第二章 Ⅴ


 愕きの声を上げてわたしは窓を開いた。

「ジュリオ兄さま」

「ユディット。無事なのだね。良かった」

 窓からジュリオに室に入ってもらった。ジュリオは何故かひどく急いでいるようだった。

「お前がアレッシオに送った手紙から星まつりに行っていることを知り、急いで来たのだよ」

「ソフィアが行方不明なの、兄さま」

 わたしはジュリオの登場に愕いて求婚の一件は頭から消し飛んだ。兄の手を両手で握り、わたしは懸命に訴えた。

「天の河ではぐれたの。子爵未亡人が水晶珠で探してみたら、水晶珠はソフィアは子爵邸にいると告げるのよ」

 一気に云って、ふと気が付いた。わたしも麗糸のショールを肩にかけている。きっとソフィアのショールと入れ違ってしまったのだ。それであれば、ソフィアは屋敷の中にいると水晶珠が告げたことの説明がつく。いつ入れ違ったのだろう。着替えている時だろうか。しかしそういうことなら、わたしの手芸籠に残る糸を使えば、ソフィアの行方が分かるということだ。

「ユディット」

 手芸籠に手を伸ばしたわたしの腕をジュリオが掴んで止めた。ジュリオの顔は緊張を浮かべていた。

「兄さま、どうしたの」

「ユディット。落ち着いてきいて欲しい。我が家が反皇帝派だと疑われていることはユディットも知っているね」

「ええ、兄さま」

 だからいつも軍属の監視がついていた。

「事実なのだよ」

 それを告げるのがジュリオは大変苦しそうだった。


 ティリンツォーニ家には代々、皇帝が即位する際の秘儀と同じような、長子のみに与えられる家督譲りの儀式があり、二百年前、暁の皇子がティリンツォーニ家に授けた『契約の剣』を見せられるのだという。

 契約の剣とは初代皇帝を支えた九人の魔法使いが皇帝から賜った九ふりの剣のことだ。

「狭義ではそうだ。広義では、時の皇帝との主従の契りを示すものだ」

「暁の皇子からもらったその剣を持っているというの。ティリンツォーニ家が」

 それは大変なことだ。その剣の所有者は、暁の皇子に忠誠を誓うという意味になる。

「何百年経とうとも真の皇系の再来ある時には、ティリンツォーニ家は皇帝の為に立ち上がることになっている」

「兄さま。それはつまり」

「当家の祖先は、暁の皇子こそが皇帝になるべきだと信じていたのだ」

 わたしはジュリオの話を打ち消すように首を振った。

「嘘よ。王の楯のうちの一家は暁の王子と共に東方に行ってしまったけれど、金の楯ティリンツォーニ家は帝国内に残っているわ」

「その理由は、その当時、皇位継承権争いにおいてどの皇子を担ぎ上げるかでティリンツォーニ家が内部抗争を起こしていたからだ」

 皇族の争いをそのまま持ち込んだような、親兄弟が殺し合う、酷いものだったそうだ。

 お家騒動の責を問われて『金の楯』から外されたティリンツォーニ家だが、暁の皇子側についた身内をその手で始末したというので、僻地に領地替えになった上で、家の存続は許された。

「疑惑が晴れずに監視が継続しているのは、暁の皇子がティリンツォーニ家に授けた契約の剣の所在が不明となっているからだ」

「ジュリオ兄さまはその剣を見たことがあるの」

「見た」

「では家にあるのね」

「ああ」

「暁の皇子からもらった契約の剣を隠していたのね」

 わたしは愕然とした。その契約の剣は反逆者の印だ。その剣を速やかに皇帝に差し出しさえすれば一切の疑いは晴れ、皇帝に対する恭順の証ともなったはずなのに。

 ジュリオは顔を歪めて辛そうに応えた。

「それは、ティリンツォーニが、本当のところは暁の皇帝派だったからだよ。内部抗争についても外向きの理由とは違い、本当のところは誰が一族を率いるかで争っていたに過ぎないのだ。当家は『契約の剣』を真正皇帝への忠誠の証として継承してきた。さらに東に随行した王の楯の家とティリンツォーニ家は秘密の盟約を交わしていたのだ。帝国の外と内から、いずれは真の皇帝の為に蜂起しようと」

 わたしは眩暈がしてきた。兄さまはどうして此処にいるの。

「今夜、星まつりに乗じて、帝国領内に潜伏している破壊分子が皇帝の暗殺を計画している」

 苦渋のジュリオはついに決定的なことを打ち明けた。

「父上は、ずっと彼らを援助していた」



 わたしの白い箒は子爵家のご家族の箒と一緒に保管室にあった。持ち出そうとしても理由を云えば反対される。魔法で鍵を壊して無断で保管室から箒を取り出した。後で釈明しなければ。

