第2話サンドウィッチの具はこうしてつくられた

『お前が剣を抜く姿はそれはそれは勇ましい姿だったんだぜ?絵にするにゃあ表情に彩にもの足りなさあったけどな』






「はい」






『でもさ、それの何が悲しいのかねぇ。お天天様はさ』






「はい」






『…まぁ、とりあえずここでいいか』






暗い暗い闇の中だった。ニドが魔剣を抜いた途端の事である。


それまでは雲ひとつ無く、月が孤独を紛らわすように光を照らしていたのにも関わらず


急に出遅れたといわんばかりに重い黒雲が足早にあら荒れて、粗相をしたかのように雨を降り注ぎ始めたのだ。


そこでぶつぶつと魔剣は文句を垂れながら


パチャパチャと振り続ける雨の中を少女に抱かれて


この陰鬱なひと時を凌げる場所をようやく見つけた。


死体の山をてくてくとくぐり抜け、ごちゃごちゃと鎧や盾が一箇所に山積みに集められた場所。




その下には丁度、小さな少女と魔剣が入り込むぐらいの隙間があった。






ニドはその隙間を這って入り込むと、外にでたままの魔の柄を握り締めて


引きずり込んで、そのまま一緒に入っていく。






『せんまっ』






「はい」






『せまい。せまいぜ。まるで、サンドイッチの具になった気分だよなぁニド』






「…サンドイッチ?」






『知らないのか?パンとパンの間に、食べたいもんを今のおれらみたいにギュウギュウに挟んで一緒に食べるやつさ


大抵はハムにレタス、それにマスタードとバターを混ぜた奴を入れるんだよ』






「ハムは知ってる。デリオさんが毎晩、いつもお皿に切ってから寄越せって言ってる」






『なんだ?そのデリチロリンポッポーみたいな名前の奴は』






「くっ」






『ん?どうした?』






ニドは一瞬、一度だけ、身体を小刻みに揺らした。相変わらずの能面で。






「わからない。でも、あなたのその言葉が、ちょっと…くすぐったかった」






『…』






「…」






静寂の中で、雨だけがしとしとと音を鳴らし続けている。


彼女の長くボサボサの黒髪もすっかり雨に濡らされて重々しくへたりこんでいる。


その隙間で雫が、時折髪の毛を滑り台代わりにしてポタポタと落ちている。






『デリチロリンポッポー』






「くっ」






『チンチロリンポッピー』






「…」






『…』






「…くっ」






『ふはっ、お前。そんなナリをしててもやっぱガキなんだなぁ』






「…はい」






何故か落ち込んだような声色で返事をするニド。






『“はい”はもういいさ。なんか、聞いているこっちもピシッとしてしまうよ。これからは、返事の時も相づちも“うん”って言えばいいさ』






「はい」






『ダウトォ~。チンチロリン~』






「くっ、あ、は…うん」






『なんか一生懸命直そうとしているようだけど、その台詞。そこだけ文章にして切り抜いたらなんかセンシティブになりそう』






「セ、ン…し?」






『いいや、こっちの話です。忘れてください』






「う、うん」






『それにしても雨ってのは相変わらず好きになれねぇなぁ。なんつーか、テンションが縮こまっちまうよ』






「雨は嫌い?」






『嫌いだねぇ。ああ嫌いだ。悲しくないのに、いつも泣いてる気分になる。誰かが泣いている気分にもなる。自分がどんなに幸せな気分でいようと


ずぶ濡れになって全部台無しになっちまう。それをザンチャザンチャとお祭り騒ぎで俺たちを巻き込む。そんなお天天は神様の次に嫌いだね。


いんや、今は神様よりも嫌いさ』






「神様も嫌いなの?」






『おお、大嫌いだね。理由は聞かないでくれよ?いったままを紙に書いたら分厚い魔導書が10冊も出来ちまう』






「すごいね。本屋さんになれるよ」






『ち・が・う・んだなぁ~。本屋さんは本を売るだけの案山子でも出来る奴の事さ。本を作る人とはまた別なのさ』






「そうなんだ」






『そうだぜぇ。本を作るってのはまた、そりゃあ大変な事さ。頭の中にあるゼリーみたいな部分から一生懸命に見えない汁を絞りだして作られるんだぜ。それを妖精さんたちがいそいそと拾って森に持ち帰るんだ。そこにある魔法の工房で何時間も掛けて作るんだぜ?』






「ジャバーは何でも知ってるんだね」






『そうだぜぇ。なんでも知ってるから、嘘もつけるんだぜ?』






「ジャバーは嘘つきなの?」






『…そうだなぁ。どいつもこいつも、最期には俺の事を嘘つきと言っていたな。本当の事を言ってもそいつにとっての本当の事じゃなければ。んん~、どうしてか嘘つきになっちまう。そうなっちまえば文字通り、俺は手も足も出せないまま唾だけ吐かれてオシマイだ…』






