神降ろし或いは堕天の法

 重苦しい雰囲気に呑まれ、弁護に回る予定であったアマツとテンコも口を開けないでいた。その代わりにわざとらしく扇子で顔を隠したシイが口を開く。


「そんなに恐い顔で睨まれると黄泉國まで逃げたくなってしまいます」


 茶化すようなシイの物言いにナルカミ、サイバネ、フジの三人は毒気を抜くように大きなため息をついて態度を軟化させるが、ムラクモはより一層剣呑な気配を纏う。

 そして、アマツとテンコの前に跪いた。


「アマツ様。ついにご自身の力をものにされたご様子。心よりお祝い申し上げます」

「う、うむ。苦しゅうない」


 アマツはムラクモのことが少し苦手だった。その滅私奉公を絵に描いたような仕事ぶりと態度が父を彷彿とさせるのだ。


「テンコ様。ご無事でなによりです。が、後でお説教を受けてもらいます」

「なんじゃと!?」


 そして、ムラクモは兜の奥に特異な輝きを宿した眼光でシイを睨み、跪いた態勢から滑らかに居合の型へと移行する。


「後でいくらでも感謝しよう。だが、貴殿は危険過ぎる」


 その力も魔性も危険極まりない。加えてムラクモの懸念が正しければ、アマツの地位だけでなく、国主の正当性さえ揺るがしかねなかった。


「成程、我ながらさすがの慧眼ですね。それに懐かしい気配」


 対するシイはあえてムラクモの間合いの内へと歩み寄った。それ即ちお前に切られることなど絶対にないという自信と挑発の表れ。

 実際、止めに入ろうとしたナルカミ達も含めた誰もが金縛りを受けたように動けない。特にムラクモは潰されそうなほどの圧力に全身を包まれていた。

 ぎちりと軋む体。それが限界を超えて引き絞られた弦の如き溜めによるものとシイが気づいた時、神速の居合が放たれる。

 その刃は何の障害もなかったかのようにシイの体を通過した。


「御見事。まさか無理矢理私の縛りを破るとは。力業もここまで至れば神業と言っていいかもしれませんね」


 たしかに刀は振りぬかれた。しかし、シイの体はおろか服にさえ傷一つ付いていない。


「水面に映る月を切った所で天に浮かぶ月が欠けることはありません。エトがいる限り私は無敵です」


 意味不明な論理だった。

 一考の価値もないと返す刀がシイを襲う。しかし、それも空を切る。


「往生際の悪い」


 シイの手には根本から折れた刀身がつまみ上げられており、そのまま振り上げられた刀身がムラクモを一閃した。

 周囲の息を吞む音が聞こえる中、ムラクモの兜が縦に割れて床に落ち、彼の厳めしい顔つきに似合わない獣耳と特異な輝きを放つ双眼が露わになる。しかし、その顔に傷はなく、真っ二つになることもない。

 ただ、その眼から輝きが失われていき、獣耳も消え、そのままの態勢で気を失った。


「意識を断ちました。兜などはちょっとした仕返しです」


 手の中の刀身を銀色の球体に変えて浮かべたシイはムラクモを除いた他全員分の椅子を引き寄せて円形に配置すると、その一つに腰を下ろした。


「私のことを知りたいのであれば、まず席に着いて下さい」


 最初に動き出したのはアマツとテンコであった。

 ムラクモの様子を気にしながらも顔を見合わせた二人はシイの両隣に座る。そうして、アマツの隣には冷や汗を流すフジが座り、その隣にナルカミが、そのまた隣にサイバネが着席した。

 隣り合ったサイバネとテンコは微笑ましい挨拶を交わし、アマツもまたサイバネとぎこちなく挨拶を交わすが、その他は未だに緊張感のある空気が漂っている。


「私はエトに取り憑いている姉であり召喚獣のシイです」

「「「「???」」」」


 事前に知っていたテンコ以外は混乱した。これならば先ほどの水面に映る月が云々の方がまだ意図が分かりやすい。アマツに至ってはエトという名前さえ聞き覚えがなかった。


「私もよく分かってないのですが、死産だった双子の姉が守護霊になって片割れの弟に取り憑き、召喚獣と融合したという感じでどうでしょう?」

「どうでしょうって何さ」

「具体的に話しておきながら、随分と曖昧な物言いをする」

「お二人もお腹の中にいた頃なんて覚えていないでしょう? 私も生まれる前の事となるとさすがに記憶も曖昧ですから。あくまで推測です」

 

