40話 決戦

 そして、その日の午後。

 エルメスたちが潜伏していた森を北に抜けた先。人気のない、小さく開けた平原にて。


「は──自ら出てきてくれるとは殊勝な心がけだ」


 エルメス、そしてカティアと対峙する兵士の集団。その先頭に立つアスターの声が朗々と響く。


「ようやく悟ったようだな、この俺から逃げ切ることなどできないということを!」


 相変わらず自信満々に、自らが世界の中心と疑っていないように。

 手を広げて、辺りの全てに聞かせるかの如く美麗な声で語り続けるアスター。


 ……まぁ、言っていることは完全に的外れなのだが。

 別に逃げようと思えばどうとでもできた。あの村の一件で、恐らくカティアに何かしら追跡用の魔法がかかっていると判断したエルメスは彼女を観察、すぐに特殊な魔力痕を発する魔法を発見し解呪ディスペルも既に完了している。


 あとは適当に行方をくらませればもう追ってくることはできないだろう。奥の手だっていくつかあるし、極論禁じ手である『無縫の大鷲フレースヴェルグ』を使い、空を飛んで逃げれば包囲されていても何のそのだ。


 それでも今ここに立っているのは、あの村の件のように自分たちを追いかけるアスターがこれ以上何をしでかすか分からなかったことと。

 ……何よりもう逃げているだけでは駄目、真っ向から決着をつけるべきだと思ったからだ。


「さぁ教えてやろう。自分勝手でいたずらに国を乱し、罪を認めようともしない愚か者の末路をな!!」


 アスターが手を広げ、自らの魔法を詠唱しようとする。

 それに合わせ、エルメスも魔力を高めたが──その時。


 カティアが、それを制するように一歩前に出てきた。


「……カティア様?」

「エル。一つ、我儘を言っても良いかしら」


 軽く目を見開く。

 それは、つい先日聞いたことのある言葉で。だからこそ、続く一言も予測でき。

 予測通りのことを、彼女は告げた。



「あの人は、私一人でやらせて」



 その言葉を、聞いていた全員が驚愕した。

 特にアスター。驚きの後、怒りと屈辱に顔を歪めかけたが──すぐに。


「ふ──ははははははは!」


 それを塗りつぶすような嘲りの表情で笑い飛ばした。


「なるほど、どうやら外法に頼りきって得た程度の力で、クリスごときを倒した程度の実力で! 随分思い上がっているようだな──いいだろう、乗ってやる! その思い上がりごと踏み潰すことこそ俺の義務だろうからな!」


