あの時は

今日も今日とて美術室へ向かう。

無論、ろぴに会いにいくためだ。

湿気が多い日が続く季節になってもなお

ろぴは4月の時同様

美術室に篭っている時が多かった。

時折、クラス内に友達がいるのか、

クラスに居場所はあるのかと

不安になってしまう。

友達だもの、気になるよ。

けれど、ろぴが言及しないのであれば

かつ目立つ傷もないのであれば、

まだ踏み込む時期ではないような気もして、

こればかりはタイミングが分からず

聞くことができないでいた。


美術室に入る手前、

放課後だからだろう、

いつものように第1美術室には

美術部の生徒が集まっていた。

こうびてん、こうびてんと

何かの話をしているのが

それとなく聞こえているが、

一体なんなのか分からずじまい。

あの子たちに突撃して聞くのも

話を盗み聞きされていたと

示すことになるし気分も良くないだろうからと

ろぴのいる第2美術室の扉を開く。


すると、ろぴがいつも座っている席の前に

見知らぬ人がどんと立っていた。

美術担当のおばちゃん先生のようで、

うちに気づくと話を切り上げて

会釈をして去っていった。

彼女の手元にはポスターが1枚あり、

ろぴはうちのことを見ては

それを丁寧に畳んでカバンの中に入れた。


湊「やほやほ、元気かい?もー暑さで茹でられそうだよ!」


いろは「やっほー。」


湊「さっきの、美術の先生だよね?」


いろは「うん。なんかあったー?」


湊「それはこっちのセリフじゃーい!さっき何か話してたけどどしたの?はっ…!うち、絶対てんてーに気を遣わせたじゃーん。」


いろは「ううん、ちょうどよかったから平気だよー。」


湊「そーお?話の区切れ目だったんならよかったんだけどもよう。」


いろは「というより、ちょっと話にうんざりしてただけだからー。」


湊「うんざり?」


いろは「うん。」


湊「へへーん?それ、湊さんに聞かせてちょ。どんな面倒なお話だったの?」


いろは「高美展…高校美術展のお話だよー。」


湊「すごいやつ?」


いろは「うーん、部活で言ったら中体連みたいな…夏の甲子園みたいな…年に1回の全国大会まで行ける可能性のある展示会…みたいな感じかな。」


湊「すごい!すごい可能性を秘めてるやつだ!」


いろは「それに出ないかってお誘い。それだけ。」


ろぴは先生からもらったポスターの

仕舞われた鞄へと視線をやった。

そして、にへら、と

なんとでもないように笑った。

その笑顔は吹っ切れたもののように見えて

思わず彼女の目の前の席に座り

前のめりになって聞いた。


やっと絵を描く気になったんだ、と。

久しぶりにろぴの絵が、

完成された絵が見れる、と心が躍った。


湊「もちろん出ますぜ!って言った?」


いろは「出ないよ。」


湊「…え?」


いろは「出ないよ。」


湊「え、いや…何で…?だってろぴ、絵を描くの好きじゃん。」


いろは「…?」


湊「それに、中学生の頃から美術部入ってたでしょ?ほら、家でも沢山描いてて…あの時は…いや、今もだと思うけど、絵を描くのが楽しいって感じで」


いろは「湊ちゃん。」


ろぴはうちの話を制するようにそう言った。

しまった、と思った。

いくらろぴに絵を描いて欲しいからと言って

明らかにうちらしからぬ言動をとった。

