烏鷺がある

新庄駅に駄菓子屋があるらしく、

そこに行こうとの話が上がったので

今日も今日とて駅の方へと

遊びにきていた。

世間は3連休ということもあり、

平日の時以上に混んでいる。


いろは「わ、懐かしいー。」


湊「見てみて、タラタラだー!」


いろは「いいチョイスー。」


湊「駄菓子屋で大人買いするの夢だったんだよね!」


いろは「わかるー。大人って感じするよねー。」


湊「ちっちゃい時じゃ考えられないくらい!」


いろは「だからこそ記憶に残ってるんだろうなー。」


ろぴは知育菓子を手に取り

ぼんやりと眺めている。

その思考の読めない顔を見て、

不意に夢で見たことがありありと

思い出される。


ろぴの絵が破損させられ、盗作されたこと。

学校に行かなくなったこと。

全部、全部本当に

ただの夢の話なのだろうか。

それとも、もしかしたら。

そんなことを考えながら

駄菓子をいくつもとラムネを1本ずつ買う。

膨らんだ鞄を肩にかけると

服に皺が寄った。

まだバスが来るまで時間があったものだから

お互いラムネをからんと鳴らして

飲みながら帰ることにした。


いろは「暑いねー。」


湊「晴れるとばりーん!って肌にくるよねん。」


いろは「夏になるともっときちゃうよー。」


湊「やーん日焼け止め塗ったくろ。」


いろは「湊ちゃん白いよねー。」


湊「いーや?ろぴの方が白いけども!ほれ見てみ。」


彼女の片腕の横に合わせる。

最近バイトやら友達と

遊びに行くやらで

夏らしく小麦色に焼け始めている。

対してろぴは艶やかな

程よく白みがかった健康そうな肌だった。


いろは「部屋から出てないのバレちゃうなー。」


湊「じゃあ今のうちに焼いとこ焼いとこ。」


いろは「焼きたくないんじゃなかったのー。」


湊「たすかに!?」


いろは「たすかたすかー。」


湊「ぶへ、何それー。」


口をつけたラムネが

変なところに入りかける。

ろぴはけらけらと小さく笑った。


いろは「そう言えば良かったの?スマホなしでー。」


湊「うむ!だってろぴと話したじゃないのー。言葉のないところにって。」


いろは「そうだけど、でも湊ちゃんまでスマホの電源を落とす必要なんてなかったのに。」


湊「んー?なんとなくだよん。ろぴが言葉のない時間を過ごしたいみたいなこと言ってる時、確かになって思ったのだー!」


いろは「そう?親御さんとかから連投されてても知らないよー?」


湊「うち1人暮らしだからさ!一応!」


いろは「一応ねー。」


言葉の形を虫取り網を被せ

正確に捉えるようにしてそう言った。


1人暮らし。

もっと自由だと思った。

1人暮らしって楽園だとか

虹の孤城とかいろいろ言われているのを

聞いたことがあった。

自由で、けれど自分で

しなくちゃいけないことも多くて、

でもいつでも友達を呼べるし

夜更かしだってしていいし

何時にお風呂に入ってもいい。

そんな楽しいの詰まったものだと思っていた。


しかし、そんなことはなかった、

いや、他のご家庭であれば

自由らしくあれたのだろう。

けれど、うちは上京したにも関わらず

姉妹よりも深い仲とも言える

ゆうちゃんが連絡もなく近くに住み、

お母さんからはよく連絡が来た。

やれちゃんと帰れだの、

やれ変な人と絡むなだの。

うちだって子供じゃない。

大抵のことに対して

分別はついている…と思う。

心配なのはわかるけれど、

そこまで信用がないのかね、と

時折感じていた。


特にゆうちゃんには何をするにも

…というよりどこに行くにも

頻度高く連絡をしていた。

その方が安心できるから、らしい。

安心はして欲しい。

けれど、だんだんと見張られているようで

息苦しくなり、

今回連絡すらせず

こんな遠くまで来てしまった。


悪いことをしていると感じているのか

その不安感からか、

何も話していない時間を埋めるように

声を絞り出した。


湊「うちがさ、恋人さんのことで相談っていうか…話したこと覚えてる?」


いろは「うーん、なんだっけ。」


湊「Twitterのスペースで話してた時のやつ。うちの…というか、ゆうちゃんの過去の行動っていうか。」


いろは「一応確認なんだけど、ゆうちゃんって詩柚ちゃんで合ってる?」


湊「そうだよん。あれ、知らなかったっけ…?」


いろは「学校に閉じ込められてた時の行動からしてそうだろうなーとは思ってたけど、直接聞いたのは初めてかも。スペースで聞いた時もTwitterでも一貫して「恋人さん」って言ってたから。」