 つまり、それはほとんどなにも分からないということではとアマツとフジは思った。


「それじゃあ、とりあえず君の事はいいさ」

「エトは無事なのだろうか?」


 シイに関して、ナルカミとサイバネはほとんどその一点のみを気にかけていた。


「勿論です。私はエトを守るための存在ですから。今の彼は眠りについて夢を見ているようなもの。直に目を覚ますでしょう。もっとも三日はかかるでしょうが」

「長っ! そりゃ嫌がるわけだ」

「相も変わらず不可思議な副作用だ」

「むむ、では三日も経てばもう会えなくなってしまうのじゃ?」

「こうして私が表に出ているだけでエトの時間を奪ってしまいますから。それは本位ではありません。ですが、どうやらエトは数奇な運命を抱えている様子。また、私が表に出ざるを得ないこともあるでしょう」


 シイは特異な淡い輝きを放つ銀色の球体を手で弄びながら微笑んだ。


「そもそもその姿は何なのさ?」

「召喚獣と一体となることで力を得る獣化と呼ばれる手法らしいですね。エトは融合召喚と呼んでいますが」

「つまり、先の事件や今しがたのキメラと同様ということでしょうか?」

「あれらと同じ扱いにされるのは心外ですね」


 フジの言葉をシイは不快感を露わにして否定する。


「確かに見た目からして別物だな」

「それは言えてるかも」

「お二人の言う通り、私達やそこのムラクモさんの獣化とあれらの魔獣化は別物です。あれらの魔獣化は薬物と術による外法の産物。

 私達が用いる獣化は獣装に近いもの。ヒノ先生が行う憑依獣装と大差ありません。ただ、対象が物ではなく人であるというだけのこと」


 憑依とは召喚獣をもつ者であれば誰もが無意識の内にその恩恵を受けているもの。エトの憑依召喚はそれを意識的に強めたものである。

 獣装は召喚獣を武器や鎧などに変化させることであり、憑依獣装とは召喚獣を物体に憑依させて変化させることで恩恵を与えて操ることを可能とする。

 そして、獣化とは召喚獣と融合することでその恩恵を最大限引き出すためのもの。


「ただ、難易度が高く、極めるほどに暴走の危険性が高まります。黄泉國でも暴走したまま魔獣と化した成れの果てを何体か見かけましたね。あそこまで年月を経てしまえば私でも元に戻すことは出来ません」

「成程、禁忌とされるのも頷ける」

「そりゃ廃れるよ」

「絶対にやりたくないのじゃ」

「お主は大丈夫なのか? お主が暴走などすればどうなることか」


 暴走の危険を痛いほど知っているアマツの言葉に全員が最悪の事態を想像して身震いした。


「通常であればエトが意識を失った段階で暴走を始めるでしょう。ですが、私という存在が手綱を握っていますから。そもそも、己に使わなければいいのです。他人に召喚獣を降ろして己が制御する。それが由緒正しい融合召喚の使い方です。理想はそれを複数重ねることですね」

「結局、外法じゃん」

「それをやってしまえばレジスタンス共のことをとやかく言えんではないか」

「確かにあれらの魔獣化も方向性は間違っていないでしょう。ですが、薬と術で強制的にというのは頂けない。やはり信頼のおける器でなければ」


 その場合、召喚獣と同系統かつ相性が良い存在でないと凄まじい負荷に耐えられず、対象との同意または契約も力を発揮する上で重要となる。

 そのため、獣化の対象には理解ある血縁者を用いるのが最も効率が良かった。


「(かつて私達がエトにそうしたように)」


 そんな記憶が断片的に蘇ったシイは少し戸惑い、己の状態について一人納得した。


『ああ、成程。憑依、獣化、融合はそもそも……』


 一方で他の面々はそれぞれが獣化について考えを巡らせている。

 特に行方不明者を無理矢理獣化させている団体がいる以上、何らかの対策は必要であった。現状、元に戻すことはおろか魔獣との判別さえエトにしか出来ていないのだから。

 とはいえ、それらは今ここで悩んでも仕方のないことではあった。少なくとも爆破されたレジスタンスの拠点を調査し終えるまでは待つほかない。

 今の段階で最も手っ取り早い対策はレジスタンスなどの組織を獣化の研究も出来ないように潰すことなのだから。


「すまない。話の腰を折るようで悪いが、そろそろ余が寝ている間に起きたことを教えてもらえまいか? そもそもなぜサイバネ以外の者が此処におるのか、まるで話が分からん」