「ジャバー?」






『…なぁ、ニド。お前はどうしてこんな場所に…居たんだ?』






魔剣はあえて捨てられたとは言わなかった。


その言葉ひとつで、人は唐突に心を壊される時だってある。






「わからない。私はいつものようにデリオさんの晩ご飯を用意しただけだった。でも、デリオさんは急に怒って私を叩いた。


言われたことをいつものようにしただけなのに、“なんで言われたことをいつも出来ないんだ”って言われた」






『へぇ。そんで?』






「“お前はやっぱりあの子とは違う”って言われた。そして気づいたらここにいた」






俯くニド。その表情からは悲しいという感情は読み取れなかった。


否、読み取れないのでは無い。“悲しいを理解出来ていない”のだ。




理不尽を理解できていない。


己の不幸を知らない。


自分が何者かを考えた事もないからだ。




だから彼女自身が相手にどう返すのかも解らないのだ。






「…っくし!」






『どぅわおおお!?』






「ごめんなさい」






『んだよ、クシャミかよ。風引いたか?そりゃあずぶ濡れのまま…こんな狭いとこにいりゃあそうなるわな』






「少しだけさむい」






『あーはいはいお任せ下さい、お嬢様。そんな時の俺。そんな時の魔剣だ』






魔剣は『あー、あー、ん゛う、ん゛ん゛、ん゛』と喉を鳴らし始めると、




『ニギノア・ルオ・フレベラ』と呟く。すると、ニドの体を橙色の光が包み込んでいく。






「…あったかい」






『そうだろ?俺特製のまじないだ。ありがたく思えよ』






「うん。ありがとう、ジャバ―…」






ニドはうとうとと首を揺らしながら、微かに目尻に涙を溜めた瞳をゆっくりと閉じていく。






『…きっと、お前には夢なんてものは無いんだろう。だけど今晩だけは、いい夢みれるといいな』






狭い狭い空間の中で。魔剣は少女の眠る姿を静かに眺める。その身体に這うように縫われた跡が何度も視界に入る。煩わしいくらいに。






(試作型、蘇生術式、聖女併合型、第二被検体…ねぇ)






彼は彼女の縫い跡に沿うように刻まれた魔術刻印に目を向ける。








『…へえ』








魔剣から視える彼女の中の小さな魂。


最初見たときは本当に弱々しく消えそうな灯火であった。




しかし、その灯火は


少しずつではありながら、大きくなっている気がした。












―夜が明ける。


日が昇れば、どんな場所でもチッチと小鳥が囀る。


どうやら雨もすっかり晴れたようだ。






『んー。いいねぇ。明るい明るい。どうもお日様こんにちは』






「こんにちは」






ニドと魔剣は隙間から出ると、そう言いながら辺りを見回した。






『しっかし、朝一番になってもここはしみったれた場所だなぁ』






「ここ、村から少し離れた場所。前はただの平地だった。でも何年か前から戦争があって、死んだ人を全部ここに集めてる」






『…成る程な。で、お前さんの村はどっちに向かえば行けるんだ?』






「あっち」






ニドはそっと無表情で指を差す。






『んじゃあ行こうか』






「…いいの?」






『どうしてだ?』






「私は、多分捨てられた。もう、村に戻っても…」






『いんや、用があるのは俺のほうさ』






「ジャバーが?どうして?」






『そうだなぁ、歩きながらお話するか』






少女は魔剣を抱きかかえたままへたへたと足音を鳴らして村の方へと進む。




…どこか遠くで重い鐘の音が鳴り響く。




ゴーン、ゴーンと。その音色に少女は覚えがあった。だが、覚えているだけで見向きもしない。




ニドは魔剣を抱きしめたまま空を見上げる。


今日の朝は雲ひとつなく、晴天。青々と覆われた天幕は高ければ高い程に色濃くなっていき。不意に吸い込まれそうになる魅力を感じた。




…しかし、光を灯さない彼女の瞳には空色が映し出される事はなかった。




流れる風は機嫌がいいのか空の遠くに合わせて低い風音を響かせ、なすがままの塵を攫っていく。




残りゆくままの日に当てられた死体の山、ボロボロの武器や盾、そして鎧。


魔剣が見る景色からはそこに命の灯火のひとかけらも無く。彼は己の心に似た虚無感を拾ってしまう。




多少の違いは、それらを山積みにして寄せる事で出来た人為的な道。


どうやら、ここはニドのように捨てられた少女の他に用がある人間はいるようだ…






「―やくさい?」






歩きながらニドは魔剣の言った単語をオウム返しする。






『そうさ厄災だ。心ある者は大抵みんな、より良い人で在りたいと思う。その度に、いろんなものを捨てなくちゃならない。記憶、感情、欲望、意思、命、なんでもさ。それらは誰かのだろうと、大切なものだろうとお構いなしに捨ててしまうもんだ』






