第3話 カラオン裏通り放浪黙示録

『ああ、旅人よ。今日はお前という心の誕生日だ。記念日だ。これから暁はお前を祝いながら世界に光を照らしてくれる。お前自身が、その全てに対して名前をつける権利を持っている。例え間違っていたとしても、お前はその間違いにさえ名前を与える権利がある。その度に、お前は何度だって心の誕生日を迎える。毎日。そう、毎日だ。それはとても素晴らしい事で、いずれお前にも誰かが名前を与えてくれる。いっぱい、覚えられないくらいに』


























コナハ村のデリオが殺された




その事実が広まるのはそう遅くはなかった。


日が昇った朝に見かけた村人の一人がその惨たらしい光景に悲鳴をあげたと同時に村一帯は戦慄を伝染させていった。






“隣の村で何者かによる人殺しがあった”






そんな言葉がどんどんと一人歩きをして隣町のカラオンの住人の耳にまで届く。






しかし、人々の感情にはその何者かの起こした凶行に対する恐怖ばかりで


誰ひとりとして、デリオの死を悲しむ感情を抱く者は一人もいない。






彼自身も、そういうふうに出来ていたのだ―








『ニド。川でしっかり洗い流したとはいえ、少々血の跡が目に余るなぁ』






「うん、ごめんなさい」






『しかし、人の噂ってのは早いもんだ。風が歌いながら運んでいるとしか思えないねぇ』






「…」






ニドと魔剣は昨晩。デリオを殺害し、近くの川に逃げるように向かい血にまみれたその身を川で洗い流した後だった。しかし未だに着込んだ粗末な服には血の匂いが漂い、血の染みが消える事は無かった。


その香りがどうしてもニドの自分とも思えない慟哭と、舞い上がる血しぶきを思い出させて


彼女は少しばかり憂鬱な気持ちでいた。






そんなニドらは行くあてもなく、老爺が向かったと思われる近隣の街カラオンへと趣いていた。


向かう途中でニドは捨てられた荷車に被せられた大きな布を見つけ


魔剣の提案どおりにローブの代わりとして魔剣を隠すように羽織ったまま街の中を粛々と歩いていた。






そしてその度に先の事件の話を何度も何度も耳にする。




そしてその度に魔剣は唾を吐くように悪態をついていた。






『ま、そんな噂話も結局は誰かと話すための口実さ。紳士淑女の嗜みってね。怖いものも聞くだけなら楽しい


楽しい事はみんなで共有しなきゃ。あーそうさ人間ってそういうものだったねぇ』






結局はその本質に対して誰も興味など持ってはいない


そういう話があったのだと口を抑えて驚く事そのものが愉悦なのだと魔剣は語る。






『ダーレも、お前みたいなチンチクリンが殺したなんて思ってねーよニド』






「チ、ちんちくりん…」






ニドはその単語に対して


身体を小刻みに震わせながら面白い口の形をして噤む。面白かったのだろう。






『お前、アホみたいな音に弱いんだな』






「そうなの?」






『そうだよ』






カラオンは大きな中央通りをなぞるように作られた街だった。


中央通りでは色々な物売りが並び大きく叫んでいる。


そしてそれをかき消すようにギシギシと鳴らす大きな馬車が何台も奥に向かって走っている。




その脇で人々がいつものように歩き、いつものように日常を送っている。


その様子を遠巻きに高い位置にある裏通りから、ニドと魔剣はひっそりと見下ろしながら歩いていた。






…カラオンの表通りはどうしてもこの浮浪者姿が目立つという事で、ひと気もなく


治安の悪そうな通りを歩いていくしかないと魔剣はニドに言っていたのだ。






魔剣の目論見通り、裏通りはどうにもキナ臭い雰囲気だけが漂っている。


足元や覆われた壁からはカビの匂いが立ち込めて


あまり陽も当たらず人が立ち入らないだけでこんなにも腐った空気が出来るのかと魔剣は関心していた。






『ひとまずは、その身なりだなぁ…そんな訳ありないでたちじゃあ表通り歩いてもみんながみんな目をひん剥いて“怪しい”ってしか思わねえ』






「どうするの?」






『まぁ、聞いてくれ。こういう場所ではあまり表向きでは武器とか売らねえ。


あんな伸び伸びした平和ボケの人間どもが表で堂々と歩いている場所は見栄えがわりいんだよ』






「うん」






『そういう物騒なものが売られた店ってのはこういうしみったれた裏通りに決まってあるんだよ』






「でも、なんで武器屋なの?」






『別に武器を買うわけじゃねえんだ。武器屋ってのは割となんでも揃っていやがる。防具も、防具に見立てた服装だって都合してくれるだろうよ』






(ま、俺の経験則になるんだけどな)