 義務だと言っているが、単に自分がそれをしたいだけだろう、と内心で突っ込むエルメスを他所に。


「聞いたか、お前たち! 俺は俺一人でカティアを潰す、お前たちは決して邪魔をするな。その間、このエルメスめが余計な邪魔をしないよう足止めをしておけ!」

「……あらら」


 その指示に従って、兵士たちがこちらに敵意を向けてきた。

 敵意を受け止めつつ、エルメスは傍らのカティアに確認する。


「行けるんですね?」

「やるわ。……あなたに貰った力は、邪なものなんかじゃない。それを、私一人で証明したいの」


 ……そう言われれば、断るわけにもいかない。

 ならば、自分は兵士たちに集中しよう。元よりカティアが決めたのならば邪魔をするつもりはないが、向こうが向かってくるのであれば戦わざるをえまい。

 だから、最後に。


「一つだけ訂正を。──僕に貰ったのではない、貴女自身の力ですよ。自信を持って」

「!」


 それだけを告げると、エルメスはカティアの元を離れて駆け出した。





「……ずるいわね、本当に」


 ぽつりと、カティアは呟く。

 去り際の一言。

 彼は、いつも自分の欲しい言葉をくれる。それは時に、自分が欲しいと自覚していなかったことまで。


 自分はきっと、認めて欲しかったのだ。

 これまで頑張ってきたことは、すごいことなんだと。誇って良いことだと。

 これまで歩んできた道を、これからも歩んで良いと。信じたものの先に、望むものは確かにあるんだと。


 だから、もう迷わない。

 自分は自分の信じるものを選ぶ。それは、或いはアスターと同じ利己的な肯定かもしれない。

 でも、自分は考えた。迷って、悩んで、考え抜いた末に選んだ自信がある。

 その上で、進むのだ。

 彼がいてくれるのならばきっと、地獄でも気にしない。


「さてカティアよ、覚悟はできたか?」


 相も変わらず、傲岸不遜な態度で問いかけてくるアスター。

 いつものことだ。この男は何も迷わず疑わず──何一つ考えることなく、無条件に自信を保っている。

 それを強いことだと考えていた。恐ろしいとも、考えていたと思う。

 でも……今は、一片たりともそうは思わない。


「──ええ、できたわ」


 故に彼女は答える。

 王族だとか、目上の人間だとか。そういうことは一切考えない、剥き出しの彼女で。


「あなたを倒す覚悟がね。アスター・ヨーゼフ・フォン・ユースティア」


 この人は間違いなく、今この国の中心にいる人物。倒してしまえば、今まで以上にこの国は乱れるだろう。

 ──それが、どうした。


 ならば自分が立て直せば良い。

 これまで自分のせいで巻き込んでしまった人たちには、まず全力で謝ろう。その上で、今までより良い未来に連れていくと約束する。

 それが、この国のためだと彼女は信じる。


 最低限の口調さえもかなぐり捨てての彼女の宣言。

 アスターは不快そうに表情を歪め、嫌悪と怒りのままに魔力を高めて詠唱を始める。



「【光輝裁天 終星審判 我が炎輪は正邪のかぎり 七つの光で天圏をしるせ】!」

「【終末前夜に安寧を謳え 最早此処に夜明けは来ない

  救いの御世はうつつの裏に】」



 合わせて、彼女も。

 今こそ見せる時だ。今朝、彼に教えてもらったこと。彼女の魔法の真価。

 それで以て──この当代最強の魔法使いを超越する。


 決意とともに、彼女は己の魔法を宣誓すべく口を開いた。





 一方のエルメスは。


「最初に、一つ聞いておきます」


 問いを投げかけた。

 彼を取り囲み、敵意をぶつけてくる兵士たちに──ではない。


「サラ様。貴女は戦うのですか?」


 その後ろで自分を見つめる、碧眼の少女に対してだ。


「何をふざけたことを言っている! 貴様ごとき、我らだけで十分だ!」

「サラ様のお手を煩わせるまでもない! そもそもこの方は心優しいのだ、貴様のような悪魔に触れさせることすら穢らわしい!」

「以前は不覚をとったが今回はそうはいかぬぞ! 今日こそは化けの皮を」

「──貴方がたには聞いてないんですが?」


 何故か反論を始めた周りの兵士たちを、底知れぬ圧力を宿した言葉で黙らせる。

 そして訪れた静寂の中、サラは少しの怯えを含みながらも、意を決した様子で。


「はい。戦います」

「……理由をお聞きしても?」


 彼女の表情からなんとなく予測はしていたものの、意外なものは意外だ。

 何せ、彼女がアスターの方針に疑問を持っていることは明らかだ。そうでなければ、アスターが焼き払うと決めた村の住人を事前に避難させるという、バレれば確実に信頼を損なう行為をするわけがない。

 エルメスやカティアと積極的に敵対する気がないのも分かっている。ならば何故、との問いに彼女は。


「エルメスさん。あなたは以前言って下さいましたね。もしわたしがあなたと対立する選択をしたら、その時は正々堂々戦おう。そのために魔法はあるのだから、と」

「ええ」

「わたしは……まだ、迷っています。アスター殿下の元を明確に離れることも、あなた達を何がなんでも倒す決心だってつかない。ごめんなさい……でも、だから」


 顔を上げて、今まで見た中で一番真剣な表情で、告げた。


「わたしは、確かめたい。そう語るあなたの魔法がどんなものなのか。……カティア様を変えた、あなたがどんな想いで魔法を振るうのかを見てみたい。そのために──お手合わせ、願えないでしょうか」

「……なるほど」


 明確な決意はない。でも、その誰かの決意がどういうものなのかを確かめるために戦う。

 それも立派な、一つの想いだとエルメスは感じた。


「そういうことなら、言った通りに正々堂々と。……お覚悟を」

「は、はいっ!」


 そして、気合いを入れ直す。──これは油断できないだろうと。

 彼女の魔法は以前見ている。いずれも戦闘向きのものではなく、直接的な脅威度は低いように思える。

 だが、彼の予想が正しいなら恐らく。この状況、この条件においては。


 ひょっとすると自分にとって、この場で一番厄介なのは彼女かもしれない。


 そう考え、真っ向から見据えて宣言するエルメス。

 サラは少しの緊張とともに、けれどどこか嬉しさも滲ませる声で答え。同時に自分を見る兵士たちが俄に殺気立って。

 これに答えるかのようにエルメスは詠唱を開始し、駆け出した。



 こうして、まずはカティア対アスター、エルメス対サラという構図で。

 因縁の決戦、或いはこの国の未来を決める戦いが、始まった。

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