影探し
本格的に夏になってから数日。
もう長袖のシャツを着ている人など
とっくのとうにおらず、
いつの間にか制服の衣替え期間も
過ぎ去っていた。
中には日焼けをするのが嫌なのか
薄い羽織を着ている人もいるけれど、
暑くないのか甚だ疑問だった。
学校内であれば
冷房も効いているし、
席によって寒いのもわかる。
外でそれを着るには
やけたくないからというのもわかる。
けれど暑くないのか。
熱中症にならないのか。
それだけが心配だった。
千穂「湊ー。」
湊「ほいほい、どしたのー。」
千穂「宿題見せて。」
湊「え!あの千穂さんがですか!」
千穂「違う違う、全部やったんだけど合ってるかわかんないところあるから湊のと見比べるだけ。」
湊「うちは答えじゃないぞう。」
千穂「そうだけどテストの点数はいいじゃん。」
湊「だから大体あってるだろうって?わはは、甘いね。前日に詰め込んでんだよん。」
千穂「いやいや、割とまともに授業受けてんの知ってるから。」
千穂はまだ持ち主のきていない
空いていた隣の席に腰をかけて、
うちの手からノートを借りては
すらすらと文をなぞりながら
答え合わせをしているようだった。
湊「えへー?そんなに見てくれているのかい!」
千穂「まあ。」
湊「え、デレ期…?」
千穂「違うわ。よっぽど去年の留年が衝撃的で、今死ぬほど勉強してるのかなーとかたまに邪推してる。」
湊「本当に邪推だこと。あらまあ、湊おばさん困っちゃうわぁ。おほほ。」
千穂「え、ここの問題なんでこれになんの?」
湊「無視ですかい!それはねー」
席から立ち、できるだけ
通路を塞がないように
体を寄せてノートを指差す。
これが、こうだからこうなって。
問題に対して答えがこうなる。
その説明をするのは割と好き。
頭の中にある地図を
そのまま言語化すればいいだけだから、
答えについてその道筋を
話せと急に触発されても問題ない。
ただし、問題に対して
その道筋がどうなっているのか
わからない時、うちはへらへらする。
「わかりません」とは伝えるだろう。
けど、半笑いで大したことじゃないと
まるで言い聞かせるみたいに。
それと同時に、
わからない問題と出会して
誰に聞いてもわからなかった時、
うちは推し黙るだろう。
いや、そうした。
そうしてた。
勉強以外のことだってそう。
一瞬壁が見えただけで
そこで立ち止まってしまうんだと思う。
壁の前で急に踊り出したり笑ったりして
壁があったことを
忘れようとしているような。
確か、留年した時もそうだった。
…まあ留年は分かりきってた話だから、
厳密にいうと初回のテストの時だけれど。
うちの説明を聞くうちに
「なるほど」と目を見開いて彼女が言う。
千穂「ありがとう、めっちゃわかりやすかった。ピンときたわ。」
湊「そりゃあよかったってもんよ!腕の見せ所だったもんで張り切っちゃっちゃもんちゃー。」
千穂「はいはい流石流石。」
湊「多分説明だけだと忘れちゃうから、授業中にでも解いてみなよん。ほら、あの先生っていっつも最初に前回の授業の振り返り入れてくれるし。」
千穂「ああ…雑談と一緒にあるあれね。」
湊「実質内職時間!」
千穂「あんた人の話聞くの好きそうなのに、そこは内職するんだよ。」
湊「聞きながらやってんのー!ラジオよラジオ。面白い時は笑うもん。」
千穂「確かに声聞こえてきたことあるか。」
湊「だしょー?」
ノートを返してもらっては
彼女の詰まっていた問題を眺む。
去年の内容だし
勉強はサボってたわけじゃないから
これくらいはやっぱりできておかないと。
そう心の中で呟いてノートをしまった。
授業は苦手な科目はとてつもなく長く、
好きなものはほどほどに長く感じながらも
気づけば6時間目も終わって
皆教室から解散する頃になっていた。
部活やらバイトやら
脳裏をよぎるものはたくさんあるが、
それよりもなぜか
ろぴのことが気になってしまって
第2美術室へと向かう。
先日ろぴに
の話題を上げてから、
それとなく足を運ぶことをやめていた。
少しの間遠ざけることで
時間がうちたちの間にある違和を
ちょこっとだけ溶かしてくれると
思ったからだった。
時間は全ての解決にはならない。
ただ、わずかに介入しやすく
してくれるものでしかない。
睡眠薬を服用するのではなく、
睡眠に関するのサプリメントを
飲むようなものなのだ。
1週間に数回は通い詰めていた美術室。
久しぶりにその扉から中を覗くと
相変わらず筆記用具や
絵の具を出しては
その手前伏せているのが見える。
扉に手をかける。
一瞬、開けるかを迷う。
うちはいらないところにまで
突っ込んでしまうんじゃなかろうか。
これまで頭を突っ込んでは
相手を傷つけてしまうことが何度かあった。