『そんなわけで、裏通りを散策すりゃあ―』






「ジャバー」






ニドが言葉を遮るように呼ぶ眼前。


魔剣には何が起きたのかすぐに理解できた。






小柄、長身、ガタイムキムキ






フラフラと現れたあまりにも身なりが貧相な三人組の男。


そいつらはニドの前に立ちはだかって下卑た笑いを漏らしている。






「なぁ、小僧…お前、匂う。におうんだよなぁ」






ガタイムキムキの男は頭をニドの高さまで下げると、


互いに鼻と鼻がくっつきそうな距離で彼女の目を見て品定めをする。






「なんだぁ?こいつ、表情がピクリともしねぇ」






メンチを切った表情でニドの顔をまじまじと見ているガタイムキムキは


ケッと頭を上げて唾を吐き捨てながらそう言った。






「はぁん?どうしてそんな貧相な身なりでそんなに身の丈に合わねえもん持ってんだ?」






「小汚いローブで隠そうとしたって無駄だぜ?」






小柄な男は指を指し、ヒッヒと笑う三人組の男を前にニドの後ろで魔剣は『はぁ~~~~~』とため息をつく






『なぁ、ニド。面倒くさいから相手しといてよ』






「あ、相手って…どうすればいいの?お話するの?」






『そうだなぁ…―』






魔剣は静かにニドに耳打ちをする。


そんなやりとりに気づく事もないまま男らは話を続ける。






「別に悪いようにはしねえ。そのでけえモン置いてってくれりゃあいいんだよ。無事におウチに帰りたかったらなぁ」






「何処で拾って来たかわかんねぇけどよぉ。お前にはそりゃあ重すぎだろ?持って行って半分こしようぜ」
















「―うん。いいよ」








「ああ?」






あまりの返事に拳を鳴らしていた男は拍子抜けする。






「ぶっひゃひゃっひゃ。こいつ、やっぱビビってんじゃねえのか?スカした顔してるくせによぉ~」








「…初めまして私はニド。あなたたちは――…ええと、うん」






ブツブツと呟きながらニドは顔を隠すローブからゆっくりと頭を曝け出す。






「なんだ?小娘か?」






「女ねぇ」






「へえ、こりゃあ揃いも揃っていいもん拾ったかもしんねぇなぁ」










「えっと、あなたたちの名前は要らない…って、その…」








(バッカおめえ!そこまで言わなくていいんだよ)






魔剣は無い冷や汗をかく








!?