 夜空には再び花火が盛んに上がっていた。星まつりは最高潮に向かっているのだ。

 子爵屋敷の四方には悪心ある者の立ち入りを拒む水晶の風車が建てられているが、親族であるわたしとジュリオは難なくそこを通過できた。

「決行は、祭りが終盤になり皇帝が退席する時だときいている。殺傷能力の高い爆弾を会場に投げ入れると。まだ間に合う」

 わたしとジュリオは子爵家の窓から空に飛び立った。その際、ジュリオは片腕を伸ばしてわたしの箒を掴み、上空に出るまでわたしの白い箒を引っ張ってくれた。子どもの頃からジュリオはどれほどこうしてわたしの箒の練習に付き合ってくれたことだろう。

 風が強くなっていた。時折、流れる雲が月を隠す。少し早めに祭りは終わるかもしれない。

 ジュリオの口調は重く、わたしにも事の重大さがだんだんと身に染みてきた。

「ユディットは十五年続いた戦争の、その端緒を知っているかい」

 それは知っている。

「ベルンハルディン皇帝の即位直後に、東帝国が青年皇帝の退位を求めて攻め寄せてきたからよ」

 ジュリオは「違うのだ」と首をふった。

「帝国の方から、東帝国に軍隊で攻め入ったのだ」

 わたしは声を上げた。

「こちらから侵攻したというの」

「新皇帝の皇位に異を唱えることが出来る或る物を十五年前、東帝国が帝国から盗んだからだ」

「何を盗まれたの」

「リゲイリアだ」

 わたしの脳裏に三つの宝物が浮かんだ。

「それで」

「皇帝は盗まれた聖遺物を取り戻すために、東帝国を相手に聖戦を起こしたのだ」

 十五年前、皇帝ベルンハルディンが即位式において皇位の聖性と正統性を認めるリゲイリアを用いなかったというあの噂は本当だったのだ。

「皇軍はリゲイリアの奪還を求めて東帝国に遠征し攻め入った。いま帝国領内にいる破壊分子の中にはその時の生き残りが混じっている。皇軍によって身内を殺された決死隊である彼らは今宵、報復のために捨て身の覚悟で皇帝のお命を天の河で狙っているのだ」

 戦争は遠い処の出来事だと想っていた。

「ジュリオ兄さま」

「アレッシオに宛てたお前の手紙を読んだ父上が、ユディットが星まつりに行っていることを知って顔色を失った。それでわたしも今日初めてその計画を知ったのだ。父上は隠しておられた」

 早く天の河に行き、皇帝にこのことを知らせないと。


 

 天の河が近くなってきた頃、一足先に会場から店仕舞いをしてきた空中貨車とすれ違った。たくさんの箒が曳いているのは空中馬車と同じだが、出し物の大型道具を積んでいる黒い貨車は大きくて、まるで馬小屋が空を飛んでいるようだ。黒い車体の角には夜間用の赤い行灯が付いている。

 ジュリオに訊いてみなければ。二百年前に拝受した契約の剣はティリンツォーニ家だけでなく、ジュリオ自身も暁の皇子の亡霊に縛っているのかと。

 空中貨車の背後から、貨車を追うようにして魔法使いの箒が現れた。向こうから先にこちらに気が付いた。

「ユディット嬢」

「フリードリヒ子爵」

 互いに愕いた顔をして箒はすれ違った。

「ジュリオ兄さま、子爵だわ。ソフィアの兄上があちらに」

 兄の注意を引いておいて、わたしは箒を回すとフリードリヒを追って呼び掛けた。家長の彼に事情を説明しないといけない。

「フリードリヒさん。実は星まつりでソフィアとはぐれてしまったの」

 続きを云おうとしたが出来なかった。突然、夜空が閃光で塗り潰されたのだ。眩しさに片腕で眼を覆った。夜が真昼と変わって見えるほどの強烈な閃光だった。

「爆弾」

「違う、これは魔法だ。ユディット、箒から手を放すな」

 巨人の手で引き裂かれるようにして、突風がわたしの白い箒を星空に跳ね上げ、ジュリオの箒を遠くに押し流した。均衡を失った箒が風に巻かれ横回転する。天の河の花火が幽霊のように頭上に見えた。ジュリオが慌てて風に巻き上げられたわたしを追いかけようとしている。

「ユディット」

「兄さま」

 閃光のせいで眼がまだ痛い。わたしもジュリオの許に行こうとした。その前にわたしの箒とフリードリヒ子爵の箒は、たった今すれ違ったばかりの黒塗りの空中貨車の後ろに巻き取られるようにして吸い込まれていた。魚を吊り上げるような素早さだった。傍目には爆風で吹き飛ばされた箒がたまたま近くにいた空中貨車の後部に飛び込んだように見えたことだろう。舵が利かなくなった箒にしがみ付いていたわたしは何が起こったのかも分からなかった。

 暴風と共に黒塗りの貨車の中に転がり込んだわたしの箒は左右の壁や天井にぶつかってようやく停止した。誰かがわたしの箒の柄を掴んで無理やり止めたのだ。

 眼の前で馬車の後方の扉が重たい音を立てて閉まった。

「ユディット」

 わたしの名を叫んでるジュリオの声が遠のき、星空と長兄の姿は閉じた扉の向こうに完全に消えてしまった。



》第三章

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