青白い女の子

紫鳥コウ

青白い女の子

 枕を反対側に戻したが、少し考えて元のところに返した。電気を消してすぐに目をつむった。足下から背中へ、そして首筋へと、小刻みな震えが伝播していく。窓の方に足を向けるべきではなかった。だけど、身体は硬直してしまって、枕の位置を変えるつもりになれない。


 それに、そうしたとしても、頭から爪先へとぞわぞわとした感覚が下りていくだろう。今日も、床の上で寝ることにした。毛布をかぶって身体を折り曲げる。秋口の夜は肌寒い。本格的に冬になったら、こんな対策はできなくなるだろう。風邪を引いては元も子もない。修士論文の提出はもうすぐそこまで迫っているのだから。


 それにしても、彼女が見えるようになった訳を教えてほしい。夏、運動がてら鉄棒で逆上がりをしていたとき、手が滑って腰から落ちてしまった。それ自体は、たいした怪我ではなかった。


 首をぐっと反らして逆さに公園を見たとき、滑り台の横に青白い女の子がいた。うつむいているから表情は分からなかった。夕陽が注いでいるなかで、氷柱のような雰囲気をまとって、静かにたたずんでいたのだ。


 それからは、公園に行くことはなくなった。だけど、ぼくの机はあの滑り台の裏に面しているから、夜になるとあの女の子が見えることもある。だから日暮れになったら、カーテンは隙間なく閉ざしてしまう。それでもあの女の子がこちらを向いているような感覚が、払拭ふっしょくされることはなかった。


 ことに寝ているときは、神経がそちらへと向かっていってしまう。それからというもの、枕の位置をどっちにするかを考えるようになったし、迷ったあげく、床で寝てしまうということも増えた。


 研究指導がない日が続いたときに、昼夜を逆転させてみたが、夜に起きていると、ずっと公園の方を意識してしまうし、思い切ってカーテンを開けてみたくなるのですことにした。研究が忙しいいま、引越しをする余裕なんてない。


 ぼくはあの女の子を恐れているわけではない。ある日突然、ふとんのなかに入ってくるのではないかという妄想をしているわけでもない。自分の心身の健康を疑っているわけでも決してない。ただ不安なのだ。


 だれかから見られ続けているということが、落ちつかないというか、自由なふるまいを制限されてしまっているみたいで息苦しいのだ。ひとりきりの空間で、自分だけが自分を見つめる時間というものを失してしまえば、ひとはここまで内側へ広がる狂気に駆られてしまうのか。


 牢獄のように目に見える看守がいるのとは違い、いるかいないのか分からない者に監視されている。だから監獄の方がマシだとは言わないけれど、この差異はとても大きい。こうした不安は、うまく形容ができないけれど、ひどくつらいものだ。


 鍵をかけて外へでるとき、閉まりゆくドアの隙間からのぞけば、あの女の子が立っていそうな気がする。家へ帰ってくると、玄関からのびる部屋のところで佇んでいるような気になり、ドアノブを引く手が一度だけ止まる。


 ぼくが中にいるとき、あの女の子は公園にいるけれど、不在のときはベッドに腰をかけたり、本に落書きをしたり、書類で紙飛行機を作ったりしているのではないだろうか。ベッドはきちんと直してあるし、本も書類もきちんと整頓してある。


 細かい違いに目ざとくなるほど神経質なわけではない。それでも、身の回りのものが自分のもののように振舞ってくれない、気味の悪さがある。


 シャワーを浴びているあいだに、あの女の子がクローゼットや机の下とかに隠れているのではないか、そんな想像が浮かんでくることがある。そしてぼくが裸でベッドの上に置いた服を着はじめるところを、笑いをこらえながら覗いている。


 ぼくが部屋にいるときでも、あの女の子はときおりぼくの目の届かないところで、細やかな表情の移り変わりやひとり言まで観察しているのではないか。でも夜になると、公園の滑り台のところからこちらを見つめ続けている。


 笑うことも泣くことも恥ずかしいことのように思えてくる。なにか言葉をつぶやいただけで顔が赤らんでくる。あの女の子がそれを見て、隠れて失笑しているように感じてしまう。


 ぼくは近づくことのなかった公園のなかへと入った。昼なのに人ひとりいなかった。もとから人気ひとけのないところだったから、平気で鉄棒を使うことができていたわけだが、あの件があってからここにくると、どこもかしこも不気味に思えてしまう。


 滑り台からぼくの部屋を見てみたくなった。ここへ立ってしまえば、不安が少しはやわらぐのではないかという淡い期待があった。


 カーテンは閉めたはずなのに、少しだけ開いていて、そこからぼくに似た何者かが、おずおずとこちらの様子をうかがっている。ぼくはその何者かからすぐに目をらすことができなかった。



 〈了〉

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