第4話 少女が初めての笑顔を向けたその先

『運命ってのは歯車のように動いているんだ。誰にも見えない場所で。そう、例えばお前の後ろ、お前の足元、お前の目の前でお前の動きに合わせて小さな歯車が連なるように大きな歯車に巡っていく。巡って巡って、それはお前自身が知らない場所で、唐突に降り注いで、誰かがそれに“名前”を付け始めるんだ』
























「あったかい―」






カーニーの好意に甘えとけと魔剣に言われたニドは


真っ直ぐ階段を下りた先の風呂場へと向かい、湯船に浸かっていた。






立ち込める湯気の中で、彼女はホッと溜息を天井を仰ぐ。






「…」






彼女はお湯を両手で掬ってしばらく眺め続けていた。




溜めた水面に映る自分の顔…


彼女には一瞬だけそれが他人の顔のように思えた。






―クリス、クリス、クリス、クリス、クリス、クリス








名前の数だけ彼女の中で渦を巻いて何かが迫る感じがした。










「―…」






ぱしゃ






自分でも驚く程に大きな音をたてながら手元の水面を崩すように弾く。


そこで我に返って彼女は気づいたのだ。






「…そうか、今は居ないんだよね…」






常にやかましく、ベラベラと下らない事を喋る魔剣。


自分の心の内に蠢く“雑音”を遮ってくれる声の主は


今は風呂場の外で立て掛けられているのだ。








彼女は両手で顔を覆い、深く深呼吸する。










「ニド。私はニド。そう、ニド。“あなた”はもう居ない―」






湯気が立ち込めるその空間で、ただひとりの少女の小さく抗う声が響き渡った。
























『―おう、お帰り』






「ただいま」






『んもぅ、暇すぎて困っちゃうわ。でもしょうがないよね。剣と一緒にお風呂入る女の子って


なんかちょっとアレだものね。性癖を疑われちゃうもんね』






風呂から出て来たニドに気づいて声を掛ける魔剣。


彼女は、タオルで拭ったとはいえ


湿ったままの黒髪に構う事無くニドの側へと近づいて抱きしめるように寄りかかる。




そしてそのまま自身の額をそっとルビーの水晶におしつけた。






『ニド?』






「…うん、大丈夫」






『…そうかよ』










暫くそうしていると、ドタドタとやかましい音を立てながら風呂場へとニナが降りて来た。






「ニド。ちゃんとお風呂には入れた?」






「うん。ニナに教えてもらった通りにやった」






「そか」とニナは未だ服を着ていない彼女の背中をじっと見て鼻を掻く。






「―っと、濡れた髪はちゃんと乾かさないとだ。ニド。ほら、おいで!」






ニナは風呂場入口に積まれたタオルを一つ手に取りニドの頭目掛けて被せるように投げた。








「うぷ」






わしゃわしゃわしゃとニナは彼女の頭をやさしくタオル越しからまさぐった。






「うぷ、うぷぷ」






「うーん。それにしてもボサボサの髪ねぇ。そうだ。私がといてあげる」






「わぷっ?」






と、頭を覆っていたタオルをニドが取った途端にすぐ何かが再び彼女の顔を覆った。






「ほら、暫くはこのお洋服を代わりに着ておいて。依頼のものまでの繋ぎ。それ着たら三階までおいで。」






「うん」






ニドは言われた通りに渡された白のワンピースをスルリと着こみ


魔剣を抱きかかえたまま3階へと上がる。


そこは武器屋を営んでいる階よりも少し狭いリビングとなっており


すぐ側にあった窓からは表通りが伺えた。


そこからは、裏通りから覗く時に聞こえる人々の穏やかな営みが音となって耳に入って来る。


そして反対を向くと、中央に置かれたテーブルの奥には扉がひとつある。






「ああ、そこがアタシの部屋。ほら、そんなことはいいから座って座って」






ニナはテーブルの椅子へ座るように促す。


ニドは「うん」とだけ。


魔剣をテーブルに立て掛け、言われるがままに座った。






「よしよし、いい子だ」






ニナはそのままブラシを手に取ってニドの長い黒髪を優しくといた。


それだけの作業で互いが何かを話すわけでもなく


ただブラシで髪をとく音と外の日常の音だけがその静かな空間に響いていた。


窓から差し込む光を顔に当てながら、ニドはただ無表情にしている。






(まるで親子みたいだな)






