小静、また明日

小理

0: バカ溜まり都市

 日本に来て初めて連れていかれた街は、池袋だった。

 お父さんが勤務する予定の大学は駅の西口にあったが、両親なりに、思春期の俺に対する気遣いのような、おべっかのようなものがあったのだろう。日本で最初に地上に這い出したその場所は、“田舎者御用達超絶妙大都市・池袋”の根を四方に増殖させた東口だった。

 「天啊(マジかよ)!」

 最近はめっきり家で口数が少なくなっていた俺が、池袋の上空に視線を向けて思わず口にしていた。

 当時の俺からすれば、あの視線の位置は紛れもなく上空だった。台北に住んでいたときには、決して双眸を向けるような場所ではなかったからだ。だって当時の台北には、池袋の街ほど背の高い建物なんてそうそうなかった。二〇〇四年に竣工した超高層ビル、台湾101は当時建設が始まったばかりの、まだ背丈も幾許ない赤ちゃん同然だった。

 見渡す限り、こちらにだらりと水飴みたいに迫りくるように地上何十階もありそうなビルにぐるりと囲まれていた。広いはずの駅前ロータリーにいてもなお、押しつぶされそうな畏怖に襲われる。夏の暑さに当てられたわけではないのに、ビルの上部がぐにゃりとこちらに頭をもたげてくる想像に脅かされる。巨大な畏れに、俺は胸を膨らませた。

 日本に来るまで住んでいた家から一〇分ほど歩くと到着する西門町は、当時もそして時が経った今も、“台湾で一番イケてる街”で、そんな場所にほど近い場所に住んでいることが俺の密かな自慢だった。台湾で一番かっこいい奴も、可愛い女の子も、イケてる音楽も刺青も、キナ臭いものも、危ない出来事も、全てが雁首揃えて俺の前でヘラヘラ笑っていた。それが西門町だった。

 しかし、今目の前に広がる池袋の街並みはどうだ。この時の俺の脳内を駆け巡ったのは「漢中街(これは西門町のメインストリートだ)より全然やばい。日本やばい!」そんな、阿呆しか言わないようなフレーズばかりを並べた極めて雑な感嘆だった。俺の指先の、指紋一つも触れてはならない、その汚い脂汗を残すことすら許さないような洗練されたカッコいい大都会に見えた。

 この頃の俺の思考はまだ、台湾の言葉だけで構成されていたのではあるが、今、当時を思い起こそうとするとどうやっても「日本やばい」と日本語で思考している自分しか想起できなくなってしまった。

 香辛料が強い食べ物の匂いと路肩の下水と時間が経った残飯の香りが、常に混じり合う当時の台北に身を置いていた俺からすれば、池袋のパキッとした透明な無臭は(今はしっかり池袋の臭さを認識できるが、当時はそう思っていた)ひどく研ぎ澄まされて上等な空間に思えた。

 しかし、そうやって一瞬で池袋に心酔した俺も日本で過ごすうち、池袋は実は東京では四、五番手くらいの街であり、むしろ山手にいる東京の奴らからは絶妙に格下に見られているような街なのだと知った。しかも、かなり早い段階で。自分自身でも意識しないうち、徐々に池袋という街への関心は薄れていき、そのうちただの「お父さんの大学がある場所」になっていった。


 その後、俺が再び池袋に興味を抱いて足を運んだのは、この日本初上陸から二年後の中学校三年生のときだ。

 当時、中高生を中心に『池袋ウエストゲートパーク』という池袋にいるならず者たちのドラマが爆発的に流行していて、俺も御多分に漏れず、あの雑多でヒリヒリして青い雰囲気に魅了されていた子どもの一人だった。

 友人二人と横須賀線と山手線を乗り継いで、二年越しに目的もなしに池袋に足を運んだ。当時はまだ、神奈川の主要駅と都心を直通で結ぶ湘南新宿ラインの開通前だった。

 で、カツアゲされた。

 そのドラマにも出ていたようなカラーギャングが当時は全盛期で、ドラマに倣っただけの、自由で半端な輩が池袋にはたくさんいた。俺たちは、紫のバンダナをマスクのように口元に巻いたり、頭に巻いたり、はたまた何か己の闇の力を封印するかのように拳に巻いたりした連中に目をつけられてしまったのだ。「この辺のガキじゃない」と。