そんな某ヤンキー漫画のような演出を織り交ぜて


ニドの言葉に一瞬呆気に取られながらも、ガタイムキムキはビキビキと青筋を立て「スゥーオラァ、アークソ」と呟く。






「…てめぇ。ガキの癖に舐めた事いうじゃねえか?オ?アァ?」






「おいおいおいおいおい。まぁ待てって。ガキの言葉にいちいちトサカに来なくてもいいじゃねえか」










「ええと…その。どうぞ」








と、ニドはそのままローブから曝け出した魔剣の柄を男らの前に差し出す。






「ほ、ほら。な?意外と素直なガキなんだよ。きっと言葉の使い方間違えたんだよぉ。ロクでもねえ親だよなぁホント


それに見ろよ…端から見てもわかるぜ?柄の部分の装飾よぉ。ここら辺じゃあ見ない色合いしてる。俺たちも知らねえ鉱石使ってんだよこれ


…もしかしたら上物のブツかもしれねえぜ?なあ嬢ちゃん、それ何処で拾ったんだ?」






「ヴァ…ヴァルムヘイラ」






「ああ?あんな死体置き場にまだこんな良いもん隠れてやがんのか。オラァ」






「はは、そりゃあいい。あの場所も捨てたもんじゃねえなあ」






「またあそこ行ってみる?他にもあるかもしれねえなあ」






男の一人。ガタイムキムキが差し出された魔剣の柄に手を伸ばし、掴む








「今回は多めに見てやる。てめえも今後はオレ様への言葉の使い方にキヲツケ――」












一人の男が魔剣の柄を握り締めた、瞬間。










「はっ…あがっ―!?」








男は目を見開き、胸を抑えながら膝をつく


その顔は血の気が引くように青ざめ、口から泡を吹かせている。




やがて、その場でバタバタとのたうち回ったあとにビクンと身体を跳ねて




それ以上動く事はなかった。






「ラフ!?ラフ!?どうしたんだよ…!!おい!?返事をしろよ!?」






もうひとりの男がラフと呼ばれたそれを大きく揺すっても返事ひとつ帰ってこなかった。


そして狼狽する彼の脇でもうひとりの小柄な男は何かを察したのか。すぐラフの胸に耳を当てて状況を理解する。








「…おい、こいつ…死んでるぞ?」






「なに?なんだって?」






「―いいから逃げるんだよ!こいつ、ヤベエぞ!!」






「う、うわぁあああああああああああああああああああああああああ」






男二人は、死んだガタイムキムキに構う事なく


揃って大声で叫びながら背を向けて走り去る。






『おーおー。ヴァルムヘイラの獣たちと一緒じゃねえか。いくら徒党組んでも、


誰かが死んじまえば咄嗟に自分の危機を察知して逃げる。褒めてやるよ。いいセンスだ』






魔剣は二人の男が裏通りの奥で小さな点になるまで走り去る姿を眺めながらそう言うと、死んだ男を見下ろす






『それに引き換え、お前は残念だったなぁ。ムキムキが自慢なら、もっと良い選択肢あっただろうよ。


ニド、覚えておけよぉ。自分に自身がついた奴の中には時折、足元も見ずに空を飛んでいるつもりになっちゃうインカディボもいるからさぁ』






「イ、ンカディボ?」






『鳥さんさ。しかも羽がある癖に飛ぶことも出来ない可哀想な奴さ』






「インカディボは可哀想なの?」






『…さあなあ。俺はそう思っただけさ』






「??」






『もう、いいからいくぞニド』と彼女を裏通りの奥へと再び歩かせる。






結局ニドと魔剣はそのまま足元の死体を放っておいたまま歩き出す。


そして、周囲の薄暗い雲をかぶったようなすれ違う人々もそれを一瞥するだけでただ通り過ぎるだけ






この道は、この場所は“そういう場所”なんだと嫌でも理解してしまう様子に違いなかった。


歩きながら周囲を見渡すと、そこらへんには先ほどの三人組のような貧相な連中がゴロゴロと転がっていた。文字通り






『ああニド、初めての街でお前さんとのデートがこんな酸っぱ臭い場所になるなんて。なんて教育に悪い。申し訳ないなぁ』






「でも、あなたと会った場所もこんな感じだったよジャバー」






『そらそうか!!なら関係ねーな!!!アーッハッハッハッハ!ウヘッ、ゲホッゴホッ』






咽る魔剣。






そんなくだらないやりとりをしながら歩き続けているとニドはふと足を止めて


左側の遠くに見える表通りを目にする。






「…」






『ん?どうした?ニド』






「一緒」






『いっしょ?そうさな!俺とお前は一蓮托生!これからはずっと一緒にやっていくんだぜ!』






「違う」






『なんだぁ?お前からの無機質な声での愛の告白なんかと思ったけどな』






「ううん。あの時と一緒なんだって。デリオさんの家の窓から見ている景色と」






表通りで歩く子供たち。


