(5)
アンルルングは説明してくれる。ダダイ氏が受け取った深紅の封筒……これは冥婚――死者が結婚するための儀式の一種だと。
アンルルングは、写真にうつっている女性は既に亡くなっており、そして未婚のままはかなくなったのだろうと言った。
「……私はまだ生きているのだが」
「冥婚にも様々な形態がある。死者同士を結婚させるものもあれば、死者と生者を結婚させるものも、また冥婚と呼ばれる」
「……冥婚についてはわかった。しかしなぜこれがうちのポストに……」
ダダイ氏はローテーブルに広げられた深紅の封筒と、そこに収められていた一葉の写真へと目を落とした。
写真の中の、着飾った年若い女性は、やはりどこかぎこちない微笑みを浮かべているようにダダイ氏の目に映った。
ダダイ氏は写真の女性に心当たりはない。
そもそもダダイ氏はほとんど異性とのつき合いとは無縁の人生を送ってきた。
女性を喜ばせる言葉のひとつも思いつかないような、朴念仁。ダダイ氏の、己に対する認識はそうで、異性との恋愛に対する欲求も薄く、それゆえに女性と積極的にかかわろうとはしてこなかった。
困惑するダダイ氏に対し、アンルルングは平坦な声にわずかな呆れをにじませて言う。
「……
どこか古めかしさがあり、尊大にも聞こえるアンルルングの言葉に、ダダイ氏はやはり当惑するしかない。
そんなダダイ氏のそばに立つアンは、無垢の目をして言う。
「この前会ったあのお姉さん……幽霊だった」
「……アン。そういうことは、もっと早く言ってくれ……」
ダダイ氏は脱力感を覚えた。
アンの言う「この前会ったお姉さん」とは、ダダイ氏の前の職場で部下だった女性だろう。
アンをダダイ氏の娘だと勘違いして、ダダイ氏が勝手に冷や汗をかいた一件は、まだ忘れ去ってはいなかった。
ダダイ氏が受け取った深紅の封筒に入っていた写真にうつる女性は、ダダイ氏が知る元部下よりもいくらか若く――というか、幼く見える。
ダダイ氏がすぐには気づけなかった最大の原因は、化粧がまったく違うからだった。
着飾って撮られた写真の中の女性は、ダダイ氏が知る元部下の女性とは、当たり前だが装いも違えば化粧も違っていた。
「しかし、幽霊だったとは……」
ダダイ氏は、彼女が幽霊であることにも気づかなかった。
というか、今思い出しても先日であった彼女が幽霊だというアンの言葉をすぐには呑み込めないほど、その姿は生者と遜色がなかった。
ダダイ氏の人生に、わずかながらかかわった女性。
特別な感情は一切持っていなかったものの、自分よりも若い元部下が亡くなったと聞けば、ダダイ氏の心はなんとなく暗い気持ちになる。
「ダダイ、結婚するの?」
しかしそんな感傷に浸ることは許さないとでも言わんばかりに、アンが不安そうな声を出して、ダダイ氏の服を控えめに引っ張った。
やはり、どことなくアンの言動は幼い。
実年齢とのアンバランスさは言うまでもないが、同じ口でアンルルングが大人びた物言いをするから、アンのその幼さはより際立つようだった。
「私は、結婚するつもりはない」
ダダイ氏はきっぱりと言い放つ。
こういうときにアンルルングがフォローしてくれればいいのにと思わなくもないが、アンルルングはそういうことをしてくれない。
アンは、自らの別人格であるアンルルングに信を置いているのだから、こういうときになだめてくれたらいいのにとダダイ氏は思うものの、アンルルングがダダイ氏の都合のいいように動いたことなど、片手の指で数え足りるほどしかない。
ダダイ氏には死者と結婚する理由はなかったし、そもそもダダイ氏には昔から結婚願望というものがない。
だからアンの問いにも、すぐに嘘偽りない否定の言葉が出たのだ。
ダダイ氏は「結婚は人生の墓場」とうそぶく気はなかった。どちらかと言えばその逆で、この年齢になってもいくらか「結婚」というものに、未だに夢を見ているからこそ、自らには荷が重いと考えている次第である。
しかしそうやって、ダダイ氏がきっぱりと否定したところ、たちまちのうちに天井が鳴った。
パキ、パキ、と家鳴りがあり、そしてみるみるうちにリビングルームの空気が冷えて行く。
横長いテレビの脇に置いた、デジタル温度計の数字が二度ほど下がるのを、ダダイ氏は見た。
寒気を感じたのは錯覚ではないと確信したところで、アンの、眼帯に覆われていない左目が細められた。
――うしろに、なにかがいる。
アンの視線はダダイ氏の背後に向けられている。
しかし今のダダイ氏は、自らの背後にいるなにものかよりも、殺気立つアンのほうが少々怖かった。
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