 今は池袋ルミネと名前を変えたメトロポリタンプラザの入り口がある階の吹き抜けの物陰で、身ぐるみを剥がされそうになった。

 このときの俺たちはただ奴らの行動に、度肝を抜かされ目を剥いた。だって、ただ人形でも扱っているみたいにふざけて笑い合いながら、俺たちを足蹴にして金を奪おうとしていたからだ。俺たちが知っている不良は、もうちょっと厳かに、いかにも不良らしく人様に集った。

 俺が当時住んでいた川崎だって、決して治安がいいとは言えなかった。いや、むしろ池袋の倍くらいはやばかった。年に一回くらいは発砲音が、マジで聞こえた。

 ただ、俺たちの地域にいた不良と呼ばれる輩はそのご時世においても、都会的だったり少し賢かったりする女の子からは「クソダサい」と笑われるような暴走族もどきだった。いわゆる、古のヤンキーだ。

 単車のマフラーから凶暴なゴリラの屁みたいな音を吹かして、発情期の象が巧みに音階を奏でたようなパラリラホーンを得意顔で鳴らす。カツアゲする相手にご丁寧にメンチを切り、全身を舐めるようにチェックして小銭まで掻っ攫っていくような、結局誰かの手下でしかない小賢しい小物ばかりだった。

 そういう輩への対処法を、俺たちはよくよくわかっていた。まず、奴らを見ないこと。そして俺たちは街の一部になること。川崎の街でそれをそつなくこなしていた俺たちは、池袋では抜かった。

 いや、正確にいえば見くびっていた。その頭脳はアホウドリに及ばざるが如し、しかし警察犬にも勝るほどの「弱い者発見器」的な嗅覚ばかり発達したチンピラ未満集団を。

 ヤクザの手下の手下みたいなクソダサ暴走族も、好き勝手に暴れ回って自由を履き違えるカラーギャングも本質的には同じだということを、俺たちはわかっているようでわかっていなかった。その場の匂いから弾かれる、弱々しい異物を見つけることが、奴らは得意なのだ。

 池袋の色とは違う、“はるばる多摩川のドブを越えてきた色”した俺たちに、メトポリの屋外で荒々しく肩を組んで「金をちょうだい」と言ったそいつらが、真っ先に標的にしたのはサチくんだった。

 福と書いてサチと読む、めちゃくちゃに幸が薄そうな平べったい一重瞼で痩せ型のメガネくんに、なんの断りもメンチもいちゃもんもなく首根っこを掴んで、そしてウエストバッグを奪って、ズボンのポケットの中身をチェックしながら無駄にパンツまで下ろした。

 実のところ、俺はその時、「やめてください」と泣きそうになっているサチくんを見て少しだけ笑いそうになってしまったのだ。サチくん、よくわからん街でよくわからん奴らにパンツを下ろされている。そう、変に冴えたまま停止した脳内で考えていた。

 俺の思考を切り裂いたのは、すぐ横から響いた「サチなんとかかんとか(よく聞き取れなかったのだ)」という怒号だった。ヨワの声だった。

 ヨワは齢という苗字の奴で、小学校六年まで近所にある月謝一五〇〇円の道場で月謝を踏み倒しながら極真空手をやっていたらしい。

 二つ上の兄ちゃんがクソダサ暴走族の一員で、母ちゃんは飲み屋の仕事を二日に一回サボるが、オーナーの愛人だから小遣いをもらっている。父ちゃんはいない。三つ下の妹は、顔はアイドルみたいに可愛いのに同級生をいじめまくった結果、皆に弾かれて不登校。すでに結婚している六つ上の兄ちゃんからのわずかな仕送りでどうにかなっている。誰かのわずかな善意をむしり取って、無駄に他人を傷つけて生きている。そんなどうしようもない家庭で育っている。

 ヨワは、名前はめちゃくちゃに弱そうなのに、喧嘩はめちゃくちゃに強かった。極真空手で帯を黒々と昇段させているような奴が素人相手に拳を振るうのもどうかと思うが、当時のヨワにとってはそれが最上級のライフハックだったのだろうと思う。

