第10話 ねえ、忘れてない?
弟があまりにしつこく言うものだから、目をつぶった。
「青木さんでしたっけ、このアンケート用紙の設問を読んでもらえます?」
「わたしが、ですか?」
「いいから、早く」
目を閉じた何も見えない世界に弟と青木さんのやりとりが聞こえ、やがて、
「この度は開発品の家電のモニターにご参加いただき誠にありがとうございます。
商品開発の工場のため、アンケートにご協力いただけると幸いです」
「ん?」
わたしはアンケート用紙に所属部署などを書いていたが、目を閉じて青木さんの声を聞いて手からペンがポロリとこぼれた。
「この声は……?」
「姉ちゃん、青木さんの声ってモード3に似ていないか?」
「そんなはずないでしょ。あれは有名な声優さんよ」
「そうかなぁ……」
「あれ? バレちゃいました? 経費削減のため、商品のアナウンスは自分たち研究員でやりました」
経費削減のため自分たちで?
「モード1は女性研究員、モード2は研究員の妹の女子高生、
モード3は誰もやり手がいなかったので、わたしがしかたなく………
結構、大変だったんですよ。
女子研究員からのダメ出しを何回もくらって、苦労しました」
嘘でしょ、わたしが恋していたイケボはこの研究員だったというの。
「やっぱりな。なんだか似ていると思っていたんだよ。
じゃあさ、青木さん、もう一度電子レンジのセリフ言って見てよ」
「もうできませんよ。恥ずかしいですし」
ああ、この声はたしかに彼に似ているわ。
わたしは、目を開けて青木研究員をじっと見た。
この人の声にわたしは沼っていたのか。
「あの…そんなに見つめられると、なんだか息が苦しいです」
「ごめんなさい。熱中症で倒れていたんでしたね」
「苦しいから、そろそろアンケート用紙に記入してもらえます?」
「あ、そうでした、そうでした。これですね」
1、 商品の機能について
〇大変満足 〇やや満足 〇普通 〇やや不満 〇大変不満
2、 商品の質について
〇大変満足 〇やや満足 〇普通 〇やや不満 〇大変不満
3、 商品の価格について
〇大変満足 〇やや満足 〇普通 〇やや不満 〇大変不満
4、 その他ご意見がございましたらご記入ください。
わたしは、1~3までの項目全て普通にチェックを入れ、4のご意見記入で一旦、ペンを止めた。
そして、また書き始めた。
(モード1は給湯器と似ていて紛らわしい
モード2は父と弟にはウケが良かった。一人暮らしの男性にはいいが主婦層には嫌悪感しかない。
モード3は、モード3は…罪づくりです)
カラン
ペンが転がり落ちた。
「姉ちゃん!」
「とま子!」
わたしは、テーブルにうつぶせになってわっと泣き出してしまった。
「あ、ああ、母ちゃん、ちょっと俺とあっちにいってようぜ。進路の相談もあるし」
「なに言ってるのよ、祐樹。お姉ちゃんをこのままにしていいの?」
「いいから、ここは二人きりにした方がいい」
「え? あら、そういうこと」
弟と母さんはリビングから出て行った。
青木さんがオロオロして、わたしに話しかけてくる。
「あのう、赤井さん、大丈夫ですか? 具合が悪いところにわたしが押しかけて来たものだから」
「そうよ。あなたのせいよ」
「どうもすみません」
「わたしはモード3の声に夢中になってしまったわ。人をたぶらかせておいて本当に罪づくりな電子レンジだわ。こんなものを世に出したらダメよ」
「なるほど、それがモニターの率直な意見なんですね」
「わたしみたいな人が増えるのは嫌よ。モード3の声はわたしだけのものでいて欲しいの」
「あの、それってモード3だけ差し替えれば使えると受けとっていいのでしょうか」
「そんなこと言ってないわ」
「違うんですか。難しいですね」
「もういいわ、モード3に恋したわたしがバカだったのよ。
ごめんなさい。あなたにとってわたしは単なるモニターですものね。
それなのに、モニターの範囲を超えたわたしがバカだったのよ」
しばらく沈黙が続いた。
青木さんは、わたしを見てあきれていることだろう。
こんな事、言わなければよかった。
「赤井さんは、バカなんかじゃありません。そんなに自分を卑下しないでください」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃありません。わたしはお世辞は言いません。
わたしは赤井さんに会いたくてここに来たんです」
「アンケート用紙ならもう書きましたから」
「そうじゃなくて、実は
初めて会った日からわたしは赤井さんの事で頭がいっぱいで、研究に打ち込めません。
それでも、アンケート回収の時にまた会えるからと、自分を励ましてなんとか仕事をこなしてきたんです。
それが今日、体調不良と聞いて心配になって居てもたってもいられずに…あなたが単なるモニターだったら、わたしはここまで来ていませんよ」
「ん? よく聞いていなかった。もう一度言ってください」
「二度は言いません」
「その声、リピート!」
「二度は言いません!」
「そのちょっと前、リピート」
「えっと、どの部分ですか? 冒頭ですか、ラストですか」
「よく聞いてなかったから、どの部分かわからない」
「そうですね。わたしも一気にしゃべりすぎました。端的にまとめましょう。
要するに…赤井さんに会いたくて来ちゃいました。わたしとお付き合いしていただけませんか。ということです」
これだ。
この声は、わたしが恋した彼の声だ。
「いつまで目を閉じているつもりですか? できれば、わたしを見てください」
青木さんに言われて、顔をよく見ると熱中症のせいか顔が赤くなっている。
「顔が赤いですよ」
「赤井さんもですよ。涙を拭いてください。
これからは本物のモード3が、近くにいますから。もう泣かないでください」
「へ?」
「今日はこれで帰ります」
「は? わたしの返事はいらないのですか?」
「それ、聞く必要性あります? あなたはモード3に恋していたとはっきりと言いましたよね」
「言ったけど、人間としての青木さんはまだよくわからないわ」
「あ、ここに来る途中でおいしそうなパスタ屋さんを見つけましたけど。あそこ美味しいですか?」
話題を急に変えてきて、どういうつもりなんだろう。
やっぱり、生身の青木さんはちょっとヘンかも
「さあ、その店に入ったことがないから」
「じゃあ、今度一緒に行きませんか? 」
彼は、満面の笑みでわたしを見つめた。
クールそうな銀縁メガネのその奥に、輝いているのは少年のような瞳だった。
それって、デートに誘っていると取っていい?
電子レンジの彼とはどこへも遊びに行けなかったけど、これからはデートに行けるってことかしら。
「はい、わたしでよかったら。あの、最後にあのセリフだけ言ってもらえます?取り出し忘れ防止機能の」
「嫌です」
「ねえ、お願い」
「嫌ですってば」
「ねえ、ねえ、お・ね・が・い♡」
「しょうがないですねぇ、一回だけですよ。
………ねえ、忘れてない? 君が頼んだんだよ、温めてって」
キターーーーーー!
忘れてません!
わたしの恋心がまた温まりました!
あなたとならパスタ屋だろうが、ラーメン屋だろうが、どこへでもご一緒します。
こうしてわたしの妄想は止まった。
だって、現実の彼が来てくれたんだもの。
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【全10話】レンチンイケボに沼りまして甘々生活妄想中 白神ブナ @nekomannma07
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