手を引かれながら親の袖をひっぱり子猫のように鳴いて笑っている。




すれ違う子供二人はお互いに顔を合わせて笑いながら話している。




そんな様子を彼女は、その光すら返す事の無い鈍い紫紺の瞳でジッと見つめていた。




それを一つの景色として眺めて、彼女がなにを思うかは定かじゃない…当の本人でさえも


もらったばかりのニドという心は、彼女にとって白紙に線を描き始めたばかりのものと変わらない。








『一緒さ』






「え?」






『お前も、あいつらと一緒なんだよ。本質は何も変わっちゃあいない。殺さないでくれと諭す人間の顔。


こんにちはを言える人間の口、ありがとうを伝えようとする人間の心。本来人間が普通に生きる為の大事なものを、お前は全部持っているんだ』






『ちょっと違うのは』と付け足すように魔剣は言う。






『人を殺そうと思えた業と、俺と出会った運命という囁かなスパイスがあったにすぎないのさ』










―再び歩き出して暫く。






ニドはそこで脇から微かに小さな声で呼ばれた気がした。






「そこの…」






「…?」






『なんだぁ?』






ニドは紫紺の瞳を目の端へとずらし、その弱々しい声の方へと見下ろす。






「私をよんだ?」






「…おお、私の声に振り向いたのがまさかお主のような少女だとはな」






その声の主の男は通りの隅で影に座りながら「ふう」と小さく嘆息する。


その姿はあまりにも貧相な姿で、ニドが羽織るよりもボロボロになったローブで素顔を覆いながら


ニドの姿を見た途端にすぐさま俯いた。






「忘れてくれ。お主に何ができるわけでもない…声をかけて済まなかった」






(なんだ?物乞いか?)






「私にはもう何もない。…だが、せめて最後にこの言葉を聞いて欲しい。お主の記憶にだけでも残ればそれでいい」






「はじめまして。私はニド。あなたは?」






「名前などとうに捨てた。残ったのは業火が残していった灰のみ」






「灰?」






「そう。人もやがて灰になっていく。どれほどまでに栄光の光を背負ったとしても。それは単なる記憶としてしか残らない


そして、そんな記憶さえ失われた私には。価値など無い。全てを時が、時代が隅に追いやっていくのだ…」






「うん」






「ありがとう。話を聞いてくれて。こんな灰の囁きを耳にするのがお主のような未来ある子供でよかった。ニド」






「こちらこそ。話をしてくれてありがとう。私の事をニドと言ってくれてありがとう」






「…これだけは言わせてくれ。アニムス国王は最期まで民を愛していた。と」






(―アニムス王国…?)






「うん、覚えるね。ありがとう。教えてくれて…」






すると、ニドはふと黙り込み。


暫く何かを考えた後に、懐から昨晩老爺から貰った金貨を一枚取り出して座る男の足元にそれをそっと置いた。






「…それは?」






「昨日私はありがとうと一緒に飴を貰った。ありがとうはとても甘いものだって思った。


本当はあなたにも甘いをあげたかった。でも私はもう飴を持っていない」






(全部喰ったからな)






「これしかないけど…ありがとうをあげたかった」






「…」






「初めての“ありがとうをあげる”を、あなたにあげてみたかった」






「…そうか」






「さようなら」






ニドはそのまま去ろうとする。






「待ちなさい」






「?」






「君はきっと、不器用な子だ。だからもう一つ覚えて欲しい。さようならの時は、こうやって」






男はよろよろと差し出した手を振った






「相手に見せてあげるといい」








ニドはそれを見て、そっと自分の手を出して見つめると


男の方へと向けて小さく振った






「ありがとう、さようなら―」






ニドは男に別れを告げていよいよその場を後にした。






『…俺は構わないが。いいのか?数少ない金貨を渡して』






「五枚もあるのに?」






『“五枚もある”か。まあ、それも悪かねえ』






(まあ、金貨が4枚ありゃあ服の一つぐらいは安物でも買えるだろうしな)






やがて、再び歩き出して暫くした所で、魔剣は『ん』と小さく声をだした


ルビーの水晶から覗いた視線の先には物々しい雰囲気のする建物があった。


扉の両脇には、ピクリとも動かない鎧が長柄を携え守るように立っている。






(いや、いかにもって感じかよ)






『ニド。俺は見つけたぞ。ああ、見つけた。運命のアンテナがビンビンビーンって閃いてときめいていやがる』






「そうなの?」






『ああ、ひとまずはここで色々と身支度を済ませよう。その格好じゃあいつまでも日の下を歩けないだろ?


