39話 願いの形

 エルメスの師匠ローズ、またの名をローゼリア・キルシュ・フォン・ユースティア。

 王族として生まれ、誰もに将来を嘱望された魔法使い。何故なら彼女は強力無比な血統魔法を三つも受け継いだ、サラすら超える『三重適性』だったから。三重適性の血統魔法使いは、王国史を全て遡っても彼女を除けば初代王族に一人だけ。


 伝説の再来と持て囃され、騒がれ──けれど彼女は王都を出た。

 彼女の魔法に対する考え方が、王国においてはあまりに異端だったから。



 ……まぁ、実の所。

 弟子である彼自身、これ以上のことは一切知らないと言っても良い。事実ユルゲンがローズを知っており、しかも口ぶり的にそれなりに親しかったこと自体初耳だったし。


 相変わらず謎の多い人なのだ。まず年代的にエルメスたちより一つ世代が上であるにも関わらずあの肉体年齢はおかしい。どう見ても二十歳前後の美女にしか見えないし、そもそもエルメスがいた5年間で一切変化していないのも謎だ。

 それと──これは彼女に言うと怒るのだが、精神年齢的にもユルゲンと同年代とはとても思えないし。


 でも、そんなこと関係なしにエルメスはローズを心から尊敬している。


「師匠からは、本当に色々なことを──って」


 そのことを思い返しながら、語り始めようとしたエルメスだったが。

 カティアがまたも、唐突に震えながら縋りついてきたせいで中断せざるを得なくなった。


「あの、カティ」

「う、ううううるさいわね! いきなりわけもなくこんなところに連れてこられたら怖いのは当然でしょうが!」


 ……まあ、それもそうか。

 現在彼らが居るのは森の遥か上、テントが豆粒程度にしか見えないほどの超々高度だ。


「ごめんごめん。でもわけもなく、じゃないよ。ちゃんと見せたいものがあったんだ。ほら、離すよ」

「……だ、大丈夫なのよね……?」

「大丈夫。手を繋いでいる限り落ちはしないし、万が一落ちてもすぐ拾えるから」


 未だに震えて目を瞑っているカティアの体をゆっくりと離して促す。


「い、いいのよね!?」

「瞑っているようお願いしたつもりはないんだけど……いいよ、見て」


 繋がれた手をぎゅっと握りしめて、カティアはおずおずと瞼に込めた力を緩める。

 震えながらも徐々に目を開き、紫の瞳を顕にして。





 空が、あった。





 西の地平に見えるのは、全てを優しく飲み込むような漆黒の空。

 微かな星明かりと共に、見るもの全てを穏やかな安寧と微睡に誘う安らぎの色。


 そこから徐々に反対側へと伸びていく、吸い込まれるような深い紺碧。この時間だけに見える鮮やかなグリーンを経由した後、鮮烈な、けれど心の内側まで暖かくするようなオレンジの果てに。


 東の地平に見えるのは、遍く全てを照らし輝かす純白の空。

 始まりの光であり、明けの象徴。世界を見守る日輪の色。


 西の果てには夜が、東の果てには朝が。

 それは世界の終わりと始まり。夜明け前だけに許された奇跡。神々のキャンバスに描かれた、原初のグラデーション。



 ──全ての空の色が、そこにはあった。



「…………」


 途方もなく壮大で、途轍もなく純粋で。

 そして、どうしようもなく美しい景色。


「──師匠からは、本当に色々なことを教えてもらったんだ」


 この時間、この場でしか見られない光景。言葉も忘れて見入るカティアに対し、エルメスは穏やかに語り始めた。


「魔法の使い方。魔法の根底にある法則。そして、魔法の真実も」


 魔法は天与の才覚ではなく努力の結晶。その理念をもとに彼は魔法理論を学び、その理念を具現化する『原初の碑文エメラルド・タブレット』で以てあらゆる魔法を解析した。


「するとね、見えてくるんだ。この魔法はどういう風に作られて、どういう意図でこう作ったのか。そして──最後には分かる。魔法の根底にあるものは、やっぱり想いであり願いなんだと」

「……願い」

「そう。誰かが何かを望み、でも今のままじゃ届かなくて。その差を埋めるために努力を重ね、必死に積み上げ組み立てて──遂には届いた願い星の欠片。それこそが魔法なんだよ」


 故に全ての魔法には、それを創る上での願いが宿っている。

 だから彼は学ぶのだ。かつて失ってしまった自分の想いを取り戻し、自分だけの魔法を創るために。


「それでね、ひとつ聞くんだけど」


 視線をあげて、彼は問う。


「この魔法。空を飛ぶ魔法である『無縫の大鷲フレースヴェルグ』。この魔法の開発者はさ、何を願ってこれを創ったと思う?」

「え──」


 言われて、カティアは考える。

 魔法で戦うことにおいて、空を飛べることの有用性は計り知れない。……いや、魔法に限らないだろう。

 相手の攻撃が届かない所から、一方的に自分が攻撃する。戦うことにおける必勝の真理の一つだ。遍くものが地に落ちる法則を自分だけ無視できるこの魔法は、そのひとつの完成形だろう。


