第二章 Ⅲ
わたしはすぐに否定した。あの穏やかなお義父さまが東帝国派で、不穏分子の後盾だなんて。
「セレスタン、それは違うわ」
東帝国と通じながらいざとなれば蜂起して内側から帝国を揺さぶろうとする叛乱分子。そんなものと義父に繋がりなどあろうはずがない。
「お義父さまはそんな魔法使いではないわ」
「君のそれ、いいドレスだな」
「ありがとう」
「家出した夜も外套の下に着ていた」
「本当に記憶力がいいのね。そうよ」
「近隣からは隔絶している君の家には大勢の御用聞が出入りしていただろう」
「ええそうよ」
沢山の布地見本と型録を抱えた店の者が定期的にやって来て、靴でも何でも、流行に合わせて仕立ててくれた。
「義父は、変わり映えしない男物よりも魔女のものは作り甲斐があるといって、もったいないほどの衣装持ちにしてくれたわ」
「
「え」
「その御用聞の連中が不穏分子だったとは考えてもみないのか」
「城に通っていたのは名の通ったお店の人よ」
「あの手のものは移動を怪しまれない職業につく。商人のふりをして堂々とティリンツォーニ家に出入りし、取引を隠れ蓑にして、前伯爵と逢っていたということだ」
そういえば義父は用が済んだ後、御用聞を書斎に招き入れて、長い時間なにかを話していた。
「きっと、勘定のことよ」
わたしは抗弁した。
「時々、ジュリオも同席していたわ」
「だったら彼も反逆者の一味だ」
「違うわ。何を云うの、なんてこと」
軍将校は不確定な推測をもとに迂闊なことを口にしたりは決してしない。だから、何か根拠になることをセレスタンは知っているのだ。
「今のお話はどこから出た疑いなのでしょうか、大尉」
わたしが知らないだけで、義父が不穏分子と通じている確証を軍は握っているのだろうか。それとも過去に皇帝に反旗を掲げたというティリンツォーニ家の歴史がそんな疑惑を招いているのだろうか。
「根拠があるのでしたら、まずはそちらをおききしたいです」
「公に出せる段階にない」
なによそれ。
「確かに監視がついているような家かもしれないわ。でもあなたも、ティリンツォーニ領に行った時にジュリオに逢ったでしょう。彼がどんな人か分かったでしょう。義父もジュリオも怖ろしい企みを考えるような人ではないわ。何かの誤解があるようだわ。調べてもらったらはっきりすることよ」
もしかしたら関係者に喋らせるという罠に嵌っているのかもしれないが、黙っていられなかった。
「義父は実子同様にわたしを育ててくれたわ。ジュリオは幼いわたしに字を教えてくれたわ。こう書くんだよと一文字ずつ。手術した右脚がうまく動くようになるまで根気よく歩行練習に付き合ってくれたわ。そんな人がどうして叛乱軍に加担するというの」
家族のためにさらに抗議しようとしたわたしは、容疑者を観察する眼つきになっているセレスタンに気が付いた。
沈黙が降りた。
セレスタンが本を棚に戻し始めたのでわたしもそうした。
「君は関与していない。それは分かった」
図書室から出て行くセレスタンの背中を見つめながらわたしは唇を噛んでいた。ジュリオのことを熱心に庇ったことで彼が何か誤解をしたのでなければいいが。
星まつりはもとは土着の伝統的なお祭りが大きくなったものだ。そこに一年越しの終戦祝いも重なり、今年の星まつりは大規模なものになりそうだった。
「奇しくも会場は今の皇系が暁の皇子の軍勢を打ち破った古戦場址でもある。今年は皇帝も臨席されるそうだ」
フリードリヒ子爵はわたしとソフィアに星まつりの見学を勧めたが、途中で想い出したように首を振った。
「いや無理か。銀燕諸君は当日は皇帝警護の任務があるな」
「いえ、招集がかかったのはセレスタンだけです。当日は我々が令嬢を護衛いたします」
応接室で寛いでいるホルスト中尉とファウスト中尉が顔を上げて応えた。彼らは毎日のように子爵家に来ては、すっかり馴染みになっている。本来はわたしの監視役なのだが、専属の衛兵と化した感がある。
「見物客が殺到するだろう。はぐれないように、我が家の魔女っ子ちゃんたちには何か目印があった方がいい」
「子爵の云われるとおりです」