湊「えへへ、うちってネットリテラシーあるからさ!がはは。」


いろは「確かに雨鯨で1番そうだったと思う。」


湊「なになに急にお褒めのターン?」


いろは「だってスペースでほぼ発言しない、自分ではまず開かない、ディスコードでの通話でも喋ることは今日あったこととか面白かったテレビとか。」


湊「前半はネットリテラシーがあるってことの裏付けとしてはわかるけど後半は一体なんの話だい!」


いろは「自分の内情…家族関係とか、学校でのこととかは本当に話さなかった。」


湊「あー…まあ、結局ろぴには話しちゃったけどねん。」


いろは「でもあの時の湊ちゃんが元気ピンピンだったら絶対話してない。」


湊「みんなそんなもんじゃない?元気でーすって時に悩み相談はあんましないんじゃないかな。」


いろは「そうかもしれないけど…とにもかくにも私が言いたいのは、湊ちゃんは赤裸々で自然体でいる反面、意外と秘密主義ってこと。」


湊ちゃんには湊ちゃんの

なりたい人物像があるんだね、と

ラムネを口にしながら言った。

そしてその瓶を見つめながら

ぽつんと朝露が滴るように小さく言う。


いろは「ビー玉の反射した光の先を見てるみたい。」


湊「…ははーん、なるほどね。」


自然と彼女の手元に反射する光を眺めていた。

ろぴの言いたいことはわかる。

痛いほどわかる。

今うちの見ている彼女の手元に落ちた光が

うちみたいだと言っているのだ。

ビー玉本体を見れていない気がすると

言っているのだ。


うちは友達に対しても知らない人に対しても

家族でも恋人に対してでも

対応を変えてきたつもりはあまりない。

その人にあったペースがあるから

合わせようと思う時はもちろんある。

けれど、明確に区別したつもりはない。

だからこそ、皆して

平均点な付き合いになってしまう。

友好関係がとてつもなく広く、そして浅い。

そのこともあって、

反射した光という印象を持たれているのだろう。


でも、うちにとってそれは

本望に限りなく近かった。

明るいところだけを見ていてほしい。

その方が楽しいから。

くよくよしてしまうよりも

明るく楽しく過ごしていた方が

いろいろなものが目に飛び込んでくるし

いろいろな人と話せるし、

いろいろな経験ができる、知れる。

だからろぴにそう思われていたとしても

何ひとつとして落ち込むことはないし、

むしろ喜ばしいことなのだけれど、

何故か心に影ひとつ落ちる気がした。


ろぴは風のせいで頬にかかった髪を

肩の後ろへとやったあと、

おっとりとした目を細めた。


いろは「それで話がものすごく逸れちゃったけど…スペースで話した時のことは覚えてるよ。あれだよね、私の声だけ乗って、裏で私と湊ちゃんが会話して…ってやつ。」


湊「そーそー。あの辺りの話、もう1回した方がいい?」


いろは「ううん。重ねて聞く必要はないと思ってる。話す方も思い出す必要のないことを思い出すことがあるだろうし。」


湊「まあねん。」


うちとしても今ここで

ゆうちゃんのことについて

話さなくてもいいと思っていた。

知られなくていい。

もし知られる局面があったとしても

今知られるべきではないと思っている。

まだ必要じゃない。

それに、彼女のしてきたことは

自分の中では既に答えが出ている。

守るためにしてくれた。

ただそれだけ。

だから悩むようなことでもない。


ひと息吐く。

自分の思ってることを

曲げずにはぐらかさずに伝えるのには

相変わらず勇気がいる。


いろは「話ずらしちゃったねー。それで、その詩柚ちゃんとどうかしたの?」


湊「ん、今回さ、事前に何日間かいないよっていうと心配かけちゃうしあえて言わずに来たんだよね。」


いろは「逆に心配するやつじゃない?」


湊「言ったら行かせてもらえないこと確定だったんだよん。多分ね。」


いろは「まあ普通はそうだよねー。学校あるし。」


湊「そういうことでもない気がしてるけども。」


いろは「というと?」


湊「学校があるかないかはどうでもよくって、自分の近くにうちがいるかどうかな気がするんだよね。」


いろは「へー。近くに置いておきたいみたいな?」


湊「そんな感じ…かなぁ。」


いろは「歯切れ悪いねー。」


