地には嵐を

@Yukuhashi101

前話

亡命から二日後に、臨時政府は「帝冠評議会」と改称した。同時に「帝国紀元」を制定し、この日を帝国紀元元年1月1日とした。

 帝国紀元元年1月13日、帝冠評議会は永慶市に入城し、同市を「暫定首都」と定めた。この都市はその後帝国紀元3年2月14日に帝国の正式な首都に昇格することとなる。

 帝国紀元元年1月19日、帝冠評議会はひとりの女性を皇帝に推戴した。彼女こそが帝国の初代皇帝、聖閻帝であった。同日、帝冠評議会は正式に「建国宣言」を公布し、名実とともにひとつの帝国がここに成立した。

 …以上が帝国建国までの経緯である。聖閻帝はその後18年に渡って在位し続け、帝国紀元19年4月17日に崩御した。彼女の魂は霊界や黄泉にはゆかず、帝国の象徴のひとつである喜謚山の地の奥底に留まった。それは彼女自信の意志によるものであった。第2代皇帝である慰悲帝は、喜謚山の山頂に霊宮を造営し、彼女の魂を鎮めた。

 そして時は流れ、帝国紀元(紀元100年を超えた頃からは『帝国暦』という呼び名が一般的になった)267年に至るまで、42人の皇帝が在位し、数百度にわたる内紛があったが、帝国は存続した。

 しかし、帝国には、国家としての普遍的な要素のうちのひとつが決定的に欠落していた。それは「外交」である。いつの間にか、帝国の国境線には高さ42メートル、全長8000キロメートル超に及ぶ長大な「壁」が形成されていた。その「壁」は帝国と外の世界をあらゆる面で分断し、決して帝国が外の世界と関われぬようにし、孤立させた。幸いにして建国から数世代のうちに内需だけで経済を賄うに足る人口は獲得していたため、国家が崩壊することこそなかったが、帝国は壁の中という閉ざされた世界で生きることを余儀なくされた。壁は帝国の人々に外の世界の存在を忘れさせ、帝国は外の世界から取り残されることとなった。帝国の人々と、帝国の外の人々の心を隔てる「壁」でもあった。その「壁」がもはや完全なものとなったのが帝国暦267年のことであったのである。

 それから、更に長い時間が過ぎた。帝国暦1000年を過ぎる頃には、歴代皇帝の総人数は300人を数えた。

そして現在、帝国暦1079年。第302代皇帝満月帝の治世下の帝国で、国家の命運を左右するひとつの大事件が起ころうとしていた―。

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