他鱗翅


平日もいいところ、

ゴールデンウィークでもない

本当にただの、普通の木曜日。

もちろん学校だって通常通りある。

それなのにうちは

横浜駅でキャリーケースを引いている。

左右を見てはスマホに視線を落とす。

改札近くの柱にいるとメッセージが入っていた。

改めて顔を上げた時、

うちに向かって視線を向けている人が

いることに気づく。

近寄りながらぱっと手を挙げると、

確証を得たからかにこやかに

腕を上げ返してくれた。


湊「おっはよーう!待たせちまったようだね…ごめそ!」


いろは「おはよー。ううん、本当に数分前に来たばっかりー。」


湊「そっかそっか。良かった。」


いろは「数日間の旅ですよ。湊さん。」


湊「んだね。うちわくわくしてきちゃった。」


いろは「戻るなら今だよー。」


湊「でーじょーぶ、それなりにちゃんと楽しみできてるからさ!」


いろは「ふふー。いいね。」


ふわりと笑って

彼女もキャリーケースを引いた。

まずは東京駅に向かい、

新幹線に乗って新庄駅まで行くらしい。

そこから先はバスに乗るのだとか。

事前にいろいろと時間や

集合場所、必要な値段等々

教えてくれたので助かった。

ろぴはこういうところで

意外としっかりしている。

何も考えず好きなことに飛び込みそうで

案外事前に準備していることがあるのだ。


ろぴが…というより

ろぴの親御さんが

先にとってくれていたチケットを

もらう代わりにお金を返す。

バイト代の多くは遊びに行くのに

使っているけれど、

ちょっこし貯金を残しておいてよかった。

元から突発的旅行のために

残していたようなものだったから、

今回旅についていくことになり

心躍ったのは確かだった。


新幹線では横並びに座った。

いつも帰省の時見ているから、と

窓側の席を譲ってくれた。


湊「毎年帰省してるの?」


いろは「うーん、去年は受験だったし全然。でも2年に1回は絶対行ってるねー。」


湊「ほうほう。仲良いんだねん。」


いろは「帰るのが行事になってるみたいなところはあるけどねー。家族マナーみたいな。」


湊「あーね。うちもあるかも。心配だから顔見せなさいな!みたいな。」


いろは「そんな感じ。でも私おばあちゃん好きだから別に苦じゃないんだー。」


湊「いいねいいね。ろぴのおばあちゃんがどんな方か気になるなぁ。」


いろは「新庄のおばあちゃんはなんかねー、おっとりしてる。」


湊「ろぴ似かぁ。」


いろは「そうでもないと思うけど…?東京のおばあちゃんの方はなんかシャキシャキしてるんだよねー。」


湊「シャキシャキかぁ。食感みたいな言い方しよって!んじゃまあ新庄の方がろぴは落ち着くって感じ?」


いろは「おおー、すごい。大正解ー。」


湊「あはは。じゃあやっぱりろぴ似のおばあちゃんだ。」


いろは「私はそんなにおっとりしてないから似てないけどねー。」


本気で言っているのか

そうでないのかわからないけれど、

ろぴはそこまで言うと

持ってきていたらしい本を開いた。


しばらく会話がなかった。

外を眺めていると、

風を感じそうなのにそんなことはなく

耳が詰まっていくばかり。

鼻をつまんで息を吐く。

耳の詰まりをとるも

すぐにまた気圧で

おかしくなっていく。


数十分後、彼女はぱたりと本を閉じた。

振り向くと、本を鞄に

仕舞い込んでいるところだった。


湊「もしかして…読み終わったんですかい!?」


いろは「あはは、そんなわけないよー。飽きちゃった…っていうかちょっと酔っちゃった。」


湊「ありゃま。お腹空いてたら胃に何か入れな?うちお菓子ならたくさん持ってきてるから。」


いろは「そんなおばあちゃんみたいな。」


湊「やっぱそう?うち学校でもそう言われる。」


持ってきていた個包装のクッキーを渡す。

無事割れずにここまで来れたよう、

綺麗な形のまま彼女の手におさまった。

クッキーを食むろぴを隣にまた外を眺む。

随分と田園の多い地域になってきた。

