第一章 Ⅴ


 海辺の街中のあちこちにベルンハルディン皇帝の肖像画があった。この地方は熱心な皇帝派だ。青年皇帝として即位してから十五年、既に四十路近い年齢になった皇帝であるが、獅子心皇帝への人気は衰えを知らない。

 「暁の皇子の末裔が勝手に標榜している東帝国とやらは、余が偽物の皇帝だと申すのか」

 東帝国の使者の首を斬った青年皇帝ベルンハルディンは、それがかえって叛乱軍を憤らせて、魔力対魔力の戦争を不毛に長引かせることになったと批判もされたが、武闘派なだけに軍部からは神格化といってもいいほどの熱い崇敬を受けている。

「直属の上官の室にも皇帝の巨大な肖像画が飾られております」

 本日の護衛であるホルスト中尉とファウスト中尉は笑って教えてくれた。

 朝になって子爵家やって来た代理の彼らは、

「ジュノー大尉から話は聴いております」

「ユディット嬢と、こちらがソフィア嬢ですね」

 舞踏会の練習の際にセレスタンが顔に浮かべていた作り笑顔とは大違いの、本物の笑顔で現れた。二人の士官は、セレスタンと同じ空軍空挺師団特務部隊の中尉階級だった。

 貴族令嬢の警護任務となれば本来、若い士官の間では争奪戦になるお役目なのだ。彼らの多くは代々の貴族家系ではないが、将校ならば騎士階級に相当し、うまくやれば玉の輿に乗って貴族の家の婿にもなれる。愛想なしを貫いているセレスタンの方がよほど変わってる。


 東帝国との戦争では、皇帝旗のもと大勢の魔法使いが戦死してしまった。とくに戦の終焉を不退転の目標に掲げた最後の戦は激しいもので、魔都は連日弔いの鐘に包まれた。

「では、銀燕隊は戦地からは完全に引き上げておられるのですね」

「はい。残党狩りは続いておりますが、我々には撤収命令が出ました。特務部隊は交代で長めの休暇をいただいております。そのお蔭で本日のお供が叶いました」

 東帝国側の攻撃型魔法使い『黒天馬』と帝国空軍は空中で激しい撃滅戦を展開し、激戦地の一帯は空から落ちて来た死体で埋まったそうだ。

「二百年前の皇位継承権争いは、どちらにも正当性がありましたからね。東側からすればこちらが帝位簒奪者です。落ち延びた暁の皇子もそれに附き従った者たちも、暁の皇子こそが帝国の正統な皇帝だと信じたままだったでしょう」

 戦争が終結したといっても、魔都に潜伏している反皇帝派が時々、騒擾を起こしている頃だった。二百年前、暁の皇子を支持していたティリンツォーニ家はそれと同じにされて監視つきなのだ。皇家に謝罪を入れて、森と渓谷の地への領地替えと、外に出る際は監視付きという条件のもと、ティリンツォーニは家の存続を赦された。

「せっかくの休暇なのに、申し訳ありませんわ」

「なんの。暇なだけです。妻子持ち以外はみんな宿舎でぶらぶらしていますよ」

 たくさんの箒が曳く空中馬車をホルスト中尉とファウスト中尉は空軍の箒で海まで先導してくれた。両名とも快活ではきはきしていて感じがいい。

 昼食をとったのは雰囲気のよい料理店の中庭で、赤と白の格子縞の前掛けをつけた店員がはこんできたのは地元で獲れる新鮮な魚料理だった。

「この店は行きつけなのです。庶民の味ですがいけるでしょう」

「とても美味しいわ。大尉とは士官学校の同期でいらっしゃるのですね」

 料理店の庭からは海が見えた。

「戦時中は別ですが、昔は、魔女を見たら口笛を吹いて口説かないのは空軍ではないと云われたものでした。軽薄なくらいで丁度いいと。緊張続きの空の任務との釣り合いがそれで取れます」

「では、セレスタンは異色なのね」

「ユディットったら。大尉は謹厳実直な方ですわ」

「おや、ソフィア嬢はセレスタンのことをお気に召しておられますか」

 共通の知人であるセレスタンを肴にして盛り上がった。

「士官学校は街中にありますが、強風の吹く海の上で編隊訓練をするのです」

 この海辺が空軍発祥の地なのだそうだ。まだ周囲に何もなく、見渡す限りの海原と原野が広がっていた頃のこと、外敵に対する防衛としての空軍がこの地で設立された。往時の空軍司令部跡地や、初代元帥の銅像を、散歩の傍ら彼らは案内してくれた。