前回のろぴとの話だってそうだ。
決して嫌がらせをしたかったわけじゃない。
ろぴもそれはわかっていると思う。
けれど、感情と状況が
うまいこと噛み合わなかった。
うちの言葉は彼女の欲しい言葉ではなかった。
だから壁を前にして
なあなあにすることを
選ぶようになった。
傷つけるのなら離れるべきだ。
ろぴに対してもそうするべきではないか。
あの子にはあの子の世界がある。
脳内の言葉がある。
ならば、うちは距離をとって
このままろぴとは疎遠に。
湊「…。」
ろぴと疎遠に。
そんなことが考えられるだろうか。
こうしてうじうじしている自分が
1番面倒で好きじゃないのに、
頭は止まることを知らない。
今ここでろぴが
顔を上げてくれれば、
うちはさらっと覚悟を決めて
美術室に入って行っただろう。
けれど、そんなにうまいことできてないのが
何とも現実らしい。
生唾を飲み込み、
その扉に手をかけて開く。
すると、ろぴがゆったりと
重そうな頭を上げた。
そして、ぱっちり開いた目を細めて
春の微風のように
なだらかに手を振ってくれた。
いろは「やほー。」
湊「…!やっほー。ひっさしぶりに来ちゃったよん。お邪魔じゃなかったかい?」
いろは「うん。無問題ー。」
目がしっかり開いているあたり、
伏せてはいたものの
眠ってはいなかったのだろう。
ゆうちゃんであれば
確実に眠っているところだった。
ろぴは手を下ろすと
また頭を机に置いた。
今度は腕枕もなしに
直接頭をつけてはこてんと横に倒す。
ふたつ結びの片割れが
口元にかかっていて邪魔そうだった。
とてん、と蛇口から滴った水滴が
流し場に置きっぱなしになっている
筆洗に落ちる音がした。
湊「最近どお?今週の様子っていうかさ。」
いろは「うーん。」
湊「うーん、かぁ。」
いろは「見ての通りというには足らないし、何もなかったというには何かがありすぎた。何も起こってないのに。」
湊「ごめんよ。」
いろは「湊ちゃんのせいじゃないし、いずれはぶつかる問題だったから仕方ないー。」
湊「でも、目を向けさせちったのはうちじゃん?」
いろは「遅効性の毒になるかどうかってだけだよ。早いか遅いかの問題だったから、先に解決できるんならそっちの方がいいし全くー。」
湊「そっかぁ…。」
いろは「そっちこそどう?最近は。」
湊「あんまし変わってないよん。学校、部活、バイト!そんくらい。」
いろは「勉強順調?」
湊「もー、みんなうちの勉強のこと心配するんだからー。」
いろは「あはは。余計なお世話だったかもー。」
湊「そーだよん?うちってばもう新生湊さんなんだから!」
いろは「いいねー、強そう。いつか東京タワーも持ち上げられそうー。」
湊「怪物になる予定はないんだなぁこれがまた。」
ろぴは声を上げて笑うこともなく
机に頬をつけたまま
にっこりと微笑んだ。
いろは「前の話ね、色々考えたんだけどやっぱり答えは出ないんだよ。」
湊「そっかぁ。迷ってる感じかぁ。」
いろは「それは本当にそうー。」
湊「迷えよ若人。」
いろは「若人今頑張ってるよー。とても現実を見てる。高校受験の時みたい。」
湊「何かあったのかい?」
いろは「美術系に特化した学校に行くかどうか迷ってたの。結局将来の選択肢の幅が広い普通科にしたけど…本当に迷ってた。」
湊「なるへそ。まあ若いうちから道を狭めるのは怖いことが多いよねん。」
いろは「そうなんだよね。親もそうだったんだと思う。その受験の時さ、将来のこととかも自分で決めなくちゃなんだって急に実感しちゃって。今度はこうして大学のことも考えなくちゃ。何もないのに追われてる気分。」
湊「時間だけはずっとそこにあるからね、追われっぱなしようちら?」
いろは「確かにねー。でも時間なんて人間が勝手に使った概念じゃん?」
湊「どゆこと?時間は人間がいてもいなくても進むよ?」
いろは「うん。それはそうなんだけど、年とか月とか日とか、そういう単位って人間が決めたじゃん?」
湊「ああ、うん。そうね。」
いろは「高校が3年間とか、20歳やら18歳やらで成人とか。そういうのも全部人間が決めたでしょ?時間は昔からそこにあるだけなのに、人間に区切られちゃったの。」
湊「ほうほう。」
いろは「だから追われるものよりも元々並走するようなもののはずなんだよ。」
いや、今も並走はしてるんだけど。
ろぴはそこまで口に出して止めた。
確かに言われてみればそうだ。
世の中時間に追われていることばかりだ。
都会ではみな早歩きで街を過ぎ去り、
家に帰っても次の日のことを考えて眠る。
学校も宿題もテストも受験も
締切の時間がある。
うちらはそれに向けて走り抜けるよう
鞭打ちされながら走る馬のよう。
それを、きっと彼女は
