第三章 Ⅳ


 搬送されたわたしは皇宮の一隅で手厚い看護を受けた。大きな怪我もなくすぐに快癒したのだが、

「ゆっくりしていくように」 

 ベルンハルディン皇帝から直々に云われて想わぬ長逗留となった。

 わたしはお願いして、話し相手としてソフィアに宮殿に来てもらった。皇帝から何か望みはないかと訊かれた時に、「ソフィアはどうなりましたか。陛下にもご説明したように、兄の子爵と違いソフィアは叛乱分子ではありません。ソフィアに逢いたいです」と頼んだのだ。

 侍従に案内されてきたソフィアはわたしを見るなり抱き着いてきて、「ユディット、無事で良かったわ。わたしのせいなの」と自分を責めた。

 ソフィアは異母兄フリードリヒの行動にずっと不審を抱いており、反皇帝派の悪い仲間と付き合っていることを憂慮していた。思想的なことにとどまらず、実際に破壊活動に手を染めようとしていることを知ったソフィアは、海に遊びに行った際、空軍勇士墓地でホルスト中尉にそのことを打ち明けて相談していたのだ。

「助言を受けて、わたしは子爵家を訪れる兄の客に気をつけていたの。すると或る日、屋敷にユディットが来ていると兄が客人に教えているのを聴いてしまったの。ユディットのことを、リゲイリアを見つけることが出来る娘だと話していたわ。星まつりの夜にそれを試してみてはどうかと。愕いたわたしは屋敷にいたジュノー大尉に急いでそれを知らせたの」

 するとセレスタンは、その話は上にあげて相談しますと応えた。

 空軍本部から戻ってきたセレスタンはソフィアを呼び出し、「どうぞ星まつりに行って下さい」と勧めた。

「今さら中止するほうが決行に向けて神経を尖らせている子爵の疑いを招きます。皇帝暗殺の企みが進行中であることは軍部も掴んでおります。一網打尽にいたします」

「でも大尉」

 ソフィアは気を揉んだ。

「ユディットが誘拐されるかもしれませんのよ」

「当日はホルストとファウストがユディット嬢をお護りいたします」

 それでも不安が拭えなかったソフィアは、わたしのショールと自分のショールを取り換えておいた。フリードリヒが手芸籠の中の糸に注目していたからだ。そのせいで、二人の中尉の神経が警護対象のわたしに向いている隙に、わたしのショールを羽織ったソフィアがわたしの代わりに攫われてしまったのだ。

「わたしはあの夜、子爵家の問題として兄と対決しようと決めていたの。軍部から口止めされていたけれど、ユディットにも打ち明けておくべきだったわ。まさかユディットを上空から突き落とすような、あんな怖ろしいことをやるとは想わなかったの」

「ソフィアのせいではないわ」

「まことにソフィア嬢のせいではないぞ」

 ベルンハルディン皇帝も口を出してきた。

「あなたは空軍と協力して、怖ろしい犯罪をくい止めようとしたのだ。反逆者と互角に対決したそうではないか。ユディット嬢だけでなく、の命の恩人でもある」

 皇帝は政務の合間を縫って暇さえあればわたしの許に見舞いに訪れるのだ。

 そこにいる精悍な顔をした男が皇帝と知ったソフィアは恐懼して「皇帝陛下」と今さらのように壁際に退いていったが、ベルンハルディン皇帝がざっくりとした開放的な性格で、わたしとソフィアを愉しませるために威勢のいい話を次から次へと繰り広げてくれるうちに、退出する頃にはソフィアもかすかな笑顔を見せるまでになっていた。

「なに、ソフィア嬢とユディット嬢はせっかく海に遊びに行ったのに魚釣りを試さなかったと。ではここから見えるあの辺りの離れを潰して海水を運び入れ、舟を浮かべて、釣り遊びが出来るようにしてあげよう」

 冗談かと想って笑っていたが、翌日から工事が始まったので慌てて止めてもらった。何かと評判の二分される皇帝ではあるが、人を惹きつける太陽のような魅力に溢れている。いつも魔女に囲まれて浮名を流しているわけだ。



 巷ではわたしは時の人だった。二百年前に帝国を出ていった王の楯の子孫ということで、絶滅した鳥が化石から甦ったくらいの話題性があったようだ。

 東帝国の生まれであるわたしと、ソフィアについては、ベルンハルディン皇帝が率先して無罪放免を後押ししてくれた。空軍からも何人もの将校が証言台に立ってわたしたちの為に立証してくれた。罪に問うものは皆無だった。