「どこに捨てるの?」






『“見えないところ”さ。でもそれがどんどん膨らんでいくと、この世に爪痕として残ってしまう。それが厄災さ。そうさな、とびきり有名なのはドラゴンかねぇ。ドラゴンは空を飛べる。火も吐ける。角を伸ばして見せつけたり出来る。何よりも人を食べれる。奴らは人間が嫌と思うもの全部をやってくれる。そうやって程度を弁えずに捨てたものが自ずと捨てた奴らに“帰って”くる。己を喰らう形でな』






「なんで人はそんな事をするの?なんで良い人で在りたいと思うの?」






『お前と一緒さ。そうである方が居心地がいいんだよ。そうしないと人間は“天”に行けないからさ。全部神様がそういう風にしたのさ。神様ってのはそうやって人を天へと向かわせたいんだ』






「…どうして神様は人を―」






『人じゃない。“人間”だ』






「え?」






『お前さんは、あそこで大きな口を開けて死んでいる人間が誰だか解るかい?』






「わからない」






『お前さんが今歩いている足元の蟻のひとつひとつが名前を持っている事を知っているかい?』






「知らない」






『この転がってきた石コロの声は聞こえるかい?』






「聞こえない」






『当然さ。そりゃあ神様も一緒さね。神様は人に対して、今のニドのような、そういう目線でしか人を感じ取る事が出来ない。人が悲しむ事を知っていても理由を知る事も、共感する事もできない。最悪の場合、理解すらできないのだろうよ。だから俺たちの事は人間っていう些細な集合体でしか認識出来ない。それでも、人間を昇華させようとしている。ようは神様は結局は個人に対して憂いてる事は無い。世界に刻まれたサマを眺めて憂いてるだけなのさ』






「どうして、そんな事をするのかわからない」






『さぁな。それこそ神のみぞ知るって話じゃないか?つか、自分でも何してるのかわかってねーのかもなぁ。結局神様ってもんは、大雑把で気まぐれに“お願い事”を耳にしたら、気分が乗った時だけほいほいと与える事しか出来ない無能なのさ。その点で言えば、悪魔ってのは有能だ。人間のように利己的で、ちゃーんと個人に対して徹底したサービスを提供しているんだからな』






「…でも、ジャバー。そのよくわかんない話が、どうして村に戻るのと関係あるの?」






『それはヤクシャに関係している』






「やくしゃ?」






『とある賢者の話しさ。人は常に階段を上り続ける』






自身が何者であるか。




自身が何者であるか故に立ち止まる先には常に扉がある。




そして、そこには門番が常に待ち構える。




そいつは人が人間であるが為の厄災を常に担い、演じている。






存在者には差異を




接続者には離別を




調停者には戦争を




有識者には永遠を




超越者には選択を






そのヤクシャを全て喰らいし者。それ即ち天の頂きを得る者。






『俺はどう足掻こうと魔剣だ。魔剣でしか無い。こんなくだらない口を持っていたとしても、残酷な情景を楽しめたとしても、俺は俺にとっての望みを持ち合わせてはいないのさ』






魔剣は少し寂しそうな声でそう言った。








『だから、お前の望みを叶える為に俺は存在した。その意味をこれから教えるのさ』








「私にはジャバーの言っている事は、ほとんどわからない。でも、わからないからもっと聞きたいって思う」








『…へっ。そうかよ』










…やがて歩き続け。平地の端へたどり着くと、相変わらず人気の無い場所でボロボロの看板が立てられている。










―ここは英雄たちの眠る地。“ヴァルムヘイラ”関係者以外の立ち入りを禁止する。








『へぇ、英雄たちの眠る地ね。はは、そりゃあいい。山のような死体を粗末に扱おうが、とりあえず英雄呼ばわりしときゃいいって話だろそういう大雑把な所は神様に似て寄って来てるよ。人間』






「私、聞いたことある。死んだ人はしっかりと焼いて処理しないと、腐ったまま歩く事もあるって―」






『ご心配には及ばないよ。こんな粗末な場所さ。死にゆく魂たちも怨念など知らん顔で死神へとホイホイついて行っちまってる。死神もここを完全にスポットとしてる。そうじゃなきゃ、お前と俺は出会ってないのさ』