俺がしっかりと教えてやるよ。お前さんはもう、窓の内側でボロっきれ纏って眺めているだけの人間じゃねえって事をな』






「うん」






ニドは魔剣に言われるがまま、両脇の鎧を気にしながら扉の前に近づく。






『ああ、安心しろ。それには中身が入ってねえさ』






「誰もいないの?」






『お飾りだよ。こんなのが本当に動いてジッとずっと構えてたら、中身も外側から観る客連中もたまったもんじゃねえさ』






ニドはそのままそっとドアノブを手に取り引く






チリーンチリーン






扉が開くと同時に上にぶら下がっていた鈴が大きく揺れて来客の知らせを音で伝える。






『チリーンチッチロチーン』






「ぐふっ」






(…何その笑い方)






ニドはそのまま奥へ入ると周囲を見渡した。


入口すぐそばには、外にあったような鎧が両脇にまたひとつずつ飾られていた。


そしてそこから壁に立てかけるように幾つもの剣、槍、槌が綺麗に並べられている。




どうやらここは武器屋で間違いないようだ。






「んあ?いらっしゃい」






無愛想で無精ひげの男が奥で頬杖をついてそう言う。言うだけでそれ以上は何も言わない。


しかし、ニドはその接客の意図が理解出来ぬまま


てとてとと奥の無精ひげの男がいるカウンター前まで近づき






「はじめまして、私はニド」






(あ、やっぱするんだね。そうだよね)






そう挨拶をする。






「んあ?おお…ん?女の子?」






武器屋の男はその挨拶に面食らった顔をしてすぐに、その相手が小さな少女だと気づいて更に面食らう。


そしてすぐさまカウンターから立ち上がって前に出るとすぐさま彼女の頭の高さに合わせるようにしゃがみ込む






「嬢ちゃん。来る場所間違えてねーか?ここは泣く子も黙るカラオンの武器屋だぞ?お前さんのような子がくる場所じゃ―」






男はそう言いかけて口を噤んだ。


いろんな客を相手にしてきたからだろうか。


そのボロボロのフードの下から彼は血の匂いを感じ取った。






「…ちょっと、失礼するぞ?」






「あっ」






男は一つ言葉を添えて、彼女のローブを掴むと


それを静かに取り上げた。






「……?」






「お前さん…」






彼は三度面食らった。


簡素でボロボロの服に残った血のシミ。


手に抱えているニドの身長を超える長さの魔剣。


そして肌になぞったような幾つもの縫い跡。




その姿を見てしまえば、誰だってニドが普通の子供として送る日々を送ったものでないと容易に想像できる。






「…嬢ちゃん、何があった?」






彼は物々しい雰囲気でニドの両肩を掴んで問う。






「え、と…」






(さて、どうするか)






魔剣は考えていた。ここで、何かを察せられれば厄介になる。面倒な事になってしまう。


もしそうなるような一端を見てしまった時には




どう穏便に殺すべきかと。






(だが、俺もそこまでサイコ面に顔パスしているわけじゃねえ。そんな狂人ムーブはスマートじゃねえ。一先ずは様子見か)






肩を掴まれ揺れるニドは戸惑いながらも魔剣の方に目配せをする。


魔剣はそっとニドに耳打ちをして






(とりあえず、その金貨を全部見せて服がねえか聞いてみろニド)






「う、うん」






「え?なんだって?」






「あの。これ、お洋服…ください…」






ニドはそっと懐から金貨の入った袋を取り出し


袋ごと武器屋の男に渡した。


受け取った男はそこから出てきた4枚の金貨を自分の手に乗せて目を大きく見開いた。






「ゲ…“ゲオルグ金貨”…!?」






男は嘘ではないか、偽物ではないかと目を見張り


その金貨を一枚指で摘んで表裏をまじまじと見つめた。






「…?」






(なん…だと?)






