葦原建国祭

「いつの間に余を背負えるほどでかくなったんだ?」


 これは幼い頃の夢だと、サイバネは気付いた。彼の体もその時相応のものへと縮んでいき、背負った重さに耐えきれず地面に突っ伏した。


「仕方のない奴め。今度は余が背負ってやろう」


 かつてサイバネには姉のように慕う年の近い子供がいた。いや、今でも慕い続けている。


「召喚獣の背に乗れば問題ない」

「ほう? もう召喚出来るようになったのか? さすが余の弟分は優秀だな。であれば、余が召喚獣を扱えるようになった暁にはその背に乗せてやろう。それでお相子だ」


 確か、そんな約束をした。だが、その約束は未だに果たされていない。


「それは……」


 サイバネは言い淀む。その頃の彼女はまだ召喚獣を召喚出来ないでいたが、将来的に召喚獣の扱いに苦労することを彼は知っていた。

 場面が切り替わり、彼女と最後に会った時の情景が思い起こされる。


「余は国主となる。これまでのように会うことは、もうないだろう。テンコと達者で暮らすがよい」


 己はなんと返したのだったか。あるいは何も言えなかったのか。どちらにせよ、あれ以来彼女とは一度も会えていない。サイバネにとってはそれが全てだった。

 過去の情景が薄れていく。目覚めの時だ。


「夢、か」


 サイバネは気の利いた言葉の一つも言えなかった己を未だに悔やんでいた。





 エトが最低限のマナー地獄から這い上がるまでの道のりは長かった。親兄弟はおろか親戚も保護者もいた記憶がない彼にとってマナーなどほとんど気にしたことがない。

 ヒノヤビのスパルタ教育の元、ストレスが限界に達したエトがマナー違反と言う方がマナー違反などと血迷ったことを言い出して鉄拳制裁を受け、教室が爆破されたこともあった。

 それでもなんとか特別課外活動実施日に間に合わせることが出来たのはエトの頑張りもさることながら、周囲の頑張りに依る所が大きいだろう。

 そして迎えた当日は建国記念日。

 国主の先祖である大国主ノ命が葦原の建国を宣言した日であり、その日から三日かけて国一番の競技場で建国祭と呼ばれる式典が開かれる。その際には音楽隊による演奏や召喚士による演武と御前試合などが行われ、伝統の継承と国の発展を先祖代々の国主に示し捧げるのだ。そのため、当代の国主もそれを観覧するのが習わしであった。

 いわば国を挙げての祭りであり、当然その賑わいも凄まじい。


「うおぉ、初めて来たけどやべぇな。競技場に入る前から人でいっぱいじゃん」


 首都である中津葦原を例の牛車に乗って上から眺めるエトは思わず感嘆の声を漏らした。

 見渡せば遠くにそびえる山々の麓近くまで町が途切れず続いている。全てが中津葦原というわけではない。ただ、その周囲に位置する町との境が上から見ても分からない。それほど規模の大きい都市に来るのはエトにとって初めての体験であった。

 そして、それだけ大きな都市でありながら所狭しと人が行き交っている。


「やっぱり混むねー。出店も凄いし、後で行ってみるかい?」

「それは良い。約束がある以上こうして人混みを避けるのは止むを得ないが、人混みに流されるというのも祭りの賑わいを肌で感じる得難い体験となるはずだ」

「正気か? 出店は俺も嫌いじゃないけど延々並ぶのは嫌だぞ」


 エトの視線の先には競技場から伸びる長蛇の列があった。尾の先までは果てしなく、まるで時を経るごとに成長を続ける大蛇のようである。


「経験がないので分からないが、そういうものか?」

「少なくとも俺はな。実を言うと、俺も経験ないけど」

「僕らも世俗に疎いけど、エトも大概疎いよね」

「人生の半分は野生だったからなー。後、金ないし」


 三人で寝泊まりした際に聞いた話をナルカミとサイバネは思い出す。曰く初等部に入るまでは外で生活していたと。

 人の時代を取り戻しつつあるとはいえ、未だ各国の国境すら曖昧なほど人類の生活圏が広まっていない魔獣の時代。

 幼子一人で外の世界を生き抜くことがどれほど異常なことか。なにか深い理由があったのではと二人は思うが、本人さえ幼少の記憶はほとんどないのだから何も分からない。

 分かっているのは物心がついた頃には既にはぐれ野生動物のような生活をしており、国の役人に保護されて初等部の寮で生活するようになったこと。それから今現在に至るまでの生活費は国からの補助金頼りで万年金欠なことである。

 無料の学食がある中等部と違い、初等部では昼の給食しかない。そのためエトは夕飯と朝飯と鍛錬のためにも、放課後と休みは毎日外へ狩りに出る生活を続けており、割高な出店を回るなんて発想すら浮かばなかった。


「やっぱり僕らよりよっぽど浮世離れした生活してるよね」

「よくその歳まで生きられたものだと感心する」

「実際何度か死にかけてるからなー」


 そうこうしている内に一行は競技場に到着した。人波が押し寄せる一般の入場口ではなく特別な入場口から恭しい態度の係員により席まで案内される。

 そうして通された先は席というより部屋であった。それが一般の特等席とは一線を画す待遇ということくらい世俗に疎いエトでも分かる。しかし、二人が何食わぬ顔で部屋へと入っていくのを見て戦慄を覚えると同時に覚悟を決めた。