「そうなんだ。…ありがとう。私とジャバーを出会わせてくれて」






ニドは静かに、ヴァルムヘイラへと祈るように瞑目した。










―それから、整地された並木通りをゆっくりと歩いていく。…今朝はまだ人気が無いようだ。






「もともと、この道を通る人はそんなに居ない。ヴァルムヘイラに用がある人なんて、あまり見た事がないの」






『そらそうだろ。屍人が拝める場所へ赴く足なんてネクロマンサーぐらいだろ。


もっとも、あんな魂がすっからかんな場所にやあ、奴らにとっても生産性のある場所とは思えないけどな』






「…この道を真っ直ぐ歩いてもうひとつの道とぶつかったら、また真っ直ぐいくの。ずっと真っ直ぐ。そうすれば私のいた村につく」






『村ねえ。なぁ、ニド。お前さんの村ってのは、どんな村なんだ?』






ニドは無表情で首を傾げる。






「わからない。もともと私もパパに連れてこられた。そこでデリオさんを世話するように言われて暮らしてた」






『…ん?お前が世話をされるんじゃなくて?』






「どうして?」






『あ~、いや。まぁ、そういう事もあるんだろうなぁ』






「…最初はデリオさんも優しかった。でも、間違える事が多くなる度に、怒る声が大きくなっていった。「なんでいつもみたいに言われた事が出来ないんだ」って、頬を叩かれる事もあった」






ニドは俯く。魔剣を抱き抱えながら、自身の頬に触れてみせる。






『本当にそれだけか?』






「…」






ニドは少し沈黙した後に口を開く。






「デリオさんは、自分をデリオさんって呼ばれる事をひどく嫌っていた。私の事も、知らない人の名前で呼んでいた。…それがわからなくて聞いてみたけど、何も答えてくれなかった。私にはわからない事が多くて、それでも間違えないようにする事しかできなかった」






『…』






「私はそれが知りたくて、外に居る人たちに聞いてみようとした。窓を覗くと外で遊ぶ子供たちがいたの。


だから外に出て挨拶だけしてみた。


でも、私を見た瞬間に…みんな私を怖がった。


気味悪がって逃げた。そして、石を投げられたり、罵声を浴びせられた」






ほんの微かに、ニドの声が震えているのがわかる。


わからないまま否定される事の辛さを彼女は理解できないまま受け止めてしまったのだろう。






「私はわからなくて、どうして?って聞いた。けど誰も答えてくれなかった。


そして、後から来たデリオさんにも大きな声で怒られた。「外に出るなとあれほど言っただろ」って、聞いてない話を言われた」






魔剣は黙って彼女の言葉を聞く。


彼は気づいたのだ。そうする事で…自分の事を語る事で、彼女の魂がどんどんと大きくなっている事に。






「わからない。ねぇ、ジャバー。どうしてなの?私は、何を間違えたのだろう。パパに言われた事、デリオさんに言われた事…全部、私にはわからない事が多すぎる。どうして私は―」






『知りたいか?』






「…」






ニドは黙って頷く。






『お前はもっと知らなくちゃいけない事がいっぱいある。俺にも知らなくちゃいけない事がある。解るのは…お前は一度、その村に戻って』










デリオと会う必要がある。










魔剣はいつものような陽陽とした声ではなく。静かに、ひどく重い声でニドに言った。




しかし、暫く黙って歩いていると、魔剣はすぐにいつものような声色で






『そんいやさー。お前、剣の使い方ってわかるの?』






「…わからない」






『そか、なら間違えたくないお前の為に、俺が簡単に教えるわ。ただ振るって「きる」って思えばいい。そうすれば後はどうとでもなるからよ』






「それは、これから必要な事なの?」






『ああ、そうさ。大事だ。とてもな―』








そう言っている間に、彼女は魔剣を抱き抱えたまま村にたどり着く。


彼女には馴染む景色のようで暫く入口前で立ち止まり、遠くで見える風車を眺めていた。








『随分と穏やかな町並…いや村並みか。老後にはもってこいだ。もっとも、俺ににゃあそんな必要はねえが…』






「…」






『ニド?』






「…」






ニドはそこから黙って動こうとしない。






(そうか、そうだよなぁ。やっぱこいつはまだ―)