 例に漏れず、ヨワはサチくんから奴らを引き剥がすように、存分に喚いて暴力を振るった。

 ヨワはサチくんや俺のためなら平気で人を殴る。きっと、サチくんの家族や俺のお父さんやお母さんのためにも人を殴る。仲間とか繋がりに縛られるクソダサ暴走族の兄ちゃんの精神は、着実にヨワにも受け継がれていた。

 でも、こちらのまともな戦力はヨワだけで、あとは猫の甘噛みでも失神するようなサチくんと、まだ少し台湾訛りな日本語でイキり倒してカッコつけているだけの俺しかいない。ヨワ以外の戦力はさしずめ、フルメーターが一〇〇のうち、五くらいだ。

 多勢に無勢。いくらヨワが強くても、ヨワの兄ちゃんと同じくらいかそれよりも年上の多勢に、こちらが太刀打ちできるわけがない。

 ヨワが地べたに横たわってしまうのは時間の問題だったし、俺もまた足を引っ掛けられるようにして易々と地面にビタンと音を立てて地面に落ちる。

 台北にいた頃、登校する道すがら、近所の水餃子の店のおばさんが「おはよう、小静(シャオジン)!」と豪快に笑いながら、水餃子の生地をまな板にビタンビタンとこねては叩きつけていたことを思い出した。おじさんは厨房の手前の客席でいそいそと客相手をしていて、俺にも微塵も目を向けなかった。

 水餃子の生地みたいに地面に叩きつけられた俺は、腹を蹴られた。数十分前に、池袋じゃなくても食べられるマクドナルドで腹の隙間を埋めたダブルチーズバーガーがうっかり体の外に出そうになる。何度も何度も、無意味に腹を蹴られるたびに、おばさんの店の水餃子が頭に浮かんだ。

 水餃子店の外に落ちた残飯を、通行人が踏み荒らしていく。日焼けなのか汚れなのかわからない黒くて老いた足のサンダルが残飯の水餃子を踏むと、中から緑色の餡がブニュっと飛び出す。

 あの水餃子の中身は、少しの豚肉とニンニクと、あとはほとんどが高麗菜だった。だからおばさんの店の水餃子は、薄い皮の中は綺麗な緑で「翡翠餃子」と言われていた。

 そこの店の息子の阿蓮は大学生で、店を手伝っている時には俺に水餃子をホイホイとくれた。「美味しいか」と聞かれれば俺は「マジで美味い」と答えた。本当に、そう思っていたからそう答えた。

 俺の口から緑のドロドロが噴き出す映像が、脳内に浮かぶ。なんだか一発蹴りを入れられるたびに、俺という存在が馬鹿にされているような感覚になっていた。

 サチくんは必死でズボンを上げようとしていて、ヨワは覆い被さった相手の胸や腹をボコボコと蹴り上げながら四方八方に拳を飛ばしていた。相変わらず、俺は腹ばかり蹴られていた。

 池袋の街は東京なのに、川崎や横浜と何も変わらない。中学生が血を吐きそうなほどにボコボコにされていても、皆、見て見ぬふりだ。

 俺はなんだか、何もかもが嫌になった。突然、悪ふざけでブンブンと振ったコーラの栓を開けたみたいに、ワッと思考が溢れ出した。

 俺が台湾人なことが嫌になった。俺が台湾人であることを嫌がる自分が嫌になった。周りにいる奴らが日本人なことも嫌になった。

 翡翠餃子をおやつみたいに食べて「美味しい」と笑っていた日々を思い起こして、ふとあの時に戻りたい気がして、苦しくなった。

 日本に来て友達ができそうになかった俺を助けてくれたサチくんの、パンツを下げられた体たらくを笑ってしまった自分をぶっ殺したくなった。最強のヨワが喧嘩に負ける瞬間を見たくなくて、泣きそうになってしまった。