二人の中尉は同意した。
「淑女の方は皆さん、着飾ると後ろから見るとまるで分かりませんからね」
「我々の軍服も、見分けがつかないのではありませんか」
「いいえ」
「分かりますわ。後ろ姿を見ればどなたなのか」
「本当ですか。参ったな」
「そうだわ」
ソフィアが何かを想い付いた。
「母のショールを編み終わり、わたしは今、自分の為のショールを編んでおります。糸束はユディットの分もあります。お揃いのこれを当日は肩から掛けておくことにしますわ」
「そうして下さると安心です」
「では大急ぎで編み上げますわ」
「ユディット嬢も編み物が出来るのですか」
「ソフィアほどではありませんが」
「ファウスト、ホルスト」
そこへセレスタンが帰ってきた。少し前に鳥の影がさっと空を過ぎた気がしたが、あれはセレスタンの箒だったのだ。二股に分かれた上着の長い尾。青灰色の厳めしい軍服がよく似あうこと。
わたしと現れたセレスタンはお互い視線を外した。図書室でのことをわたしはまだ引きずっている。
セレスタンは交代を促しに来たのだが、ファウスト中尉とホルスト中尉は「帰らせるとは無情だぞセレスタン」「ご令嬢を独り占めする気か」と居座った。
「楽しい計画の途中なのだ」
「そうだわ。銀燕の方々は、ベルンハルディン皇帝を間近に見たことがあるのですね」ソフィアが声をはずませた。
ある。と三人の空挺隊員は声を揃えた。
「皇帝陛下はどのような御方でしょうか。噂どおりなのでしょうか。色々と耳に入りますが」
「魔女は皆さんそれを知りたがりますね。だいたいは噂どおりの方です。我々に用がある時は、『おい、そこの燕』と錫杖を振り回して呼びます」
「愛人への恋文を渡しに行けと云われた者が多数です。伝書鴉のように使われた隊員からの抗議を受けて空軍元帥が皇帝に振舞いを改めてもらうよう進言に行きました」
すると皇帝はこう応えた。どうせ使いを立てるのならば、見映えのする若い男から手紙をもらった方が魔女も歓ぶ。
「面白い方なのですね、皇帝陛下は」
「陛下はそうおっしゃるが、世間一般が見做すほど魔女からの人気はないのですよ、我々」
ファウスト中尉が肩をすくめた。
「士官学校で学びますから礼儀作法こそ身についてはいますが、生まれながらの貴族の方々とは違います。いつ死ぬかも分からないような軍人と結婚したい魔女はいません」
ホルスト中尉もしみじみ頷いた。
「昇進こそ戦時中は早いのですが、恋愛関係になっても、いざとなればこの先のことは考えられませんと断られてしまうのです。もう慣れました」
「お気の毒に。でも戦争はもう終わりましたわ」
ショールを目印にすることになったソフィアとわたしは、たまに顔を上げる他は、手許のかぎ針を動かしていた。手芸籠にいれた糸束から引き出される麗糸が複雑な模様となり、次々と段が増えていく。指先で糸の向きを整えながらソフィアが彼らを励ました。
「今後は戦地に赴くようなこともないのですから、きっと今までとは変わってきますわ」
「我々の前であまりそんなことを云わないほうがいいですよ」
「そうですよ。本気にしますよ」
ソフィアは笑って顔をあからめた。こうして恋愛未満の軽い遊びのやり取りを魔法使いとしていると、ジュリオ兄さまはやっぱり家族でしかないような気がしてくる。魔都にいる間に何人かの魔法使いと付き合って、ひどく辛い別れでもして、その時こそジュリオ兄さまの許に行こうというのは、あまりにも自分勝手すぎるだろうか。子どもの頃と同じように「大丈夫だよ、ユディット」と受け止めてくれると分かっているだけに。
ジュリオは今頃どうしているかしら。
「ユディット嬢はどうなのですか」
矛先がこちらに向いた。
「もうお話はありましたか。ティリンツォーニは名家です。実質養女であられるあなたには縁談が降るほどにあることでしょうね」
セレスタンは隅で黙って茶を呑んでいた。彼らには何も話していないのだ。
わたしはとびきりの笑顔で、「あるといいですわね」と応えておいた。
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