日々に帰る
結局夏休み最終日に帰ることは叶わず
夏休みの宿題についてなどなど
溜まりに溜まったプリント類を受け取りに
学校まで足を運んでいた。
ゆうちゃんに何度も「ついていく」と
言われたけれど、
それをなんとか振り切ってたどり着く。
ろぴも同じような状況のため
今日彼女も学校に来ていると思うと
少しばかり心がざわめく。
旅の最終日、帰る日の朝。
ろぴは…ううん、いろはは
これまでの朝と変わらず
隣で眠って、そして目を覚ました。
°°°°°
いろは「朝はやーい。」
湊「おっはよーん。」
いろは「おはよー。」
何か夢を見ていた気がする。
その内容を思い出してはっとした。
目を見開く。
そういえばこの晩の夢で
ろぴと話をしたんじゃなかったか。
あなたは絵を描かない。
もっと広い世界を見に行く、と。
目を擦る。
一見昨日と何も変わりはない。
しかし。
湊「…!」
昨日もらって枕元、
スマホの隣に置いていたはずの
ろぴからもらった
棒人間の絵がない。
湊「ろぴ。」
いろは「んー?」
湊「昨日のこと覚えてる…?」
いろは「…?あはは、おばあちゃんじゃないよー、覚えてるよー。」
湊「棒人間…。」
いろは「棒人間…?」
湊「そう。」
いろは「もー、何寝ぼけちゃってるのー。」
ろぴはけろっと笑って遇らい、
布団を畳み始めていた。
°°°°°
その後棒人間の絵は
どこを探したって出てこず、
おまけに、こっそりろぴの
幼少期の絵を探したのだが、
それすら一切出てこなかった。
うちの探し方が悪かったのかと思えば
どうやらそう言うわけでもないらしい。
ネットから、そして
うちの写真ファイルから、
さまざまなところから
ろぴの描いていた形跡は消え去っていた。
ろぴはろぴじゃなくなった。
いろはになったんだ。
そうわかってしまった瞬間
とんでもないことを
しでかしてしまったのではないか、と
心底ゾッとした。
彼女を救うためだった。
今ではどうしてか言い訳に聞こえる。
絵について雨鯨の2人に確認した。
2人ともいろはが
絵を描いていたことは覚えていた。
まつりんに関しては
彼女も記憶がないらしいので、
イラストを描いていたらしいことは
覚えているようだった。
れーなも覚えていた。
絵を描いていたよね、と。
だからまつりんの時と同様、
本人だけの記憶がまるっと、
そして描いていたはずの痕跡が全て
抜け落ちてしまったらしい。
だから彼女の家には
揃っていたはずの絵の機材や画材、
これまで描いてきた全てが
どこか霧散して見えなくなっているのだろう。
置き勉していた荷物を回収するため
空白になった教室へ向かう。
吹奏楽部が既に
練習を始めているらしい。
放課後のような雰囲気が漂っている。
湊「…ふー、ふふー。」
雨鯨のオリジナル曲を口ずさんでみる。
…あれ、こんなメロディだっけ。
長いこと聞いてない上、
もう2度と聞くことはできないために
あとは忘れていくことしかできない。
旅を終えて帰ってから
ゆうちゃんにはこっぴどく叱られた。
どこに行ってたのか。
どうして連絡しなかったのか。
連絡しても答えなかったのか。
GPSが追えなかったから
電源を落としてたでしょう、とか。
もしゆうちゃんがうちの家に
合鍵を使って入ってきた時用に
いつも作って行っているご飯は
冷凍庫に予備を入れているなどなど
メモを1枚机の上に置いていたのだが、
どうやらそれは見ていないらしい。
てっきりすぐうちの家に
入ると思っていたから意外だった。
帰ってすぐ彼女の家に向かったが、
あまりまともな生活をしていなかったのか
最後に見た時より荒んでいるようだった。
どこに行ってたの。
適当に旅というか。
1人?
