第3話 迷惑をかける時代

 息子は、いよいよ、童貞卒業に向かって、就職してからも、それを目指して頑張ったのだ。

 それがどれほど素晴らしいということなのか?

 そんなことを考えていたのだが、正直、どこまでその期待が達成できるかということは分からなかったといってもいい。

 実際に、就職してからすぐの頃は、

「前の一人暮らしをした時の、あの思いをまたここですることになった」

 と、いわゆる、

「パワハラに近いものを感じた気がした」

 ということは、あの時の一人暮らしの、

「風紀委員とその取り巻き連中:

 というのは、以前の、

「世界的なパンデミック」

 にて起こった、

「自粛警察」

 といってもいいということでもあった。

 その自粛警察というのは、パンデミックの時にあからさまに起こったこととして、

「パチンコ屋をターゲットにした」

 ということだった。

 緊急事態宣言というものが出て、休業要請が掛けられたが、その時、一定の店が開店していたにも関わらず、その避難の矛先は、

「パチンコ屋」

 に集中したのだ。

 自粛警察と言われる、一種の偽善者集団が、攻撃をしたのだ。

 本来の意味での、

「自粛警察」

 というのは、悪いものではないだろう。

「有事」

 というものに対しての考え方は、

「ある程度の権利を抑制するくらい、治安を守るという意味で。しょうがない」

 ということである。

 しかし、この時のパチンコ屋に対しての攻撃は、

「元々、裏商売のようなものがあり、あまり、世間ではいいイメージでとらえられてはいなかった」

 ということから、

「攻撃の急先鋒」

 ということになったのだ。

 これも、本当に理不尽なことである。

 就職してから、息子は、少ししてから、

「誰もが罹る」

 と昔は言われた、

「五月病」

 なるものに、罹ったのだ。

 そのことを、最初は本人も分かっていなかった。五月病なるものの存在も知っていたが、五月病に罹るとどうなるかということをよく知らなかったことで、比較対象がなかったことから、自分が、

「五月病に罹っている」

 ということが分からなかったのだ。

 最初は、上司から、

「学生気分が抜けていない」

 という指摘を受ける。

 ただ、その頃には、

「セクハラ」

「パワハラ」

 という言葉が、

「コンプライアンス違反であり、上司が部下に対していうと、問題になる」

 ということも言われてきている時代だった。

 だが、最初は、それを、

「苛めのようなものだ」

 と考えていた。

 だから、最初は孤独に見舞われた。しかし、上司も、

「あまりいうと、今度は自分の立場が危なくなる」

 というのは、分かってのことか、最初に、一度注意しておくだけで、後は、何も言わなくなった。

 だから、急に言われなくなったことで、新入社員は、どちらかを考えてしまう。

 一つは、

「もう上司は自分のことを信頼してくれたんだ」

 という、一種の、

「お花畑状態」

 だといってもいい。

 完全に、本人の自惚れというものだ。

 もう一つはまったく正反対で、

「言われなくなったのは、俺に対して期待していないんだ」

 という考えである。

 言われ続けるのも嫌だが、

「言われるうちが花だ」

 と言われるように、言われなくなったというのは、実につらいことであり、それは、裏を返すと、

「言われてもきつい」

 そして、

「言われなくなったことで、自分の限界を感じさせられる」

 ということで、こちらもきついのだ。

 だから、

「どちらにしてもきつい状態ということは、頭の中にニュートラル、つまりは、遊びの状態というのがない」

 ということである。

 もっと言えば、

「何を考えても、考えれば考えるほど、悪い方に考えてしまう」

 ということだ。

 前者が、

「何を考えても、いい方にしか考えない」

 という、楽天的な考えであり、後者は、

「どんどん悪く考えてしまう」

 という考えになり、この状態を、

「躁状態」

「鬱状態」

 というのである。

 その二つが一緒になると、

「躁鬱症」

 という状態に陥り、それが、

「脳の病気」

 ということで、

「投薬が必須である」

 という状態になると、

「双極性障害」

 ということになり、精神疾患として認定され、ひどい時は、仕事ができない状態になり、

「障害年金」

 というものを貰うということになってしまうのだった。

 それを考えると、

「五月病」

 というのは、一過性のものであり、

「一度罹ると、もう罹らない」

 という、はしかやお多福かぜなどのようなものと同じになるのだ。

「そういう意味でも、五月病というのは、伝染病なのかも知れない」

 とも考えられる。

 だから、新入社員の、五月という同じ時期に罹るともいえるだろう。

 ただ、

「入社して同じ時期に皆が考えることや、生まれてくる悩みが同じ時期だというのも当たり前のことだ」

 ということであり、そちらも一理ある。

 ずっと、そう言われてきたので、いまさら、

「伝染病かも知れない」

 と言われてもピンとこないというものだ。

 伝染病だと考えると、ある意味罹らないというのは、どうなのだろう?