「~♪」






すると、ニナは小さな鼻歌を歌いはじめる。


ニドはそれを耳にして、少しだけ気になったのかちょっとだけ振り返ろうと頭を動かす。






「こらこら、まだ終わってないよ」






「…歌」






「ん?」






「それ、聞いたことがある」






「そりゃあそうよ。大抵の子供たちはこれを聞いて育ってきたようなものよ」






「そうなの?」






「ええ、アタシも昔は母さんからこうやって髪をといてもらいながら聞いてたものよ」






「私は、知らない」






「そう?でも聞いたことがあるって言ってたじゃない」






「わからない。でも、聞いた事はあるの」






記憶には何故か残されている。


すっぽりと心の空いたところにしっくりとハマるように


知らない彼女の中でその歌が不思議と落ち着いてしまているのだ。






「なら、きっと赤ん坊の時に聞いたのかもね」






「…」






「―ねえ、ニド。あんたはどうしてそれを抱えてここに来たの?


そりゃあ来客って事で来てくれた事は嬉しいよ。


でも、あんたみたいな素直な子供が、その長い剣を抱えて武器屋に来るのは変なの。


それに身体の傷だって…」






「変?私は…変なの?」






ニナはハッと我に返って唇をギュッと噛みしめた。






「―いいえ。そんな事は無い。あなたはとても素直で可愛い、素敵な子。


…ごめん。変に踏み込みすぎたみたい。もう少しで親父が帰って来るはずだから、


お洋服が出来上がるまで暫くはここでゆっくりしてなよ。あの親父の事だ、多分夕飯も用意してくるだろうし」






「わかった」






「よし、出来た!」






バシンとニドは背中を叩かれる。彼女はふとその頭に違和感を感じた。


うなじの方へと手を伸ばしてすぐさまにその正体がわかった。






「三つ編みにしたの。そっちのほうが似合うわニド」






ニドは尻尾のように纏まった髪を暫くいじって、無表情で「ありがとうニナ」と言う。






「…」






ニナはふとそのまま彼女に近づき、そっと抱きしめる。






「…ニナ?」






意味もわからず聞くニド。不思議と身体が小さく震えている。




‥‥震えていたのはニナのほうだった。


ニナは寂しそうな表情で、そのまま彼女の額に自分の額をくっつけ


暫くそうしていると






「―不細工」






「え?」






ムニ






「もうちょっと笑う練習したらどうなの?顔がメチャクチャになってたわよ」






ニナはニドの両頬をつまんでイジイジともてあそぶ。






「あはは」






「ふぁへーひは?」






ムニ






ニナは彼女の頬を上に持ち上げて言う。






「ありがとうの時は、こうやって笑うの」






「う、うん」






「それじゃ。もう暫くここで待ってなさいな」






「…ニナ」






「ん?」






ムニ






「ありがとう」






ニドは自分の両頬を持ち上げてそう言った。


振り返ったニナは面食らった顔をして「ぷっ」と吹き出しながら「変なの」と笑いながら奥の部屋へと戻る。


どうやら奥の扉がニナの一室兼作業場だったようだ。








―ふとその近くにある棚、そこに立て掛けられていた写真を見かける。


4人が向日葵を中心に寄り添うようにして笑っている…










暫く静かになってからニドはもう一度椅子に座って窓の景色を眺める。






「変って。私は変なの?」






『そうだな。彼女の変は、きっと面白いって意味だ』






「面白い?」






『ああ、面白いは褒め言葉さ。俺も面白くて声を隠すのに必死だったからな』






「そうなんだ」






彼女は自身が身に纏っている白いワンピースに触れて眺める。






『へえ、ようく出来てるな。所々に花の刺繍が誂えてやがる。器用なこった』






「花」






その花の刺繍を指でそっとなぞり


ふとその部分に鼻をつけた。






「いいにおい」






『ま、血の匂いよかマシなんじゃないかねぇ』










「ねえ、ジャバー」






『なんでしょうかお嬢様』






「お腹、空いたね」










それは光のせいかもしれない。




でも、ジッと窓を眺めてそう話すニドの表情はどこか明るく感じた。


魔剣はそう思ったのだ。






『そうだなあ。ニド』






魔剣はニドの表情をジッと見つめ






『お腹が空いたって思ったならそれは良い事なんじゃないか?食べるって欲求はとても大事なことだ。生きるために必要なものだからな。人間ってのは考えがいっぱいいっぱいになると、生きている事を忘れる時があるのさ。