そんな感じ。
あ、彼氏とかは作ってないよ、安心して。
そう言ってはぐらかして
結局最後まで押し通したけれど、
ゆうちゃんは腑に落ちないようで
酷く冷たい視線をしていたのを覚えている。
「本当に全部話してくれないの?」
ぽと、と小さく落ちる呟き。
あまりに心臓がぎゅう、と
絞られるようで、
けれど、ここで曲げたら
負けてしまう気がして。
今後もずっとうちの全てを
話していくと宣言するようで、
それが嫌だったから口を開いた。
湊「うち、もう子供じゃないよ。」
ゆうちゃんの返事はなく、
今にも泣きそうな顔をしているのを見て
居ても立っても居られず
そっと手を握った。
ゆうちゃんとはそれ以降
これまでと同じように接してはいるものの、
うちの感じ方の問題だろうか、
これまでよりも少し距離を感じるようになった。
いろはが絵を描かなくなり
ツイートをするようになった。
変化が多く、その穴を埋めるように、
旅から戻ってすぐだと言うのに
休日は友達やバイト先の人を誘って
とにかく遊んだ。
置いていた荷物をまとめる。
いつも学校に持ってきている
リュックだけでは足りない。
念の為のトートバッグを持ってきてよかった。
詰め終わる頃には、
鞄に背負われているような状況になっていた。
いろははどこにいるのだろう、と
連絡しようと思いながら
ふらふら歩いていると、
癖だろうか、美術室の方へ向かって
いつの間にか歩いていた。
窓から指す日差しが暑い。
今日も35℃を超えるらしい。
さっさと帰りたいな。
そんなことを思っていると、
不意に廊下の奥から
見覚えのある背丈が目に入る。
ふたつ結びが揺れている。
はっとして目を見開き足を止めて、
重かった荷物全てを
近くの壁に寄り添うように置いた。
ちら、と真横の教室を見る。
いくつかの油絵が飾ってある
美術室の前だった。
いろは「やほー。」
湊「うん、やっほ。」
いろは「お互いすごい荷物だねー。」
湊「ろぴも置き勉派でしたか!」
いろは「うん。本当なら夏休み前に帰ってこようとは思ってたからー。まぁ、誤算誤算。」
湊「あはは。とんでもない誤算だ。」
いろは「何であんなに長居しちゃったのかもわからないしねー。疲れてたのかな?」
湊「ゆっくりできたんならいいんじゃない?」
いろは「そうかもー。」
いろはも荷物が重かったのか
パンパンに膨れ上がったリュックを
床にどんと置いて
肩をぐるぐる回した。
いろは「それにしても宿題多くて嫌になっちゃうよー。」
湊「そんな多いの?」
いろは「うんー。1年生だから文系理系両方の科目があって大変ー。」
湊「あ、そっか。」
いろは「学校に行ってたらもっと早く教えてもらえて休みが始まる前にちょっとは進められたんだろうけどねー。」
湊「あー。たまにいるよね。休みが始まる前にほとんど宿題が終わってる子。」
いろは「でも1番難しいのは美術かもー。あんまりよく読んでないけど、確か…なんか作品を作ってこいー、だって。」
湊「作品?」
いろは「そー。夏休み入る前にみんな完成させてるらしくて。私は触りだけやってるらしいから完成させてねー、みたいな。」
湊「つけが回ってきちったね。休んだ分ちゃんとやんなきゃ。」
いろは「うわー、えいばあちゃんもそう言ってたよねー。いやー、もうほんと、どうして美術選択なんかにしてたんだかー。過去の自分を呪ってやりたいよー。」
湊「何で美術選んだの?」
いろは「さぁー?もしかしたら好きなものほど近づくと嫌になるかもとか考えたのかなー。」
湊「音楽の方が好きってこと?」
いろは「まあねー。ほら、私ってピアノだけの曲とか好きじゃん?」
湊「うん。」
いろは「だからこれからも聞いていくんだろうなって思うし、いずれ作ったりするのかなって思う時もあったよー。」
いろはは嬉しそうに話す。
もしかしたら今の…
…うちの知らないいろはの過去では
歌が上手だとか
ピアノをしていて上手と言われたとか、
そういったルーツがあるのかもしれない。
確かに記憶を失う前も
歌詞のない曲を好んで
聞いていた記憶はある。
けれど、これほどまでに好きだったか。
それを問われると正直
うちにはわからない。
いろははくる、と1回転して、
でも、と続けた。
いろは「私は創る側の人間にはならないだろうなー。」
湊「そんなことない…と思う…」
いろは「そう?普通に大学行って普通にバイトして普通に事務とか接客とかのお仕事に就職しそうだなって自分では思うよー。営業は難しそうだけどー。」