湊「うちもあんまし分かってないんだよ。有り体に言えば過保護なんだろうけど…過剰っていうか…」


いろは「過剰な保護が過保護じゃないのー。」


湊「てやーん!分かってるやい!でも度を越してないかーって言ってんだーい!」


いろは「あはは、やーい。」


ラムネを持ったままなので

特に何もしなかったが、

もし何も手に持っていなかったら

くすぐりの刑にしていたのに。

そう思いながら

ラムネの中のビー玉を鳴らした。


いろは「近くにいる人ほどわからない?」


湊「んー、そうかも。」


いろは「聞いてみたらー?何でそんな心配なのーって。」


湊「教えてくれなさそうなんだよね。ゆうちゃん、ちゃんとしてるし頑張り屋さんで抱え込んでるっていうか…うーん、けど片方持つよって言っても軽く交わされる…みたいな。」


いろは「ミステリアスなんだー。」


湊「そうなのかな。」


いろは「湊ちゃんとお似合いではありそうだけどねー。」


湊「うち?」


いろは「さっきも言ったじゃん。秘密主義だねって。」


湊「あ、うん。」


いろは「大切な人に全部話せるわけじゃないんだよ、きっと。」


ろぴはゆうちゃんから

あまりいい視線をもらっていないことに

気づいていないのか、

擁護するようにそう言った。

彼女はもしかしたら

人から向けられる感情に

疎いのかもしれない、と

夢で見たことも踏まえて思ってしまう。


湊「そうだけども…監視されすぎてる感じっていうか、縛られすぎるっていうか。」


いろは「そっか。」


湊「たまーに、ほんのたまーに思っちゃうんだよね。人形じゃないぞーって。」


いろは「大学生になったらきっと今より自由になるんじゃないかなー。」


湊「大学生かぁ。」


いろは「とか、社会人とか。大人になったら個人個人の時間が増えるはずだからさ。」


湊「同じ高校に通ってるんだし、今はどうしても近くなっちゃうだけかー。」


いろは「大人になりたいねー。」


バイトをしているものだから

ある意味社会との繋がりはある。

金銭面に問題がないのであれば、

バイト暮らしでもいいと

言っていた人の気持ちも

まあわかるようになった。

親と先生以外の

多くの大人と関わるようになって

その一員になれたような気になってた。

けれど、実際大人ではない。

大人から見たうちらは

きっとまだまだひよっこで

社会のしの字も知らない子供でしかない。


人間関係然り1人暮らし然り

大人になったつもりだったな。

ろぴが「大人になりたい」と言って

ふと気づいた瞬間だった。


そんな彼女は大人になったら

何になるのだろう。

何をしているのだろう。

徐にラムネの瓶を振る。

ペース早く飲んでしまったからか

残り半分もない。

手元に光を反射したそれが落ちる。


湊「あのさ。」


いろは「うん。」


湊「ろぴ、今後絵は描かないの?」


いろは「その予定かなー。」


湊「…そう。」


いろは「なんで?」


湊「うち、ろぴが絵をやめようとしてる理由、聞いたことない。それとなく…飽きたとも違うけど、なんか色々あってーとは聞いたことあるけど、ちゃんとこれだってものを聞いたことない。」





°°°°°





いろは「人目を気にしてみたことが…ううん、そのふりをしてみたことがあったの。絵をやめた理由にも使ってみたことがある。頑張って描いた絵が見てもらえなかったーって。湊ちゃんにも話したことあったと思うけど。」


湊「それが決定的な理由とは聞いてないけど、話自体は聞いたことあるよ。」


いろは「でもね、知り合いみんな言ったの。それだけで絵を辞めるような人じゃないって。買い被りすぎだよね。その時ばかりは私は嘘をついていたから、実際みんなの方が合ってはいるんだけど、私の何を知って断言しているんだろうって不思議だったんだー。」


湊「…。」


いろは「で、わかったの。家族も友達もみんな、絵を描く西園寺いろはに期待しているって。絵を描き続けていて、絵が大好きないろはは永遠に続くって期待しているの。さっきの先生もそう。どこかで中学生の頃の私の絵を見たとか何とか。柄ではないけれど、ある意味としてのアイドル性というか。偶像的だよね。そこで私の本体を見た?影を見た?って聞きたくなっちゃう。」