かと思えば次はまた都会らしくなっていく。

背の高いマンションが

視界いっぱいに広がって漸く視線を外した。

既にクッキーは食べ終えたようで、

袋を小さく結んだものが机の上に転がっている。


湊「ろぴはさ。」


いろは「うん。」


湊「聞かれたくないかも知んないけど…いい?」


いろは「珍しいね、湊ちゃんが前置きしてから聞こうとするの。」


湊「そうかいねぇ?」


いろは「うん。どんなことを聞きたいのか今のままじゃわからないよ。だから聞かれたくないことなのかわからないや。」


湊「それもそうですな。あれだね、話したことあったっけ?から始める会話みたいな。」


いろは「ふふー、それだ。」


「それでなんだっけ?」と

ろぴは続けて言った。

彼女は何をするわけでもなく

目を閉じたまま会話をしている。

彼女が美術室に籠っていた時も

このような感じだったのだろう。

眠る気はないけれど目を閉じている。


湊「今回の旅のこと。」


いろは「うん。」


湊「旅を通じて…絵をまた描けるようになろう…みたいな感じなのかな。」


いろは「うーん、そうなったらいいな、くらい。」


湊「なるようになるね。」


いろは「それもそうだし、一旦澱みや考えてることのリセットって思ってる。そして絵を描けるようにというよりかは、私の今の頭の中が絵に反映されないようにしたいなって思ったの。」


湊「絵は考えてることとか描きたいものとかを反映させるんじゃないの?画家さんとイラストレーター、絵画とイラストはまた違ってくるだろうけども。」


いろは「そう、反映しちゃうんだよ。」


湊「うん…?」


いろは「だから、今の私の頭の中を具現化するのは嫌なんだ。」


湊「それも残してこそ人生って言えるんじゃないかなと思っちゃうな。ピカソだっけ。あの青の時代とかの絵も描いてた人。」


いろは「ピカソだね。すごーい。」


湊「でっしょー。」


いろは「確かにそれを残すこともいいんだと思う。本人さえ良ければ。」


湊「ろぴは嫌なんだ…?」


いろは「嫌か嫌じゃないか、なら嫌寄りだねー。絵は永久に残る。今自分自身の価値の権化だと思うの。」


湊「今の頭の中はそんなに悪いことを考えてるのかい。」


いろは「…うーん、過去のことがぐちゃぐちゃ紐になって足に絡まってる感じ。Twitterを見てると不意に引っ掛かることが目に入っちゃったりするんだよね。」


湊「引っ掛かること。」


いろは「そう。例えで出すなら…うーん、年齢と絵の話とか。」


はっとして彼女の顔を見た。

未だ目を閉じたまま

ろぴは話をしている。

ろぴは中学1年生の頃から

ネットでイラストを

投稿するようになっていた。

アカウントが凍結してしまうまで、

彼女が長い長いスランプに

入ってしまう前までの間に

何枚ものイラストを描き上げた。

その度とまでは言わないが、

「その年齢でここまで描けるのはすごい」

「才能がある」と

言葉をもらっていたのを知っている。

言われるごとに「そんなことない」と

返事をしていた気がする。


うちもそういう言葉を投げかけていた。

才能がある、将来もその道だね、

中学生でこんなに描けてすごい。

自分では褒めてるつもりだったけど、

ろぴにとってはそれがネックで

ある一種コンプレックスになっていた。


いろは「私はね、絵の価値は表面上だけのもので塗れて欲しくないって思っちゃうんだ。」


湊「外見とか年齢とか…。」


いろは「そう。だから私はネットに絵を投稿する時、中学生ですごいと思ったらRTだとか、中学生絵師だとか年齢を看板にするハッシュタグはつけたくなかったし、記憶の限りでは実際につけなかった。」


湊「見るのも嫌?」


いろは「好きではない寄りだけど、個人の考えで押し付けるものじゃない。私が作りたい空間にそれは不必要だっただけ。」


湊「そう言って、自分はこんなに若いのにこんなことができるよって自慢している人を見て、そんなダサいことするなーとか…言い方はすんごい悪いんだけど、下に見ることをしてるんじゃなくて?」


