第二話 お隣の負けヒロインの地雷を踏む
「……何か飲む?」
少女を何とか椅子に座らせた冷は、電気ケトルに水を入れながら尋ねる。
「えっぐ、ぐすっ」
「あぁー、おけ。とりあえずこっちで勝手に決めるね」
しかし、少女の方は未だマトモに会話出来る状況にないらしく、それを察した冷は適当に女子ウケの良さそうなココアを出すことに決めた。
お湯が沸くまで時間があるので、ずぶ濡れになった頭と服をどうにかするため浴室へ引っ込む。
そして、タオルで軽く頭を拭き部屋着に着替えて、リビングへとんぼ返り──する前にお湯はりボタンを押しておいた。
理由は、何となく少女との話が長引きそうだと思ったから。
最近の給湯器は優秀で、お湯の温度を一定に保ってくれるので多少放置しても問題ないはず。
そんなことを考えながら、タオルを片手に少女の元に戻るとお湯が丁度いいタイミングで沸いてくれた。
マグカップにココアパウダー適量入れ、お湯と軽く混ぜる。
完成したココアを二つを両手に持って冷は少女の対面側に腰を下ろした。
「はい、ちょっとは落ち着いた?」
「……ぐすっ。一応ですが。ありがとうございます」
「そっ。なら、よかった」
ココアを少女の前に出すと、冷が離れている間に多少の落ち着きを取り戻したらしくおずおずとそれを受け取った。
「「…………ずずっ」」
顔見知りとは言え、ほぼ初対面。
お互いの性格や事情を知らない二人の間には気まずい雰囲気が流れており、耐えきれ無かった二人は同時にココアを啜る。
それを何度か繰り返したところで、冷は不意に視線を感じた。
マグカップから視線を外し、少女の方を向くと琥珀色の瞳と丁度かち合った。
「なに?」
冷がどうしたのかと首を傾げれば、少女は視線を彼方に飛ばし「えっと」、「あの」と何度か何かを尋ねようと声を上げる。
二、三回それを繰り返したところである程度覚悟が決まったようで、ようやく冷の方に向き直った。
「……もの凄く今更なんですが、お隣の
申し訳なさを滲ませながら、少女は冷の名前を確認してきた。
「うん。そうだよ。そういう君はお隣の
冷が首肯し、彼女の名前を呼ぶと彼女は意外そうに目を見張る。
「はい。ですが、覚えていてくれたのですね。貴方のお母さんからうちの子は人の名前覚えるのが下手だと伺っていたので。少し意外です」
どうやら冷の母親が余計なことを言ったらしい。
「たしかについさっきまで覚えなかったよ。今は呼び鈴を鳴らす時にチラッと表札を見たから覚えてるだけ」
「ふふっ、何年もお隣に住んでいるのにそれは覚えてなさすぎですよ」
しかし、それは間違いのない事実。
冷は名前を知った理由を臆面もなく語ると、それが少女のツボに刺さったようで今日初めての笑顔を見せた。
まだ、多少の影は残っているが廊下で拾ってきた時よりかはマシな顔をしている。
それを見て冷は美人さんは泣いているより笑っている方が良いなと思った。
ただ、それと同時に彼女が笑っている理由が冷的には不名誉なため内心は複雑。
眉に皺を寄せながらココアに口を付けると、それがまた彼女のツボに刺さったらしく「ふふっ」とまた笑みを溢した。
が、それは咄嗟に出てしまったものようで彼女としては笑うつもりは一切無かったのだろう。
「す、すいません!つい」
すぐさま頭を下げて謝る。
動作に淀みがなく、あわや机に顔をぶつけるのではないかと思うほどスレスレまで頭が下がっていて、たったこれだけの動作で少女が生真面目な性格をしていることがよく分かった。
そんな姿に毒気を抜かれた冷は「別にいいよ」と少女のことを許せば、彼女はホッと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます、氷田君。……あっ、そうです。もしかしたら親と一緒になった時、山吹だけだと困りますよね。一応ですが、私の名前は
その後、一方的に自分だけがフルネームを知っている歪な状況に気づいたようで、今更ながら芽衣は自己紹介を行う。
「じゃあ、芽衣さんね。一応覚えとくよ。何と言っても僕は人の名前を覚えるのが苦手だからね」
「えっ、あっ、もしかして気にしてますか?だとしたらすいません!」
冷が冗談混じりに忘れないようにすると伝えると、人の言葉を疑うことを知らないのか芽衣がワタワタと慌ててながら謝ってきた。
その芽衣の反応は想定していた通り。
「冗談だよ。あんまり気にしてないから」
「で、でもあんまりということはちょっとは気にしてますよね。すいません!」
冷はすぐに揶揄っているだけだと伝えたが、少しでも遠回しな言葉を使ってしまったからだろう。
真面目な芽衣は言葉通りに受け取り、申し訳なさそうに何度も首を下げる。
真面目なのは人として美徳だ。
冷はそう思っているが、しかし但し書きとして『過度なものでなければ』という物がつく。
今の芽衣はその過度に該当しており、少々鬱陶しい。
「本当大丈夫だから。…………………この人めんどいな」
「ッ!?」
だから、ほんの少しだけ本音が溢れてしまった。
一応冷としては相手に聞こえないようボソッと言ったつもりだったが、運の悪いことに芽衣の耳に届いたようで彼女は目を見開いた。
「フッ、フフ、そうですよね。私なんかみたいな面倒臭い女嫌ですよね。楽しくないですよね。苦痛ですよね。フッ、フフフフ」
「あっ、やべ」
その後、ズゥーンと廊下で出会った時のように辛気臭い闇のオーラを放ち出し、冷は自分が芽衣の地雷を踏んでしまったことを自覚した。
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