 事実かの『空の魔女』ローズは、この魔法で空中を自在に飛び回り、加えて『光の雨を降らせる』というどこの神様だと突っ込みたくなるような血統魔法のコンビネーションで空を支配し恐れられたと聞いている。

 更にはもうひとつ、奥の手として最強の血統魔法を隠し持っていたらしいから規格外すぎて追い出されたのも納得できなくはない。


 だから、この魔法の開発者は──と。


「……いいえ」


 そこまで考えて、カティアは首を振った。

 もう分かる。きっとこの魔法を創った人は、そんな『余計なこと』なんて考えもしなかったのだろう。


「そう。この魔法に込められた願いは──」


 カティアが辿り着いたことを察して、エルメスは告げた。




「──空を飛びたい・・・・・・。ただ、それだけだったんだ」




「……」

「ただそれだけの、でも純粋で狂おしいほどの願い。この魔法を解析していると、創った人のそんな想いがありありと伝わってきた」


 馬鹿にしようとは思わない。

 こんなものを見せられては、思えるわけがなかった。


「……カティ。君も今、かつて抱いた理想に届かなくて、空回って。すごく辛いってことは、よく分かった」


 そして彼は遂に、彼女の核心に踏み込む。


「それはきっと、追い求める限りずっとついて回るものだと思う。控えめに言っても地獄だと思うよ。……でもね」


 エルメスは言葉を区切り、カティアの前で空を背景に手を広げて。


「全てを乗り越え、願いが星に届いて形となった時。──そこから見える景色は、こんなにもきれいだ」

「──あ」

「僕は、それを見たい。そこにたどり着いた君が創り上げるものを、僕にも見せて欲しい。……だから、僕はカティに諦めて欲しくないんだ」


 迷っても良い。

 時に立ち止まって考えることも重要だろう。

 でも、進もうとする意思自体は無くさないで欲しいのだ。何故なら──


「あの日、牢屋の前で君が励ましてくれた時から、僕は君のその在り方のファンなんだから」

「!」


 真っ直ぐな言葉。微かに赤面しつつ受け止めたカティアが、しばらく考え込んでもう一度空を見る。


「……綺麗、ね」

「うん。本当に」

「……私にも、こんな美しいものを生み出せるのかしら」

「できるよ。僕がいる」


 断言する彼に、彼女は一度驚きの表情を見せてから。

 ……ふっ、と。どこか困惑した、けれど憑き物が落ちたような表情で微笑んだ。


「……分かったわよ。貴方の口車に乗せられてあげます。もうちょっとだけ、頑張ってみるわ。……その代わり」


 続けて、照れを多分に含んだ半眼でこちらを見て。


「責任は、取ってもらうわよ。……ちゃんと最後までついてきてくれるのよね?」

「勿論。それこそ地獄の果てまでお供しましょう」


 彼の返しに息を詰まらせそっぽを向く彼女は、いつもの調子に戻っていて。

 ……もう大丈夫だ、と彼は安心したのだった。




 そして、同時に──カチリと。

 彼の頭の中で、何かが嵌った感覚がした。


「──あ」


 その感覚を忘れないうちに、やや急ぎ気味で彼は告げる。


「……カティ。ごめん、もうひとつ。早急にお願い」

「えっ、な、何?」

「君の魔法を起動してみてくれない? 今、ここで」

「え、なん──わ、分かったわ」


 急な話に困惑しつつも、焦りからか必要以上に近くに迫ってきたエルメスの圧に負けてか。

 カティアは言われた通り空の真ん中で彼女の血統魔法を起動する。

 数秒、仔細に観察したエルメスは。


「──うん。分かった」


 確信を持った表情で、頷いた。今の閃きは間違っていなかったと。


「今ようやく分かったよ、カティ。君の魔法──『救世の冥界ソテイラ・トリウィア』の真価。そこにあった願いも、その本当の使い方も」


 カティアが目を見開く。


 やはりだ。今までの『救世の冥界ソテイラ・トリウィア』は扱い方を致命的に間違えていた。

 それを理解し、改善すれば彼女は劇的に進化する。公爵家の魔法使いに相応しい──いや、或いはその枠すら超えるほどに。


 そうと分かれば、早速教えなければ。カティアを伴って地面に降りるエルメス。

 まずは今分かったことを彼女に教え、実践と練習をして。

 それからは、立ち向かおう。今も自分たちを追いかけているあの王子様を、真っ向から否定するために。

 もう逃げていてはダメだと、ここまでの道程で嫌と言うほどに思い知ったから。



 決意を抱き、彼と彼女はまた一歩を踏み出したのだった。

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