第二章◆星まつりの夜
第二章 Ⅰ
ホルスト中尉とファウスト中尉をソフィアは夕食に誘ったのだが、二人とも雑務があると断って、空中馬車を子爵屋敷に送り届けると宿舎に帰ってしまった。
「またあらためてご招待しますわ」
「楽しみにしております。では」
彼らは敬礼をして去って行った。楽しかった一日の余韻に浸りながら着替えをしてソフィアと共に階下に降りていくと、次兄のアレッシオが来ていた。セレスタンも一緒だ。
「アレッシオ」
「機嫌よく過ごしているかい、ユディット」
家に呼び戻されるのかと一瞬ひやりとしたが、その心配はアレッシオの笑顔で吹き飛んだ。領地はジュリオに任せて、セレスタンと共に魔都に来たそうだ。久しぶりに次兄と逢えたわたしは嬉しかった。
「アレッシオ、今日は海に行ったのよ。ジュノー大尉の同僚の方に街を案内してもらって、とても楽しかったわ」
「それは良かった」
「大尉のことも色々と教えてもらったの」
ちらりとセレスタンがこちらを見た。命懸けで救出した親友は死ぬし婚約は破談になるし、本当は伯爵令嬢でもない魔女の護衛を命じられるしで、本当に可哀そう。
「ぼくも海に行きたかった」
ヘルマンが頬をふくらませた。
「お土産があるのよ、ヘルマン」
軍事博物館の図録を渡すと、ヘルマンは緞子張りの椅子に座って、図説満載の分厚い図録を食い入るようにして読みふけり始めた。「お食事の時間ですよ」と子ども室に連れて行かれる時にもしっかりと図録を抱きかかえていた。あの様子では来年になったら本気で士官学校に行きたいと口にしそうだ。
「六歳から寮生活だなんて」
「そんなに悪い進路ではないよ」
ソフィアの異母兄フリードリヒ子爵は今晩も外泊するとかでソフィアの非難じみた視線を浴びていたが、出しなに顔を出した。
「軍人を育成することと好戦的なのはまるで違う話だよ。精神と肉体が鍛錬され、規則正しい生活と礼儀作法が身につくというので、貴族でも子息を士官学校に入れる者は多いのだ。軍人になることは男の子の夢だよ」
「お出かけになるのでしたら早く行ってらっしゃい」
ソフィアは冷やかだった。
アレッシオは何の用で子爵家に現れたのだろう。
その理由はその夜のうちに分かった。
晩餐の後アレッシオに「ユディット、話がある」と呼ばれた。
「ジュノー大尉の部屋で待ってるよ」
長引くかもしれないのでソフィアには先に寝てもらうように伝えて、わたしはセレスタンの室に向かった。
扉を叩く前に扉が開き、セレスタンがわたしを室内に引き入れた。
「他の室では召使の眼があるし、君の室にはソフィア嬢がいる。兄上が一緒だから構うまい」
セレスタンは扉を閉めて鍵をかけた。夫婦でもない男女が同じ室にいる時には、やましいことは何もないと外向きに告げる為に、扉は少し開けておくのが礼儀なのだ。
室内に招き入れられた瞬間、わたしは悲鳴を上げてしまった。セレスタンの室は中庭を隔てたわたしの室の同じ階の斜め向かいだった。薄い遮光布があるとはいえ、人影はしっかり見える。
「明日からは昼でも鎧戸を閉めておくわ。ソフィアにも注意しておくわ。丸見えだと伝えて欲しかったわ」
セレスタンも云い返してきた。
「よく見ろ、影しか見えない」
「やっぱり見てるじゃない」
「見えるからな」
先に来ていたアレッシオは笑ってわたしたちを見ていた。小卓の上にはヘルマンへのお土産にした図録が載っている。ヘルマンがセレスタンの部屋に遊びに来ていたのだろうか。
「これが、君の実家に保管されていた発見時の君の衣だ」
セレスタンは布の切れ端を取り出した。裾の折り返しをほどいて、小さく切り取り、義父の前領主が魔界中の機織工房と仕立て屋に送りつけて心当たりを捜した時の残りだ。何か判明するかと想われたが、結局、何も分からずじまいだった。
その布の切れ端は次兄アレッシオにとってはひどく懐かしいものであるようで、次兄は裂布をそっと掌に乗せた。
「泥まみれ血だらけで、まったく酷い姿だったよ」
城に収容されたわたしは直ちに最初の手術を受けることになり、その間に義父が迷子の情報を集めていた。
「切り株に座っていた小さなユディット。農婦にもらった菓子を食べていた。ぼくたちの妹だと直感した。ジュリオ兄上も同じことを云っていたよ。母上がお胎の子と共に死んだ後だったからね」