そんなこと言わないで。
そう言いたかったけれど、
絵をやめた、絵を知らない彼女の手前
そのまま言うことができず、
言葉を絞り出す。
痛い。
心が痛い。
湊「絵は…。」
いろは「えわ?」
湊「…絵。イラスト…描かないの?」
いろは「あはは、ああ、絵ね。急にどうしたの。私絵は描けないよ?多分湊ちゃんよりへたっぴ。ちゃんと描いたのなんて幼稚園以来くらい。」
湊「美術の授業とかあるじゃん?中学の時でもあったじゃん。」
いろは「あんなの面倒くさいし適当にやったよー。今回もそうするー。高校進学にも必要ないし、教養のためって言うけど美術とか芸術って好きな人が勝手に学ぶじゃんね。押し付けの感性豊かプログラム好きじゃないなー。」
湊「何かを作らない時間がしんどかったりは」
いろは「湊ちゃん。」
いろはが制する。
あぁ。
どこかで。
旅の中でも同じように
こうして止められた気がする。
いろは「さっきから何の話をしてるの?」
誰を見てるの。
そう続けた。
いろはの眼光は鋭かった。
まるで何かを見抜いているようで、
いつもはうちが他人の考えを
見透かす側だったからか、
その視線にゾッとした。
こんなにも怖いものか、と思う。
同時に、弱みを握られたような
窮地に陥ったような気持ちになる。
取り返しのつかない場所まで来ているような。
…いいや、昨日から。
昨日からもう取り返しなど
とうにつかない場所まで来ている。
だからこそ、失ったものの責任を
問われているように
勝手に思ってしまっている。
勝手に罪悪感を抱いている。
いろはのため。
そのエゴで行ったことなのに。
自業自得なのかもしれない。
けれど、いろはのこの先の未来が
明るく少しでも心軽やかなものなのであれば
うちはこの罪を飲み込もう。
一生抱えていたっていい。
忘れてやんない。
いろはが絵を描いていたこと。
絵を好いていたこと。
絵を否定して欲しかったこと。
きっと。
きっと本当は。
絵のない人生を否定して欲しかったこと。
全て全てうちが覚えておく。
だからこの先数十年、
好きに生きて欲しい。
自由に。
絵に囚われずに。
湊「ううん。何でもない。」
いろは「本当ー?」
湊「もっちろんよ!多分ちょいとリアルな夢を見ちまってこんがらがってんだね。」
いろは「あはは。もー、しっかりしてよおばあちゃーん。」
湊「よく言われるけども!2歳しか変わらないやい!ぴちぴちだよん。」
いろは「ぴちぴちおばあちゃんー。」
湊「言ってくれるなーこんにゃろーう!」
森の奥に潜む大きなモンスターのように
大きく両手をあげて
いろはに飛びかかる。
いろははきゃーと棒読みながら言って
けたけた笑いながら走ってゆく。
それをワンテンポ遅れて
重しの乗った足を動かした。
夢を見た。
それはそれは短い夢。
とても短い夢。
人生以上に短い夢。
でも、とてもとても、
とんでもなく幸せな夢だった。
4人で音楽グループを作って
みんなで曲を作って投稿した。
作詞作曲したものから
イラストが生まれ、
ボーカルが歌い、
MIX師が仕上げをする。
その中に混ぜてもらう夢。
それから若き才能のある子が、
…いや。
絵を描き続けていた1人の女の子を
間近で見ていた夢。
絵以外に興味がない子を
理解しようとする夢。
その子に憧れる夢。
その子の絵を見る夢。
その子の絵を見るのが楽しくて嬉しかった夢。
彼女の成長が楽しみで…
自分のことのように………。
…。
…。
後悔しないはずだったのに
浮かんでくる言葉は
「ごめんなさい」「描いて欲しい」、
そればかり。
いろは「湊ちゃーん。」
湊「…!」
いろは「今度、遊びに行こうー。」
湊「あはは、今それ言いますかい!」
いろは「うん。忘れないうちに言っとかなきゃー。」
湊「それは確かに!じゃあ行こう。すぐ行こう!」
走っていろはの元へ向かう。
彼女は鳥のように軽やかに
うちの隣へとふらり位置付けた。
忘れないうちに言わなきゃ。
彼女はそう言っていた。
なら、忘れてしまうべきあなたへの言葉は
そっとしまっておくよ。
あなたの絵が大好きだよ。
ありがとう。お疲れ様。
それから。
いってらっしゃい。
うらはら 終
うらはら PROJECT:DATE 公式 @PROJECTDATE2021
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