天龍の目覚め

 あの日、アマツは託されたのだ。先代の国主である父が祖父から託されたように。

 かつて大国主が葦原の国を興した。それから長い年月が経つ内に組織は腐敗し、祖父の代に至っては国主など悪官の傀儡も同然であった。

 元々は国主の側近だった『草薙』『八坂』『八咫』の御三家は幼い頃より国主を高天原に囲って俗世から隔離し、どんな事柄も必ず自分たちを通すことで意のままに国を操ってきたのだ。

 それで善政を敷いたならまだしも圧政により国は荒れ、乱世の様相を呈すようになる。

 当時数ある貴族の一つに過ぎなかった『大社』の祖父はそれを良しとしなかった。しかし、決して焦らず、己の代ではなく二代三代とかけて国を変える決意を抱く。

 御三家に巧みに取り入った祖父は地位を上げ、御三家同士の牽制を間に入って仲裁し、アマツの父である当代の国主に近づくことを許された祖父は己の娘を父に嫁がせた。

 そうして、祖父から娘を通してその思想も地位も人脈も財産も全てを託された父は苛烈だった。

 御三家は家名だけ残して粛清され、混乱に乗じて独立と反乱を起こした貴族達も粛清し、両者の残党は後のレジスタンスとなった。騒乱の内に祖父は討ち死にし、父もまた改革を推し進めた後に病と呪いに倒れてしまう。

 その訃報と共にアマツはその場で国主の座を受け継いだ。

 祖父から託された種を芽吹かせたのが父ならば、アマツが父から託されたのは苗である。その苗が立派な大樹となるように育て上げることが己の使命とアマツは教えられてきた。


「(だからこそ、召喚獣の制御などに手間取っている暇などないというのに)」


 アマツは己を恥じていた。

 まともに召喚獣を扱えず、暴走の恐れから即位して尚人前に出ることも出来ない。

 いや、それも方便に過ぎない。

 幼くして召喚獣を扱えるテンコが即位するべきだったと誰もが思っている。

 自分たちの存在が秘匿されているのはまだ幼いからというだけではない。レジスタンスによる暗殺の危険もあるだろう。だが、一番の理由はいつでもテンコと入れ替われるようにするためだとアマツは考えていた。

 成長してアマツが召喚獣を扱えるようになったならそれで良し、そうでなければ今はまだ幼いテンコが成長した折に国主へと据えるつもりだろう。

 アマツは己に過酷な訓練を課した。

 だが、それでも己の龍はより一層猛るばかり。終には制御を完全に手放し、己で己を封印する始末。

 なんと不甲斐ないことか。

 そんな中で余裕を持って己の力を受け止められる人物をテンコが連れてきてくれたのは僥倖という他ない。

 きっとこれが最後の好機。

 そう思って必死に召喚獣を操ろうとするが、上手くはいかない。


「くっ、やはり……」

「またデコピンされたいのですか?」

「ええい、止めろ! 指を構えるでない!」

「でしたら早く素直になって下さい。己の在るがままを受け止める。召喚獣を操る上では受容が肝心です。本当の貴方はどうしたいのですか?」

「余は……」


 本当は国主になどなりたくなかった。

 

 誰もが父と祖父は偉大な人物だと言う。歴史書を紐解けば実際そうなのだろう。

 ならば、母はどうなのだ?

 才女と謳われながらもまるで道具のように扱われる姿を何度も見てきた。ある時、盗み見た一人静かに涙を流す姿が瞼の裏に焼き付いている。

 父も祖父も国の行く末ばかり見て、他の事は省みなかった。そうでなければ国なんて大層な代物を変えることなど出来なかったのかもしれない。

 だがアマツは葦原の国の行く末など心底どうでもよかった。

 父のことも祖父のことも嫌いだ。未だ周りに蔓延る馬鹿な貴族たちも嫌いだった。鬱陶しいレジスタンスの連中なんて大嫌いだ。

 訓練だって嫌で嫌でしょうがない。


 いっそ全て投げ出してしまいたい!


 感情の発露と共に龍はより一層激しく暴れ回る。

 ふとアマツは気づく。暴走状態になるといつも苦しみに苛まれていたというのに、今は苦しさなどなく不思議と清々しい気持ちだった。このまま全てを壊してしまえたらとさえ思ってしまう。


「本当にそれだけですか?」


 シイの問いがアマツの心に波紋を生じさせる。

 本当にそれだけだっただろうか?

 指先から伝わってくる温もりを辿れば、祈るように己の手を握り締めるテンコの姿が目に映る。そこでようやくアマツは自覚した。

 なにもかも投げ出してしまいたいと思ってばかりいる。それは本当だ。


 ただ、テンコに責務を押し付けて重荷を背負わせることだけはしたくなかった!