いろは「あはは。下に見てるは言い過ぎだけど、痛いところつくねー。」


それでも画力と数があれば周りは黙るんだよと

まるで自分を卑下するように言った。


いろは「確かに、そう思っている節も少しはあるんだと思う。年齢を売りにすることは一長一短だからね。けど、それはただの感情。」


湊「ただのって…それも大切な感情じゃない?ちゃんと吐き出せる時に吐き出さないと。」


いろは「感情をぶつけるのは人じゃなくてキャンバスで十分。でも、今はそれもできなくなった。しょうもないものにがんじがらめになっているよりも手を動かす方がいいことくらいわかるのに、それがあまりに邪魔でずっと動けない。」


湊「でもろぴはずっと動き続けてるよ。」


いろは「うん。動き続けてたね。」


彼女はそう言って

首を斜め前方に小さく傾げた。

まるで眠っている人が

船を漕いでいるようだった。


いろは「動けない今じゃ脳内に感情が溜まってくだけなの。だから今回帰省をすることに決めたんだー。」


湊「そうだったんだ。」


いろは「何か描けないかなって思って無理矢理美術室にこもってたけど、それでもだめでさ。」


湊「そりゃあ余計息が詰まっちゃうよ!息抜き行こって放課後誘えばよかったね。」


いろは「ううん。」


湊「なんで…?」


いろは「美術室から離れたら私は本当に絵を描かなくなるかもしれない。そしたら私が変わっちゃう。絵を描かない自分が怖かったんだー。」


絵と自分を切り離したい。

けれど、そうすると自分が自分じゃ

無くなっちゃいそうで怖い。

だから雁字搦めになっている。

どうにかしたいのに

どうしようもできない経験は

痛いほどわかる。

ただただ時間がすぎるのを待つしかないのだ。

その時ほど頭が痛く心が辛いことはない。


いろは「今の自分から変わっちゃったら怖いなーって思うことない?」


湊「うちは…そうだねー、自分が変わるより周りが変わる方が怖いって思っちゃうタイプかも。」


いろは「周り?」


湊「そー。家族とか友達とか。」


いろは「そういう経験があったんだ?」


湊「あー…そうかも?ほら、まつりんとかれーなとかのもそう。」


いろは「あーね。」


ろぴ自身探るつもりはないのだろう。

目を閉じて眠るようにして話している時点で

警戒心を持っていないし

こちらも持つ必要はないよと

伝えているようだった。

だからこそ不意にほろほろと

自分が剥がされていく。

夏に日焼けで皮膚が落ちるように

意図せずいつの間にかぼろが出ていた。


家族や友人が変わった。

それはとんでもなく不気味なものだった。

これまで放任主義で

適切な距離を保っていた親やゆうちゃんが

いつからか過保護になっていたのだ。

小さい頃の、少なくとも小学生あたりの

記憶なものだから

元々過保護だったかもと言われれば

そうだったかもしれない。

けれど、朧げながら変わったと

感じたのを覚えていた。


まつりんとれーなが変わった。

れーなは声が出なくなって

まつりんは作曲していたことも

雨鯨のことも綺麗さっぱり忘れた。

これまでのものが全部壊れちゃう気がして

怖くて仕方がなかった。


今あるものが壊れれることが

とてつもなく怖いんだと思う。


湊「昨日今日で突然変わるとかじゃなくても、じわじわ1年かけて変わるにしても怖いかも。」


いろは「でも湊ちゃんはいつも変化の場にいるよね。新しい場所に遊びに行ったり、人と関わったり。」


湊「そうかねぇ?あんまし意識してないけど、言われてみればたくさん遊びには行ってるかも!」


いろは「じゃあやっぱり変化のある場所にいない?」


湊「いるかも。」


いろは「場所も人も変わるものでしょー?」


湊「そうだねぇ、間違いなす!」


いろは「なすー。ならさ、場所や人が変化した後って行ったり会ったりしないの?」


湊「あー…どうだろ。場所ならまるっきりリニューアルとかしたらもはや別物だし気になって行っちゃうな。でも微リニューアルなら迷っちゃうかも。」


いろは「ほー。人は?」


湊「必要だったら会うけど、そうじゃなかったらあんまりかもしんない。でもうちいろんなところ行くからさ、学校内でも隣のクラスに遊びに行ったりとか。その過程で会ったりはするかな!」