 もし、一年目で罹らなかったとして、これが五年目くらいに罹ったらどうなるのだろうか?

「はしかなど、子供の頃に罹っておけば、軽くて済むのだが、大人になって罹ると、命の危険の問題がある」

 と言われるものだ。

 お多福かぜなど、大人になって罹ると、

「精子ができなくなり、子供を授けられなくなる」

 というような話もあるくらい、大人になって罹ると、いろいろな意味で、大変なことになるというものだ。

 それを思えば、

「これほど大変なことはない」

 といえるのではないだろうか?

 それと同じ、

「伝染病」

 だということになると、30過ぎて罹ると、どれほど大きなものになるか分からない。

 と考える。

 もし、これが、精神疾患を伴うとすれば、

「自殺を試みる」

 ということを安易に行うようになったり、仕事をしようとしても、鬱状態に陥ると、

「食事をするのもできない」

 というくらいになるというではないか。

 果たして、

「仕事などできる状態なのか?」

 ということを考えると、

「会社を辞めて、闘病生活を余儀なくされる」

 ということにもなりかねない。

 そうなると、

「会社に対して、その損害を賠償してもらおう」

 と考える人もいるだろう。

 訴えられた会社もたまったものではない。もちろん、部下に対して、パワハラの事実があったのだとすれば、告訴は無理もないが、そうでなければ、会社も弁護士を立てて、争う構えを見せることになるだろう。

 そんな伝染病のような気がする五月病は、まるでウイルスのように、

「変異をしている」

 という感じがしていた。

 五月病がひどくならずに、収まる人もいれば、そこから派生する形で、

「精神疾患の予備軍」

 という感じで捉える人もいるだろう。

 それを考えると、

「躁鬱症」

 というのと、

「双極性障害」

 というものとの違いが難しいのと同じようなものだといえるのではないだろうか?

 躁鬱症における鬱状態と、双極性相がいにおける鬱状態とでは、

「同じ鬱状態でもかなり違う」

 ということのようだ。

 双極性障害というのは、前述のように、

「脳の病気」

 であるということから、自然治癒というのは、ありえないともいえるだろう。

 だから、ちゃんとした主治医を持って、その人と二人三脚状態で、病気に立ち向かうということが必須だということである、

 患者が、

「自分の意思で勝手に判断するのは、御法度ということになる」

 といえるだろう。

 特に、双極性障害の場合は、躁状態に陥ると、

「何でもできる」

 という感覚になり、それは、自分で勝手に、治ってもいないのに、

「治った」

 と誤認させることになるのだ。

 だから、医者にもいかなくなり、今度鬱状態に陥ると、今度は、薬が切れていることから、

「まったく身体が動かない」

 という状態になり、一人で籠ってしまい、どんどんひどくなっていくのっだ。

 そして、また躁状態が訪れるというわけで、この繰り返しが、

「双極性障害」

 というものなのだ。

 しかも、双極性障害に陥ると、

「死にたくなる」

 という時期があるようで、そんな時期として考えられるのは、実は、

「躁から鬱になる時だ」

 と思われがちだが、実は逆で、

「鬱から躁状態になる」

 という時のようである。

 なぜかというと、

「鬱状態は確かに、死にたくなることがあるというのだが、身体を動かすことが億劫なので、死ぬということも億劫になるという。しかし、鬱状態から、躁状態へと向かっている時は、その時に、混合状態といって、躁状態と鬱状態が一緒になっている時があるというのだが、その時に、半分、鬱状態の、「死にたい」という思いと、鬱状態の、「今なら何でもできる」という状態が、混同していることで、死にたいという思いと、何でもできるという感覚が一緒になることで、一思いに、死んでしまおうということになるのだ」

