(4)

 ふたり――正確にはふたりとひと柱か――暮らしでは持て余し気味なお屋敷をダダイ氏は掃除し、ふたりぶんの洗濯物を干し、夕食の準備やらアンのお弁当の仕込みやらをすれば、悠々自適の自由時間……。


 と、言いたいところだが、日中アンが不在の時間帯のお屋敷は、先住民たる幽霊たちをのさばらせるしかない時間でもあった。


 ダダイ氏は陽光差し込む明るいリビングルームの窓際に追いやられているのが現実である。


 お屋敷の先住民たる幽霊たちは、アンとアンルルングを怖がっているのか畏れているのかは定かではないが、とにかくアンがいるあいだはまったくと言っていいほど気配を消している。


 しかしアンが住むこのお屋敷から出て行くような意思はないのか、はたまたこの家に縛られているのか、アンが不在のあいだ、日中の怪奇現象はまったくといっていいほど収まらないのだった。


 ダダイ氏はそれにいささかの慣れを覚えつつも、やはり先住民たちの行動には肝を冷やすことのほうが圧倒的に多かった。


 しかしこのお屋敷は、「財団」から与えられた住居。おいそれと引っ越すこともできない。


 では除霊やら浄霊やらはできるのか?


 ダダイ氏は一度、小皿に塩を盛ったものをお屋敷に置いてみたことはあったが、それが目の前でみるみるうちに黒ずみ、皿にひびが入ったのを見て、余計なことをするのはやめようと心に決めたのだった。


 そんなこんながあって、ダダイ氏はその日もアンが帰宅するまで、明るいリビングルームで読書に耽っているのだった。


『いまからかえる』


 天板がガラス張りのローテーブルに置いたスマートフォンが、メッセージを受信したことを告げる。


 送り主はアンだ。アンは、下校するときは律儀にこうしてメッセージを送ってきてくれる。


 GPS機能で常に追跡していてもいいよ、とはアンの弁であったが、ダダイ氏はその申し出を丁重に辞退した。


 ダダイ氏がアンのメッセージに既読マークをつけたのとほとんど同時に、外のポストが音を立てた。


 ダダイ氏はスマートフォンをローテーブルに戻し、ソファから立ち上がった。


 アンも帰ってくることだし、トイレを済ませてポストの中を確認しよう――。そう思ってダダイ氏はリビングルームから出た。


 ……ポストの中には、長方形の深紅の封筒が一通。


 裏返してみても、差出人名がないどころか、宛名もない。


 切手も貼られておらず、当然消印もない。


 だれかが直接、郵便局を介さずこのお屋敷のポストに深紅の封筒を入れたことになる。


 ダイレクトメールの類いかとも思ったが、それにしては見た目が簡素すぎたし、深紅の封筒のダイレクトメールというものを、ダダイ氏は見聞きしたことがなかった。


 重さはほとんど感じられない。指先で封筒の上から中身を探ってみたが、なにやらそこそこ硬い紙が一枚入っているらしいことだけはわかった。


 ダダイ氏は不審に思いつつ、封を開けた。


 口の開いた封筒をひっくり返せば、一葉の写真がダダイ氏の手に当たる。


 同封されていたのは、その写真だけ。


 写真の中には、着飾って、ぎこちないながらも微笑む若い女性がいる。


 写真越しにもかしこまった、特別な空気が感じられて、ダダイ氏はなんとなく、釣書につける写真のようだと思った。


 ダダイ氏は、写真の中で微笑む若い女性に見覚えがなかった。


 間違えて配達されたのか――と思ったが、封筒には消印もなにもなかったことを思い出す。


 ならば、この封筒をポストに入れた人物が、住所を間違えたのか……。


 この高級住宅街は豪勢さでは似通ったお屋敷ばかりが建ち並んでいる。土地勘がなければ誤配達はありえるかもしれない、とダダイ氏は思った。


 しかし宛名がない以上、本来の配達先もわかりはしない。差出人名もわからないから、送り返すこともできない。


 ――困ったな。


 いずれ、封筒をこのポストに直接入れた人物が間違いに気づくかもしれないとダダイ氏は考え、ひとまず家で保管することにした。



「――これは『お見合い封筒』だ」


 リビングルームのローテーブルの上に置かれた深紅の封筒をアンが触っていると思えば、その口でしゃべりだしたのはアンルルングだった。


 アンとアンルルングは肉体を共有しているから当然声も同じなのだが、アンとアンルルングは明らかに声音が違ったし、口調も違うので、ダダイ氏にも区別はつく。


 眼帯の位置は右。今、その肉体を支配しているのはアンだったが、だからと言ってアンルルングがしゃべれないということはないのだ。


「『お見合い封筒』?」


 ダダイ氏と、アンの声が重なった。


 「そうだ」――と、不思議そうな声を出したアンと同じ口で、アンルルングが答える。


 ハタから見ればひとりが声色を変えてしゃべっている奇妙な形だが、ダダイ氏はすっかりその姿には慣れを覚えてきていた。


 実年齢よりは幼い言動がしばしばのアンに対し、アンルルングはずいぶんと大人びている。


 ダダイ氏――どころか、アンですら知らない知識を持ち出すこともしばしばだ。


 アンルルングは「神の子」であるから、知ろうと思えばどんなことだって知れる、らしい。


 真偽のほどはわからないものの、アンルルングが博識であることは事実だった。


「ダダイはお見合いするの……?」


 続いてアンが、至極不安そうな声で問う。


「お見合いを『させられる』ほうが近いかな」


 アンと同じ口が、なんとも平坦な声でそう言う。


「ちょっと待ってくれ」


 ダダイ氏はついて行けず、思わず「待った」の声をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る