口にしていると、口の中が

乾き切っていること気づいた。

変わってしまった人とは

積極的に会おうとはしないのかもしれない。

だからこそ、失ってしまった分を

埋めるようにして

新しいものに触れる。

それも変わってしまったら

また新しいものへ。

今あったものが壊れたら

壊れた部分を見ないようにするために

次へと向かっていく。

だからいつまでも良くも悪くも

変化のほぼないゆうちゃんが

近くに居続けている。

その他昔ながらの人とのつながりは

ほぼ消失しきっている。


新しいものばかり目につく自分の浅ましさが

ろぴの前では全て露呈しているよう。

それを彼女はどうとも

思っていなさそうなことが問題でもあり

安心してしまう要素でもあった。


しばらく新幹線に揺られて

新庄駅に辿り着く。

駅に併設するように複合施設があり、

バスが来るまで時間があったので

気の向くままに足を運ぶ。

30人ほどが入れそうな

街のコンサート会場のような場所があったり、

お土産屋があったり、

パーテーションの奥の窓際には

少人数が座れるワークスペースのような

場所も確保されていた。

施設内は閑散としており、

定年後であろうご高齢の方が

新聞紙を広げていたり、

何をするわけでもなく座っていたりしている。

長閑な雰囲気の漂う場所だった。


数分して2時間に1本しか

やってこないバスに乗り込む。

やがて広がる田畑ばかりの景色と

村営バスの文字に懐かしさを感じて

縁に肘をつき外を見つめた。

バスを降りて15分ほど歩くと

まばらながらに一軒家が見えてくる。

ろぴはそのひとつへと

吸い込まれるようにして歩いていく。

木造で二階建ての一見古い建物が

田園に囲まれた中にぽつんと孤立していた。

高校生になって神奈川県に出るまでは

田舎の方で暮らしていたものだから

緑の多い風景は懐かしい。

外見だけでは歩いたら床が抜けそうなほどの

褪せた色をしているが、

「中はちょっと前にリフォームしたんだよー」と

ろぴがうちの考えを読んだかのようにそう言った。

インターホンが夏空に響く。


いろは「えいばあちゃん、来たよー。」


湊「えいばあちゃん?」


いろは「本名がね、栄子だったかな?えいなんちゃらって言うから、親戚みんなえいばあちゃんって呼んでるのー。」


湊「そうなんだ!可愛いあだ名だこと。」


いろは「湊ちゃんのあだ名センスはなかなかだもんねー。」


湊「照れちゃうなこりぇ。」


いろは「うんうん、どんどん照れてこうー。」


なんじゃそりゃ、と言いかけたところ

靴音の先に扉が開かれた。

穏やかそうに垂れた目尻には

しわが刻まれている、

綺麗な白髪に染まった高齢の女性が

元々らしい下がり眉をさらに下げ

笑顔で出迎えてくれた。

この方がろぴの言う

えいおばあちゃんなのだろう。


えい「あらまぁ、よく来たね、よく来たね。」


いろは「えいばあちゃん久しぶりー。」


えい「久しぶりだね。あらら、そちらの子もよく来てくれた。大変だったでしょう。」


湊「高田湊です。数日間よろしくお願いします!こちらつまらないものですがよければどうぞ。」


えい「そんないいのに気を遣わなくたって。ありがとね。暑いでしょう、あがってあがって。」


いろは「お邪魔しまーす。」


湊「わーい!お邪魔します!」


彼女の言う通り、

中は綺麗にリフォームされた後のようで、

クリーム色のフローリングが

すっと伸びていた。

移動に約6時間前後もかかっており、

気づけば夕陽すら落ようとしている。

2階に上がりろぴについて行って

空いた部屋に入ると、

西陽が針のようにまっすぐ

部屋の中を刺していた。

部屋は昔ろぴの親御さんが使っていたのか、

学習机と棚がいくつか置かれており、

そこに目がボタンになっている

色褪せたうさぎのぬいぐるみや

旅好きだったのか様々な地方の

地図の冊子が並んでいる。

今となってはスマホで調べられるが

昔は紙で調べて移動していたのかと思うと、

その時代に生きていたわけではないのに

無性に感慨深くなる。


隅にキャリーケースを並べて倒したのち、

ろぴは伸びをして寝転がった。

いつもの二つ結びが

火をつける前の手持ち花火の

ひらひらのように束になったまま広がる。


いろは「今回は荷物多めだから2階は大変だったねー。」


湊「腕が取れちゃうかと思った!服だけでこんなに重くなるなんて…服も罪よのう。」


いろは「ねー。そうだ、お布団はねー。」


それから別の部屋にある押し入れから

布団を取り出し移動させたら、

何やら1階から音がするもので

様子が気になり階段を降りた。

キッチンに向かうとえいばあちゃんが

1人でせかせかと手際よく料理を始めていた。

新鮮な魚や綺麗な色をした野菜が

ぱっと目に飛び込んでくる。