中庭の花木が薄紫色の花をつけている。白い月に似合うその花は、ティリンツォーニの城の庭にも咲いていた。
「誰も疑問視しなかったのですか」
軍人らしい詰問口調で、セレスタンが口を開いた。
「その女児はどうやってそこに現れたのか」
わたしはどきりとした。
ティリンツォーニ伯爵領は迷い込んだら二度と出られない樹海と渓谷に囲まれている。街道は通っているが、他所とは隔絶された感の否めない僻地だ。脚に切断寸前の大怪我をした幼子が独りで彷徨っていたとは考えにくい。
アレッシオは曖昧な口調だった。
「調べたのだがね。何者かの手によって置き去りにされたのではないかという結論になった」
「子どもを棄てるのならば近くにもっと適した街や邑があります。危険な森のそばとは、いかにも不自然だ」
セレスタンが拡げたのはわたしの育った地域の地図だ。
「棄子は拾われやすい場所に棄てるものです。置き去りにする場所としてそこを選んだ理由があるはずだ。街道沿いに行われた当時の訊き込みを調べても、子どもを連れた不審者の目撃情報は皆無です。ユディット嬢は記憶を抜かれていませんから棄子ではない。では誘拐か迷子なのか。ならば親族だと名乗り出る者がいないのが不可解です。或いは身内はもう死んでいたのか」
「大尉」
「わたしは大丈夫よ、アレッシオ」
事実確認の話は率直なほうがいい。
「大尉、誘拐説も考えたよ。誘拐して、途中で計画を断念したのだ」
「そして君は大怪我をした右脚で、歩けないほどの怪我をしていたその脚で、自力でティリンツォーニに出てきたというのか」
「大尉、妹は本当に何も憶えていないのだ」
「君の手術をした医師にも照会をとった」
てきぱきとセレスタンは話を進めた。
「脚の怪我は攻撃魔法を浴びた怪我だ。その他は擦過傷と打撲で、高い処から落ちた時の怪我だと診断がついていた。つまり、こういうことだ」
セレスタンはわたしを見た。
「君は、箒で逃げていた」
誰かと箒に乗っていた。昔ジュリオに打ち明けたら、「怖い夢をみたんだね」とひどく心配されてしまい、それ以後は黙っていたが、確かにそうなのだ。
「追われていたようなの」
右脚の怪我は殺傷力のある魔力によるものだ。
「そして森に落ちた。君を箒に乗せていた魔法使いは君を回収には来なかった。または箒ごと空から堕ちたのか。墜落時に魔法使いは死んだのか。或いは君を見棄てて箒で立ち去った」
「見棄てて去ったのよきっと」
「しかしここで最初の疑問に戻るのです。いかにして大怪我をした幼子が、独りで樹海から出てくることが叶ったのか。幼い子どもが蔦や根の絡む暗い森を移動するのは不可能だ」
もし森との境目付近に落ちたのなら、日頃から森に入っている領民が墜落した痕跡を発見している。また、置き去りにするつもりならば森との境よりも、手近な街や邑に向かうほうがまだ自然だ。
「関連が疑われる報告を見つけました。女児がティリンツォーニで見つかった日付よりも二日前のものです。場所も随分と離れているが、箒が一騎、樹海に墜落したかもしれないと。嵐の日です」
「大尉、短い間によくそれだけのことを調べたな」
「気象を含め、空の異変は空軍に記録があります。すぐに分かります」
「その箒にユディットが乗っていたかもしれないのだな」
箒は森に落ちた。その後が問題だ。昼でも暗い森の中を怪我をした子どもが歩き回るのは無理だ。ではやはり誰かが森の出口までわたしを連れ出したのだろうか。たとえそうであっても親族が探していない理由にはやはり説明がつかない。わたしはユディットという名の他には憶えていることがなかった。
セレスタンは初対面の魔女に向けるような視線をわたしに投げかけた。
「君をティリンツォーニ伯爵領の外れまで運んできたはずの魔法使いと箒は、いったい何処に行ったのだ」
音がして窓の外が明るくなった。花火だった。戦争が終わり、皇太后の喪が明けてからは毎晩のように何処かで祭りがある。花や鳥などの意匠が夜空に咲いていた。
光に眼を遣ったセレスタンは一瞬だけ怖い顔をしていた。戦場での曳光弾を想い出すのかもしれない。
》2-Ⅱ
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