 よくわからない理由で池袋に来た自分が、恥ずかしくなった。テレビのドラマなんて俗物に影響された自分が、ダサいと思った。

 そんな俺が、蹴られた腹からふと口に出したのが「幹」の一言だった。

 その奇妙な発音に、紫のバンダナで口元を覆ったクソダサ野郎は一瞬動きを止める。

「なあ」

 その俺の声は、まるでラッパを吹いたようでいて、それなのに鼻にかかって少しくぐもっていて、日本人が自然に発する「なあ」とは少し違っていたと思う。

 俺は上体を起こし、尻の後ろに立てた腕をポンプみたいに使うことで、なんとか立ち上がった。で、なんとか口にした言葉が、また「幹」だった。カツアゲ野郎たちは、言葉の意味がわかっていないみたいだった。

「做三小! 幹!(ざけんな! くそったれ!)」

 そう叫んだあとからはもう、止まらなかった。久しぶりに、家の外で台湾の言葉を思いっきり吐いた。台北の馬鹿高校生や檳榔を噛んで口の中が真っ赤になっているチンピラの口からよく飛び出す「幹你娘(くそったれ! てめえのババアはクソビッチ)」という軽々しくも道端の吐瀉物よりも汚い罵詈雑言を何度も吐いた。

 道行く人たちが、俺に奇異の目を向けた。

 日本人じゃない奴が唾を飛ばして何かを喚いている様子は、いつの時代も島国日本人の心に恐怖を突き立てる。台湾だって同じ島国だが、言語の面でいえば日本のほうが今も昔もずっと、良くない意味でエクスクルーシブだ。

 俺は台湾の言葉で「どこかに去ってくれ!」とか「車に轢かれて死ね」とか、とにかく奴らを呪う言葉を次々に吐いた。その時、俺があちこちを指差すような仕草をしていたのが、奴らを何か勘違いさせたようだった。

 「やばい奴だ」とか「チャイニーズなんとかがどうとか」とか、そういうことを唾を飛ばしながら焦燥の表情で交わして、一斉にどこかへ走っていった。先頭の二人ぐらいが、駅から見て右手の北口のほうに走ったのを見て、そのすぐ後ろにいた奴が何かを大声で叫んで呼び戻し、首根っこを引きずるようにして目白方面へあっという間に姿を消していってしまった。

 俺は何がなんだかわからなかったけれど、とりあえず俺が大声で喚き散らした異国の言葉が奴らに作用したのは明らかだ。

 遁走する敗残兵に糞でも投げつける要領で、俺はダメ押しの糞より汚い言葉をお見舞いした。少しだけ、口元が笑った。

「幹你呀(くたばれ)!」


 俺はあんまりにも腹を蹴られすぎて具合が悪くなって、メトロポリタンプラザの外にある証明写真機のすぐ横にゲロを吐いた。俺の口から出た吐瀉物は、翡翠の色はしていなかった。人間の体を形作るにふさわしい茶色いドロドロの中に、ケチャップだのマスタードだのが、極めて不健康な現代的要素を添えているだけだった。

 俺はその時、めちゃくちゃにどうでもいいことを思い出した。

 俺が日本に旅立つ前の日、夕飯を食った帰りに水餃子屋の前を通ったら、阿蓮が店の前でゲロを吐いていた。飲み過ぎたようで、あからさまに酔っ払っていた。

 阿蓮は口元を袖で拭いながらバツ悪く笑って言う。「おう、小静。はよ寝ろ。また明日な」

 次の日の夕方まできっと、阿蓮はグースカ寝ていたと思う。俺と阿蓮にとっての“明日”がやってきたのは、俺が二十歳を過ぎて、台湾に一時帰国した時だった。

 ゲロを吐いている俺に、サチくんはただただ冷ややかな視線を手向け、ヨワは一言「汚ねえ」と言った。

 ウエストポーチも何も盗られていないことを確認して、サチくんは「ああ、良かったです」と口にしたが、何が良かったのだろう。己の股間が世間に晒されたことは、もうサチくんの中ではどうでもいいことになっているみたいだ。俺からしたら、突然池袋の街中で大衆に股間を晒されることのほうが大問題な気がするが。