°°°°°





そう語ったろぴの沈んだ、

けれどどこか淡々とした声が

今でも脳の奥を掠める。


しばらく靴音だけが響く。

少しして車が通りかかり、

また静かな時間が流れた。

そして。


いろは「教えて欲しい?」


湊「え、逆にいいの?だってこれまで「いろいろ重なって」って頑なに言ってくれなかったじゃん。」


いろは「時間が経ったからねー。その時は別に話さなくてもいいかって思ってたんだよ。でも、今なら聞いて欲しいかなーって。」


湊「大体その出来事があってすぐの時に聞いて聞いてってならない?」


いろは「んー、普通はそうなのかも。どうだかな、当時は本当にどうでもいいって思ってたのかもしれないし、熱が冷めるまでは落ち着いていようって思ったのかもしれない。」


湊「周りの人を心配させたくなかったのかなって思ってた。」


いろは「あー、そうかも。」


湊「本当ー?適当に相槌してないですかい?」


いろは「ほんとほんと。ほら、お姉ちゃんが結構親族の間で心配されてたから、その印象が強くてさ。自分は心配かけないようにしようって無意識のうちに思ってたのかも。」


湊「それでも、話してくれない方が心配になったりしない?」


いろは「私自身特に何かあるって思ってなかったけど多分普通の感覚じゃないから、知られなくてもなんともないかって思ってた気がする。結果的には湊ちゃんの言う通りになっちゃったけど。」


言っても心配、言わなくても心配。

じゃあどうすればいいのか。

彼女はそう言いたげに眉に皺を寄せて

ちょっぴり口角を上げた。


いろは「ざっくりいうと…うーん、作品ひとつを捨てられてもうひとつ盗作された…くらい?なんかの成り行きでビンタ1発くらったかも。あれ、胸ぐら掴まれただけだっけ?あと同時期くらいに飼い猫が亡くなっちゃって…そんな感じかな。」


湊「…!」


同じだ。

うちが寝ている間に見た夢と

全く同じだった。

そんなことが現実にありえるのか?

普通、普通であれば考えられない。


もしあり得るのだとしたら、

これも不可解の一部であって

既に片足を突っ込んでいるということ。

じゃあうちが見ていたろぴの過去はなんだ。

過去に戻って当時の現実を見ていたのか。

それとも再現された何かか。

そもそもうちは本当に眠っていたのか、

それともしっかり目を覚ましていたのだろうか。

胡蝶の夢、というものを思い出した。


考え込んでいると、

不意に彼女がゆらりと体を傾けて

覗き込むようにうちのほうを見た。


いろは「どうしたのー?」


湊「いや…思ってる以上のことが起きてたからびっくりしちゃったもんでさ。」


いろは「そう?」


湊「それ、顧問の先生とか周りの部員とか見てたんでしょ。その盗作をした人とかはちゃんと罰を食らったよね?」


いろは「知らなーい。」


湊「え。」


いろは「その後のことは興味なかったんだよね。確か…私が学校にそんなに行かなくなって以降、絵を破棄するとこらを見てた部員が先生に報告に行った…とか聞いたことあるけど。」


湊「罪悪感から…?見てたんならその時に言えばもっと事が大きくならずに済んだかもしれないのに。」


いろは「んー、まあどうでもいいよ。」


湊「よくないよ。ろぴにとってはよく……。」


その時、ろぴはくぁっと大きく

口を開けてあくびをしていた。

歩いているせいで

手元のラムネの中に閉じ込められたビー玉が

からんからんと鳴いている。


ろぴはまるで酷く欠けたガラス細工のような、

穴が空きすぎて模様となった障子のような、

ぼろぼろのはずなのに

それが芸術として残されているような

雰囲気を察知してしまった。

物悲しいのだけれど、

それは栄誉だと語られ

信じる他なくなっているよう。

檻の中も同義だ。

それまで贅沢な食事をしていたのに

檻の中に入れられて、

質素な食事をするうちに

それが普通だと信じて疑わなくなった。


生活から絵を抜くことが普通になり、

感情の波を持たないことが普通になった。

ろぴは以前からそれほど

感情の起伏が激しい人ではなかったけれど、

今ではあまりに平坦すぎる。

飛び出すことも凹みもしない。

コンクリートの上を

歩き続けているみたいだった。


湊「絵は…絵は、もう描かないの?」


いろは「んー。」


湊「美術部だって…。」


いろは「例えばの話ねー。ファミレスで働いてたとします。」


湊「…?ほいほい。」


いろは「他人がお皿を割ったのに自分のせいにされ、シフトを出したはずが勝手に変えられて無断欠席のように扱われ、配膳中に髪の毛が入ったのにキッチンの自分のせいにされたとします。同じ店舗ではないとしても、湊ちゃんはもう1回ファミレスで働こうってなる?」