でも、お前がそう感じたって事は思い出したんだろうよ。「生きているってこういう事なんだ」ってな。ああ、良い事さ』






「生きているって実感?私は死んでいたの?」






『いんや、生まれてもいなかったのさ。人は思いつめると“殻にこもる”ってよく表現する。


人は常に新しいものを受け入れる度に生まれ変わるものさ。


それが出来ないって事はまだ生まれてもいない、いや、生まれる事の出来ないまま卵の殻で俯く雛と一緒さ』






(もっとも、お前の場合は本当に生まれたばかりの魂って事になるんだろうけどな)










暫く眺め、日が暮れた頃。


下からドタドタと上がって来る足音が聞こえた。




階段からヌッと出てきたのは色々な材料と雑嚢袋を両手いっぱいに抱えているカーニーだった。






「おう、嬢ちゃん。やる事済ましてスッキリしたか?」






「うん。おかえりなさい、カーニー」






「ん?…はは、そうかいそうかい。ところで、ニナは未だ部屋の中か?」






「うん。お洋服作ってくれてる」






「ありゃ?そうかい。下から話声が聞こえてたからもしかしたら一緒とは思ったんだがなぁ」






カーニーは先ず両手に抱えていたニナに頼まれていた材料を扉の前まで持っていきノックする。






「おいニナ!買ってきたぞ、ここに置いとくからな」






「うーん!了解」






カーニーは窓越しから返事を聞くと








「うし、そんじゃあ飯にするか。嬢ちゃん」






「わかった」






ニドはこの部屋に来た際、すでに確認していたのか


そう言ってリビングの端にある台所まで向かった






「何を作ればいいの?」






「え?いやいや。嬢ちゃんはそこで座ってていいぞ。俺が飯を作るからな。本当は今日の当番はニナだったんだがな。あの様子じゃあ出ても来ねえだろうよぉ。それに、嬢ちゃんの為の依頼だ。邪魔させちゃあ悪いからよ」






「…うん。わかった」






「それに申し訳ないだろ?待たせている当人としては。大事な客にはもてなさんとな」






「ありがとう、カーニー」






「おうよ。そういや―」






と、カーニーはニドの方へと手を差し伸べて


彼女の頭を優しくなでた。






「その髪、ニナがやってくれたのか?…とても似合っているよ」






「ありがとう」






カーニーは笑顔をみせてそうは言うものの


どこかその表情の奥底に微かな寂しさを見せていた。










コトコトと台所で聞こえる音を聞きながら


ニドは日が沈んで暗くなるまで外を眺め続けていた。




時折スンスンと鼻を鳴らし、通り過ぎてくいい香りに、彼女は不思議と心躍るような気持ちになった。


それを彼女自身、どう表現すればいいのだろうか分らない。その代わりに身体が小さくそわそわと揺れて、足をパタつかせていた。






…日中ほどではないとはいえ


表通りはどんなに暗くなっても、何人ものひとが燈をぶらさげて出歩いていた。




その小さな光だけがゆらゆらと動きながら話し声が聞こえる。


誰かの名前を呼ぶ声。笑い声。それとなく意味のない叫び声だって聞こえていた。


ニドにとってその景色はいままで褪せていた日々の色よりも艶やかに、より鮮明に、なによりも新鮮に思えた。


思い返す日々。窓の内側の中で味わった感情が孤独感だったとニドはようやく理解する。


デリオの家の中で歩くたびに見かけるものが、色を染めればきっと自分にとってはいっぱいの発見だったのだ




そう、思い出した。ニナの歌うあのメロディ。


確かに聞いていたのだ。デリオが酒を飲むとき、やたらむせび泣く声と一緒にオルゴールの音色が優しく囁いていた。




そんな小さな事を思い出させてくれる。日常というものは、その五感に触れる度に過去の自分をあっという間に他人にしてくれる。


隣の村とは違い、この場所はそういう風に出来ているのだ。






「この街の様子がそんなに珍しいのか?」






テーブルにご飯を並べているカーニーがそっと聞いてくる






「ここはコナハ村と違って明るい。あそこはすぐに真っ暗になってしまうから」






「コナハ村を知っているのかい?そうだなあ。あそこは微妙に集団意識も高いし、


灯りを夜につけないもの以前の“戦争”があった頃からの風習だろうなあ」






「戦争?」






ニドには聞きなれない言葉だった。


だが、カーニーは寂しそうな眼をして、口をへの字に閉じながら「スゥー」と鼻で息を吐くと






「ああ。…5年前まではここカラオンも戦火の渦の中だったのさ。ヴァルムヘイラとここを中心に戦争が起きて


関係ない“俺たち”も巻き添えになった。ニナはその時に亡くなった妻の忘れ形見の一人さ…」






「忘れ形見?」






カーニーはニドとは向かいの椅子に座って、オレンジのマークが描かれた瓶を手に持ちニドのコップに飲みものを注ぐ。






「その前にほれ、丁度いい所で入荷した。バオ畑でとれたオレンジのジュースだ。うまいから飲んでみな」






ニドは注がれたそのコップのオレンジ色をジッと見つめて不思議そうにする。


しかし、特に警戒するわけでもなくコップを手にして端に口をつけて傾ける。






「ん、うん、うん」






ニドはそうとだけ呟いて、小さな耳をピクピクと動かしながら次を、次をとどんどんと飲み始める。






(おお、気に入ったんだな)






