第二章 Ⅱ

 

 小卓の上にある図録は、ヘルマンへの土産にした地方軍事博物館のものかと想ったが、装丁が似ているだけで、空軍の資料室から借りてきた別物だった。その最初の方の頁をセレスタンは開いた。そしてその横に、発見当時わたしが着ていた衣の切れ端を並べた。

「これが何か」

 アレッシオとわたしは共に本をのぞき込んだ。帝国創世期に触れている『初代皇帝に仕えた九人の魔法使い』の章だ。

 開祖帝を支えたのは九人の魔法使いだ。彼らは『王の楯』と呼ばれるようになり、それぞれに家を興すと、世襲的に王の楯を務めた。やがて時代の変容に従って王の楯は『金の楯』と名称を変えた。

「九つの『王の楯の家』は、金の楯と名を変えても代々皇帝に仕えてきました。そのうちの一家が、二百年前の皇位継承権争いの際に暁の皇子に附き従って王の楯から抜けています」

「一家だけが、暁の皇子の供をしたのだな」

「でも金の楯は今でも九家あるわ」

「断絶したり不測の事態が起こった際にも対応できるよう、あらかじめ予備の九家が密かに定められている。常任九家と、控えの九家だ」

「予備に指名された家の一つが我がティリンツォーニ家だよ」

 想わぬことをアレッシオが云い出した。

「皇帝の金の楯ティリンツォーニ。もっとも当家は、暁の皇子側についたので、二百年前にその座を剥奪されたけれどね」

 知らなかった。

「お義父さまは、そんなこと一言もおっしゃらなかったわ」

「名誉職のようなものだから、父上も家名ほど重くは考えておられないのだろう。それに、皇家を裏切ったかたちになったわが家だ。金の楯であったことを堂々と表明するのは憚られることだ」

「初代九家の魔法使いは、部族を示す織り方の違う布をまとっていた。その意匠が各家の紋章の地模様に流用されています。その一覧がこちらの頁に」

 九つの王の楯の家。九つの紋章。

「よくご覧ください」

 セレスタンに促されてじっと見ているうちに、わたしと次兄は同時にそれに気が付いた。或る紋章の地模様が、わたしの着ていた衣の織目と同じなのだ。 

「アレッシオ」

 わたしの声は震えた。

「これは、暁の皇子を選んで東に行ってしまった家の紋章よ」

 アレッシオも愕いていた。

「大尉はすぐにこのことに気づいたのか」

 セレスタンは頷いた。

「士官学校初等科一年次の教本の裏表紙に、主要な家の紋章が並んでいました」

 上に植物や魔獣の複雑な意匠が乗っているから、地模様なんてほとんど見えない。「よく憶えているなぁ」とアレッシオも引き気味だった。

 でもこのことが一体どういう意味をもつの。暁の皇子と共に帝国を出て行った王の楯の家紋が織り込まれている衣を、何故わたしが着ていたの。

「ユディット」

 わたしは東帝国から来たのだろうか。

 夜空の花火はもう終わっていた。静寂の中でアレッシオがわたしの肩を抱いた。



 夜も更けたので、その晩はそこでお開きになった。アレッシオは子爵家に泊まらず領地に戻るという。次兄と一緒にセレスタンの室から廊下に出た。

「大尉と仲が良さそうじゃないか」

「やめてよ」

 アレッシオは軽口でわたしを元気づけるつもりなのだ。

「家の様子はどう。ジュリオ兄さまは、黙って出てきたわたしに怒ってるわよね」

「全然。それよりも酷く後悔して、お前のことを心配しているよ」

 わたしの留守中アレッシオはジュリオに、魔都行きは自分が勧めたこと、ユディットには時間が必要なこと、行先は子爵邸で無事に到着しているから何の心配も要らないことなどを説明してくれたそうだ。

 廊下の灯りの下でわたしは項垂れた。

「ジュリオ兄さまのことはちっとも嫌いじゃないのよ」

「そのこともちゃんと伝えたよ。あの子はただ愕いてしまっただけだとね」

「義父さまは」

「数年前から兄上に云ってたよ。ユディットと結婚しろと」

 やっぱり。

「父上もそれが一番いいとお考えだったのだ。云ってはなんだけど、うちは名家だけど監視付きの家だ。わざわざ好んであんな辺鄙な場所に嫁いでくる良家の魔女もいない。縁談はそれなりに毎回苦労するんだよ。兄上とユディットが結婚すれば、ユディットの将来についてもすっかり安心できる。そうなればいいと望んだ父上のことを悪く想わないで欲しい」