「シャオちゃん、すごくクールでした」

 サチくんが俺に親指を立てた。俺はまだ、証明写真機にもたれかかっていた。

「な。いい! 中国語かっこいいな! お前、もっと中国語喋れよ!」

「僕もそう思いました! シャオちゃんに中国語教わりましょう」

 ヨワとサチくんは、まるで街中でアイドルを見た女子みたいにキャッキャしながら俺を褒め称えた。

 さっきまで強烈なカツアゲをされてとんでもない傷を負ったはずなのに、あんまりにも二人が無邪気なものだから、俺も口に残ったゲロの残りを豪快にその辺に吐き出して、平然と「いいぜ」なんて答えた。得意げな顔で。

「クールっていうか……酷(ku)だね」

 俺の一言に、二人は顔を見合わせる。

「酷、だよ。シャオちゃんが言うには」

「酷、ですね。めちゃくちゃ酷です」

 二人ともマジで上手に発音できていた。

 でもなぜか二人とも「幹(gan)」は、俺からするとあまり上手に発音できていなかった。きっと中国語と日本語の舌の使い方が違うのだと思う。とりあえず、汚い言葉だからあえて覚える必要はないと二人に忠告しておいたが、するとなお、ヨワはそれを覚えたがった。

 なお、この二人は学習することに対して、ものすごくモチベーションが低く飽き性だ。強制力がないとやらない。もちろんこれ以降、俺に「中国語を教えてくれ」と言ってきたことはない。

 紫の奴らが突然目の前から消え失せた理由は、その後しばらくしてから知った。

 池袋の北口には中華系の人がたくさん住んでいて、そっちのほうのヤクザの人もいる。俺が台湾の言葉をギャンギャン喚いている様子を見て、紫の奴らは俺をそういう危ない中国人の倅か何かと思ったのだろう。

 奴らが突然はけていったからくりは、そんなくだらない勘違いからだ。ヨワの兄ちゃんみたいな繋がりを重視しない、無意味に自由な輩は正確な情報を得られずに、全く違う絵のパズルのピースをこっちの絵のピースみたいに勘違いしてしまうことがあるらしい。

 俺はこの日、わかったことがある。俺が台湾にいても日本にいても、あんまり変わらない。きっと台湾で今日みたいなことがあっても、俺は今日と同じ色のゲロを吐いた。台湾人だからって、台湾の水餃子の餡みたいなゲロは吐かないのだ。

 思えば、日本に来てからずっとそうだった。案外俺は台湾にいる時と何も変わらず過ごしていたのに、そんな簡単なことにふと気がついたのだった。

 でもひとつ、台湾に住んでいるのと日本に住んでいるのとでは、違うことがある。友達が俺の罵詈雑言を「クール」だと言った。

 きっと台湾で同じ言葉を吐いても、周囲も同じように汚い言葉をただ一緒に吐いて終わったのに、サチくんとヨワは俺を「酷」と言ったのだ。

 たったこれだけのことだ。たったこれだけなのに、日本で初めて来た池袋は、俺にとって一番キラキラして浮ついた場所になったのだ。俺の一部を無駄に過剰に褒められて、台湾人で良かったと、日本に来て初めてそう思った場所だった。

 俺が喋る言葉は日本語と、そして俺たちが国語と呼んでいる台湾訛りの北京語なのだが、それを二人に中国語と大きく括られたことも、全然なんとも思わなかった。

 俺はきっと、池袋に来るたびに思い出すのだろう。シマウマの大移動みたいに台北大橋を下るオートバイの大群ではなく、トヨタや日産などのエンブレムをつけた大きな車が、背の高いビルの隙間を悠々とカーブして次々通り過ぎていく東口の風景を初めて見た日のこと。そして、「つまんね。カラオケ行く?」と腕で豪快に鼻血を拭いながら一歩先を歩くヨワと、「僕は十九時までに帰らないといけないのですが大丈夫ですか?」と俺を追い越してヨワの顔を覗くサチくんの、オレンジ色の空を背景にした逆光の黒くて細い背中を。

 結局、夜の二十二時に帰宅し、父親に「もう齢と王と遊ぶな」とぶっ飛ばされて、俺の家にメソメソしながら家出してきたその日のサチくんのこと。紫の奴らに殴られた鼻の下が腫れて、次の日学校で「カピバラか?」と皆に大笑いされていたヨワのことを。

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