「どうだ?うまいだろ?ご飯も腕によりをかけたからな!遠慮せず食べてくれ」






カーニーはそう言いながら取り出したお酒を自身のコップに注ぎ始める。






「当時俺たちは4人で暮らしていたのさ。俺に妻、それとニナと…末の子のアンナだ。


…ああそうさ。丁度、アンナも嬢ちゃんぐらいの年だったんだよ。とても可愛いやつでなぁ。


いつもニナの袖を引っ張ってニナニナニナ~って笑顔でしがみついてたものさ」






はは、と彼は笑いながらも、徐々にその顔は雲行きが怪しくなるように惜しむ気持ちでいっぱいの表情を見せる。






「俺たちは普通に暮らしているだけなのによ。王国の連中は帝国相手に戦場のヴェルムヘイラじゃあ飽き足らず


隣町であるこの場所を囮に使い、もう一つの戦場にしやがった。そりゃあお相手さんも不意を突かれたろうよ、


だがそのせいで当然何も聞かされていなかった俺たちは一瞬で家族を二人も失っちまった。当時のニナもよ、そりゃあ酷いケガをしていたもんさ。当時の俺は、もう胸がいっぱいいっぱいになってよ、兵隊の一人の胸倉を掴んだんだよ。“どうしてだ!?”って」






クイっとカーニーは酒をそのまま渇いた喉へと流し込む。








「…だけど、あいつらは二言目にはこう言うんだ。“正義の為だ”ってよ。それしか答えねえ。俺はもう、拍子抜けしちまってよ。でもそいつらでさえも大真面目にそう答えるんだよ。それからさ。その正義って言葉が脳裏に焼き付いて離れなくなったのは。正義って言葉の意味を考えるようになっちまった。正義とはなんだ?なら帝国は?あいつらだって同じ人間だ。あいつらだって自分の行った戦争を“悪の為”だなんていうのか?結局なんも解らないままだ。俺はさ、小さな居場所で4人でただ幸せに暮らすだけが俺の世界だと思ってたさ。でも正義って言葉を何度も耳にした途端に、俺たちは思った以上に壮大で途方にも無く広い場所に放り出された気分になってた。それから見る空がさ、異様に広く見捨てられたような感じにおもえた」






ニドは黙って話を聞く。


真っ直ぐみる視線にカーニーは気づいて「ふっ」と笑うと






「だからなのかねぇ。嬢ちゃんに変なお節介かけちまうのは…。武器屋なんてやっている以上


客に情を移すなんて事は当然ご法度なんだけどよ。どうしても…重ねちまうのさ。少なくとも、俺はさ」








「…そう」






「わりいな。こんな話しても困っちまうよな。お前さんみたいな子供にゃあ文字通り過ぎた話さ


さあ、遠慮なくもっと食ってくれ。あのバカはどうせ腹が減れば勝手に出て来る」






「ありがとう。カーニー」






「おお?」






「色々と、話してくれて。ありがとう」






カーニーは「へへ」とボリボリと頭を掻いて誤魔化すように顔を逸らした。






ニドの頬を両手で持ち上げて作った笑顔に「面白ろすぎんだろそりゃあ。誰に教わったんだよ」と彼はつぶやいた








暫くしてからだろうか。


カーニーは酒をある程度飲み終えると、隣のソファでイビキをたてながら寝ている。


そんな彼の寝顔を見送りながらニドは棚の方へと近づき、置かれている家族写真を手に持つ。








「…戦争」






『戦争…戦争さ。争い、諍い、戦い。そいつはいつも、どこかで必ず訪れるやつさ。寂しがり屋だからな。人間が苦しい思いをしないと帰ってくれない、どんなに大地を荒れさせて、命を奪っても勝てばそれが正義だと神様を気取らせるとんだ厄介者のパーティイベントさ』






