第4話

 「可愛い女の子と二人きりの昼食」

 誰もが一度は憧れた、夢のシチュエーション。

 外界から隔絶されたその空間には、全男子の夢と希望が満ち満ちている。 


 「この世界には、自分と彼女しか居ないのではないか」

 刹那的ではあるが、そんな非現実的で理想的な錯覚を起こせてしまう。まさに夢心地だ。


 例に漏れず、中学時代の俺もそんなシチュエーションに憧れを抱いていた。


 イマジナリー美少女と弁当のおかずを交換したり、その子に箸でおかずを食べさせてもらったり。


 時折、そんな痛々しくて気色の悪い妄想に耽るくらいには、非モテをこじらせていた。

 

 しかし、そんな気持ちの悪い俺にも転機が訪れたのだ……!


 一度食べる手を止めて箸を置き、ちらっと前に視線を向ける。


「……なに?」


 少女の長い睫毛まつげが上下に揺れる。

 彼女は不思議そうな表情でこちらを見据えている。


「なんでもない」

「……そう」


 黒宮は俺に疑いの眼差しを向けながら、卵焼きを口へと運んだ。


 ……俺は今、美少女と一緒に昼食をとってい

る。それも、空き教室にたった二人きりで。


 この事実から導き出される一つの確信。


 そう、俺は着実に悲願のリア充へと近づいているのだ!


「……なんで急にニヤけてんの。ちょっときもいよ四季」

「気のせいだろ」

 

 人が気持ちよく愉悦に浸っているというのに……冷や水を浴びせられた気分だ。


「……てかさ、四季はよかったの? 昼、他に一緒に食べる人とか居たんじゃないの」


 急にしおらしい態度でそんなことを聞いてくる黒宮。


「まぁ居るには居るが、毎日一緒に食ってたわけじゃないしな。そいつも部活の付き合いとかでたまに居なくなるし」


 仲谷はバスケ部入ってるから、たまにミーティングとかで居なくなる。そうなると俺は自動的に一人になる。俺、仲谷以外に友達居ないし。


「ふーん、ならいいけど」


 黒宮は何の気なしにそう言った。


「しかし意外だな」

「なにが?」

「いやぁ、黒宮が俺の事情を気にするとか、ありえないことだと思ってたから」

「………」


 数秒の沈黙の後、黒宮の目つきが鋭くなり、無言ですねに蹴りを入れられる。


「いたい……」

「……四季はさ、デリカシーが無いよね」

「すいませんでした」

「唐揚げ一個ね」

 

 黒宮がそう言った瞬間、俺の弁当箱から唐揚げが一つ消えた。あまりに一瞬のことだったから、俺は何度か目を擦って唐揚げの所在を探った。


「おいひいね」


 どうやら黒宮の口の中らしい。


「そりゃよかった。俺がそいつを味わえたらもっとよかったが」

 

 俺の理想はおかずの交換であって、断じて強奪ではないのだが。

 てか、唐揚げ最後に食べようと思ってたのに。俺の楽しみまで奪われてしまった。


「罰だから。四季が悪い。私は悪くない」

「罪刑法定主義って知ってるか。日本の法律に唐揚げを徴収する刑罰はないんだぞ」

「めんど笑」

 

 このアマ。


「俺にも何かおかずを寄越せ。さっきの俺の失言と唐揚げ一個は釣り合わない」

「……ならこれ」


 黒宮は弁当の蓋にプチトマトを移して、そっと俺に差し出した。


「……トマトか」

「ほら、早く食べたら?」


 こいつ俺がトマト嫌いなこと知ってるくせして出してきやがった。とことん意地の悪い女だ。


「なに、もしかしてトマト食べれないの?」


 わざわざ「未だに」のところを強調して言う黒宮。


 ……やってやろうじゃん。


「食えるけど」

「じゃ、食べなよ」

 

 目の前に置かれた小さな赤い果実は、その小ぶりな見た目とは裏腹に圧倒的な存在感を放っている。


 俺は思わず唾を飲んだ。


「早くしなよ」


 外野がうるさいな。性格に加えてマナーまで悪いのかこいつは。


 ……俺は意を決して、トマトを口に入れる。


 ここでひるむと一生口の中に残ってしまう。こんなもんを口に入れたまま午後の授業を受けるなんてまっぴらごめんだ。


 俺は勢いに任せてそれを噛み潰した。


「ぐ…………」

「……っ、あはは! 四季顔やば!」


 苦しむ俺の表情を見て腹を抱えて爆笑する黒宮。


 ……やばい吐きそう。


 俺は急いで水筒の蓋を開けて、胃にトマトを流し込む。ドロドロとした何かを撒き散らしながら口の中を転がっていた異物が無くなり、ようやく苦しみから解放された。


「……な、食えるだろ」

「涙目じゃん」


 畜生……こんなことになるなら黒宮におかずなんてねだるんじゃなかった。

 俺が欲しかったのは男女の甘酸っぱいやり取りであって、普通に酸っぱいトマトじゃなかったのに。


 黒宮相手にそういうの期待した俺が間違っていた。

 

「あー面白かった」


 一通り笑い終えた黒宮は、俺が苦しむ姿を見れて大変ご満悦のご様子。


「なんも面白くない」

「四季は、でしょ」

 

 そう言って、黒宮は微笑んだ。

 その表情が、中学時代の彼女のそれと重なった。一年ぶりに見る笑顔だった。

 髪を伸ばしても、他人との接し方を変えても、俺の前にはいつまでも変わらない黒宮彩淑くろみやあすみが居た。

 不覚にも、その無邪気な笑顔に見蕩れてしまっていた。

 これまで幾度となく眺めてきたはずなのに、こればっかりはどうしても慣れない。きっと、未来永劫これから先も慣れることはない。彼女が微笑むたびに、俺は見蕩れてしまうのだ。

 

「……」

「なに、おかずならもう無いけど」


 これ見よがしに弁当箱を片付け始める黒宮。


「いらんわ」

 

 全く見当違いなことを言う黒宮に、思わず笑ってしまった。

 

 二人きりの教室に流れる懐かしい空気に浸る。人気ひとけのない静謐な空気が漂う廊下には、人知れず予鈴の音が響いていた。

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がさつな幼馴染が清楚系にジョブチェンジしてた 四代斎粗 @s1da1sa1soLN

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