驚いている魔剣も実の所はわかっていない。






ゲオルグ金貨






裏には竜の、表には文字の羅列と共に剣を携えた騎士の、綿密な彫刻が施されていた金貨


それは彼の有名な竜を殺したとされる英雄の為に作られた、通常の金貨を遥かに凌ぐ


数百枚の限りのある最高峰の権威、価値を誇る金貨であった。


通常の人間が手にする事はおろか、お目にかかる事でさえもままならない程の至高の一品。


一枚あれば家のひとつは簡単に買える程だ。


これを持つ者は大抵


厄災を退き国を救った名誉高き英雄か、その遺産を受け継いだ家系だけだった。


当然、そのような価値ある一品に偽物も作ろうとする者も存在するが


目利きのマニアはその表に刻まれた不規則な文字の羅列で本物かどうかがわかってしまう。






そして、この武器屋の男にはその価値がわかっていた。






「…はぁ、長く武器屋を営む甲斐があったってもんだよ。ありがとうな嬢ちゃん。良いもん見れてよかった」






「え、えと?」






「こんなドえらい金貨持っているお前さんがタダ者で無い事はわかったさ。まさか、こんな小さな少女がねえ…


そのロングソード。まるで御伽噺に出てくる七番目の英雄、“ドール=チャリオット”を実際にお目に掛かった気分だよ。


だがそんなに見せびらかすもんじゃないぞ。さ、仕舞いなさい」






ゲオルグ金貨を見た途端に饒舌になる武器屋の男はそのまま金貨を袋に戻してニドに返す。






「あの…」






「まさか、本物のゲオルグ金貨を拝める日が来るなんてなぁ。いい酒の肴になるってもんよ」






「ええと」






「ん?そういえば、お嬢ちゃん。ここには何の用で?」






「あの、洋服を…下さい。これで」






ニドはもう一度、その金貨の入った袋をそのまま差し出した。










「…………………………………………………………………………………………………………え、マジ?」










武器屋の男は、ニドの言葉をそのまま鵜呑みに出来ずに呆然と立っている。


しかし、すぐに顔面を大きく左右に振って我に返り


武器屋内の周囲を見渡す。右見て、左見て、誰もいない事を確認した後に。






「嬢ちゃん。これが何なのかわかってるのか?」






「ええと、お金?」






「そうだ、しかもすごいやばい金だ」






(語彙力ねえっ)






「俺だって一応、商人のはしくれだ。そんな一品を受け取って賄える品物はウチにはねえ…


釣り合わんもんを出したらそれこそ、ご先祖様のバチが当たっちまう」






「でも、私には…これしか無くて…」






困ったように俯くニド。


彼女の様子を見て流石に見兼ねたのか男も無精ひげをジリジリと撫でて「ううむ」と唸り






「そうだ」






とカウンターの方へと入って天井に頭を向けて






「おい!!ニナ!!ニナ!!!いつまで寝てるんだよ!!今すぐ降りてこい!!!」






と、大声で叫んで誰かを読んでいた。






「うーーーーーーーーーっさい!聞こえているし!起きてる!!なんだよ!馬鹿親父!!」






上からドタドタと忙しない音を立てながらそんな返事が返ってくる。






「お嬢ちゃん。ちょっと待っててな。あんたにうってつけの奴呼んで来るからよ」






「う、うん」






「――で、何の用?」






赤い髪を後ろに結ってある眼鏡の女性がカウンターの奥から現れて不機嫌そうにそう言った。






「おう、紹介するぜ。うちの自慢の娘。未来の仕立て屋のニナだ」






「未来は余計だっつーの」






「だって、未だに客をもった事ねえし、そもそも未だに仕立て屋の免許もってねーんだろ?」






「うっさい!アタシはあんなくだらない筆記試験よりもジツリキでテッペン目指すんだよ!」






「と、いうわけだ。嬢ちゃん。今からこいつがお前さんの洋服を仕立ててくれっから」






「は?アタシはまだやるなんて一言もいって…え?お客さん?」






「そうだ、ニナ。お前の仕立て屋としての初めての客を取って来たぞ」






と、男はニドの方へと視線を向ける。


ニナはそれを目で追ってカウンター越しに見下ろした先のニドを目にする。






「え…お…おん?」






「初めまして、私はニド。こんにちはニナ」








「おんなのこだぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」








ニナは父親を殴るようにどかして、カウンターを飛び越えて


ニドの方へと飛び込むように近づいた。






「いいわ、いいわぁ!まさか、記念すべきお客様の第一号がこんな小さな女の子だなんて!!あんた名前は?」






「ニド」






「何処の出身?」






「あ、えと…クロエディア」






(…クロエディア…だと?)