世界に存在し続ける、代表的な厄災。


6番目のヤクシャ。存在と差異、接続と離別。


その4つの戒律を従えた調停を淘汰する時代の怪物。




調停という奇跡の天敵。


奇跡の裏返り、理解出来ぬ疑心暗鬼の申し子。




誰もが生や死を超越したエゴを抱え。在るべき幸せを、忘却させる。




白と黒の果てを求めるのではなく


その過程にある摩擦こそを良しとする災いの概念。それが戦争なのだ。












「だれかが嬉しいって思うの?」






『人間は嬉しい事よりも、唇を噛んで辛い方を選んだ方が幸せなんだと思ってしまう間抜けな生き物さ』






「幸せなの?」






『きっと本人は幸せなんだろうよ。例え死んだとしても、嬉しくなくったって幸せなんだよ。だから戦争なんてものを高尚なものだと信じてやまない。死ねばそこには何も無いっていうのにさ』






「そう…」






ニドはそっと写真を戻すとカーニーへと近づいて、


端に掛かっているブランケットを広げてそっとかけてあげた。






『おー、優しいこった。ニド』






「デリオさんはこれをしないといつも風を引いていた。カーニーにはそうなって欲しくない」






『へえ、お前さんは“自分が殺した奴”の姿をそいつに重ねてしまうのか』






「…うん」






素直に答えるニドに魔剣は驚いたのか、暫く沈黙して






『少し意地悪な言い方だったな。すまん』






「意地悪だったの?」






『きっと、俺ならそうはしない。だから皮肉混じりに言ってみただけさ


でも、そういうもんだからこそ。お前もこいつらの好意を頂く事が出来たんだろうよ。


人間ってのはそうやって自分の過ちをどうしても飾り付けたがる。なんとも傲慢な事だろうねえ』






「それも悪口?」






『こいつらにじゃないさ。人間と、人間をつくった神様への、だ』






「でも、私はそれを“良い”って思ってる」






『…そうか。それは誰の気持ちだ?』






「…。」






『すまない。どうにも今日の俺は調子が変みたいだな。この甘ったるい匂いのせいかもしれない』






「ジャバ―は匂いがわかるの?」






『わかるさ。鼻が無くても空気は読める。そうすると、そこから匂いってのは解るもんなんだよ』








『まあ』と魔剣は付け足すように言う。






『お前がそれで“良い”って思ったんなら良い事なんだよ。きっと…』






きっと…。ああ、そうさ。とブツブツと呟いてその夜はそれ以上何も言わなかった。


ニドも、何も聞かずにそっとカーニーの寝るソファの方へと寄りかかってうつらうつらとした。




瞼が自然に閉じながら、彼女は小さくぼやく








「ご飯…おいしかった」


















―日が昇る。






ニドの寝顔に朝陽が差しこみ


彼女はゆっくりと瞳を開く。




気づけば彼女はソファの上でブランケットを掛けられて寝ていた。






「おはよう、嬢ちゃん」






カーニーが昨晩のように台所に立って食事をつくってくれていた。






「おはよう、カーニー」






「悪いね。昨晩は俺がソファを占領しちまった。あの後出て来たニナにひっぱたかれながら起きてよぉ


申し訳ないが動かしてもらったよ」






「うん、ありがとう」






ニドはそう言って、テーブルの方に目を向けると


既にニナが朝食をとっていた。




ムスっとした表情で、目に隈を添えて


猫背になりながらパンを頬張っている。






「おはよう、ニドぉ」






「おはよう、ニナ。お洋服、出来た?」






そう聞くとニナは「へへぇ」と怪しい声を漏らしながら口角を吊り上げて、懸命に笑顔を見せながら指でピースサインを見せつける。








「―可愛さ重視で行きたいところだけど。あんた、色々と訳アリっぽそうだし。機能性と可愛さの5:5で妥協したわ」








ニナの誂えた洋服は全体的に可愛さをみせつけながらも


所々にベルトを通す通り穴があり、そこに幾つも連なったベルトパックや鞘を背負うベルト等を取り付ける仕組みになっていた。




全体的に黒でありながらも所々で深めの青色、それにアクセントをつけるように端に沿うように白色があてがわれており


何処となく貞淑さを際立たせ、所々のフリルがゴシックな雰囲気を漂わせている。






「それと、これ」






とニナは黒のロンググローブとストッキング


それに首まで隠すように出来ているインナーを渡される。


そのインナーは真っ黒で背中の部分にだけ特殊な文字が縦一線に刻まれていた。








「これなら傷跡も目立たないでしょうよ」






「あとこれな、ほらよ」






彼女はニナに服の着方を教わりながら


カーニーが魔剣のサイズに合わせて用意してくれた鞘に魔剣をそっと収めてニドに渡す。






「ありがとう」






ニナは着替え終えたニドの服装を見て、「うんうん」と答えながら納得したように頷く。






(こいつ、中々いいセンスしてるじゃん。もったいねえなぁ)