 テンコには嫉妬することもある。煩わしく思うこともあった。

 それでも、アマツにとって彼女はかけがえのないただ一人の愛する妹。

 『国主』としてではなく、サイバネの下で平穏に過ごし、どうか幸せになって欲しいと願っている。

 それもまたアマツの本当の気持ちであった。


「ならば頑張るしかないではないか!」


 龍を中心に周囲の空間が収縮し、爆発的な勢いで発散される。強烈な閃光と共に一帯の空間が強く揺さぶられ、シイはそれを難なく防ぎ切った。

 同時に龍の姿が薄れていき、アマツの元へと還っていく。

 崩れ落ちるアマツの体をテンコとシイが支えた。


「おめでとうございます。お疲れ様でした」

「済まぬ。世話になったな」

「姉上~!」

「まったく、泣くでない」


 アマツは呆れた様子を見せながらもどこか嬉しそうにテンコの頭を撫で、抱き締めた。


「さて、それでは競技場に戻りましょうか。きっと大変ですよ」

「あっ」とテンコは声を上げた。

「ん? そういえば今は何日なのだ?」

「建国記念日であり、建国祭初日の演目の途中でレジスタンスによるテロが起きた所ですね」

「大問題ではないか!?」

「やっぱり怒られるじゃろうか?」

「テンコ様はそれで済むかもしれませんが、私の場合は良くて牢屋行きですかね。もしかしたら打首の可能性も」

「ど、どうするのじゃ?」

「ま、待て。他の者がいないのはおかしいと思ってはいたが、許可をとっていたわけではなかったのか?」

「はい。競技場からテンコ様を攫って此処まで転移してきました」


 アマツは天を仰いだ。生憎の地下宮殿であったため、綺麗な空を拝むことは出来なかったが。


「そう心配なさらずとも二人を送り届けて逃げるくらいわけないですから。エトには迷惑をかけてしまうでしょうが、最悪外でも生きていけますし、黄泉國よもつくにまで行けば誰も追って来られないでしょう」


 黄泉國。それは国の支配が及ばぬ超田舎の秘境にして多くの魔獣が生息する人外魔境。かつて幼いエトが暮らしていたのも黄泉國の一地方である。

 生まれたばかりの頃は大変な日々であったが、悪くない日々だったような気がしていた。今ならば誰にも邪魔されることのないより良い日々が送れるだろう。


「いやいや、そういうわけにはいかぬ。我らに恩を仇で返せと申すか?」

「そうじゃ。妾と姉上が頼めばきっと許してもらえるはずじゃ」

「そこまで緩いのは逆に問題では? まぁ、お二人の場合、もっと尊大で我が儘に振舞った方が良いとは思いますけどね」

「そうじゃろうか?」

「……そうだな。それも悪くないかもしれぬ」


 すると、回廊の方から騒々しい足音と共に武器を持った兵士達が部屋になだれ込んできた。


「少しのんびりしすぎましたか」

「ご無事ですかテンコ様! こ、国主様!? お目覚めになられたのですね!」


 シイに矛先を向ける兵士達の呼びかけをアマツは手で制す。


「大事ない。彼女は余とテンコの恩人だ。武器を下げろ」

「ですが、賊を捕らえよとムラクモ様からのご命令が」

「ほう。余が寝ている間に代替わりでも起きたのか? お前達の主は誰だ? 言ってみろ」

「「「こ、国主様です!」」」


 重圧を伴うようなアマツの威圧に対し、兵士達は構えていた武器を下ろして忠誠を示す態勢を取ると、口を揃えて言った。


「さすがの威光ですね。お見事です」

「どうじゃ? 姉上は凄いじゃろう?」

「止めろ。恰好がつかぬ」


 気を利かせて勢いで誤魔化そうとしている時にとアマツは不満を漏らす。


「お前! 国主様に対して馴れ馴れしい口を」


 まるで姉妹のように接するシイの態度に対し、一際忠誠心が高そうな兵が声を上げた。


「おや? 不服ですか?」


 そう言って僅かに目を細めたシイが兵を見据える。

 その目は冷たく恐ろしく。そして、なにより美しいと兵は感じてしまう。

 気づけば膝を折っていた。


「お主も大概だな」

「ふふふ、そういうものですから」

「妾も出来るようになるじゃろうか?」

「頼むからテンコはそのままでいてくれ」


 呆れながらもアマツは恐ろしいものを感じていた。改めて彼女は何者なのかと。


「では、そろそろ戻りましょうか。弁護はお任せしますよ?」

「よかろう」

「任せるのじゃ」


 そうしてシイは競技場にあるサイバネが用意した来賓室へと転移する。

 そこではサイバネとナルカミだけでなく、フジとムラクモの二人まで居合わせていた。

 四人が驚愕に目を見開く中、シイは何食わぬ顔で告げる。


「お待たせしました」


 四人は顔を引きつらせて若干、いやかなりぶち切れていた。

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