「訓練中、海に落ちたらどうするのですか」

「下に船が待機していて拾い上げてくれるのです」

「我々も相当飛ばしますが、本物の箒乗りには敵いません。箒の仕様も違うのですよ」

 地方軍事博物館には、帝国創世記に出てくるリゲイリアが展示されていた。もちろん模造品だ。リゲイリアとは皇帝を皇帝たらしめる儀式の際の器のことで、元々は九つあったものがしだいに減り、今では水晶珠、魔法杖、エニシダの箒の三点になっている。リゲイリアの本物は皇帝が即位する時に一度だけ外に出てくるが、いつもは何処かに隠されていて、誰もその在処を知らない。ところが、現皇帝ベルンハルディンの即位の儀においては、神聖なリゲイリアを用いなかったという噂がある。

「それは、まったくの誤情報です」

「豪快な皇帝に似つかわしい噂ではありますが、大方、東帝国と呼応する反体制分子が流布した、新皇帝の正統性を塗り潰すための中傷でしょう」

 坂道を下ると海が視界全体に見えてきた。海に面した丘一面が墓地になっている。多くの墓碑がまだ新しい。

「戦死した空挺隊員の墓です。郷里ではなくこちらに埋葬を希望する者が多いのです」

「全寮制の士官学校には早い者なら六歳で入ります。家族と過ごすよりも多くの歳月を同期と共に過ごすのです。我々の絆は深いのですよ」

 軍人を志す少年の動機は様々だ。成績優秀だが家が貧しく前途が閉ざされている若者が途中から受験してくるので、その編入受験倍率はいつも高いのだそうだ。


 ソフィアがホルスト中尉と仲良く話し込んでいる。わたしはもう一人のファウスト中尉と墓地の中をそぞろ歩いた。あちこちに植樹があり、休憩所があり、花が咲き乱れていて、墓地といっても古雅な植物園のようだ。その合間に整然と並んでいるたくさんの墓。

 生真面目なセレスタン。任務とあらば死地であっても飛び込みそう。死なないで欲しいわ。

 多くの墓を眺めながら、彼が負傷した時のことをファウスト中尉に訊いてみたくなった。

「敵地に置き去りにされた仲間を箒で迎えに行ったとか」

「そうです。ああ、ここだ」

 ファウスト中尉は脚を止めた。草の中に埋め込まれている平石の墓。刻まれた生年を見るに、墓の主も同期生なのだろう。

 流れる雲と樹々の影が艶のある墓石の表面に映っている。供花が海風に揺れていた。

「銀燕にいた男の墓です。名をイグナスといって我々と仲が良かった。イグナスの妹はセレスタンと婚約していました」

 近くの花木から墓石に落ちた花びらを膝をついて拾っていたわたしは手をとめた。

「箒を落とされて敵地に置き去りにされたイグナスをセレスタンが救出しに戻ったのです。その際にセレスタンも重傷を負いました。しかし結局イグナスは助からなかった。砲弾の雨をかいくぐって友軍に辿り着いたセレスタンは、『眼を開けてくれ』と息絶えたイグナスを揺さぶっていました」

 それはわたしが聴いてもいい話なのだろうか。一方でわたしの意識は、他のことを想い出していた。雨。追われながら黒雲の中を飛ぶ箒。

「今の話はご存じありませんでしたか、ユディット嬢」

「大尉はあまり私的な話をされない方なので」

 ゆっくりとわたしは立ち上がった。

 そんな事情があるのだ。ならば、彼のあの素っ気ない態度にも説明がつく。セレスタンは親友の死からまだ立ち直ってはいないのだ。そして大切な者の死が間に差し込んだことで、婚約していた魔女とは別れることになったのだろう。

 


 埋めないと。

 小さな手でわたしは地面を掘っている。嵐の森の中だ。

 誰かに見つかる前に埋めてしまわないと。

 近くには魔法使いが倒れている。墜落した際に魔法使いは死んだのだ。落雷があった。

 早く遺体を埋めないと。

 何故かわたしはそう考えている。雨に濡れながら地面を掘っている。

 そのうちに気が付いた。最初からそうすればよかった。埋めるよりも魔法で葬ってしまえばいい。

 わたしは魔法杖を取り出した。

 よせ!

 死体が突然、起き上がってきた。




》第二章

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