『今、村に入るのはよそう。もうすこし暗くなってからがいいだろうよ。お前さんの話を聞くに


ここの村人はそこまで寛容じゃないみたいだしな』






「う、うん」






『そうさな。ちょっと外れの森で少し休憩でもしようか』






魔剣とニドは脇にある森の茂みにいそいそと入ると


木々がそのまま囲うような人気のない広場に出る。


そこでいい塩梅に大きな丸太が横たわっている場所を見つけるとニドは魔剣を横に立てかけて腰掛ける。






『俺、重くなかったか?』






「大丈夫。でも、少し疲れたかも」






『そうかい?なら、少しの間だけ眠っててもいいぞ。ここなら―』








すると、茂みの方からガサガサと物音がする。






『…ニド!俺の剣を握れ』






「う、うん」






ニドは魔剣の柄を抱きしめるように両手で握り締める。






『…』






「…」






「おや?また変な道に出てしまったかの?ここにどうやら人の気配があったとは思ったのじゃが…」






姿を見せたのはニドよりも一回り大きいだけのまん丸で黒いメガネを掛けた小さな老爺だった。


スンスンと鼻を鳴らして周囲を見渡している。




だが、そこには違和感を感じていた。


見渡し方が明らかに不自然なのだ。






右を見たり、左を見たりしているが


頭を上に向きながら頭を左右に揺らすだけ。




そして、そのまま前を進むにしてもコンコンと手に持つ杖で足元を叩きながらよたよたと歩いている。






(なんだ?盲のジジイなのか…?)






「ふむ、気配は感じるのだがのぉ…一人、いや二人か?」






(こいつ、ニドならまだしも俺の事まで…!?)






それだけじゃない。そのような隙だらけに見せつけている無防備さで


その実、まるで逆に襲わせる事を狙いとした姿勢。魔剣にはその手の手合いに覚えがあった。






「あの…」






『バッ…ニド!?』






「道に迷ったの?」






「んー。ん?その声は?クリス?」






「すみません。人違い。私の名前は試作型蘇生じゅ―」






『あー!!!!!おじい様!?どうしたんですかねぇ!!お取り込み中なのに、うちのニドが勝手に話し掛けてしまったみたいですね!


どうもうちのニドが道に迷っているのか心配で声を掛けてしまったみちゃいですね!うちのニドが!!!!ニドが!!!なあニド!!!』






魔剣は小さくニドに囁く。(間違えるな。お前の名前はニドだ。もうその名前じゃない)






「う、うん。ごめんなさい」






「…おお、そうか。こんな盲目ジジイを心配掛けてくれるなんてな。ありがとうよ」






老爺は盲目の為か、剣が声を発して喋っているという珍妙な事には気づいていないようだ。






『ところで。おじい様はどうしてこんな場所に?ここは村の脇にある森の中ですよ?』






「ああ、ここは森の中じゃったか…どうりで木々の風音が耳にざわつくと思ったわい」






教えてくれてありがとうよ。と改めて感謝をすると彼は懐から小さな金貨を5枚と飴の入った袋を取り出し差し出す。






(…害はなさそうだな?)