本来の関係ではないと言いたいのだろう。
けど、社会である以上
時間は区切られてしまう。
人間社会やら文明やらは
区切られることで発達したところも
あると思うから。
湊「でも、区切られたから可視化できるようになったんじゃないかと思うけどねん。」
いろは「そうだね。出会ってから何年とかいうもんねー。」
湊「ろぴはさ。時間と並走したら何がしたい?」
いろは「うーん。まずはね、時間以前の話なんだけど人の声が届かないところに行きたい。時間との並走はそれからだねー。」
湊「海とか山?」
いろは「それもいいねー。けど、もっと根本からがいい。」
湊「どゆこと…?」
いろは「前提としてね、人の言葉が届きすぎる気がするの。」
湊「人の言葉。」
いろは「そう。簡単な話SNSとか。1人1人の声がもう大きくって仕方がない。普通と言われる人も声を大きくしやすくなった。その分言葉に対して大きい感情が乗ってる気がする。」
湊「まあ今時小学生も自分のスマホを持ってるくらいだからねん。だからあんましSNSは好きじゃないってことですかい。」
いろは「好きではないことの方が多いかな。時々いい情報も入るよ。素敵な絵だってある。でも、私にとってそれ以上にデメリットに見えてしまう部分が大きかっただけの話なの。」
湊「なるへそねぇ。機内モードにすれば済む話?」
いろは「必要な連絡もあったりして、結局機内モードを解除して気づけば使うことが多いなー。意志弱いよねー。」
湊「うちもそんなもんよ!明日からチョコやーめよって思った瞬間食べてるし。」
いろは「わかるー。意識しすぎちゃう方がストレスだし気になっちゃうってやつ。」
湊「白くま問題だ!」
いろは「ふふ、白くまだー。美味しい方もあるよねー。」
湊「え、食べるの…?」
いろは「アイスの方だよー。」
とにかく、だからね、と
彼女は反対側に頭を倒す。
ふたつ結びが机に散っている。
うなじからぴょこぴょこ産毛が跳ねていた。
いろは「だから全てを忘れられるような状況下で、人の言葉が届かないところに行きたくなる。」
湊「…。」
いろは「そういうところに行こうと思う。」
湊「そっかぁ…え?どゆことどゆこと…?海外…でもないよね?え、今」
いろは「とんでもない発想してないー?おばあちゃん家に帰省しようかなってだけだよー。」
湊「ほっ…よかった、湊さん大安心よ!」
いろは「来週。」
湊「ら、へ、来週!?」
いろは「うん。」
ろぴはなんとでもないことのように言った。
夏休みまではまだ2、3週間ある。
学校を休んでまで
行く価値はあるのだろうか。
湊「夏休みまで待たないの?」
いろは「うん。」
湊「なんで来週?」
いろは「言葉のない場所に行くの。行ってもいいと思わない?時には全て投げ捨てて。〇〇しなきゃを全て忘れて。」
彼女の言うことは全て
わがままのひと言で片付けられてしまう。
普通に慣れなくて
反抗心のある子供だと
ひとまとまりにされて
放置されてしまうかもしれない。
わざわざうちから彼女の方へ歩み寄り
流されなくていい。
いつものように壁を前に
その場に立ち尽くしていればいい。
いろは「湊ちゃんも来る?」
振り返ることなく
平坦な声でそう言った。
聞き間違いかと思ったし、
ただの冗談だろうとも思った。
ろぴはいつも本気で言っているのか
冗談で言っているのかが分かりづらい。
しかし、彼女の言うことが
少しでもわかってしまったうちには、
この旅についていく資格が
あると思いたかった。
湊「本当に行くの?」
いろは「うん。」
湊「何日間?」
いろは「決めてない。けど、ちょっと長く。」
湊「年単位?」
いろは「あはは、長すぎるよー。流石に夏休み前には戻ろうと思ってるよ。おばあちゃんにも負担かけちゃうからね。」
湊「そっか。」
彼女がずっと背を向けるものだから
対抗するように
ろぴの隣の椅子を引いて
背を向けて座った。
湊「うちも行く。」
いろは「やったねー。」
湊「本当に思ってる?ついてくって信じてる?」
いろは「信じてるよ。」
「珍しくおふざけトーンじゃなかったし」と
ひと言床にぽとりと落とす。
いろは「でも前日や当日に行く気分じゃなくなったらその時は全然やめてもいいからねー。」
湊「バイトとかあるだろうし学校の出席日数もあるからーみたいなこと言わないんだ?」
いろは「普通はそっか。」
けたけたと笑う彼女の声がする。
ろぴにとって「普通」は
どんな形をしているのか
不意に気になる瞬間だった。
来週。
その言葉が急に魔法の言葉に見えた。
これまで見たことない色、形をしたものに
変容したような気がした。
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