湊「……別のことをしてみるのもありかなーって思うちゃうな。」


いろは「でしょ?一緒。」


当たり前だよねと言わんばかりに

誇らしげに笑っている。

何故そんな笑顔ができるのか

うちはてんでわからなかった。


何年も続けてきたことだ。

うちが知っているだけで

期間は空けど3年。

3年もだ。

それよりもっと昔から描いている。

小学生、もしかしたら幼稚園の頃から。

それを簡単に放り出していいのだろうか。

ろぴは嫌がっていたけど、

もったいないと思ってしまうのも

怖いほどに分かってしまう。

勿体無い、同時に

彼女から絵を消してしまったら

何が残るというのだろう。

ろぴもそれに怯えていた。

絵を描かない自分が怖い、と。

うちだって怖い。

友人が変わってしまうのは怖い。


今だけはそこにあるべき

瓶に入ったビー玉が

窮屈そうに見えた。


湊「初めてちゃんとビー玉本体を見た気分。」


いろは「大人しそうとはよく言われるし実際そうなのかもしれないけど、多分世間が抱いてる印象とはずれてるんだろうなー。」


湊「清楚系とはうらはらにってやつ?」


いろは「清楚系は結構びっくりするようなギャップ持ちなイメージあるよー。」


湊「あはは、そーお?あ、でも意外とヘビメタ好き!って子や蛇好きって子もいるよね。」


いろは「そうそう、そんな感じー。ってヘビに引っ張られすぎじゃない?ヘビメタのヘビは蛇じゃないよー?」


湊「んなことわかってるもーんだ!みくびってると痛い目見るぞー!」


そう言って空いていた手で

ろぴのほっぺを軽くつねる。

「いはーい」と甘くなった滑舌で返ってくる。

それに思わず笑ってしまった。

蝉が鳴き声が耳に届く。

夏だな、としみじみ思った。


湊「でも。」


明るい話をしたい。

この旅は楽しく終えたい。

けれど、それに反するように口は開いた。


湊「うち、ろぴには絵を描いていてほしい。」


いろは「ふうん?」


湊「ろぴは嫌だって言ってたけど、絵を描くろぴが好きだっていうの、うちもちょっとそうだから分かるんだ。記憶の中ではね、ろぴって描くときとってもきらきらして見えるの。楽しいって前面に出てる感じがする。」


いろは「…。」


湊「でもそれ以上に、ろぴの描いた絵が好き。」


いろは「ありがとー。」


湊「だから…」


いろは「湊ちゃん。」


うちの言葉を制するように

強く名前を呼んだ。

彼女の方には顔を向けなかった。

ずっとラムネの瓶を眺め続けた。


いろは「今からとっても嫌なこと言うね。」


湊「うん。」


いろは「みんな結局はね、あなたが納得する理由でいいと口走りながら私が納得する理由をくれって言ってるんだよー。それは親だってネットの人たちだって、湊ちゃんだってそう。」


湊「違うよ。うちは辞める理由に納得した上で、しんどくても続けて欲しいって言ってるの。」


いろは「おー、優しくない。」


湊「ろぴに酷なお願いをしてるんだよ。」


いろは「珍しいねー、湊ちゃんも波風立てないタイプでしょー?」


湊「話逸らさないで。」


いろは「ふふー。」


ちゃんと怖いね湊ちゃん、と

春の日のような声で笑う。

怖いの意味をまるで知らない

子供のような笑みだった。


湊「この先もずっと描いて欲しい。」


いろは「…また今度ねー。」


湊「ろぴ。」


いろは「人生の重要な決断をここでひょいとはできないよ。」


湊「いつか続けて、もしまた嫌だってなったらその時に辞めればいいんじゃないの?絵に近づいたり離れたりして、でも気が向いた時にでもいいから描いて。それじゃあ駄目なの?」