『ニド、受け取っておきな。こういうご好意は素直に受け取るもんさ』






「う、うん」






「ところでなんじゃが…。ここからどうすればカラオンへと迎えばいいか分かるかい?」






『カラオン…』






「カラオンだったら、この茂みを出たすぐの道を北に向かうといい。えと―」






「ああ、北だね。ありがとう」






「道まで手を引きます」






ニドはそっと老爺の手を掴み、大きな道へと案内する。






『おーい。俺を置いてくんかーい』






魔剣の声は遠く離れていき


ニドと老爺は茂みを抜け、村の前の大きな道へと出る。






「すまないねぇクリス」






「すいません。本当に人違いだと思います…私はニド」






「…ああ、すまない。耄碌ジジイの戯言だと思ってくれ。ニドや」






「この後は大丈夫ですか?」






「気にすることはない。ここからは風の音を辿って向かうさね」






ほっほっほ。と老爺は笑って北の方へと足を向けて歩き出そうとした途端歩みを止めて






「…あと、これはジジイからのお節介になるかもしれんが」






「?」






「“あれ”は早々に手放した方がいいぞ?」






ニドはその時は、老爺が言っている意味が理解できなかった。


だが、それ以上は何も言わずにニドはコツコツと足元を杖で叩きながら老爺はてくてくと歩き去っていく姿を見送り






「不思議な人。ありがとう」






と小さく囁いた。








『―おう、お帰りさん』






魔剣が帰ってきたニドの姿を見るやそう答えると、ニドは「うん」と答える。






『しっかし金貨ねぇ。こんな小さなもんが5枚とかシケた爺さんだよ。足りないからって飴ちゃんで誤魔化すしよ』






「飴…」






ニドは金貨をそっと腰掛ける丸太に並べて、袋の中を覗く。


中には赤、青、黄色等の色とりどりの丸い飴がコロコロと隠れている。


彼女はずっとそれを不思議そうに眺めていた。






『おまえ、飴も食った事ないのか?』






「うん」






『なら、それをひとつ口の中に入れてみい』






「え?入れるの?」






『そうさ、それは食べ物なんだからな』






わかった、と。ニドは袋の中に指を入れて小さな赤い飴を口に含める。






『どうだ―』






ガリッボリツゴリッゴリッガリガリガリ






『ちょっとまてオイイイイイイイイイイイイイイイイ!飴ちゃんはそうやって食べるもんじゃねえんだよぉおおおおおお』






「ふぇ?ふぇも、ふぁふぇるものふぁっふぇひゃふぁーが」






『言い方が悪かった。甘い甘いに驚いて欲しいサプライズ的なアレだったの!』






ゴクン






「硬いだけだった」






『ごめんな。俺が悪かったんだよな。そうなんだ。それはな、食べ物だけどすぐ噛むもんじゃないんだ。


噛まないでちゃんと舌の上で転がしながら舐めるんだよ。それが飴の食べ方だ』






「そうなんだ」






『はい、そうと解かればもう一回。テイク2、テイク2!!』






「う、うん」






ニドはそのままもう一度、今度は青い飴を取り出して口の中にいれる。






「…」






『どうだ?』






「甘い」






その淡白な感想に、魔剣は「ありゃ」と戸惑う。






『そんなに気に入らなかったか?』






ゴクン






「わからない、でももう一個―…」






『お前は割と自分の感情に素直じゃないってのだけは良くわかったよ。美味しかったんだよな?そうなんだよな?』




(てか、舐めて飲み込むの早くね?)