「おー似合っているぜ。その三つ編みも相まって、なんかオシャレ好きの士官みてーだな」






「なーに言ってんのよ。剣を持つ女の子って言ったらこれでしょ。ね、ニド」






ニナは「じゃーん」とニドの頭にそっと帽子を乗せる。






「そりゃあ神官帽じゃねえか。ニドに信仰者にでもなってほしいのか?」






「馬鹿古いよ親父。時代はそうじゃない。信仰者であるからこそ神官帽でなければいけないって話は遅れてるのよ


その表現の本質には“こうであれ”では無いの。服装ってのは、結局その人に対しての魅せる為の手助けにしかならないの。だからこそ人は自分のスタイルを欲しがる。つまりは―」






「いや、もういいわ。よくわかんねーし。簡潔にいってくれよ」






「神官帽被って剣を握る少女というギャップがたまらなくかっこかわいいって話なの!」






ニナは眼をギラつかせて語る。






「おお!それとなく伝わって来たかもしれねえ!多分きっともしかしたらきっと」






(わかってないけどすげえって思ったのな、カーニー)








「…ああ、剣を持つ女の子…まぁ。そうだよな」






カーニーは少し歯切れの悪い言い方をする。






「ありがとう。カーニー。ニナ」






ニドは感謝を述べると共に両手で頬を持ち上げて無理矢理作った笑顔を見せつける。






「…はは。一体誰におそわったんだか」






カーニーは笑うように言うと、そのままゲオルグ金貨の入った袋を差し出す。


ニドは受け取るとその重さに違和感を感じた。中を見ると、いつもよりも金貨が10枚ほど多く入っていた。






カーニーは「おう、釣銭だよ。こいつのな」とゲオルグ金貨の一枚を見せてニカっと笑顔を見せる。








…最後に武器屋の入口でカーニーは「色々と便利だ、持っていきな」と腰に携える事の出来るサイズのナイフをくれた。






「…もう、準備は出来たな」






「うん。カーニー、ニナ。ありがとう」






ニドは魔剣を鞘に納めて背負い込むと、その時だけは二人の前に立ち、不思議と深々と頭を下げた。






「あなた達との時間はとても楽しかった。私は、この街が、あなた達が―」








「好き」、と答えながら頭を上げると踵を返し扉の方へと歩き出す。
















「―なぁ、ニド」






ふと呼び止めたのはカーニーだった。


その声に振り返って、目が合った途端に彼は出そうとした言葉が中々出せないまま喉に詰まらせて黙っている。








「いんや、ちょっと見送りだけさせてくれ。な、ニナ」






「…まぁ、私は別にいいけども」






「ほ、ほら。これから何処へ向かうつもりなんだ?お前」






「…わからない」






ニドはそっと背負った魔剣の方へと頭を寄せて暫く黙る。そして、小さくうん、うんと頷いて






「北へ」とだけ答えた。






「北か。なら途中までの道案内だけでもしよう―」






そう言って、カーニーは足早に外を出てしまう


それを追うようについていくニドを見て






ニナは「やれやれ」と調子の良い溜息をつきながら武器屋の出口の看板を閉店にひっくり返し


二人の後ろを着いていった
















―ザワザワと人の声や馬車の音がこだまする中








「ここが、表通り」








ニドは眼を大きく見開きながら大通りの真ん中で呆然と周囲を見渡していた。