 断腸の思いで鮮やかな刺繍が施されたラグとふかふかの絨毯を土足で踏みにじる。その心持は踏み絵であった。


「皆さんおはようございます」

「「おはようございます」」

「お、おはようございます」


 中で待っていたフジは三人と挨拶を交わし早速本題に入る。


「今回の特別課外活動ですが……」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」


 だが、エトはスルーできなかった。土足で高そうなものを踏みしめている現状にぎこちなく体を震わせている。


「はい。どうかしましたかエト君?」

「この部屋の説明はなんもなしですか?」


 エトの質問に対してサイバネは不思議そうな顔をし、ナルカミは笑いを堪え、フジはいつも通りの笑顔を浮かべていた。


「おや、てっきりお二人から既に説明を受けているものかと」

「ふむ、何か気になる点でも見受けられたのだろうか? そうであれば遠慮なく言ってくれ。主催者側としても異なる視点からの意見は参考になる」

「あー、へー、なるほどねー。なんとなく分かったからやっぱり大丈夫です」


 エトは考えるのを止めた。もっと恐ろしいことになりそうだったからだ。


「では改めまして今回の特別課外活動ですが、まず研修ではなく依頼という形になっています。教えを受けることはありませんが、指示は受けます。特に今回の依頼主は国主様にあたる方ですので極力指示は守ってください。そして、肝心の依頼内容ですが、国主様から直接話されるそうです」


 フジが確認をとるようにサイバネに視線を送ると、彼は頷いた。


「ですので心臓に悪いかとは思いますが、今日の式典が終わるまではこちらで待機してもらいます。その間はどうぞ式典を楽しんで下さい。ただし、感想を求められるかもしれないので何か考えておくといいかもしれません」


 以上ですとフジは締めくくる。さらに自分は仕事のためしばし席を外すと言った。


「ああ、それと」


 その去り際、まるで今思い出したかのようにこう付け加えた。


「不測の事態が起きた場合は召喚士として相応しい行動を心がけて下さい」


 これは何かありそうだと三人は思った。





 格段に座り心地の良い椅子に体を預けながらも落ち着けずにいたエトであったが、いざ式典が始まるとその盛大な催しに圧倒され、純粋に楽しむことが出来るようになっていた。


「おいおい見たか今のグルグルって! 召喚士じゃなくてもあんな動きが出来んのか! それを全員そろってビシッと決めるなんて召喚士でも無理だろ!」

「訓練の賜物だな。今日此処で披露するために相当な修練を積んだのだろう」

「連携とか合わせることに関しては能力にかなりばらつきがある召喚士同士だと厳しいからね」

「いやー、こういうのに関しちゃ俺の感性は鈍いもんだと思ってたけど面白いもんだな!」

「それはなによりだ」

 

 興奮した様子のエトに釣られてサイバネも笑みをこぼした。しかし、ふとした拍子に笑みが消え目を伏せる。


「何か心配事かい?」

「いや、ただ彼女もこの式典を楽しめていればいいと思っただけだ」


 サイバネは競技場の一角にある御簾で仕切られた空間に目をやった。


「あの中に国主様がいるんだよな?」

「ああ、そうだ」

「あれでちゃんと見えるのか?」

「彼女は千里眼と呼ばれる力を持つ。障害物越しに遠くを見ることも容易い」

「あー、便利だよなあれ」

「君って大抵のことは出来るよね」

「ケモ耳生やして女になればな」


 不貞腐れるように言ったエトは頭の中でアピールしてくる十二支たちを振り払った。


「むっ、そろそろ次の演目が始まるようだ」

「演武だね。そういえば演者の一人は僕の兄だよ」

「マジで? えーと、あの人か?」

 

 エトは新たに登場した三人の演者の内、どことなくナルカミの雷轟夜叉状態に似た全身鎧を纏った青年を指差した。


「そうそう正解」

「あの獣装を見ただけでも練度の高さが伺える」

「ナルカミより強いのか?」

「今は大体同じぐらいかな」

「へぇ、ちなみにいくつ上よ?」

「六つ」

「それで互角なのか」

 

 兄としては複雑だったりするのだろうかとエトは疑問に思う。



 そして、いよいよ演武が始まった。

 


 召喚士の演武と聞いたエトは召喚獣に演武を行わせるのだと思っていた。

 だが違った。そもそも獣装を纏った状態で舞台に立った時点で気づくことが出来たはず。彼らが己の身を賭して戦う一流の武芸者であると。


 今、舞台上では三人による三つ巴の戦いが演じられていた。


 一人は身の丈ほどの大剣を豪快に振るう炎使い。

 また一人は変幻自在の双剣を巧みに操る水使い。

 そして、ナルカミの兄であり鋭い槍捌きを見せる風使い。


 彼らが武器を振るうたびに火の粉と波濤が舞い踊る。

 その動きは決して速すぎず、また遅くもない。一般人の目でも追える範囲に収めながら流麗に動くことを基本とし、分かりやすい溜めと消えるような速い動きによる緩急を織り交ぜることで見る者を飽きさせない。

 エトは己にはないその技巧を目の当たりにして静かに魅せられた。瞬きを忘れ、思わずため息を漏らすほどに。

 

 だからこそ悪意を持った乱入者の登場に途轍もない不快感を覚えた。

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