第三章◆皇帝と契約の剣

第三章 Ⅰ


 空中貨車の内部は荷を積んでおらず、空っぽだった。箒ごと貨車に飛び込んだわたしは見知らぬ魔法使いの手によって箒から降ろされた。

 突風に巻かれたせいで眼が回っていた。たくさんの箒に曳かれた空中貨車は凄い勢いで何処かへ向けて走っている。

 壁面の硝子燈が照らす貨車の中には魔法使いが五人いた。彼らが目眩ましを投げてわたしを魔法で貨車に引っ張り上げたのだ。彼らの他にも、先程夜空ですれ違ったばかりの者もいた。ソフィアの兄だ。

「怪我はないかい」

 子爵も一緒に閉じ込められたのだ。わたしは彼に小声で訴えた。

「子爵。ソフィアが星まつりの会場から姿を消しました。わたしと一緒にいたのは長兄のジュリオです。兄とわたしは大事な用があって天の河に行くところでした」

 子爵は眼を光らせた。

「大事な用とは、皇帝暗殺計画の阻止のことかな。ユディット嬢」

 頷いたわたしは、すぐに後悔した。フリードリヒ子爵はあまりにも落ち着き払っている。わたしは強い不安に襲われはじめた。この黒い貨車と子爵は天の河の方角からやって来た。そして何処かへ飛び去ろうとしている。

 貨車の中にいる魔法使いたちの顔を見廻した。

「引き返して下さい」

「それは出来ません」

 応えたのは子爵だった。フリードリヒ子爵はどうして皇帝暗殺計画のことを知っているのだろう。

「子爵」

 悪い予感に気分が悪くなってきた。この空中貨車は天の河からどんどん遠く離れている。

「子爵は、そちらの方々とお知り合いなのですか」

「彼らですか」

 もったいぶった仕草でフリードリヒは手にした魔法杖で貨車にいる魔法使いたちを順繰りに指した。

「彼らは皇軍兵士です」

 子爵は剣のように顔の前に魔法杖を掲げた。

「暁の皇子が興した東帝国に忠誠を捧げている兵士です」

 箒を掴んで逃げ出そうとしたわたしを阻止し、子爵はわたしの白い箒をへし折ると、貨車の窓から箒を投げ捨てた。わたしは窓に駈け寄った。兄たちから贈られた大切な箒は、風と共に流されてすぐに闇に消えた。

「帝国製の箒など、あなたには相応しくありませんよ。ユディット嬢」

 雲を貫く魔都の水晶塔がもう針のように地平に小さい。フリードリヒは放心しているわたしから魔法杖も取り上げてしまった。六対一なのでどのみち勝ち目はないが、抵抗は完全に封じられた。

「子爵もそうなのですか」

「わたしが東帝国支持者なのかとお訊ねならば、そうです」子爵は認めた。

「妹君が行方不明なのよ」

「ご心配なく」

 奥の暗がりに横たわる荷の許へ足をはこぶと、子爵は上にかけてある外套を取り去った。

「ソフィア」

 駈け寄ろうとしたわたしを魔法使いが押しとどめた。貨車の床の上に倒れているのはソフィアだった。意識がないようだ。

「ソフィア。ソフィアに何をしたの」

「ご安心を。色々と小賢しい真似をした妹には、眠ってもらっているだけです」

 子爵は糸束を取り出してみせた。

「混雑の中でも水晶珠で探し出せるように、わたしはあなたの手芸籠からショールを編んだ時の余り糸を入手していました。ところが妹は先手をうち、あなたのショールと自分のショールを取り換えていたのです。そのため水晶珠に映し出されたのはあなたと年恰好がほぼ同じソフィアでした。お蔭で仲間は間違えて妹を攫って来てしまったのです。合流してみれば、貨車の中にいるのは妹のソフィアだ。愕きましたよ」

 つまり、彼らが用があるのはわたしなのだ。

 空中貨車は猛然と空を走っていた。その振動が壁や床から伝わった。わたしは勇気を奮い起こして子爵に求めた。

「フリードリヒさん、ソフィアとわたしを間違えたというのならば、ソフィアはすぐに子爵邸に帰してあげて下さい」

「異母妹はわたしを見るなり魔法杖を取り出して、投降しろとわたしに襲い掛かってきました」

 フリードリヒは手許の魔法杖を軽くふった。

「さすがは魔女だ。いつも編み物ばかりしている我が妹があんなに強いとは知りませんでした。見かねた仲間が手出しをして妹を昏倒させましたが、なかなかのものでしたよ」

 ソフィアは異母兄が叛乱分子であることを知っていたのだ。そのことでずっと悩み、今晩わたしを攫う計画を知ったソフィアは、わたしの身代わりになってくれたのだ。

「子爵が東帝国の協力者だったなんて」

「ティリンツォーニ伯爵家で育ったあなたからそんなことを云われるとは心外なことだ」

 フリードリヒは皮肉な笑みを浮かべた。

「無知は罪ですね。ジュリオから『契約の剣』の話はきいたことがあるのでは。現皇帝に恭順しているのなら、何故、伯爵家は暁の皇子との絆である契約の剣を皇帝に差し出してその主張をしないのです。長年、誰もが『金の楯』であったティリンツォーニばかりを警戒していた。監視されていたのは伯爵家であり、遠縁の子爵家はティリンツォーニ伯爵家の影に隠れていた。お蔭でわたしは動きやすかった」

