
何も整理できずに香澄の隣の椅子に由衣は座ってしまう。
突然やってきた由衣に香澄は不思議そうな顔をしている。
「山村さん?なにか用かしら」
「あのね、前川さん。ちょっと聞いてほしい話があるんだけど…」
「私に?なにかしら」
「えっと…お金を貸してください!」
「………ん?」
出会い頭に由衣の言葉をくらい、香澄は眉をピク!っと動かす。
香澄の体が自然とスッと由衣から遠ざかるのを感じた。
思わずストレートに話を切り出してしまったせいか由衣自身も困惑している。
(なに言ってるのわたし!前川さんも引いてるよ!ちゃんと順を追って話さないと…)
香澄は持っていたペンを置き、あたふたしている由衣より先に話し始めた。
「お金?ごめんなさい、そういう話はちょっと…」
「ごめんね!いきなりこんなこと言っちゃって。でもちょっと私困ってて!話だけでも聞いて?」
「…わかったわ」
香澄があからさまに警戒しているのを見て、由衣は正直にお金が必要な理由を話し始めた。
親の会社が倒産したこと、借金の額、自分が両親の負担になっていること、バイトするかを考えていることを。
最初は少し嫌な顔をしていた香澄もそんな由衣の込み入った話を聞き、だんだんと目をしっかりと見ながら聞いてくれるようになった。
「…ということなの」
「そういう話だったのね。てっきり貴女も…いやなんでもない」
香澄は言いかけた言葉を呑み込んで一度目を横に逸らせた後、由衣の顔を見ながら何か考え始めた。
「ごめんなさい山村さん。今すぐにはお答えできないから連絡先を教えてもらえる?」
「うん。携帯携帯…っと」
由衣は携帯を取り出し、香澄と連絡先を交換した。
そしてこの日は何もなかったかのように由衣は家に帰った。
その夜。
由衣はベットの中で横になりながら今日の香澄とのやりとりを思い出していた。
(前川さん、私にいきなりあんなこと言われたのにすごく落ち着いてたな。普通なら突っぱねると思うんだけど。それに…)
由衣は何かが引っ掛かっていた。
連絡先を交換した時、一瞬だが香澄の左の口角がビクビク!と不自然に上がったことを。
香澄の顔立ちがいいせいもあって、あの歪んだ顔が網膜に焼き付いている。
(まぁダメもとだしね。今日はもう寝ちゃおう。なんか疲れちゃったし…ふぅぅぅ…)
由衣は頭まで毛布をかぶり、穏やかに呼吸をし始める。
しかし、あの違和感は間違ってはいなかった。
この後あんなことになるなんて…今の由衣には知る由も無かったのだ。
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