 ということであった。

 そういう意味でも、

「双極性障害」

 というのは、恐ろしい病気なのである。

 だから、個人で勝手な判断をしたり、まわりも、その病気を受け入れて、しっかりと把握しておかないと、まずいことになるというわけだ。

 それを考えると、

「五月病」

 と呼ばれる病気は、この精神疾患の予備軍だということになると、どれほそ恐ろしいものかということになるのだ。

 ほとんどの人は、

「一過性のもの」

 ということで片付けるに違いない。

 そんな五月病も、幸いにもなのか、それとも、伝染病というのが、

「デマ」

 だったのか、一か月おしないうちに収まってきた。

 普通の鬱病なら、

「二週間くらい」

 と言われているので、それに比べれば、

「少し長かった」

 といってもいいかも知れない。

 だが、それでも、梅雨が明ける頃には収まっていて、夏本番を迎える頃には、精神的には楽になっていた。

 その心境もあってか、かねてからの計画であった。

「童貞卒業」

 を試みることにした。

「激安店に行くか?」

 それとも、ここは奮発して、

「高級店にするか?」

 と考えたが、どうせなら、

「高級店にしよう」

 と考えたのだ。

 激安店であれば、下手をすると、ぞんざいに扱われ、セックス自体が嫌いになってしまう可能性があったからだ。

 もちろん、

「あまりにも素晴らしいサービスを受けて、抜けられなくなったらどうしよう?」

 という思いと、

「最初にテクニックがある女性が相手で、実際に恋愛をした相手は、当然そこまでの手クイックはないので、失望してしまう可能性があるのではないか?」

 などという、いろいろなことを考えてみたが、しょせんは、

「自分は童貞なんだから、余計なことを考える必要はない。だから、すべてを任せる意味で、高級店がいい」

 と考えたのも、無理もないことであろう。

 そう考えると、

「少しお金が張ってしまうが、それで満足して、しばらくいかなくてもいい」

 という程度が一番いいのかも知れないと思ったのだ。

 その頃の神崎は、風俗というと、昔から言われているような、

「自分、あるいは、親の借金で、お金が必要になり、やむなく、このような商売に身を落とした」

 という偏見を持っていた。

 いや、童貞、つまり、

「風俗童貞」

 というのは、そう考えるに違いないが、今はどちらかというと、

「女の子が好きで働いている」

 というイメージの方が強いのではないだろうか?

 もちろん、昔からのパターンの人もいないとも限らないが、ほとんどは、

「セックスが好きだ」

 ということで、自分から働いている人もいる。

 中には、看護婦免許を持っているのに、

「こっちの方が私に似合っている」

 といって、わざと、ナース服がコスプレの店で、

「現役看護婦」

 という触れ込みで働いている人もいる。

 実際には働いてはいないが、免許をもっていて、いつでも働けるのだから、まんざら嘘ではない。

「リアルナース」

 といっても、過言ではないだろう。

 実際に、風俗嬢の中には、

「コスプレが好きだから」

 という理由と、

「まとまった金が入る」

 というリアルな思いも含め、働いている人もいるのだった。

 そんな中で、コンセプトがナースの店があったので、そこに入ってみることにした。当時は、まだ、呼び込みのような人が表にはいたが、こちらが迷っていたりしなければ、声を掛けてこないというのだ。

「私は、そんな連中には引っかからない」

 と言っていた人もいたが、引っかかるも何も、迷っていない限り、寄ってくるようなこともなかったのだ。

 だから、歩いている人も、そんなにそわそわしていない。最初から予約を入れていれば、変に誘い込まれるということもない。

 よく、Vシネマなどでは、一人彷徨って歩いていると、呼び込みに引っかかって、入ったところが、

「30分いくらポッキリ」

 という看板で、実際に入ると、何もしてくれないで、

「ビールが飲みたい」

 とおねだりすれば、そのたびに、サービスをしてくれるというようなことであった。

 気が付けば、

「数千円ポッキリ」

 と書いていたものが、会計の時点で、ゼロが、一つ多かったりする。

 そこで、文句でもいうと、奥から、怖いにいちゃんが、数人出てきて、裏に連れていかれ、最後には、

「ゴミ袋に倒れこむ形で、赤いものが流れている」

 というようなことになるのであった。

 もちろん、有り金は全部取られてのことである。

 そんな闇の時代が、昭和にはあったが、今もそんな、ぼったくりというようなお店が存在するのかどうかは分からないが、ほとんどなくなったのは、間違いないだろう。

 特に、

「ソープ」

 などというところは、基本的に、風営法に守られている。

 彼らの商売は、

「風営法を守りさえすれば、合法の売春」

 といってもいいだろう。

 そのかわり、かなり、性風俗関係になると、その法律は相当厳しいものとなっている。

 例えば、営業時間であったり、経営にしても、

「全国共通で決まっていること」

 そして、

「各自治体によって違うもの」

 それぞれである。

 そもそも、風俗営業を取り締まっている法律は、風営法ではない。書く自治体における、

「都道府県条例」

 などだ。

 つまり、

「風営法で全体的なことを決めておいて、最終的に、その土地土地によって最終的な体制が決まる」

 ということである。

 営業時間も、深夜帯を除くということで、午前0時から、6時までは、営業してはいけない(ただし、デリヘルは除く)。だから、その間で都道府県で自由に決められる。まるで、タクシー料金のようである。

 さらには、

「営業範囲も条例で違う」

 というのは、

「ソープなどは、どこでも店を開いていいわけではなく、条例に定められたところ以外では店を開けない」

 ということになる。

 しかも、それは、他の条文で、当たり前のこととなっている。

 というのは、ソープなどは、

「新規参入ができない」

 というのだ。

 だから、店を開くには、前営業していた店のオーナーが退居したところに店を開くしかない。しかも、大規模な店の改修は、

「新店を開いた」

 と見なされて、違法ということになるのだ。


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