湊「わー!美味しそうー!うち手伝いますよ!」


えい「いいよいいよ、座ったりごろんしたりして待ってなね。」


湊「やーん数日間お世話になるんですし手伝わせてください。ここにあるかまぼこは切ります?」


えい「そうかい、じゃあ少し頼もうかね。10個くらい切っといて、余りはラップ冷蔵庫に入れとくれ。」


湊「はーい!」


うちが手伝っていると

いずれろぴも降りてきて

一緒にえいばあちゃんのお手伝いをした。

他の家庭の味や匂いが

ふわっと香っているこの空間が好きだった。

えいばあちゃんには

「いいお嫁さんになれるよ」

なんて言われながら、

盛り付けをしていく。

夕食ができる頃には夕日がさらに傾いていた。


魚の煮付けや新鮮なサラダを食す。

えいばあちゃんは食事の際

あまり話す方ではないのか

初めは静かだったものの、

ろぴが最近学校でこうだった、

お姉ちゃん…つまり陽奈、

うちのあだ名としてはれーなが

最近はこうだったと話すうちに、

えいばあちゃんも口を開くようになっていった。

「また今度みんなで遊びにくるね」

「いつでもいらっしゃい」と

話しているのを聞くと、

穏やかな家庭の会話を耳にできて

うっとりとしてしまう。

帰りたい家があるのは

いいことだと思いながら夕飯を終え、

お風呂も先にいただいた。

部屋に再び戻り寝転がっても

まだ20時前後だった。


いろは「お、寝てないー。」


ろぴがお風呂を終え、

髪を乾かさず首にタオルを巻きながら

そう言って入ってきた。

2人分の布団を敷いて

大の字に寝転がっていたもので、

完全に閉じそうだった瞼を開く。


湊「ふふーん、体力だけはあるからねーん!と言いたいところだけどちょっぴり眠いっす!」


いろは「ご飯食べてお風呂入ったら寝るしかないもんねー。」


ろぴは充電器を取り出して

スマホにさした後、

「接続悪いんだこれー」と

ぴこぴこ音の鳴るそれを指差した。


湊「充電器使う?」


いろは「湊ちゃん使わないのー?」


湊「うちへーき。使っちゃいなよう。」


いろは「うーん、まだいいかなー。」


しばらくして音は止み、

充電され始めたのを確認して

彼女は荷物を整理し始めた。


今日は早めに寝ちゃおうか、と

彼女が言うものだから、

うちも自分の布団に潜った。

ろぴは髪を乾かしてくると

下に行ってはおばあちゃんと

話しているらしい声が聞こえる。

聞き耳を立てるのも良くないと思い

スマホを手にするも、

ただの板にすると心の内で

誓っていたことを思い出し

すぐに放り出してしまった。


電気を消して暗くする。

カーテンも閉じているせいで

光がほぼ降ってこない。

隣ではろぴが瞬きをしているのが見えた。


湊「寝れないんですかい?」


いろは「んー?そうかもー。」


湊「旅行ってわくわくして寝らんないよね!遠足の前日とかほぼオール!」


いろは「あはは、湊ちゃんらしいー。でも数日間続けば慣れて沢山寝てそうー。」


湊「うちもそんな気はする。なんなら明日にでもって感じ!」


いろは「うんうんー。」


湊「はー、それにしてもろぴと2人で旅行なんて新鮮っ!まさかこんなに仲良くなるとはねー。」


いろは「ねー。雨鯨の頃からなんだかんだで繋がりがあって、もう3年くらい?」


湊「うわ、そんなに経ってるなんて嘘でしょい?」


いろは「でしょいー。でもあの時って私まだ中学1年生じゃない?2022年跨ぐかどうかだからー。」


湊「そっっっか…じゃあ3年弱くらいですか!おわー、感慨深い。の割にはうちなんもしてないなー。3年間何したか全然覚えてなす!」


いろは「湊ちゃんにはいろいろな影響もらってるよー。頑張り屋さんだよー。」


湊「んなことないよ、ちゃらんぽらん星人だかんね。」


いろは「そう?」


湊「ろぴの方こそ頑張り屋さんでしょーい!」


いろは「のんびりやだよー。」


湊「わはは、それは言えてる。んじゃまあまあ互いに影響あったってことで!」


いろは「私たちはみんな蝶々だから仕方ないねー。確か鱗翅類っていんだっけ。」


湊「なんで蝶々?」


いろは「バタフライエフェクトって言うでしょ?人はみんなそれぞれの場所で羽ばたいてる。それが思わぬ人の元に影響して世界を変えてしまうかも。」


湊「なるへそ。この人は風っぽい、その人は木っぽいみたいな感じで人ってそれぞれイメージが違ったから、人間っていう大きな括りで見るのは新たな視点!」


いろは「ひとりひとりに風っぽいとか木っぽいとかがあるように見えるのも面白そうー。」


湊「楽しいよん。人と会うこと自体好きだからねん!」


いろは「ふふ、さすがー。赤の他人とはよく言うけど、その他人がたった今自分に影響を与えて変えてるかもしれない。けど、たった1回出会っただけ。それって他人のままなのかなってたまーに考えてる。」