 わたし自身も、「帝国と皇帝陛下に対する何の野心もありません。実の両親のことも記憶にありません。このまま静かに帝国の片隅で暮らしていくのが望みです」と宣誓を立てた。幼い頃に戦争に振り回されて犠牲になった気の毒な魔女というのが、わたしに対するだいたいの見解だった。

 一部には、将来の火種になったり、叛乱軍の首魁に担ぎ上げられる可能性を憂慮して、魔女ユディットを離島に隔離するべきだと唱える者もいたのだが、それを封じたのは皇帝だった。

「嵐の中でユディット嬢が戦の女神のように我が空軍を率いて激戦をすり抜けているところを余はこの眼で見たぞ」

 というのだが、そんなことはやっていない。たまたま皇帝が目撃した時にわたしの箒が先頭にいたというだけだ。

 皇帝は、「何といっても王の楯の家の娘なのだからな」と破格の温情を下されて、領地を与え、わたしを女子爵の身分にしてくれた。

 


 わたしは忙しかった。破壊分子を援助し、皇帝の暗殺計画に加担した義父と、その一端を知りながら黙っていたジュリオが有罪になるのは致し方がないとはいえ、家族として出来るだけのことをしたかった。ティリンツォーニ伯爵家の存続のために次兄アレッシオを当主にしてもらうべく奔走もした。

 別々の獄塔に収監された義父とジュリオに面会に行くと、義父は哀しい眼をして消沈しており、その姿を見たわたしは涙で言葉にならなかった。少しでも良い待遇にしてもらえるように掛け合い、面会の回数を増やすことしか今は出来なかった。

 ジュリオのほうは既に覚悟をしていたのか、全てを受け入れた穏やかな顔をして訪れたわたしを牢に迎えた。粗末な机を挟んで許された短い時間、わたしはジュリオと言葉を交わした。

「父上もわたしも、本当の皇帝は暁の皇子だと聴かされて育ったのだ。いつか本物の皇帝が玉座に戻ってくるのだとね。二つの世界の中にいるような気持ちで生きてきた」

 昔から大人びて、時々、何を考えているのか分からない顔をしていたジュリオ。

「父上は早い段階でお前が誰なのか分かっていたそうだよ。暁の皇子に附き従って東に下った王の楯の家。その家の娘。暁の皇子の霊魂が『誓約を忘れるな』とユディットをティリンツォーニに遣わしたのだと、父上にはそのように想われたのだ。父上は啓示を受けたような気がしたそうだ」

 それまで躊躇っていた帝国内の叛乱分子への援助に養父が踏み切ったのは、森から現れたわたしの存在のせいだった。それ以後、御用聞のふりをして城を訪れる反皇帝派に養父は様々な便宜をはかった。それだけでなく、古き絆はまだ生きているのだとして、東に去った王の楯の家の娘であるわたしとジュリオの婚姻も養父は熱心に望んだ。

「ジュリオ兄さま。皇帝陛下は、ジュリオ兄さまが暗殺の危機を伝えようとしていたことを評価して下さっています」

 わたしはジュリオの手に手を重ねた。

「数年後には恩赦で牢から出ることが出来ます。その際には、お義父さまの減刑もお願いするつもりです」

「お前には本当の兄がいた」

「わたしの兄は、ジュリオ兄さまとアレッシオです」

「東帝国の王の楯の家の、お前の本当の兄はね、幼いお前を連れて東から帝国に亡命しようとしたのだ。こうすれば戦争は終わるのだと信じて、盗まれたリゲイリアを皇帝に返還しようとした。しかし箒は堕ちた。そしてお前だけが我々の領地に辿り着いた。さぞかし父上は衝撃を受けたことだろう」

 これこそ天のご意志でなくて何だろう。皇帝の許に戻されるはずだった聖遺物はやはり偽の皇帝の手に渡ることを拒んだのだ。暁の皇子を選んだ先祖は正しかったのだ。

「父上はそう信じてしまわれたのだ」

「兄さま。アレッシオとわたしはいつまでも兄さまのお戻りをティリンツォーニの城でお待ちしております」

「駄目だ。ユディット」

 ジュリオは実に兄らしい、しっかりした態度で微笑んだ。わたしの三人の兄。

「お前の本当の兄も同じことを願っている」

 ユディット、お前は好きな魔法使いの許に行かなければ。



 閉口したのは、どこぞの低俗な作家が一連のことを安っぽい小説にしたのが人気を博し、何やら甘たるい恋愛小説が刊行されたことだ。その小説の中では、女主人公を助けるために飛行士は空軍元帥を殴り飛ばして飛行隊を動員したことになっており、流れ作業のように次々と続刊が発売されるうちに直近の巻など、わたしの役である女主人公は熱烈な愛情を寄せてくる皇帝と飛行士の間で想い悩むあまりに自死しようとして山の上まで箒で飛び立ち、逡巡しているところを「死ぬ前に俺と付き合わないか」と黒髪長髪の死神に口説かれてお姫さまだっこをされていた。