「へぇー。あそこには金髪で青い目の人が多いって聞くけど。黒髪で紫紺の瞳なんて珍しいわね。移民の家系なのかしら?」






「えと、わからない…」






「…まぁ、そんな事はどうでもいいか」






(聞いておいてそれかよ)






シャーッ




シャーッ




シャーッ






「私、あなたみたいな子の服を仕立てるのが夢だったのよー!特にかわいい女の子のねえ!!!」






ニナは懐から取り出した巻尺でニドの周囲を素早い動きで彼女の寸法を測定し始める。






「かわいい?」






「ええ。確かに、今のあなたは髪もボサボサで不愛想。けれども私には見える。見えるゾ!!その内に秘めた最高の素質を!!」






「わりいな、嬢ちゃん。こいつ、こうなるともう抑えが効かねえんだ。そのせいで子供にも怖がられてよ。見ろよ。すんげえ目が血走ってるだろ自分の娘とはいえ、あれは人を殺す目だよ。犯罪者だよ」






「失礼なっっ!!」と眼鏡の奥から野獣のような視線で自身の父親をにらみつけるニナ。


暫くして、寸法を測り終えたニナが自身の父親にメモ紙を投げつけるように渡す。






「いい、いいわね。インスピレーションが溢れていくわ!すぐに吐き出さないと私の内側で超濃縮爆滅衝撃破が発動してしまう」






(物騒かよ)






「親父、そのメモ。材料が足りないから俊足マストでそれ買ってきて」






「待てやおい。こっちはまだ営業時間なんだよ」






「ハナクソしか売ってない店なんてすぐ畳んじまえ」






「おま!てめえ!!言っていい事と悪い事があんだぞ!!ハナクソってなんだコラ!!あっ、おい!待て!!ニナ!!」






ニナは追うように返す父親の言葉を気にも留めずすぐさま上の階へと昇っていく。


現れた途端から終始嵐のような女であったが、扉が閉まる音と同時に打って変わって周囲は静まり返る。


それほどまでの集中力を携えているのだろう。




しかし、一瞬聞こえる「ンフォーウ」という言葉を聞いてそれも疑わしくなってくる。






「ったくよぉ。しゃーねえなあ」






男はため息をついてブツブツと文句を言いながら店の外に出て、扉にぶら下げて掛けてある“営業中”の看板をひっくり返して“閉店”にする。








「しょうがねえ。今回は特別なお客さんだ。嬢ちゃん。俺は少しばかり出かけて来る、申し訳ねえが


ここで暫くゆっくりしてってくれや」






「うん」






「そうだな」と男は付け足す。






「―嬢ちゃんの事情には踏み込むつもりは無いが、そんなナリじゃあ不便だろ。特にその血の匂いだ。カウンターの奥に下に降りる階段がある。その先は風呂場だからそこで洗い流してくるといい。勝手がわからねえなら馬鹿娘にでも聞いてくれ」






「わかった。ありがとう、あの―」






「カーニーだ。俺の名前な」






「ありがとう、カーニー」






「んじゃ行ってくる」とカーニーはそのままメモ用紙を握りしめながらその場を後にする。










扉が閉まり、シンと静まり返る中で


魔剣は『ぷはっ』と、ようやく息が出来たと言わんばかりに声を漏らし始める。






『まっさか、この俺がツッコミ役にまわるなんて思いもしなかったワケよ。言う事は心の中でだけどさ。にしても


どいつもこいつもキャラ濃すぎんだろ。俺のターンなくなっちまうよ!そりゃあ、剣が喋るなんて物珍しい事したら目立っちまうからあえて、あ・え・て控えているけどさあ!!』






「ジャバ―」






『どうしたんだ?ニド』






ニドは自身の胸に手を置いて虚をジッと見つめている。






「今日は、いっぱいの人とおじゃべりが出来た。いっぱいの人の名前を知れた」






胸に置いた手が徐々に自分自身の心を掴んで取り出したいかのように


自身の服を絞るように鷲掴みする。


その時のニドの表情を魔剣は見つめる。




かなしいのか、うれしいのか、それとも驚いているのか


そんな定まらないギクシャクとした表情は






昨晩にデリオを刺し殺した時に見せた時の顔と一緒だった。






(“いっぱいの人”か)






『―そうかい』






「ありがとう、ジャバー」
















―ありがとうね
















まだ出会って間もない筈なのに


魔剣はいつも聞いてる筈なのに




ニドの呟くその言葉に、刹那にどこか懐かしい気持ちを思い出していた。

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彼女の魔剣は今日もくだらないことを語る 帽子屋 @vo-sya

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