いろは「勘違いしてるよー。」


湊「何を。」


いろは「諦めるって、辞めるってそう簡単にできるものじゃないんだよー。これまでの全部を捨てるんだよ。道具も時間も全部。それを分かってない。」


湊「無駄にはならないよ。道具は置いておけばいいんじゃん。」


いろは「ずっと苦しめって言ってることに気づいて。」


湊「…っ。」


何をするにも視界の隅に入る。

よく言えば意識から絵が抜け落ちない。

悪く言えば抜き出すことができない。

良くも悪くも人生を共にすることになる。

けれど、これは続けていたって

やめたっていつまでも

彼女の脳を巣食うはずだ。

苦しいことに変わりないのだ。

なら、描いていて欲しい。

…だけど、ろぴを苦しめたいわけじゃない。

幸せであって欲しい。

それは本当。

本当に願っている。


描いて欲しいのは最早ろぴのためじゃない。

自分のわがままだ。


いろは「描けなくなって2、3年。もう十分だと思わない?」


ととん。

彼女が数歩前を歩く。

長いこと歩いて

暇を潰していたらしい、

もうすぐでバスが着く時間だった。


いろは「絵を描くのをやめた理由はいろいろ。とにかく辞める理由が欲しかったんだー。全部理由に使えると思ったから使ったー。」


それでもだめかー、と

また抑揚のない声で言う。


いろは「本当に心の底からあなたが納得する理由でいいって言っている人は、底がないほど優しいか、単に人に興味がないかだと思うなー。」


振り向くことなく

そのワンピースは風にくすぐられている。

はためく白色が眩しい。


いろは「私、どっちだと思うー?」


湊「それは…」


いろは「なんてねー。バス来ちゃうし帰ろー?」


湊「…ほーいほいほい。」


いろは「ラムネ溢さないようにしなきゃだー。」


湊「ふぉっふぉ、まだまだじゃのう!」


いろは「もう飲み終わったの?」


湊「あと少し。」


いろは「なーんだ。飲み終わってないじゃんー。」


湊「こぼす確率は低いもーんだ!」


いろは「これじゃどんぐりの背比べだよー。」


ろぴは漸くこちらを向いて笑った。

逆光のせいで表情がわからなかった。





***





今日から新しい生活だ。

制服というものに袖を通す。

幼稚園の時以来だから

なんだか緊張する。


けど、いつもみたいにしていれば大丈夫。

何かしていたい。

そうだ。

いつもみたいに

何か描いていれば

ちょっとはマシになるかもしれない。

朝早く起きたせいで時間は有り余っている。

急いで椅子に座り紙とペンを取り出した。


構図は…うーん、春らしい感じがいい。

真ん中かな。

季節の主人公って感じで。

色味は…やっぱり柔らかい方がいいのかな。

なら線も柔らかい方がいいな。

曲線が多くなるようにした方が

もっといいのかも。

でもピンとこない。

これじゃない、と思ってしまう。

ネットに投稿するんだったら

もっと…いや、キャラクターにした方が。


そう言えば話題になってる

キャラクターがいたはず。

このキャラクターを主役に…。

あれ、私が描きたいのって

こういう感じの絵だっけ?

途中から脱線してない?


いろは「…。」


描いていることは楽しい。

自然にペンを持つくらいには

生活の一部になっている。


けれど、ふと思う。

誰かに見られることを前提に描いている。

絵は見られなければ絵じゃないのかな。

他者に見られて初めてそれは

絵になるのかな。

そしたら、誰にも見せない絵を

ひたすら描き続けていても

それは絵と言えないのかな。


さ、がっ、かっ。

かつ。


ペンが紙の上を踊る音がする。

絵のことについて考えながら引く線は

曲がりくねった迷いのある線だった。


いろは「…じゃあ。」


自分を表現するために絵を描くのに

結局他評価に塗れてしまって

自分の絵は曲げられてしまうのかな。

いつかは求められるがまま

自分も変わってしまうのかな。

自分で居続けるための手段のはずが、

自分を誤魔化すものになってしまうのかな。


芸術ってそんな

やわなものじゃないと分かっている。

実力が認められれば

自分の描きたいように描いても

評価されると分かっている。

けれど行き着く先は評価、評価。


ならどうして。

どうして描くのかな。


そんな問いが浮かぶ。

苦しくはない。

けれど、目の前をちらつく。

羽虫が付近を飛び回っているような、

そんな僅かな不快感が襲う。


がり、かっ。

か、か。

さ。


ペンを動かす。

今はそれしかすることができない。

大丈夫。

完成系を見たら案外しっくり来るはずだから。

それを見れば自分だって

納得させられるかもしれない。


そう願って手を止めなかった。

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