昇った陽がまるで自分の為にあるかのように見上げ


すれ違う人々に驚きの表情を見せながら歩いていく。






「いや、真ん中は危ないからな。出来れば端のほうへ寄ってくれ」






カーニーが心配そうに言う中。ニナが「ほら、こっち」と彼女の手を引く






「むおおう」






思いがけないニナの行動に変な声を漏らしながら彼女は表通りの端へと導かれると


カーニーやニナをすぐさま置いてくように、ガラス張りの店の前へと立ち止まって中を覗き込む。




そこには大小様々の、色々な人形がガラス越しに並べてあった。


その人形の瞳を見つめて、彼女は思わず「綺麗」と口を漏らす。






『少なくとも、お前さんの眼よりは確かに綺麗かもなあ』






「そうなの?私の眼は、綺麗じゃない?」






『いんや、綺麗にもいっぱいある。お前さんは強いて言うならこれから綺麗になる、そんな感じの綺麗さ』






「そう、私にはよくわからないや」






『だろうな』






「でも、あなたに最初に人形さんみたいって言われた事が嬉しかったのは本当」






『…おう』








遠くから「おーい」と言う言葉にニドが振り返ると


奥でカーニーが彼女を呼んでいた。






「北に行くんだろ?このカラオンの表通りからあそこの大きな山が三つ見える方へと向かうといい。


山を越えたその先にある街はこんなちっさな街よりも大きい港町、ナバルガがある。


そこに行けば、持て余したゲオルグ金貨の使い道もきっと見つかるだろうよ」






ニドは道中で買ってもらった飴玉を口の中でコロコロと転がしながらカーニーの話を半分だけ聞いて「うん」と返事をして街並みの風景をその瞳に焼き付ける。






「表通りがそんなに珍しいの?ニド」






「うん。私は、ずっと窓の中にいた。だから…窓の外に出たのはこれが初めてだった」






「そうなの」






ニナはふふっと笑みを零しながら、ふとまた店に立ち止まり、物珍しそうに見ているニドに対してある事に気づく。


彼女は先ほどからずっと看板の文字を見る際、違和感を感じる程に至近距離で見ていたのだ。






「…ニド?見えないの?」






「見える」






「でも、そこからじゃないと文字が読めない?」






「うん」






ニナはそこで彼女の眼が近眼である事に気づいた。


彼女はカーニーに言って、通りにある眼鏡屋に連れていくと


そこで大きな丸型の眼鏡をニドにプレゼントした。






「これは?」






「良く聞いてくれました!なんと、私とお揃いの、なんでも見える魔法のアイテムよ」






ドンと胸をはって言うニナに


ニドは「?」と首を傾げた。






(お前、近眼なんだな。それをニナみたいに顔に掛けると、本当になんでも見えるぞ)






と、魔剣が耳打ちをしてきたので、ニドはそのまま眼鏡をかけ始める。


彼女は、今まで当たり前だと思っていたぼんやりとした景色をそのレンズ越しから鮮明な世界をはっきりと見つける。






「…すごい」








今までに見た景色を覆す程に、視界に映る情報量は


彼女の気持ちを気おくれさせてしまうほどの衝撃を与えた。




いままで、通りかかった人はこんな表情をしていた。


馬車の形を知った。




あの店には色んな果物が並んでいる。…あのトゲトゲの物は何であろうか?