湊「赤の他人…ね。うちは出会ったら友達か知り合い派だから他人ではないかもなぁ。」





°°°°°





湊「へえ、あのろぴがねぇ。」


彼方「あのって。どんなイメージなの。」


湊「んー?何となーくだけど、固定のネットワークを持たないような感じがしてたからさ。だいぶ心許してるんだなぁって湊さんほっこりしちゃったよ。」


彼方「そんなペットみたいな。」


湊「たはは。一応2歳上だしね!可愛い妹分みたいなもんよ!なっちもそうでしょ?」


彼方「いいや。」


湊「そなの?」


彼方「あいつは…赤の他人。」


湊「そお?じゃあうちは?」


彼方「他人。あと班員。」


湊「びええー、そんな悲ちいこと言わないでよーん!修学旅行終わってもなっちの教室遊びに行くからーん!」


彼方「不登校になれ、と。」


湊「そ、そんな嫌い!?今から入れる保険は…」





°°°°°





赤の他人と聞いてなっちから…

…彼方ちゃんから言われたことが

不意に想起された。

あの日彼方ちゃんが消えて以降、

ろぴからそのことについて

特に話はなかった。

酷く悲しんでいる様子も

気にしている様子もない。

気遣ってうちには聞かないように

しているだけなのかもしれない。

自然と触れてしまわないようにと

互いに避けているようで悲しかった。

まだ亡くなったと決まったわけじゃない。

戻ってこないと決まったわけじゃない。

なのに、存在を確認できないだけで

タブーな話になるような雰囲気がつらい。


ろぴが空中に両手を掲げ

蝶々の影絵を作るように手を開く。

刹那、彼女の頭上のスマホが

ぴこんとなると同時に光った。

天井に蝶々の影絵が映し出される。

暗闇に戻る頃、ろぴは手を下げた。


いろは「やっぱり充電器貸してもらおうかなー。」


湊「いいよいいよ使っちゃいな!」


荷物から充電器を取り出す。

不意に光ったスマホの上部には

機内モードを示すマークが付いていた。

さっきまでなかったものだから

気分によって機内モードにしたり

外したりしているのだろう。


いろは「どうかした?」


湊「ん?ああ、スマホさ、使わないんなら充電しなくてもいいんじゃ?って思っちゃって。」


いろは「ふふー。ね。でもお母さんが心配しちゃって。連絡きたら気ままに返事できるように一応ね。」


湊「気ままに、ねぇ。」


いろは「即レスは苦手なんだー。」


湊「ろぴは返事遅めだもんね。」


いろは「いつか返すよ、いつかはねー。」


湊「返すことを忘れてそのままどっか行っちゃいそうで怖いけどなー!」


いろは「ところで湊ちゃんはちゃんとこっち来るって誰かに連絡した?」


湊「ううん。あ、学校とバイト先にはしばらく休みまーすごめんなすってーって連絡したけど、それくらい。」


いろは「恋人さんは?よかったの?」


湊「もう電源落としちゃったからいいよん。」


今頃ゆうちゃんは心配しているかもしれない。

けれど、もし叶うのであれば

誰も何も言わないままで、

ゆうちゃんには隠したままで

この旅が終わればいいと

何故か思ってしまった。

帰ったらちゃんと説明する。

けれど、それまでは。


いろは「そっか。」