「今晩の皇帝暗殺計画に関わっている破壊分子は、皇軍が東に侵攻した際の生き残りだときいています」

 わたしは子爵に説明を求めた。

「彼らには皇帝に報復する動機があります。でもあなたがそうなった理由をお訊きしたいわ、フリードリヒ子爵」

「裏切りではなく正道に戻そうとしているだけです」

 子爵はすらすらと応えた。

「二百年前に東に逃れた暁の皇子こそが正統な皇帝だったのです」

「叔父と甥の皇位継承権争いのことならば、双方に正当性があったときいています。誰が統治者になるかは時の運と民の支持次第です。暁の皇子は敗れたのです」

「そうです。『王の楯』の裏切りにあって敗れたのです。真の皇帝に忠実だったのは、暁の皇子と共に東方に下った一家だけでした。あなたの生家のことですよ、ユディット嬢」

 貨車は魔都から離れるだけでなく、ぐんぐん上昇していた。ただ移動するだけならばこんなにも上空に昇る必要はない。地平線が曲線を帯びている。昇るだけ昇ると、貨車は速度を落とし始めた。

 下界に広がるのは大山脈地帯だった。雪冠の山々が星の表層を覆いつくしている。その真上で貨車は空中に漂うようにして静止した。

 子爵は貨車の後方を大きく開いた。荷下ろしが出来るように後方の扉は完全に開くようになっていて、そこに星空が四角に浮かび上がった。

 フリードリヒ子爵はわたしの腕をとると開口した扉まで連れて行った。吹き込む風がひどく冷たい。

「わたしは気が進まないが、そうしなければならない」

「ソフィアを子爵邸にお返しになって下さい、子爵」

「今はご自分のことを心配した方がいい。あなたにはここから跳び下りてもらいます」

 わたしは子爵の顔を仰いだ。

「何ですって」

「険しい山々だと想いませんか。下に見えるあの山脈地帯が帝国を西と東に分け隔ててきたのです」

 貨車の中にいる魔法使いは誰も子爵を止めようとしていない。それだけでなく彼らも魔法杖をわたしに向けていた。

「長年、我々はティリンツォーニ家の出方をはかっていました。彼らは暁の皇子から『契約の剣』を授かりながら、知らん顔を決め込んでいましたからね。隠居した前領主は途中で心を入れ替えて我々を援助してくれました。しかし当代伯爵ジュリオについては、今晩、皇帝暗殺の邪魔立てをするつもりだったのだ」

「では皇帝を弑しようとする計画は本当だったのですね」

「今頃すべて終わっています」

「帝国の民は今さら東帝国の皇帝など認めないわ」

「さあ、どうぞ。ユディット嬢」

 フリードリヒは馬車から降りるようにわたしに迫っていた。追い詰められたわたしは外枠に手をかけて下を見た。険しい山も上空から見ると敷布の皺のようだ。

 吹き込んでくる風に頭がきんと凍った。

「ソフィアはどうするの」

「飛び下りなさいユディット嬢。それとも押し出されたいですか」

「ソフィアも貨車から落とす気ですか」

 無意識に魔法杖を探ったが、取り上げられてしまったことを想い出した。貨車の床の縁から踵が出た。わたしは子爵を睨んだ。

「フリードリヒ子爵」

「異母妹は帝国式に洗脳されて、まだことの是非が分からぬようです。わたしとても幼いヘルマンが慕う姉を疎かにしたくはありません。真実の歴史を知れば、ソフィアも考えを変えるでしょう」

 この高さから落ちれば命はない。地図にも描かれていないようなこんな僻地では誰かが目撃して助けてくれることも望めない。

 フリードリヒの両眼には狂信ではなく、理性と信念の落ち着きがあった。何ひとつ彼の中ではおかしなことはないのだ。

 星まつりに集っていた大勢の魔法使い。花火を見上げていた子どもたち。戦場を遠方のうちに食い止め、ベルンハルディン皇帝の許に築かれていた帝国領内の平和。その様子を見ても暗殺計画を止めなかったのならば、何を云っても無駄だ。

 計画が遂行されていれば皇帝陛下は無事ではいられないだろう。近衛や側近もきっと巻き込まれて負傷しただろう。

 吹き曝しとなった貨車の中でフリードリヒと魔法使いがわたしに魔法杖を向けている。死に方としては皮肉だ。子どもの頃からあんなにも高い処から落ちることを怖がっていたのに。

「子爵。ソフィアは子爵邸に帰してあげて」

 彼らの魔法で吹き飛ばされる前に、わたしは空中貨車から身を躍らせた。


 ユディット、逃げるぞ。


 記憶の中から、何かがわたしに不吉を告げている。真白い月が眼の端を掠めた。猛禽と闘った後の鳥のようにわたしの身体はまっすぐに地上目掛けて落ちていった。

 ユディット嬢。

 危なかった、間に合った。

 眼を覚まして下さい、ユディット嬢。

 強く揺さぶられたわたしは箒の上で意識を取り戻した。箒で空を飛んでいる。金色に輝く空軍の徽章。ホルスト中尉とファウスト中尉だった。



》3-Ⅱ

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