今そういう空気じゃないことくらい

すぐに分かりそうだったのに。

冷や汗が背を伝う。

間違ったという感覚が強くあった。

それでも、いろはは不機嫌そうに

声を上げることもせず、

幼子を諭す母親のように静かに言った。


いろは「でもあの時はって、いつの話をしてるの?」


湊「それは…うーん、2、3年くらい前、とか。」


いろは「人間は変わっていくものでしょー?昔はこう考えてた、前まではああだったって言われたって、そりゃあ今は違うよとしか言えないよ。」


湊「でもろぴはずっと描いてきたじゃん。」


いろは「これまでずっと描いていたら、これからも描き続けなきゃいけないの?」


湊「…!」


いろは「これまでずっと描いていたら、絵を描くのをやめてはいけないの?」


湊「そういうわけじゃないよ。ただ、うちはろぴの絵が好きだし、楽しそうに描いているろぴの姿が…」





°°°°°





いろは「絵を描かない私に価値はないなーって、たまに思うんだよねー。」


湊「ふうん?うちはろぴだから会ってるんだじょー。」


いろは「ふふ。ありがと。友達の中には湊ちゃんみたいな、人の部分を見てくれる…そういう人もいるよ。けど、家族もちょっと、それから主にネットの人は絵の部分の私が大切なんだよー。」


湊「どういうことか聞いてもいーい?」


いろは「私が絵を止めるって言ったら、みんな勿体無いって言う。これがもう答えじゃない?。」


湊「あーね。」





°°°°°





そこまで言って口を噤む。

この前会った時は

ろぴはろぴだから好きだと

会いに来るのだと言ったのに、

これでは言っていることは真逆じゃないか。

絵を描くろぴだから好きだった。

楽しそうに、絵に触れているろぴが好きだった。

そう言っているようなものだ。

それに気づいたうちは

はっとしてろぴの方を見た。

彼女は何を思っているのか

てんでわからない顔でこちらを見ていた。


わからない。

ろぴだけはずっとわからない。

大体の人はどんな傷を抱えていて、

それが原因でどういう性格になって、

どういうものを欲しているのか

大まかながらわかるのに、

ろぴはそれがない。

心を開いてくれていないのか、

もっとそれ以前の問題なのか。

うちじゃだめだったのか。

彼女はずっと昔から、

出会った時からよくわからない人だった。


いろは「自分は変わっても周りは変わっちゃいけないなんて、それはずるだよ。」


湊「たははー、ごめそごめそ。それは確かにそうだね。でも、うちの記憶にゃろぴの中でも絵を描いてるっていう要素が構成の中に大きく組み込まれていてね、絵を抜き出したろぴをあんまり見れてないんだ。」


いろは「まあ、今だって美術室にいるもんねー。」


湊「そう。美術やイラスト、絵を抜きにしたろぴは、うち自身見たことないっていう感想が近いかも。」


いろは「私も。だからここにいるんだよ。」


湊「…?」


ろぴの言っていることが分からず

どういうこと、と聞き返そうとした。

しかし、ろぴはうつ伏せて

眠るように深呼吸をした。

絵を抜きにしたろぴを

あまり見たことがないからここにいる。

美術室にいる。

絵を抜きにした自分になりたくないから?

それとも、描いていないことを

恥じている…とか?