ろぴは布団を頭まで被り、

両足を上げてまた下げた。

布団から足だけ出ており、

まるで頭と足が反転しているよう。

その中からくぐもった声で言った。


いろは「じゃあ人の言葉、届かないね。」


湊「そうかも。」


いろは「おやすみなさーい。」


湊「おやすみー。」


人の言葉が届かない。

それがどんな感覚なのか、

ちょっと知って見たかった。

離れてみたかったんだと思う。


ゆっくりと目を閉じる。

未だ罪悪感と焦燥感に駆られながら、

長い闇夜にとっぷり沈んでいった。





***





さ、さりり。

たっ。

かっ、かっ。


ひたすら。

ひたすらに何かが擦れる音がする。

柔らかい感触もあるけれど、

どこか棘のあるような音。

時々つっかえて、

長いこと無音が続く。

そしてふと自分がしていたことを

思い出したかのように手を動かす。


けれど、どうして手を

動かしているのかわからない。

よくよく見たら、手はペンを握っている。

強く握っていたらしい、

中指のところにペンの後がついており、

本来タコができているそこは

べこっと潰れている。

近くにコピー用紙が散らばっている。

ラフにもならない線の集合体が

あちらこちらに散っている。

あるものは紙の中央に。

あるものは紙の隅っこにちょこんと。

あるものは紙を超えて、

しかし紙を隔てたせいで

バラバラになって片割れしかないものが

多々散っている。

あるものは両面に、

あるものは片面に。

線が絡まって、時にまっすぐ伸びて。

顔を模して。

物体を模して。


私。

何をしているんだっけ。

何をしたかったんだっけ。


何かしたっけ。

私が何かしたんだっけ。

何かした?


価値も何もないから

奪われて壊されるんじゃないか。

そうしても大丈夫な物だと

思われているのだろう。

長いこと描いてきた。

人生の半分以上を構成している。

しかし、それに価値がないのなら

私は今後の人生で何かに価値を見出すことは

できるのだろうか。

価値あるものを見つけられるのだろうか。

何かを好きと心から言えるだろうか。


私のこれまでを捨ててして

素晴らしいものに出会えるのであれば、

今持っている溝のような汚れた塵は

さっさと捨てたほうが良かったんじゃないか。


あぁ。

時間を無駄にしていた。

意味ないよね、こんなの。


ずっと昔からやめろと描くなと

言われていたようなものだ。

やっと辞められる。

やっと諦められる。

やっと縛られないで済む。

良かった。

良かった。

よかった。


どうかこの先絵を辞めたことを

褒めて讃えてくれる人がいますように。

絵を辞めて良かったねと

誰かが言ってくれますように。


散乱したコピー用紙に

小さくなったいくつもの鉛筆、

丸まって使えない消しゴム。

ペンを置く。

かたん、と音がした。

硬い、けれど檻の鍵が開けられたような、

解き放つような音だった。


紙も意思も全てを置き去りにして

その絵の海を裸足で歩く。

何もない方へ、絵を捨ててひたすら。

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