 わたしは顔を覆った。

「ジュリオ兄さまと結婚するわ。家に帰ります」

「あのねえ」

 アレッシオはわたしの肩に手をおいた。

「そんな話はしてないよ。お前は大切な妹だ。お前が犠牲になるようなそんな結婚は、父上や兄上が望んでもぼくが阻止するよ」

「犠牲だなんて」

「ユディットは倖せにならないとね」

 子どもの頃のようにアレッシオは指先でわたしの額を軽くはじくと、「見送りは要らないよ」と云って、箒を片手に屋上に行ってしまった。

 わたしは額に手をやった。ジュリオ兄さまと結婚しても、きっとうまくやっていける。気心しれた兄妹なのだから、今までと同じように。

 ソフィアがまだ起きて待っているかもしれない。反対側の棟に渡る為にわたしは階段を降りていった。その時、セレスタンの室の扉が音もなく閉まったような気がした。



 翌日わたしはセレスタンと喧嘩した。

 子爵家の図書室にセレスタンを誘って、『王の楯』となった九人の魔法使いについて何か分かることはないかと調べていた時のことだ。九人の魔法使いが持ち寄った聖遺物であり、皇帝が正当な君主であることを証明するリゲイリアは、冠、剣、笏、水晶珠、魔法杖、箒、薬草、聖水、鏡となっている。現存するのはこのうちの三つだけだ。

「薬草や聖水はともかく、王冠や王笏も失われているのね」

「紛失したものは人間界にいったと唱える学者もいる」

 そして初代皇帝は九つの宝を差し出した彼らに、主従の証としての『契約の剣』を授けた。その儀式は今も伝統的に続いている。

 図書室には横並びの机しかなかったので彼の隣りに座った。方々の美術館や博物館に模造品が飾られている三つのリゲイリア。皇帝即位式は秘儀なので本物を見ることは出来ない。

 古い時代を調べているとある記述に眼がとまった。

「このお祭りはこんな大昔からあるのね」

「どれ」

「星まつり」

「君は観たことはあるのか。ないのなら行くといい。きれいだぞ」

「セレスタンは行ったことがあるの?」

 もう少しで、「イグナス少佐の妹君と」と口から出そうだった。戦死して二階級特進した銀燕隊員への哀悼の念がその問いを口にすることを辛うじて押しとどめた。

 セレスタンはわたしの問いに「ある」と頷いた。

「皇帝の警護をすることが多いので」

「ベルンハルディン皇帝はどんな方」

 職務上の守秘義務があると断りを入れた上で、「答えられる範囲ならば、噂どおりの方だと云える」とセレスタンは応えた。

 まだ他に資料がないかと、背中合わせになって書架を漁っていると、

「伯爵と結婚するつもりなのか」

 セレスタンが云い出した。

「君が誰と結婚しようが口を出せる立場ではないが、望まないのならば止めたほうがいい」

「望まないなんて誰が云ったの」

「望むのならば黙って家出などしない」

 セレスタンは肩越しにこちらを見ていた。わたしは彼の真意を掴みかねた。

「断ることも出来るわ」

「育ててもらった恩があると断りにくいだろう」

「嫌々であることを前提にしないで下さる?」

「結婚すれば伯爵夫人になれるのだから確かにな」

 最後のは呟きだったが、きき逃しはしなかった。

「そんなことでは結婚を決めないわ」

 わたしの方からも彼に訊いてみた。

「あなたはどうなの、セレスタン。婚約者の方とはどうなの」

「そんな魔女はいない」

「亡くなった親友の妹さんがそうだときいたわ」

「イグニスの妹のことなら、婚約していたともいえない」

「ではその方と婚約をしましょう、今日にでも申し込んできて」

 セレスタンは本を閉じてまともにこちらを向いた。

「戦死したイグナスを通してビオラとは昔からの知り合いだった。お前たちが結婚してくれたら嬉しいがとイグナスが望んでいただけだ」

「故人の遺志は尊重しなければ」

「兄が戦死したのだ。ビオラの相手は軍人ではない他の魔法使いの方がいい」

「そんなの理由にならないわ」

 わたしはセレスタンに詰め寄った。セレスタンはひじょうに厭そうな顔をして、「彼女とはイグニスを通しての付き合いだった。ビオラの倖せを願っている」と云い、

「君には関係のないことだ」

 不快さを隠さずに話を打ち切ろうとした。これにはわたしの方がかちんときてしまった。関係のないことに首を突っ込んでいるのは誰よ。今の顔つきからは未練が見て取れたわ。そのうえ昨晩はアレッシオとわたしの会話を盗み聴きしていたのね。

「ジュリオ兄さまの申し込みを受けます」

「そしてまた家出するのか」

「公平にいきましょう。あなたがビオラ嬢を取り戻す努力をするなら、わたしも兄さまと結婚するわ」

「全く理屈になっていない」

「わたしの結婚に反対するその理由をお伺いしてもいいかしら」

 次第にわたしにもセレスタンの態度が奇妙に想えてきた。他人の結婚について口を挟むような性格ではない。

「どうしてなの」

「古い家柄のティリンツォーニ伯爵領がなぜあんな辺鄙なところにあると想う」

「二百年前、暁の皇子側についたからよ」

 魔都からは距離がある辺鄙な土地だ。周囲も深い森でもの寂しい。でもそんな旧家はうちだけではない。樹海を挟んだ向こう側のザヴィエン家やテュリンゲン家だってそうだ。皇家にとって脅威となる家はみなそうだ。

「金の楯からも外されて、遠ざけられたのよ」

「ティリンツォーニは今でも暁の皇子を主君とする家だ。君の養父であり、隠居した先代は東帝国派だ。彼は現在、帝国内の不穏分子を援助している」

 わたしを見るセレスタンの眼は冷たかった。



》2-Ⅲ

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