「かしこまりました。まず私の方から彼ら三人、いえ二人と彼女?を招いた経緯を説明させて頂きます」


 アマツの質問に対し、フジがアマツ封印後にテンコが代理となったこと、そのテンコがサイバネの土産話を聞いて特別クラスの特別課外活動に介入したことなどを説明した。

 それから建国祭初日の演武中にテロが発生。ナルカミとサイバネ、シイなどの活躍により被害はなく、人型キメラにされた行方不明者も元に戻り救出されたこともそれぞれの口から解説される。

 そして、テンコの願いを聞き入れたシイが彼女と二人でアマツの封印を解きに向かったこともテンコの口から告げられ、そこで己の身に起きたことをアマツは大雑把に伝えた。


「まとめるとこれにて一件落着といった所でしょうか」

「相違ない」

「そうじゃな」


 シイの総括に対してサイバネとテンコを除いた三人は物言いだけな表情を浮かべた。


「僕としては兄さんがアレな感じになっちゃってかなり複雑というか。今病院に行ってるけど、頭も診てもらえないかな」

「それはご愁傷様としか言い様がありませんね」

「せめて事前に報告して頂ければ相応の対応を考えたのですが」

「おや? 召喚士に相応しい行動をと仰ってくれたではないですか。あの言葉がエトの背中を押したみたいですよ」


 嘘である。どちらかといえば十二支たちの畜生発言に良心を刺激されたという面が大きかった。


「優秀な召喚士だからといって無法が許されるわけではないぞ」

「では、鬼ごっこでもしましょうか?」


 悪びれる様子のないシイにアマツは大きなため息をついた。


「よい。ムラクモがまるで敵わぬ相手を捕まえられるはずもなし。レジスタンス共の鎮圧、行方不明者の救助。そして、余への助力。それらの功をもってお主を無罪放免とする。他の者もそれでよいな?」


 アマツにそう言われてしまえばこの場の誰もが頷く他ない。例外は気を失っているムラクモぐらいだろう。


「では、ムラクモさんを起こしましょうか」

「むむ、大丈夫なのじゃ?」

「また切りかかってくるのではないか?」

「そこをどうにか止めてくださいな」

「ううむ、善処しよう」


 シイは銀色の球体をムラクモ目掛けて飛ばした。すると、頭にぶつかる直前で目を覚ました彼は咄嗟に体を傾けてそれを避ける。感心した一同は思わず拍手を送った。


「おはようございます。良い動きでしたね」


 すぐさま身構えるムラクモの前にアマツが立ち塞がる。


「いい加減にしろ! シイにはもう既に余自ら恩赦を出した! 余に仕えるのであれば控えるがよい!」

「……御意」


 納得したか定かではないが、一度目を閉じて抑えたムラクモはゆっくりと構えを解いた。

 そこへ丁度良くムラクモの部下が部屋を訪ねてくる。

 どうやらレジスタンスの輸送や場内の安全確認などが終わったらしい。


「ならば、建国祭を再開しろ。可能な限り今日の演目を続け、残りは明日明後日に回せ」

「かしこまりました」


 アマツはムラクモと共に指示を出し、部下が退室すると一息ついた。


「てっきり中止になると思っていました」

「被害がほとんどない以上続けても問題あるまい。それに余も楽しみしていたからな」


 そう言って笑うアマツを見て、テンコは感極まったように声を上げる。


「妾も姉上と観るのを楽しみに待っておったのじゃ!」

「おっ、なんかサイバネも嬉しそうじゃん」

「そうだな。彼女たちが元気を取り戻したことは私としても喜ばしい限りだ」

「この際ですからここで一緒に見ていきませんか?」

「それは名案じゃな」

「うむ、悪くないな。ムラクモ、構わんな?」

「御意」

「えぇっと、天幕の中が無人になりますが?」

「元々余の存在など公表されておらんのだ。影武者か人形でも座らせておけばよかろう」

「御意」

「えぇ……」


 イエスマンと化したムラクモにフジは不安そうな声を上げた。


『皆様、大変お待たせ致しました。場内の安全が確認されたため、競技場の封鎖を解除致します。また、只今より演目を再開させて頂きます』


 そして、大歓声と共に葦原建国祭が再び幕を開けた。

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