「ひどいわ」

 盛るだけ盛った小説にわたしはうんざりしていたが、ベルンハルディン皇帝は発禁処分にもしないようだった。

「それで、どうなのだ」

「どうとは。陛下」

「早いこと女子爵として結婚相手を選ぶべきだぞ。あちらが玉の輿ということになるが、此度のことで飛行士は昇進して大尉から少佐になっている。佐官ならば不都合あるまい」

「陛下までそのような」

 少佐になったセレスタンとはあれきり逢わなかった。一度、書類確認の為に空軍省に呼び出された折に、遠目に姿を認めたきりだ。彼は忙しそうに従卒と言葉を交わしながら階段を降りていた。どのみちわたしは皇帝の差配した衛兵に前後左右を護衛されていたから、彼の方からも近づいてはこなかっただろう。

 彼が佐官に、わたしが女子爵になったことで、かえって距離が開いてしまった気がする。

 逢う機会がないので彼にはお礼の手紙を送っておいた。返事はすぐにきた。事務用の紙片に一言、『お元気になられたようで何よりです』とだけ書いてあった。

「飛行士め。爵位めあてと想われたくないのだろう。若い者は面倒だ」

 横から返事を覗き込んでいたベルンハルディン皇帝が文句をつけた。

「陛下に水晶珠を投げつけた、そんな不埒な話を小耳に挟みましたが」

「投げつけてはおらぬが、そなたが大山脈地帯にいると云ってあの男は水晶珠を余に突きつけ、皇帝権限にて空軍の緊急発進をこの場で即決しろと迫ってきたのだ。よかろうと発令したら、命令書をひったくるなり飛行士は水晶珠を放り出して箒で去った」

 天の河でジュリオの口からショールの一件をきいたセレスタンは、子爵邸からわたしとソフィアの手芸籠を大至急取り寄せて、水晶珠が得意な軍属の魔女を招集した。

「二人のご令嬢は同じ座標におられます」

 魔女の告げたその座標と、打ち上がった信号弾により、あの場にあれほど早く正確に駈けつけることが出来たのだ。

「あの男の一存で帝国空軍が出動したのだぞ。どうだ、魔女冥利につきるであろう。三文小説くらい幾らでも書かせておけ」

 扇で顔を隠しているわたしを皇帝は揶揄った。


 

 皇帝が何かとわたしを贔屓にするので誤解を招く前に宮殿を失礼することにして、わたしはソフィアの待つ子爵家に戻っていた。フリードリヒのことで子爵未亡人に心労がかかっていたのと、幼いヘルマンの為にも傍にいるべきだと想ったのだ。

「兄上は旅に出たと皆が云うけれど、本当は、悪いことをしたのでしょう」

 暗い顔でヘルマンが項垂れた。わたしはヘルマンの肩を抱いた。

「そうね。信じるものの為にそうなったの。わたしの義父と長兄もその信念に従って獄舎にいるわ。ヘルマンは大きくなったらこのことをよく考えてみて。正しいことが二つあった時、わたしたちはどうすればいいのかしら」

 ヘルマンにはまだ難しい話だろう。

「皇帝陛下は家族の罪は問わないと仰せになって、ヘルマンのことも気にかけて下さっているのよ。ちっとも怒ってはおられないわ。今度一緒に、皇帝陛下にご挨拶に行きましょうね」

 空軍士官学校の生徒が親切にも入れ替わり立ち代わり子爵家を訪問してはヘルマンを外に連れ出して遊んでくれたお蔭で、一時は食事もままならなかったヘルマンは顔色もよくなって夜もぐっすり眠り、以前の元気を取り戻した。幼いながらに想うことがあるのかヘルマンは今までよりも熱心に家庭教師の監督の下、初歩の読み書きをやっている。

「この調子ではあの子は本当に士官学校を希望しそうだわ。どうしましょう」

「初等科の教育課程は他の学校と変わりませんよ。過度な愛国を教えることもありません。正反対の立場から討論させて思考を柔軟にする授業があるほどです」

 ソフィアに逢いにくるホルスト中尉がそう云ってソフィアを慰めた。

 今にして想えば、フリードリヒは本気で異母弟のヘルマンを皇軍に送り込み、次第に叛乱分子として洗脳して内部から攪乱させるか、東側の間諜に育てあげるつもりでいたのかもしれない。

 

 


》3-Ⅴ(最終回)

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