結局、ニドは中にある飴玉を全てたいらげ、空いた袋には代わりに老爺からもらった5枚の金貨を詰め込む事となった。








そんな下らないやりとりをしながら暫く他愛もない話をして時間を潰した。




魔剣はずっと下らない事を話す。


人間の喜劇、悲劇、愛憎劇、復讐劇


それらを人の愚かさだと面白おかしく話し続け


夕暮れになる頃にはニドもすっかりくたびれて眠ってしまっていた。










『…相変わらず、生きているかどうかわからない眠り方をするなぁ。いいさ、寝ろ寝ろ。寝る子は育つってね』






寝息を立てずに、お腹だけを小さく動かす少女を見て魔剣はそう呟く。


日が沈む時になると、どうしてか空が暗くなっていく様子はいつも以上に早く感じてしまう。




それは、何もできないままジッとする事しかできない魔剣にとっては不本意ながら幸いだっただろう。




村の方から微かに人々の声、井戸から水を汲む音、誰かの足音やらが乱雑に聞こえる。聞こえてしまう…


待つことに慣れていたとしても。ひとりごちに自身の内側と対話せざる負えない状況は、




本人にとって数百年経った今だとしても地獄に変わりないのだから。






「ん―」






『おう、起きたかニド』






「…うん」






『涎、垂れてるぞ。拭いとけよ』






ニドは魔剣に言われるまま、口から粗相したものを腕で拭う。






「…ジャバー」






『なんだ?』






「辛くなかった?」






『なんで、そう思う?』






「わからない」






『おいおい、いいか?今後の為にいうけどな。辛いかわからない奴に対して軽率に「辛い?」なんて事は言うもんじゃねえぞ


デリカシーが無いって思われちまうからな。俺でよかったな!なんせ俺はお前に対して元々デリカシーの欠片ほどさえも持っているなんて微塵も思っちゃあいねえからよ』






「うん、ありがとう。ジャバー」






『―もう、夜だ。時間だ』






「え?う、うん」






周囲は既に暗くなっており、夕暮れまで微かに聞こえていた村の生活音さえもなくなっている。


ニドは魔剣を抱きかかえて村へと向かうと


入口から見る村の様子は静寂そのもの。暗いものを照らすのは、不規則に並ぶ家の黄色い灯りだけとなっていた。






『これならもう、いいだろうよ。ニド―』






「…」






ニドは再び入口で立ち止まってしまう。動かない。


じっと村を見つめて動こうとしない。






『ニド。足を前にだせ』






「え?」






『なんで歩こうとしない?』






「その言葉に、ニドは自身の足元を見る。動かそうとしているのだろうか。


何かに抵抗されているのだろうか…足は小刻みに震えているだけで動かない」






『怖いのか?なぁ』






「わ、わからない…私は…足を…」






『ニド。俺がお前の名前を呼ぶ。だから返事をしろ』






「う、うん」






『ニド、前を歩け。進め』






「は…はい」






ニドの足はゆっくりと前に進み出す。彼女は自身の内側にある理解できないものに打ち勝つ為に




一歩いっぽと進み出す。






『そうだ。よく頑張った。お前は出来る子だ』






「…」






ニドはその言葉を聞いて、右目を抑え始める。








―…ス






―…そうだ、お前は………ね…










「っ!?」






『ニド…?』






ニドの突然の態度の変化に魔剣は彼女の名を呼ぶ。


しかし、刹那で少女と魔剣を覆う大きな影が降り注いだ。






魔剣はその覆う影の主を見上げる。








「お前、ク、クリス…?」








目の前にいる特徴すらも半端な中年の男。


彼は戸惑うようにその名を漏らし


しかし、すぐに口を噤んで一歩後ずさりする。






「なんで。まさか…帰ってきて…くれたのか?」






「はぁ…はぁ…」






ニドはその男を見る程に、呼吸を早め


一層に目を開いている。






(成る程な。こいつが―)






「ち…ちが…わた、わたわたわたわたわたしは、わわわわわわ…」






「いいや…それでもいい…クリス」






男は…急に魔剣を抱えるニドを上から抱きしめる。






「俺が間違っていた。間違っていたんだ!お前がクリスじゃないとしても。例え違う何かだったとしても


お前は俺にとってかけがえのない存在だ」






「デ、リオさん…」






「昨日…お前をヴァルムヘイラに捨てた事を本当に後悔していた。一人になってわかった…やはり、俺にはお前しかいないんだ…


だから本当は、今から探しに行こうとしていたんだ…俺は、俺には、クリスを捨てる事なんて出来やしなかった。そうしてしまったら、お前との日々も


全部無くなってしまいそうに感じたんだ」






デリオは涙を流して、より一層抱きしめた。






「だから、帰ってきてくれてありがとう…ありがとう…クリス」












“クリス”










「違う」












“クリス”




































―パパ




























「ち、がう…ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう!ちがう!!ちがう!!!ちがう!!!!!」








ニドはドンとデリオを拒絶するように手で押しのけた。


そのまま魔剣を手から落として、頭を強く抱えて内側で暴れる何かを否定し続ける。






「私は、わたしはわたしは…ちがう…クリス?クリスクリスクリスクリスクリスクリスクリス…」






「クリス?どうしたんだ…?一体―」












『ニド』










…下から聞こえた。


戸惑うデリオと、狼狽するニドの足元だ。








『ニド、大丈夫か?』






「ジ、ャバー…?」






『―ああ、デリオ。お前は良く気づいたよ。ニドの中に感じる“彼女”を捨てきれない想い。ああ、きっと愛娘だったのだろう?』






魔剣は気づいていた。


彼女がどんな経緯で造られたのかを


彼女が本来何の為に生まれてしまったのかを




その目を覆うような、体中に這い回る縫い跡。


そこに沿うように刻まれた魔術刻印。そこには、所々に






“クリス”




“クリス”




“クリス”




“クリス”




“クリス”






その名が幾つも刻まれていた。


その意味を、理由を知ってしまった。






『そんな愛娘の面影を否定してしまった愚かさに気づいたお前は偉い。偉いさ。きっと自分の過ちを認める事なんてのは相当、心に来るものがあったんだろうなぁ。大人ってのはいっぱいいーっぱい知っている人間だ。知りすぎて転ぶ事すら怖がってしまう人間さ。でも、お前はそれを甘んじて受け入れた。その勇気。とてもとても関心に値する』






「な、なんなんだ?お前…喋る…剣?」






デリオの困惑に構う事なくべらべらと喋る魔剣






『それはさながら、吐いた唾をなんとしてでも飲み込みたい。舐め拾ってでもいいからなかったことにしたい。そんな気分なんだろうよ』






「な、なにを?」






ニドは、べらべらと喋り続ける魔剣を握り締める。






『でもよぉ。それなら…仕方ねぇよなぁ―』






「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!?」






「く、クリ…―え?」






そこに聞いた少女の慟哭。


一瞬の出来事はデリオの理解を置いていく






「は?」






ズブリ






そんなにくにくしい音と共に魔剣の刀身は、男の腹部をいとも容易く縦に貫く。










『吐いて地面についちまった唾だ。舐め取って、お腹を壊したってそりゃあお前の責任だろうよ』










腹を貫かれているという事実を未だに受け入れられず、理解できないデリオは手を震わして見下ろす。






『ニド―』






差異。彼はニドという存在者にとっての最初の厄災だった。


誰かであるように強いられる、自分を否定される行為。


“クリス”という呪いは彼女がこれからも背負い続ける事になる厄災にほかならなかった。






故に魔剣は唆す。






『殺せ』






「あ…あが…クリス…どうし―」






『そいつを殺せ』






デリオの渇き、上擦った声を塗りつぶすように魔剣は言う。






「あああああああああああああがああああああがああああああああああああああっ」






デリオは目を剥いてニドを見つめる。口の端から血が零れ


腹部のあたりから滲み始めた血がどんどんと広がっていく。






『おー、おー。口から血を出せるんだ。なぁニド。こいつは口から血を出せるんだぜ?