幾つもの“これは何だろう”に彼女の心は大きく揺さぶられた。






「ニナ。すごい、すごいよ。見える。いっぱい見える」






「うーん。眼鏡っ娘。一層に貞淑さに拍車がかかって来たわね。中々良い出会いをしたわね。ニド」






「うん、ありがとう。ニナ」






目を見開いて、ニナの表情を見る。






「どういたしまして」






ニドの頭を優しく撫でるニナ。


その優しい笑顔を彼女はいつまでも忘れる事が無いだろう。


何故なら、それが彼女にとって初めて見た人の表情なのだ。
















カラオンの表通りの奥まで歩くと、そこからは先ほどの街並みとは打って変わって


人気もあまりなく、店ひとつ何もない一本道へと繋がっていた。






「おう、ここまでだな。俺たちが見送れるのも」






「そうね」






「うん、ありがとう」








たった一つの出会いがここまでの思い出をはぐくんだ。


それは捧げた時間の中で何気ない日常の一部でしかない。


それもいずれは同じ事を何度も繰り返す単純なものだ。




だが、そんな少しばかりの時間が


ニドの心を大きく変化させたに違いない。新しい自分に出会えたに違いない。




常に人は変われるのだ。


世界に与えられるものを、そうではなく自身が得たものだとすれば…








ありがとう。ありがとう。と何度言っても飽き足らないくらいに


彼女は多くの物を貰ってしまった。








「―…なあ、ニド」








きっとこれからも、世界は与え続けるのだろう






「どうしたの、カーニー?」






これからも






「お前が良ければ、だけどさ」








カーニーは困ったような顔で頭を掻き、武器屋で言いきれなかった言葉をもう一度だけ口にする。










「お前が良ければ、いつでも帰って来いよ。俺と、ニナは何時でもお前の事を待ってるからよ」








それは彼の精一杯の好意だった。


武器屋に顕れた、いかにも怪しい出で立ちをした少女。


彼女に対しての干渉には幾つもの葛藤があった。






本当はどうにでもして、彼女を引き留めたい。


それは失った自分の娘と重ねてしまった自分を受け入れなければいけない思いと


他人という枠で、ニドが背負う背景に踏み込まず、ある程度の距離を保とうと心を守る二つの思いのせめぎ合い。




それをどうにか落ち着かせるには、少しばかり時間が必要だった。


そして、葛藤の末に妥協に妥協を重ねて出た言葉がそれだった。






それはきっと、娘のニナも一緒なのだろう。


他人でありながら、自分の心に他人の為に居場所をつくってしまう


人間ならではの心の在り方だ。








「…ええ。また私に新しい洋服を作らせて頂戴。もっと、もっと良い物を作って。最高の仕立て屋になるからさ


そうすりゃあ親父のハナクソ武器屋も早々に畳ませて表通りに新しく店を作ってやるんだから」






「ハナクソは余計だっつーの。お前は筆記試験の為にしっかり勉強しろや」












「いいの?」






「いいんだよ。それに…俺も、ニナも本当は嬉しかったんだ。本当に瞬く間だが、お前と過ごす時間に…なんつーか。いつも新しいものを見つけていくニドを見ているとさ、なんか俺たちも新しい発見を色々出来た気がしたんだよ。きっと…これが、“繋がる”って事なんだなって」








ニドは不思議とその言葉に対して胸のどこか解らない場所が熱くなってくるのを感じた。


今までに言われた事のない言葉をニドとして貰った。


彼女にとって、今までにない程に記憶に焼き付ける唯一無二の宝物に違いない。




自分とは違う誰かを知り、自分とは違う何かを与えられ


相手には無いものを自分から自然と与える。




そんな当たり前の事が確かに広く繋がる事なんだとニドはじっくりと学んでいった。








「うん。カーニー、ありがとう」






「おう、しっかりな。ニド」






ニドはニナの時のようにカーニーに強く抱きしめられる。






「子供を見送るのはさ、親にとって本当はとてもとても心配な事なんだよ…お前の事をあまり知れなかったけれどよ


それでも、知っている中だけでっていうんなら、子供に違いない今のお前さんをこのまま止めたいのが本音さ」






「うん」






「でも、それは俺の中での話だ。世界が広いように、人の心も大きく、空よりも彼方が存在すると俺は思っている。


お前さんは、その心に従って前に進めばいい」








「―もう、ウジウジと面倒な親父だね。ニド、こいつの事は気にしないで。私がしっかりと面倒見るから」






「親父をこいつ呼ばわりするな、馬鹿娘!!」










―カーニーはニドから離れる。




…お互いが心にケリをつけて、さりげない別れにしようと思っていてもそれが出来ないのが人情というもの。


それを乗り越えるにあたって確かな事は、しっかりとこの出会いという奇跡を大切にしながら






次にまた会えるようにと願ってさよならを言う事なのだ。






ニドは思い出したように手を振る。








「ありがとう。カーニー、ニナ」










「ああ、達者でな」






「またね」








それに返すように二人も手を振った時、二人は気づいたのだ。
















ニドが、ニドの表情が、ささやかに笑っていたのだと―






























































































































































































































































グチャ


   リ


























































































































































ピシャ






















































―ピシャ、とニドの笑顔に生暖かい液体が飛び掛かる。


それは彼女の眼鏡のレンズを半分覆って、下に滴っていく。




そしてそのままねっとりと這うように頬を伝って、不意に




お風呂に入った時の湯の温もりと重ねてあったかいと思ってしまう。






これは何?…違う






“それ”の色に覚えがあった。




赤く、赤い。






デリオを刺し殺した時と似た色。血、鮮血。








レンズを覆った隙間から、正面を呆然とニドは覗く。








黒く、大きな壁…―否




長い長い柱…―否






それは人間なんかではない。


ましてや、先ほどまで見えていたカーニーでも、ニナでもない。






ならそこに居るのは一体なんだ?




買う事も躊躇うような大きな棘を持つ果物。…―否


通り過ぎた大きな馬車なのか…―否








それには眼があった。




爛爛と煌めく眼光はまるで彼女を突き刺さんとするもの。


静寂の中で、生暖かい空気が漂うのを感じる。


それに混ざって、ヴルルルルルルと空気を揺さぶる音に鼻孔を震わせる。








彼女はより一層目を開いて確認しようとした。


確認しようとしてするほどに、理解が追いつかない。














「…………………………‥…………………‥………………………………え」












彼女がようやく絞り出した声がそれだった。

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