うちだったら両方とも

ちょいと理解できないでいる。

咀嚼しきれない。

絵を抜きにしたくないなら

描くことが近道になるはずだ。

描けない、と言いつつ

時折ネットに絵を投稿しているのは見かけた。

本格的に筆をもてないわけじゃない。

トラウマがあって

筆を見るだけで吐く…というわけでもなさそう。

ならどうして。


いろは「絵を描かなくなったら、いろいろ区切りがつくかなーと思ったけど、そうでもないねー。」


湊「逆じゃないかい?区切りをつけるために絵をやめたんじゃなくて、色々あって絵をやめた先に区切りがつくことを待ってるんじゃないの?」


いろは「どうだろうねー。わかんない。」


湊「うちは言いふらしたりとかしないし、ここで嘘は吐かなくていいと思うよん。」


いろは「違うよ。湊ちゃんが良くても私が良くない。」


正面切って自分に嘘吐いてるつもりはないけどねと

いつものほのぼのした声で言った。


どき、とした。

昔、知り合いにも言われたことのある言葉だった。

昔のことを話してもいい、

話なら聞けるから。

それは聞こえのいい謳い文句だと思っていた。

話せば楽になることがある。

うちはその経験が何度もあったから。

けれど、話して嫌悪感に苛まれる人や、

話してしまったことから

自暴自棄になってしまう人もいた。

あなたが良くても私がよくない。

あなたが良くてもあの人は嬉しくない、よくない。

今回もどうやらそのパターンだったらしい。


いろは「情報をアップデートしてなかったことが悪いのに、突然知ったから裏切られたって言うのはずるいよ。私は昨日今日で変化した生物じゃないよ。ずっと地続きだよ。」


湊「言ってくれなきゃわからないよ。絵を辞めるにしても、どうして辞めるのか…とか。」


いろは「話してもね、納得されなかったことがあるんだー。そのくらいで描くのを辞めるはずがないって。」


湊「ちゃんと本当の理由言ったの?適当言ったからじゃないの?」


いろは「じゃあ、どんな理由があれば絵をやめていいの?模範回答は?」


湊「それは…本人が納得してるなら理由は何だっていいって思っちゃうけど…。」


いろは「都度聞かれずに自分語りはしないよー。暗いままでいたいとは私は思ってないからさー。」


湊ちゃんもそうでしょ?と

言わんばかりの視線を寄越すろぴ。

たった今、彼女はただただ

卑屈になっているようにも見えた。


でも、うちはろぴが

どうしても納得しているようには見えなかった。

だからそれが気がかりで

話に踏み込んでしまう。

やめろ、やめておけと

頭が踏切のように信号を出しているのがわかる。


湊「嬉しさや喜びに酔おうと不幸や悲劇に酔おうと人の自由だよ。マイナスに酔っていたっていいよ。それで楽になるのなら、少しでも先が見えるのなら。でも、ろぴはそういうんじゃ…。」


いろは「買いかぶりすぎだよー。それに、マイナスに酔ってるつもりはない。」


湊「…。」


いろは「動けないことに悲観して自分可哀想なんて思ってない。人の目なんてどうでもいい。ただ動けない。ただ無意味に辛い。わからないが続いてるだけ。可哀想でもなんでもない。自業自得だざまあみろ、の気持ち。」


ろぴはうつ伏せたまま

ふう、と息を吐いた。


いろは「人目を気にしてみたことが…ううん、そのふりをしてみたことがあったの。絵をやめた理由にも使ってみたことがある。頑張って描いた絵が見てもらえなかったーって。湊ちゃんにも話したことあったと思うけど。」


湊「それが決定的な理由とは聞いてないけど、話自体は聞いたことあるよ。」


いろは「でもね、知り合いみんな言ったの。それだけで絵を辞めるような人じゃないって。買い被りすぎだよね。その時ばかりは私は嘘をついていたから、実際みんなの方が合ってはいるんだけど、私の何を知って断言しているんだろうって不思議だったんだー。」


湊「…。」


いろは「で、わかったの。家族も友達もみんな、絵を描く西園寺いろはに期待しているって。絵を描き続けていて、絵が大好きないろはは永遠に続くって期待しているの。さっきの先生もそう。どこかで中学生の頃の私の絵を見たとか何とか。柄ではないけれど、ある意味としてのアイドル性というか。偶像的だよね。そこで私の本体を見た?影を見た?って聞きたくなっちゃう。」


先生も親も友達と

ろぴが絵を辞めることに対して勿体無いと言う。

うちだってそうだ。

ろぴの絵をもっと見ていたいし

その先のことだって気になる。

絵のないろぴの人生はろぴじゃなくなる。

本人が決めるべきことで、

そこに外野のうちらがとやかく

言うべきじゃないことはわかる。

けれど、もし言葉を発することで

ろぴがまた絵を描いてくれるのならと

思ってしまうのだ。


最初の方の話に戻るけど、と

ろぴは口を開いた。

子供のような無邪気な声だった。


いろは「私は絵を描くことが好きとは、アカウントを作って以来そんなに言ってないよ。日課になった何か、歯磨きと一緒。それが答えだよー。」


そう言うと、ぱっと顔を上げて

床に置いていた鞄を手に取っていた。


いろは「また今度話そうよ。私もう帰るからー。」


湊「…わかった!何か変な感じにしちゃってごめんね。」


いろは「ううん。またねー。」


湊「ばいばい!」


形だけでもと思い明るく見送る。

同時に、うちは人を傷つけたんだと

ぽつり1人残ったこの場所で

反省することしかできなかった。

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