なら声も、答えも簡単に出せるんじゃねえか?チャンスだぜ。聞いてみろよ』






唆す魔剣の言葉にニドは目を見開く。呼吸を荒くして、


奥歯の隙間から絞り出すように彼女は叫ぶ






「どうして…!?」






「いだい…いだい…いだいいだいいだいいだいいだいいだい…」






「私をどうしてニドと呼んでくれなかったの!?」






「いだい…クリス…」






『そりゃあ、お前をニドとして見てねえからだ』






「どうして何も教えてくれなかったの!?」






「あ…かはあっ」






『そりゃあ、ニドの言葉を聞きたくなかったからだ』






「どうして答えてくれなかったの!?」






『そりゃあ、ニドとお喋りをしたくなかったからだ』






「…どうして“クリス”を教えてくれなかったの!?」






『そりゃあ、お前をクリスとしてしか見てないからだ』






「どうして私を否定したの!?」






『そりゃあ、結局お前がクリスじゃねえからだ』






「どうして!!どうして!!!どうして!!!!!クリスクリスクリスクリスクリスクリスクリスクリスクリス


…そればっか!そればっか!!!」






『そりゃあ、お前がクリスで在って欲しいと願ったからだ。クリスとして接して欲しいからだ。


誰もがみな、お前をニドとは思ってない。お前の心なんて構っていない。だから憤る。だから悲しむ。だから排斥する。それでもクリスであろうと願いながら、お前に感じる“差異”に目をそらし続けた。お前の心も、魂も全て、お前が会ったことも無い知らない奴のモノにしたかった』






「違う!…私は違う!!」






ニドは今までに無い程に感情を爆発させていた。彼女の顔は“悲しい”と“怒り”と“疑問”と“虚無”をごちゃまぜにした


よくわからない表情を見せつけ否定する。目尻に涙を零しながら否定し続ける。






「私はクリスじゃない!クリスじゃない!!クリスなんかじゃない!!!」






『そうだよ!ニド!ニドニドニドニドニドニドニド!!お前はニドだよ!!ニドなんだよ!!俺のこの世界で見つけた、たった一人の存在。唯一の存在。ニドだ!ああ!だからこそ!それはお前にとっての厄災なんだ!!お前という存在に降りかかる“差異”という厄災だ!!』








だから殺せ!




今すぐ殺せ!!






殺して否定してみせろ!






誰かの為じゃない!






自分自身の為という意思を持って殺せ!!








魔剣は大きく、高らかにそう叫んだ。






「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」








ニドは渦巻いた感情に身を任せるように容赦なくデリオから剣を抜く。


彼は吹き出す鮮血と共に断末魔を響かせ、魔剣はその瞬間を待ってましたと『ヒュ~』と口笛を吹いた。






「いい、いいぜぇ。いっぱい血を浴びた!お前はデリオの血をいっぱい浴びたんだ!それは洗礼だ!!お前がお前であったという証を世界に知らしめ!世界に認めさせた洗礼なんだ!!素晴らしいぜ!ニド!!」








…デリオは膝をついて天を大きく仰ぐ、彼の瞳が舐めるように下を見下ろした途端


ゆっくりと血まみれのニドと魔剣を見下ろして、倒れる。






「あ、あ………クリス…ごめんよ」






そう言って、さいごの最期のまでニドを見る事なく。




事切れた。






「……………」






ニドは黙って、屍となったデリオを暫く見下ろしていた。






『良くやったな、ニド』






すると魔剣の刀身が、紫色に光を纏い始め、すぐにまた元に戻った。






『お前はこれで、正真正銘、本来在るべき人になった』






魔剣の言葉をニドは未だ理解出来ていなかった。


しかし、不思議と…自分の中にあった重々しい鎖が断ち切られ




後ろ髪を引くような重たい“何か”が引き剥がされたような感覚。








ニドは妙に肩が軽い気がしていた。










「…うん」










彼女はそれ以上何も答えなかった。


ただ、刹那に叫んだ自分。それがまるで自分ではないものと思いながらも、それを自分のものにしようと






暫くは、この光景を忘れまいと






その深い、紫紺の瞳に焼き付けていた。








『ああ、旅する者よ。人の道は何処か。右を向くか、左を向くか。否、瞳の先に在るもの全てに、進む道があると知れ』






魔剣はそうやって。今も下らない事を喋っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る