第2話

数か月後


午前8時06分

新宿駅に到着した東京駅行き中央線の満員電車から多くの人がホームに吐き出された。

それと同じくらいの人がホームから電車に乗り込んでいく。

その中に紛れてマコトとサチコも乗り込んだ。

電車はドアが閉まったが発車せずに停車したままだった。

しばらくすると車掌がホームを走って行くのが車窓から見えた。

そしてほどなくしてまた走って車掌が戻っていった。

荷物か何かがドアに挟まっていたようで、それを解除しようと車掌がホームを走っていたようだ。

マコトはご苦労様との思いと同時に予定通り動けよと心に呟いていた。


中央線は新宿駅を出ると四ツ谷駅までの約4分間ドアが閉じたままとなる。

息苦しいほどの満員電車の車内はほとんどが通勤客で占めらていた。

突然、この時間帯にふさわしくない赤子の泣き声が車内に響く。

不穏な空気が車内を埋め尽くしていく。

マコトは機は熟したと感じていた。

力み過ぎないよう静かにガスを肛門付近に下ろしていく。

何度も何度も練習してきた音の出ない濃厚なスカシッ屁を今こそ放出する時だ。

昨晩食べたニンニクたっぷり脂身だらけの肉とビールで準備は万端だった。

そう、万端過ぎたのかもしれない。

この頃、油っぽい料理や刺激の強いものを食べると下痢になるようになっていた。

しかしこの選ばれし濃密な異臭を生成するにはやはり、その油分と刺激物が必須であった。

マコトはまだ駆け出しの頃を思い出していた。

(マ、マコト君、クサッ!凄いこの臭い!どうやったらこんな極悪なオナラできるの?こんなこと言うのあれだけど、病院行ってお腹検査してもらった方がいいんじゃない?)

他人からあんな羨望な眼差しで見られたのは初めてだった。

嬉しかった。

初めて、そう、生きてきて初めて人から認めてもらえたと思った瞬間だった。

だから、もっと、もっとって求めてきた。

より凄まじい異臭を。

爆発的異臭を。

そこにやっとたどり着いたんだ。

この禁断の香りを生み出す秘儀、脂身・ニンニク・ビールの黄金の三角形、地獄の三角形。

さあ今こそその成果を試すときだ。


マコトはわずかばかり腰を落とすと、いよいよ放出しようと静かにいきんだその時だった。

ガスだけではない重みを察知し、反射的に肛門をきつく閉ざした。

(ほ、本体も連れてきている!)

もっとも恐れていた事だった。

本体も出すことは禁忌であった。

それは本人特定が容易になるばかりか、人としての尊厳が失われる可能性があるからだ。

しかし、そんな心配も虚しいほどに押し出そうとする力が腹の奥から襲い掛かってきていた。

(ま、まずい・・・)

一度出さそうと肛門付近に呼んでしまった濁流に腹の奥底へ帰ってもらうことは不可能に近い。

肛門の限界が近づき、決壊寸前となっていた。

マコトは神に祈ると同時に過ちを懺悔していた。

(神様!私を私をどうかお許し下さい。私をお救い下さい!神様!紙様!上様!トイレ様!)

プルプルし続ける限界人マコトをあざ笑うかのように電車は四ツ谷駅に近づくとスピードを緩めた。前に電車が詰まっているようだ。


(・・・終わった)



マコトが決壊した。

マコトが決壊した。

マコトが・・・


「ブリブリブリブリ、ビチャビチャ」

マコトはそれでもお尻を手で押さえなんとか濁流に抗おうと試みた。

しかし、抵抗虚しく全ての結果がボクサーブリーフに収まった。

万が一に備え、ブリーフとメンズタイツを着用していた。

裾零れを防ぎ、痕跡を残さないために。


「キャー!クサイ!」

乗客がパニックになり始める。

マコトから離れるため、隣の車両に移動しようと乗客が無理やり動く。

サチコは持参した高性能マスクを装着した。

「あー、あ、い、や、すいま、せん」

マコトの力ない声は誰にも届かない。

やがて電車は四ツ谷駅に到着した。

扉が開くと乗客は勢いよくホームに逃げるように飛び出した。

マコトは皇帝ペンギンのような歩き方で、本能でトイレを目指す。

四ツ谷駅は上階にトイレがあるので階段で目指した。

その頃、サチコはマコトと離れ無線連絡を入れていた。


「本部!失敗です!マコトが決壊しました。繰り返します・・・」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る